第2話 カーレイ=ラドメイシュの受難



 翌日から僕の受難が始まった。


 リグネッタ様は、領内の街を巡って、条例の意義を説明していった。

 それにフロンシアとともについて回ったのだ。


 だが、特に反発の大きかった酒については男たちも納得しない。

 そういうとき、なぜか決まって僕に矛先が向けられる。


 僕は、仕方なく何発か殴られてから、酒税がなにに使われるかを説明する。それが、孤児院や病人の治療に使われていること、粗悪な酒の流通を防いでいること、酒によって人生を狂わせた人たちを支援するのに使われていること。


 もちろん彼らはそれでも納得しないので、そこからはリグネッタ様の仕事だ。彼女は説得力のある話を、ちゃんと持ってくる。酒や薬物によって早死にした患者、酒が原因で起きた最近の事件、パートナーが抱えている不満の一番の原因が酔っ払いであること、酒の飲みすぎによる胎児への影響、とか。そういう怖い話だ。


 怖い話は、みんな真面目になって聞く。

 誰だって早死にはしたくないし、家族を苦しめたくもない。


 もちろん、そのために価格をあげて、あまり飲めないようにする……と言ってしまえば誰も納得しないが、酒代を上げることでまともな酒が流通するように管理していると言われれば、まぁ悪い気はしない。多く払ったお金が、酒で苦しんでいる人のところにいくと分かれば、表立って反発するのもはばかられる。


 結果として、なんとなくまぁいいか、で落ち着いてしまう。

 僕だけが明らかに殴られ損なのが辛いところだ。


 そんなこんなですべての街を行脚しおえた頃には、僕の身体はぼろぼろだった。

 

 馬車に乗り込み、夜道を屋敷へと向かう。豪奢なつくりの馬車だが、悪路走破性はいまいちよくない。がたがたと跳ねるたびに、僕の身体が悲鳴をあげた。まったく、こんなことなら僕だけでも街に泊まっておくんだった。ため息を吐く。


「……はぁ、もうこんなのはごめんですよ」


 リグネッタ様とフロンシアは、元気そうに談笑していた。

 殴られていないとはいえ、なかなかの体力だ。

 帝都ではスタミナを鍛える訓練でもしてるんだろうか。


「お疲れ様、カーレイ」

「リグネッタ様こそ、見事な弁舌でしたよ」

「あなたが説得できていれば手間も省けたのだけどね」

「僕のおかげで話を聞くムードになったんですよ」


 狭い馬車でも、リグネッタ様はおおきな扇子をぱたぱたと煽ぐ。


「フロンシア、これで人々も納得するかしら」

「どうでしょうか。しかし多少は見る目も変わったでしょう」

「当然よ!でもこのあとに控えることを考えると、不安は拭えないわ」

「コベルマン伯爵のことですか」


 すでに、僕とフロンシアは方々の商人からコベルマンの悪事の証拠を集めはじめている。どこかで勘付かれて、対決することになるに違いない。そのとき、伯爵が金にものを言わせるのか、あるいは武力行使に出るのか、それが問題だ。


 僕もフロンシアも、最終的に打たれる手が暗殺だろうという点には同意していたが、もしかするとそれが最初で最後の手になる可能性もあり得た。腕が立つとはいえ、フロンシアはただの騎士でしかない。からめ手には抗しえないだろう。


「伯爵領にはエリアレンの倍の兵力がいるわ。そのうえ、人脈もいたるところにあって、どんな手でもエリアレンを追い詰めてしまえる。カーレイ、コベルマンがその気になれば、この領地なんて簡単に乗っ取られてしまうのよ」

「なるほど。もしや酒と薬物を取り締まったのは、そのためなのですか?」


 だとすれば、リグネッタ様を見る目がすこし変わるな。

 そんな大局を見据えて動いていたなんて。


「違うわ!酒とクスリが嫌いなだけよ!」


 違った。


「どうしてそんなに毛嫌いされるのですか?」

「嫌いなものは嫌いだからよ!」


 お嬢様が僕の頭を強めにはたいた。暴力気質だ。

 昔はもっとおしとやかというか甘えたがりの方だったのに。

 一体、学校でなにがあったのだろう。


 と、思っているとフランシアが僕の袖を引っ張った。


「カーレイ、ちょっといいですか」

「なんだよ」

「外を見てください」


 そう言いながら彼女は手鏡を渡す。僕は、それをうまく反射させて、馬車の後ろをのぞき見た。赤い光が二つ、ゆらゆらとつかず離れずでついてきているようだ。なるほど。この馬車に追いつける速度、おそらく魔導二輪車か。それが二台。


「把握した。3,2,1で、二台とも潰してみるよ」

「君は、戦いになると野蛮さがにじみ出るのですね」

「フロンシアは、お嬢様を頼む」

「お任せください」


 女騎士はリグネッタ様をぎゅっと抱えて頷く。

 よしこれでこっちは安心だ。

 お嬢様は……暴れるのが目に見えているからな。


「ちょっとカーレイ!二人で戦いなさい!これは命令よ!」

「お嬢様、お静かになさってください」

「あんた、私の命令が聞けないっていうの!?」

「申し訳ありませんが、これが僕の仕事ですので」


 僕はそう言いながら馬車の扉をあけ放った。


 飛び降りると同時に、魔弾が扉に打ち込まれる。僕はすかさず身体を屈めると扉を蹴って、すこしだけ跳躍した。上下運動をする相手に照準を合わせるのは困難。身体をねじりながら弾を避けると、僕はその勢いのまま、刺客の上に着地した。


「悪いけどこいつは没収だ」


 二輪車がふらふらと揺れるなかでも、僕は体勢を保っていられる。

 すばやく魔銃を奪い取り、それで男の頭を撃ちぬいた。

 これで一人。いよいよ車体が傾きはじめる。


 だが、そのときにはもう僕がハンドルを握っている。


 車体をおもいきり傾けてブレーキ。弧を描くようにドリフトしたのち、もう一人の刺客は、眼前に迫っている。僕は、そいつの構えた魔銃を正確に撃ちぬき、それから、すれ違いざまの左フックで魔導二輪から叩き落とした。


 これで終わり……と思ったとき、フロンシアの声が耳に届く。


「カーレイ!前からも来ています!」


 クソ。二段構えとは周到な連中だ。

 尋問なんて考えてる場合じゃないな。


 僕は悶えている男に魔弾をぶちこむと、アクセル全開で馬車に追いつく。フロンシアの言うとおり、前方からも赤い光が三つ。まったく、たった三人を殺すのにどれだけの刺客を雇ったんだか。どうやら、あきれるほどに慎重な雇い主らしい。


「加勢します!」フロンシアが叫ぶ。

「ダメだ!三段構えかもしれない!お嬢様を守れ!」

「カーレイ!私たちに指図するなんて百年早いわよ!!」


 お嬢様の金切り声が聞こえたが、それは無視。

 馬車はフロンシアに任せるとして、前の三台はどうするか……。


「ちょっと拝借」


 僕は馬車から長鞭を抜き取って、それをひゅるりと振るった。

 風切り音が夜闇に消える。


 確かな手ごたえ。

 もうたったのそれだけで、十分だった。


 夜が静まったあと、馬車からリグネッタ様とフロンシアが降りてきた。


 お嬢様はひどくお怒りで、フロンシアは未だ剣に手をかけている。もう敵の気配はないが、まだ警戒を怠っていないのは流石だ。フロンシアは、倒れている刺客らに駆け寄ると、その着装をまさぐりはじめた。彼女なら色々と分かるのだろう。


「ちょっと!何を気取っているのよ!」


 お嬢様だ。

 彼女は僕の胸倉を掴んで、真っ赤な顔を向けた。


「カーレイ!私の命令を無視したわね!」

「無視というか……」


 無視というか、あの場ではああせざるを得なかったというか。そのとき、フロンシアがうんざりした顔で立ち上がるのが目に入って、僕はすかさず声をかける。


「フロンシア、どうだった?」

「間違いなくコベルマンの手のものですね」

「魔導二輪車とは、ずいぶん粋な真似を」

「ちょっとフロンシアぁ!カーレイも!無視は許さないわよ!」


 そうは言われても弁解の仕様もない。


「お嬢様、落ち着かれてください」

「だって……あなたが死んだら私は……!」


 華奢な靴で地面を蹴りながら、ぷりぷりと怒る彼女はどう見ても令嬢には見えない。なんというか、一介の町娘のような気配がある。僕はこのときようやく疑問に思った。本当にこの人は、僕の知っているリグネッタ様なのだろうか、と。


「あの、お嬢様。帝都の学校で一体なにがあったのですか」

「どういうことを聞こうとしているのよ」

「僕にはどうも、あなたが昔のリグネッタ様だとは思えません」

「……ッ!うるさいわ!カーレイ風情が!」


 怒らせてしまったらしい。

 本当に何があったか気になっただけだったんだけどな。


 さて、とりあえず屋敷に戻ろう。

 そして今後のことを考えよう。


 そう、僕が思った瞬間だった。


 ばすん。


 空気の抜けるような音が響いた。

 この反響音は銃声。

 魔銃による、狙撃。


 僕の頭がその意味を理解するよりも早く、身体が飛び出していた。

 狙われるのはお嬢様以外にはいない。

 なら、その細い身体を覆い隠せば、彼女は死なない。


 飛び出した僕の背中に、なにか重たいものが当たった。

 衝撃で僕はつんのめる。

 つんのめって、お嬢様にもたれかかってしまう。


 あぁ、こんなことしたら、またリグネッタ様が怒るぞ。 


「カーレイ……」


 だが、僕の目の前で、彼女の顔は驚きと悲愴に染まっていた。

 なんでそんな顔するんだよ。


「だめ、カーレイ、」

「お嬢様、僕の、下に、隠れてください、」


 僕は重たい身体をもはや動かすこともできなかった。


 腹の感覚がどんどんと失われていって、あたたかくてぬるいものが止めどなく溢れるのを感じる。僕の下敷きになっているお嬢様の、高そうな服がどんどんと濡れていく。僕も彼女も動けないまま、痺れがゆっくりと広がっていって、


 背後で、フロンシアの殺気が膨れ上がるなか、

 お嬢様がつんざくような悲鳴をあげて、そのまま僕は、


 意識を失った。 


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