第3話 セクハラは男子に厳しい

 バットコントロール。


 山崎 桜いわく、高校野球の打撃はバットコントロールが9割である。


『高校野球は金属バットを使用しているからね。スイング速度はそこそこでも飛ぶ』


 と説明した。


『もちろん打球の速度が遅ければ内野手にだって捕まるけれど、そりゃあゴロを打たなきゃいいってだけの事よ。内野手の頭を越え、外野の手前か間に落とす。前進守備の状況はとりあえず考えない。バットコントロールさえできるようになれば、前進守備の奥を狙うフライくらいは上げられるようになるから。』


 断言である。


 これは【言った通りに練習すればできるようになる。やれ】という事なのだが。


『バッティングセンターの打撃でも、110キロの球よりも、130キロの球の方が飛ばしやすいでしょ?打球のエネルギーは投球速度とバットのスイング速度で決まる。さらに飛距離となれば、投げた球種によって全然違ってくる。ホームラン性の当たりを狙って振り回すんじゃなく、【狙った高さでバットをぶつける】技術を磨くの。早い話、そこそこ早いボールに上手に当てれば、あとは勝手にボールが飛んでってくれます。』


 そこで皆でティーバッティングをやるのが練習のメニューに組み込まれた。


 チームメンバーに聞いてみると、やった事のない人間がほとんどのようだった。


 近くからボールを軽く投げ上げてもらって打つ、トスバッティングの練習はした事があるそうだが、棒の上に置いてある止まったボールを打つ練習はした事が無かったと。

 おかげで皆、自分のバットが適当に振り回されていた事に気づいた。高さと距離にもよるが、狙った場所をバットが通過していないという事に。


 止まっているボールをうまく打てない。バットが狙い通りに制御されていないのだ。


 これは飛ぶ蚊を両手でパチンと叩くのをミスるのに似ているのだと、山崎は説明した。人間は自分の両手であれど、目測の位置へ咄嗟に何かを動かすのに慣れていない。距離感がうまく掴めないのだと。


『素振りがうまいのと、打撃がうまいのは全然ちがう。狙った位置にバットを持っていける距離感と、制御能力を身につけないとダメ。人、それをバットコントロールと言う』


 山崎はときどき、時代がかったセリフやら言い回しをする。どっかの映画やらアニメやら動画で見た場面のセリフを真似ているのだろうが、元ネタはよくわからん。


 加えてボールを見て当てることができていない(ボールを見ていない)、ボールを追うための首の柔軟性が足りていない(とっさに首を捻るのは難しいのだ)、動体視力が鍛えられていない(動態視力訓練用のランダム番号カード等が作成された)などなど、バッティングに不足している部分を次々に指摘し、それぞれに必要なトレーニングを指示した。


『スイング速度を上げる練習は、私たちには必要ありません。必要なのは、ピッチャーの投げる球種を見切る動体視力、ボールの軌道を予測する判断力、そして狙った場所にバットを通過させるバットコントロール技術。現在の自分のスイング速度で、バットを自在にコントロールできるようにしてください。むしろバットを制御できるようになるのなら、スイング速度は少しくらい落としても構いません。』

 山崎はまだまだ続けた。


『そのかわり、バットの芯は意識してください。当てれば普通に飛ぶ金属バットでも、内野手の頭を越すためには、芯に食わせる必要がありますので。バンバン打って、気持ちよくランナーを並べましょうね!』

 そこで山崎は俺を指さして


『ランナーを一掃するホームランは、こいつが打ちますから。』


 そうなのだ。


 山崎の一押し、それと現状の打撃能力の調査結果により、俺の打順は暫定で4番になっている。ちなみに山崎の打順は、本人の希望により暫定で1番だ。


 奴の脳内計画では、こうなっている。

 1番、山崎がホームラン

 2番、※※※(未定である)がシングルヒット

 3番、※※※(未定である)もシングルヒット

 4番、北島(俺だ)ホームラン!!

 いーぞ、がんばれ、弘前高校!燃えよ弘前高―――!!


『…という応援歌を考えたんだけど、応援団がついたら、これを歌ってもらうのはどう』

 山崎以外の部員、全員一致で却下になった。A県民に怒られちゃう。


 山崎の脳内応援歌の予定通りになれば、1回の攻撃で5点が入り、5回コールドで予選を勝ち上がる事になってしまう(県大会の準決勝までは5回で7点差、7回で10点差があるとコールドゲームになって試合終了となる)。さすがにそこまで甘くねぇだろうよ。


 なお、山崎の脳内計画でいくと、勝ち上がると山崎・北島の2人が敬遠策で歩かされる可能性があるが、間の2人がヒットを打ってくれれば最低でも1点は入る。9回までやれば6点は入るはずだと。最悪の状況としては山崎・北島が敬遠で歩かされ、間の2人が打ち取られてしまう事だが、そこはあまり気にしていないという。


『1番バッターの【女子選手】の敬遠を許可する監督はいないと思うのよねー』


 それもそうだ。そんな恥晒しはできない、と考える男子選手しかいないだろうなぁ。

 山崎いわく、それでも敬遠策を抑えるために、序盤では三味線を弾く(強打者という事を隠していく)つもりだそうで。上手に左中間あたりを狙っていくつもりだとか。


 本気を出すのは準決勝より上だそうだ。…ベスト4で応援歌を現実にされたら、強豪校が泣いちゃうんじゃないかなぁ。ともかく、現状の問題は2番3番に誰を入れるか、という事。バットコントロールが上手くて、スイング速度も速い、いちばん上手な打者を…


『現状、どんぐりの背比べだからねぇ。誰か抜きんでてくれないかなぁ』


 などと酷い事を言ってもいるが、事実その通りだ。毎日ひたすら行っているティーバッティングのおかげで、狙いの位置にバットをコントロールする技術は身に着けつつある。

 トスバッティングならば右へ左へと自在に打ち分けられるようにもなってきた。おかげで、内野守備の練習が捗るようになった。だが、ここから先の問題がある。

 うちの野球部には、山崎を除けば現役ピッチャーが2人しかいない。3年の岡田先輩と、2年の川上先輩だ。1年の前田は小学校の頃に少しだけ経験がある程度。


 そしてバッティング練習のためのピッチングで、投手の体力を消耗していては、肝心の投球練習、変化球の練習などができないのだ。

 ピッチャーの能力アップのための練習は始めている。これは必須だ。だがしかし、そのために打撃練習が進まない。現在は時間を見て山崎が打撃練習のピッチャーをやっているが、どうしても人手が足りない状態になってしまっている。


 できれば山崎はピッチング指導にもっと時間を割きたいところだ。打撃、走力の強化トレーニング、必要な筋肉を鍛える筋トレの方法、回復方法、必要な食事の質と量などの、一度教えれば監督、マネージャー、選手任せにできる事と、そうでない事がある。


【打撃練習の人手が足りない】


 ウチの野球部には、野球の天才はいない(山崎は「自分は違うものだ」と言う)。つまり、少なすぎる練習で極意を会得できる選手はいない、という事。

 いくら正しい練習方法を知っていようと、理論を知っていようと、【技術】そのものは経験によって会得する部分がある。理論と実践結果の違いを修正して身につける作業。


 ある程度の回数をこなさなくてはならないのだ。そのための人手が足りない。


 自信満々でコーチングを買って出た山崎 桜も、うーんと唸って腕を組む。


「…ちょっと、ちょっと山崎さん。」

「なんですか大槻先輩」


 3年女子マネージャーである大槻 京子(先輩)が、小走りで山崎に近づいてくる。

 …まぁ、言わんとしている事はわかる。皆、黙っていただけだ。


「胸の下で腕を組むのはダメだってば。」

「え?いや、胸の上側じゃ腕は組めないし、あたしのサイズじゃ胸を押しつぶさないと胸の前では腕組めないんで」

「だったら腕を組むのは禁止で。」

「―――な!このカッコいいポーズを禁止するとっ?!」

「おっぱいが強調されすぎて、男子の目の毒だって言ってるの!!」


 思わず叫んだ大槻マネの言葉に、山崎はようやく「おぉ」とか言って腕組みを解いた。


「あー…思春期男子ですものねぇ。巨乳有罪って事ですか。」

「きょにゅーとか言うのも無しでね。男子だったらセクハラ扱いされるし」

「でも私、70のHですから、充分に巨乳を名乗ってもいいと思うんです。」

「ええぇ!!70のH?!」


 なんやて?なんだと?なんですと?!どういう事なんだ大槻…

 二人のやり取りに、そっと目を逸らしていた男子部員たちが、「70のH」という言葉を聞いて、ざわめき始める。


「あぁ、あくまでブラの規格が70のHっていうだけで、実際のアンダーは」

「ストップ!ストップ!ちょっと山崎さんこっちに来て!!」


 大槻マネが山崎を引っ張って部室裏へと連れて行く。おそらく小声で説教だろう。山崎は自称【前世が男だったような気がする】と言っているせいか、女子的なガードが低めのきらいがある。ときどきこういう事をやらかして、女子に教育されるのだ。


「なぁなぁ。なぁ、北島」

「なんスか岡田先輩」

 ウチのエースピッチャーでもあり、山崎の弟子と化している3年の岡田先輩が来た。


「Hって言うと納得だけどさ。70って小さくない?もっとあるよな?」

 この人なにを堂々と男子トーク始めてんだ!いちおう小声だけどさ!




「…いや先輩、それは誤解っスよ」

「誤解って?」

 いちおう周りを見回し、大槻マネが戻ってきていない事を確認する。


「さっきアンダー70って言ってたでしょ」

「…ああ、確か。それが?」

「グラビアモデルのスリーサイズで表記されてるのは、たいてい【トップバスト】サイズです。88とか85とかのやつ。これはいちばん高いところの外周です。で、さっき言ってたのは【アンダーバスト】で、いちばん低い部分の外周です。ブラのサイズの表記は、たいていこのアンダーの数字とカップサイズで表示されてるんですよ。」


「なるほど。つまりはもっと大きい数字が、スリーサイズ的には来ると」

「同じカップサイズでも、胴回りが細いほど突き出てますからね。細身の方が目立ちますけど、あいつはわりとガタイがいい方なんで、全身のバランスから見れば、それなりじゃないスか?」


 あいつ詳しいな。おっぱい星人か。おっぱい星人だな。などという声が聞こえてくる。…ほっとけ!女子のバストに興味を持った時に調べた事があるんだよっ!!!


「んで、Hって差分はどんだけなの?70のHだとトップはいくつ?」

「…あくまでブラの規格だと【70前後に合う】ってやつでしょうから、正確な数字は出ないでしょうけど…Hは」

「Hカップの差分は約27.5センチよ。」

 絶妙なタイミングで山崎が教えてくれた。


 ひゅぅうっ!ビックリしすぎて変な声でた!

 よく見りゃ周りのやつら、完全に俺と岡田先輩から目を逸らしとる!!

 岡田先輩の後ろに隠れるようにして、山崎と大槻マネが立ってるぅ!!


「あのね。岡田くん、北島くん」

「あっハイ」「はいっ!」

 底冷えのする大槻マネの声に、おもわず背筋を正して返事をする岡田先輩と俺。


「あとで監督の立ち会いの元で、セクシャルハラスメントに対する再講習を行うから、練習が終わったら着替え前に監督のところへいらっしゃい。」

「ハイわかりました」「はいっ!」


 早い話が説教である。男女混合の部活では注意すべき事なのだ。


―――その日の練習後、岡田先輩と俺は監督であり、顧問教師の平塚先生(男性43歳・担当教科は数学)と大槻マネに、しっかりと説教された。お前らなー、いくら姉御肌つっても山崎は新一年女子なんだぞわかってんの?下手すりゃ集団いじめに発展する可能性もあるんだから気配りを忘れちゃいかんよ。せめて女子の耳を気にするくらいはしないと。


 とかなんとか。すみませんハイすんません。ひたすら謝って説教を受けた。岡田先輩のとばっちりな気がするが、仕方ないものは仕方無い。


「…しかし。ううーむ」

「どうしたんスか先輩」

 二人だけで遅れて部室で着替え。他の部員はとっくに帰っている。


「アンダー70のHという事は」

「さっき説教されたばっかでもうそれスか?!」

「いいじゃん女子はいないし!それに所詮はスリーサイズの話よ!それ以上は言わん!」

「…で、なんスか」

「つまりさぁ、山崎のトップは3桁いってるかも?ってこと?」

「…あくまで可能性っスよ。【70前後】ですから。ま、最低でも95ぐらいはあるんじゃないっスか?」

「ひゅう!夢が膨らむ捗るな!!」

 ダメだこの人。ピッチャーとしては伸び代があって、けっこう有能らしいんだけど。



<『…という事があった』

<『なるほど。岡田先輩はおっぱい星人の巨乳派閥か。あんたと同郷ね。』


 晩に「ところで説教どうだった」と山崎からメッセージが入ったので、簡単に説明しておいたら、この返事だ。同郷ってどういう表現だよまったく。


<『完封できたらブラの上から揉ませてやるって言えば覚醒するかな?』

<『不祥事になるからやめてください』


 そんな釣り餌でやる気を出させた実話もあった気がするが。あれはバレーの教師だったな。


<『まぁ巨乳のフルカップブラなんてガチガチに固いから、面白くないだろうけど』

<『ほぼ詐欺じゃねぇかよ』


 しかしフルカップか。


<『スポーツブラは完全に鎧みたいなもんだしね!ざまぁwww』

<『鬼かおまえは』


 スポブラの話かよ!無地のボディーアーマーみたいなやつ!完全に詐欺じゃん!!


 学生らしい下らないメッセージの応酬を終えて、布団にもぐりこむ。

 ひとまず練習は順調だ。だが、打撃練習の問題は解決していない。さて、どうするか。

 山崎 桜には、打開策はあるのか。そうぼんやり考えながら、俺は眠りについた。


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