第1話 リグネッタ=エリアレンの帰還



 その日、お嬢様の様子が変わっていることに僕は気付いた。


 七年ぶりに屋敷に戻ってきたリグネッタ様は、相変わらず目深の帽子を被った麗人だったが、その髪は決意を示すように束ねられていて、褪せた茶色は輝くような金色に変わっていた。目もとの強さは和らぎながらも、どこか力強い。


「そこの侍従!名はなんと?」

「カーレイと申します。お嬢様、私のことをお忘れでしょうか」

「まさか!すこし確認をしてみただけよ!」


 張り上げるような声は、どことなく太さが増しており、以前のリグネッタ様しか知らない僕には新鮮に思われた。まるで別人に生まれ変わったかのようだ。お嬢様は、侍女を連れて屋敷内を歩き回ると、執事長を呼びつけて鋭い声を放った。


「執事長ルフィール!この家には大きな問題があるわ!」

「は……何でございましょう」

「この無駄に広い家よ!こんなものは必要ないわ!」

「しかしこの屋敷は代々エリアレン家が……」

「うるさい!この屋敷の維持費が無駄なのよ!さっさと引っ越すわよ!」

 

 これはお強い。

 

 確かにエリアレン領は侯爵領にもかかわらず、それほど裕福ではない。それには魔王軍との戦争で土地が荒廃しただの、魔獣被害の多さで領民が逃げ出したなどといった理由があるのだが、まぁそれはどうでもいい話だ。


 僕にとって驚きだったのは、あの、大上段ですまし顔で、かなり意地悪だったお嬢様が、屋敷の維持費だの生活費だのに気を回すようになっていたことだった。確かに、そこらの貴族の邸宅よりも十倍以上も広い敷地は、手入れだけでも膨大な人数を雇う必要がある。お嬢様のいうことはそこそこ、正しかった。


 と思っていたら、お嬢様がまた声を張り上げた。

 頬は引きつっていて、呆れたように白目を剥いている。


「なんですってルフィール!これが別宅ですって!?」

「別宅にございます」

「ば、ば、ば、バカなんじゃないの!」

「何をおっしゃいます!お嬢様も本邸の広さをご存知でしょう!」


 本邸はこの屋敷のさらに十倍は大きいのだ。帝都から連れ帰ったであろうリグネッタ様の侍女が、その狼狽を見て、口元に手を当てた。ベールの下ではきっと、くすくすと笑っているに違いない。リグネッタ様は顔を赤くして叫んだ。


「やめよやめ!そんなことをしているから財政が悪化するのだわ!」

「お嬢様、しかし侯爵家たるもの相応しい格というものがですな……」

「格なんかでお腹は膨れないわよ!」

「ご当主にお伺いを立ててから……」

「ルフィール!!馬鹿言わないで!わたしがこの家の次期当主よ!」

  

 あはははは、と笑いながら大広間に仁王立ちするリグネッタ様の姿は、とてもではないが侯爵家の令嬢とは思えない。尊大で偉そうぶる、傲慢きわまりない性格はなりを潜め、叩きこまれた礼儀作法もどこかへ行ってしまったらしい。


 まったく、王都の教師は何を教えてくれたのやら。と思いながらも、僕は笑みが浮かぶのを止められなかった。有象無象の令嬢のように、王子だの騎士だのに恋い焦がれて貴族の義務をないがしろにする者たちよりは、ずいぶんと高貴に見える。すくなくとも、領地に戻ってきてくださったことぐらいは喜んで差し上げねば。


 僕は、困り顔の執事長に近寄って、こっそりと囁いた。


「ルフィール様、いかがですか」

「おお、カーレイか。なんとかリグネッタ様を説得してくれ」

「それは無理にございます」


 ルフィール様は眉間の皺をいっそう深くしながら唸ったが、僕はすげなく断った。説得の心得がないわけじゃないが、幼いころでさえ、リグネッタ様は舌戦がめっぽう強かったのだ。成長された今、上手い具合に言いくるめる自信はない。


 僕の言葉を聞いた執事長は、深くため息を吐いた。


「では、エリアレン領はこれから大変なことになるぞ」

「なるほど。どうかお覚悟を」


 執事長はもうひとつ大きなため息を吐いたが、それはまだ吐くには早すぎた。リグネッタ様は、屋敷中の様子を見て回ったあとに、ルフィールと僕を呼びつけて、いくつかの新しい条例を提案した。魔法薬物の取り締まり厳罰化だ。正直、屋敷内でも愛好者は少なからずいるのだが、お嬢様はお構いなしだった。


 彼女はさらさらと紙面にサインしたのち、机上の気つけ酒を見てまた声をあげる。お嬢様が声をあげると、ルフィール様がため息を漏らす。これで向こう6度目、すでに煙草も賭け事も高利貸しも、死なない程度に規制されている。


「えーと、もう一つ思いついたことがあるのだけど」

「……一体なんでしょうお嬢様」

「お酒なのだけれど、もっと値段をあげなさい」

「しかし労働者は酒に喜びを見出しておりまして……」

「あのねぇ!街に出てみなさい?酒で人生を台無しにしたバカのどれだけ多いことか。私はそういう親が死なせた子どもを何人も知っているわ。あれは、人間が飲むにはあまりにも危険すぎるものだわ!だから無くなったほうがいいのよ!」


 まぁ間違いではない。間違いではないが、社会には必要悪というのもある。酒や賭け事がなくなることで人生を台無しにするような類の人間が、その心根を変えるかといえばきわめて怪しい話で、むしろ裏目に働くこともあるだろう。


 ルフィール様もそこを分かっているので、丁寧に諭そうとする。


「お嬢様、しかし空気を抜かないワイン袋は破裂してしまうものですよ」

「分かっているわ。でも広がりすぎた穴は閉じてしまわないと」

「では、一日に呑んでもいい量を定めてはいかがでしょう」

「誰がそれを管理するのよ?あなたが見張るの?」


 ぐっ、とルフィール様は黙った。僕も黙った。


「はい。分かったら酒の値段をあげなさい」

「貧乏人から酒を取り上げれば、憎まれるのはお嬢様ですぞ」

「だからなんなのよ?憎まれるのが怖くて政治ができる?」

「条例への不満はいずれ領主様への不満となります」

「なら、酒や薬以外にストレスを解消できるものを提供しなさい!」


 そんなものがあったら最初から酒も薬も消えてなくなっている、と言おうとしたが、リグネッタ様は厳しく僕らを睨みつけた。その一睨みでもう何も言えなくなってしまったルフィール執事長の代わりに、僕がお嬢様を諌めることにした。


「民衆が快楽を求めるのは、日々の生活に苦しみがあるからです。お嬢様が本気で人々から快楽を取り上げると仰るのであれば、その代わりに提供しなければならないものは、苦しみのない生活と、ほんのわずかな愛でしょう」

「カーレイ、と言ったかしら。なかなかによく分かっているじゃない」


 リグネッタ様が大上段に言った。


「苦しみのない生活とは、公共福祉を充実させることだわ。もちろんそれを実現するためには財源を確保しなくちゃいけない。とても難しいことだけれど、安易な快楽に頼った政治よりも、わたしはそうしたものを求めていきたいのよ!」

「ご立派な志です。ですが、財源の確保は簡単ではございませんぞ」


 ルフィールが厳しい口調で言ったが、意外にもお嬢様は微笑みを浮かべた。


「そうね。だからこそ私は、改革を行うのよ」


 改革。それは、まだうら若い乙女の口から語られるには、あまりにも不釣り合いな言葉だ。だけども、その言葉に宿る熱はたしかに尋常のものではない。これが王都の教育の結果だというなら、よほどに熱い教師がいたのだろうと思えるほどに。


 それほどに、王都から帰ってきたお嬢様は、変わられていたのだ。





「何たる傍若無人さか!あれが侯爵家の令嬢か!」


 罵声が響いている貴族街の酒場で、僕は目立たないようにこっそりと聞き耳を立てていた。これも職務だ。大帝都に出られている領主の代わりにリグネッタ様が政治を行うようになって以来、街中では不満と支持が入り乱れている。そうした市井の声と、そして貴族たちの声を調査するのが、僕の仕事だった。


「リグネッタ=エリアレン!あの小娘を憎むものは集え!声をあげろ!」

「なにが減酒令だ、酒もなくて兵士が戦えるかよ!」

「そうだそうだ。リピヤの類もカードも取り締まりやがって、自由はないのか」

「かみさんはすっかりあの小娘の味方だぜ」

「女子どもに媚びるなんてエリアレンも終わりだな」


 まぁ大体想定通りの声ばかりだ。反感はあるといっても、まだ致命的なほどではない。この酔っ払いたちも声をあげているだけで、まだ武器ひとつ抜いてはいないのだから、取り締まるほどのこともない。これも一つのガス抜きだ。


 そう思っていると、そこに一人の女が現れた。


 目深なフードの下にはさらに薄いベール。誰にも、その面差しを窺い知ることはできないが、だからこそ僕にはその素性が分かった。リグネッタ様の、侍女だ。彼女は、たった一人の供をつれていた。お付きも薄いベールをかぶっている。


 フロンシア。傍仕えであり護衛騎士でもある彼女は、腰に下げた短剣を撫でながら、僕に近づいてきた。その冷ややかな気配には、ただの侍女であるとは思えないほどの威圧感があった。実際、彼女は帝都でも名の知れた剣士だったのだという。


「騎士様がこんなところに、何用ですか?」

「たまには生の情報を欲しいとリグネッタ様が仰られるのです」


 彼女独特の、抑揚のない声だった。


「この狭い酒場は、市井のほんの一部にすぎませんよ」

「仰るとおりですが、市井とはそうした部分部分の集合体ですからね」

「では、どうぞお座りになってください。そして耳を傾けましょう」


 女騎士フロンシアは剣をすこしだけズラすと、僕の横に腰を下ろした。女性特有の甘いにおい以上に、武を嗜んでいるものだけがまとう、鋭く張り詰めたような気配がある。ひとまず僕は蒸留酒を頼んで、彼女らにサーブした。


「ほほう。この時世に火酒を嗜むのですか、カーレイ」

「酒も剣も作法次第なんですよ、フロンシア」


 僕は軽口を叩きながら、おのれのグラスに氷を入れていく。クルクルと掻き混ぜれば溶けだした氷水と酒が混じりあい、甘く香ばしい芳香がふわりと立ち上がる。じっくりと開いていくそれに心を躍らせながら、僕はほんの少しを口に含んだ。


「……おいしそうに呑みますね」


 フロンシアが言った。


「何事も、嗜む心を持つことが大事だと教わりまして」

「そうですか。では、私もそう致しましょう」


 護衛の際に負った傷を隠すため、彼女は常に薄いベールをまとっている。そのベールの下から覗く口元へと、氷のはいったグラスがゆっくりと傾けられていく。とくり、とくりとくり。驚くべきことに彼女は、一口でそれを飲み干した。


「良い飲み物ですわね」

「お嬢様の施策が疎ましがられるのも納得というか……」

「ふふ。カーレイ、君は大胆な人ですね」


 そう言うと、フロンシアはすくりと立ち上がって、騒いでいる男たちの方へと歩き出していった。彼らの侯爵家批判はいよいよ聞くに堪えなくなっていて、酒の力もあったのか、お嬢様を実際にどうにかするというところまで進んでいた。


 それに腹を立てたのだろうか。フロンシアは男たちの卓につくと、しかし、剣ではなく杯を手に取った。もちろん弱小貴族らだって、眼前にいるのが誰かは分かっていた。だが、その意図が分からなければ、眉根を寄せる以外には何もできない。


「酔えば本音が出るもの。あなた方の思いは聞かせていただきましたよ」

「待たれよ、これは酒宴での戯れごとにすぎん……!」

「ほう。ただの冗談にすぎないと?」

「もちろん本心ではないとも!酒の席では、大それたことも言わねばならないときがある!女には分からんだろうが、酒盛りとはこういうものなのだ!!」


 男の言葉に、あきれ返った風なため息が漏れる。僕も思わずため息を吐きそうになっていた。こういうものなのだ、と言われても困る。まったくいい迷惑だ。フロンシアは冷たい声でケラケラと笑い、それから男らの空になった杯を指差した。


「つまり、あなた方は酔って正体をなくしたのではないと?」

「当然だ!女と違って、男はどれほど呑んでも理性を失わん!!」

「では……試させていただいてもよろしいでしょうか?」


 そう言って、彼女は蒸留酒の小樽を持ってこさせた。流れ出す琥珀の液体を、なみなみと男らの杯に注いでいき、そしておのれの杯にもたっぷりと注いだ。フロンシアは自分の酒豪っぷりに相当の自信があるのだろう。またも一息に飲み干す。空になった杯にまた注ぎ、そしてまた飲み干す。男らはもはや微動だにしない。


「呑まないのですか」

「呑むとも!だが普段はあまり蒸留酒などは呑まないのでな……」


 どんどんと声が小さくなっていく男を尻目に、フロンシアはさらりと五杯目を飲み干した。集まっていた貴族らが分の悪さを悟って、すこしずつ逃げるように店を出ていく。あれほど威勢の良かった男は、三杯目を呑んだところで倒れた。


「あらあら。これだから下戸の酒好きは」

「僕も下戸なんだけどね、フロンシア」

「カーレイ、君のように弁えた飲み方ならば良いのです」


 彼女はくすりと笑って言った。きっとベールの下の顔はいささかも赤くなっていないのだろう。僕は、冷えた水を飲みながら、もう少しだけフロンシアに付き合うことにした。まったく、帝都というところは強い女を育てるらしい。


「しかし、リグネッタ様に狼藉を企んだ者を生かして帰してよいのでしょうか」

「庇う気はないけど、まぁ酒の席でのたくらみなんて翌日には忘れているよ」


 僕がそう言うと、そういうものですか、とフロンシアが言った。


「むしろ危ないのはこんな酒場には出てこない奴らさ」

「と言うと?」

「酒や薬の販売で儲けていた商人や腐敗した貴族連中だよ。彼らとリグネッタ様の利害は、明確に対立している。僕が君ならば、そうした奴らの手を警戒するね」


 とそのとき、聞き覚えのある声が、僕の言葉を肯定した。


「カーレイ!そのとおりよ!」

「まさかリグネッタ様ですか?」


 声は、フロンシアのお供が発したように思われた。僕が注視すると、彼女は、ベールをぱちんと外して、目深まで降ろしていたフードをすこしだけ持ち上げた。もちろんそこには、よく見知った顔がある。リグネッタ=エリアレンの顔だ。

 

「軽率ですお嬢様。顔を隠して、話を伺うだけだと約束したではないですか」

「フ、フロンシア、まさか私に逆らうつもり!?」

「すみません。ですが、」

「なに、いざとなれば、貴女も彼もいるじゃない!」


 リグネッタ様は、いつものように自信に溢れた声でそう言った。なんで僕が戦力に数えられているのかは分からない。僕はふるふると首を振って、いかにも弱いですよというアピールをしたが、リグネッタ様は気にも留めずに僕を指差した。


「カーレイ。貴方はこれから私たちの護衛になりなさい!」

「僕がですか?こんなただの侍従が役には立ちませんよ?」

「立つわよ!」


 なぜかちょっと怒り声だ。

 お嬢様は、僕の眼を見つめると、とつとつと話し始めた。


「貴方、もともとは捨て子だったところを腕利きの傭兵団に拾われたんですってね。本当ならきっと、そのまま傭兵になるはずの人生だった。だけど、修行を重ねていたある日、貴方はエリアレン家の一人娘の命を救ってしまった」


 げ。この話のせいか。

 僕はおもわず身を強張らせた。

 正直、かなり恥ずかしい。


「よくご存じで」辛うじてそう言うと、

「ルフィールから聞いたのよ。改めてお礼を言わせてちょうだい」

「あの人はどうもウソを吐きますけどね」

「それでも……どうもありがとう、カーレイ」

「滅相もないですよ」


 僕は、簡単に会釈をして終わらせる。子どもの頃の武勇伝なんて好んで語りたいものじゃない。気恥ずかしくて、リグネッタ様の顔をまともに見れなかった。僕が思うに、どうもあの話は、ルフィールが大げさに話している嫌いがある。


 傭兵として修業していた頃、山の中に不審な連中を見かけて、そいつらを尾けていったら誘拐団のアジトに辿り着いてしまっただけの話だ。その洞窟には何人もの貴族や商人の令嬢が捕らえられていて、僕は、後先を考えずに救出に行った。そしてその結果、返り討ちにあって半殺しにされてしまったのだ。


 幸いなことに、目印をいくつもつけていたお陰で傭兵団の仲間がすぐにやってきた。あとは数的有利を活かしての掃討戦。僕はそのあいだずっとバカみたいに眠り込んでいた。ところが、目覚めたときには僕は侯爵家の屋敷にいたのだ。


 その頃はまだ戦士でもあったルフィールが言うには、なんでも僕は、捕らえられていた令嬢たちがいまにも斬り殺されるというときに突入していたらしい。そして僕は、人さらいを相手に一騎当千の戦いっぷりを見せたそうだ。残念なことに、僕にはその記憶がない。気付けば、ズタボロで横たわっていた記憶しかない。


 まったくルフィールの奴は余計なことをしてくれる。おかげで僕は侯爵家の侍従として召し抱えられる羽目になり、傭兵団とはそれっきりだった。


「真偽はどうあれ、君の勇気は本物なのでしょう」


 フロンシアがそう言って僕を慰めたが、それとこれとは話が別だ。


「勇気を買われても実力がなけりゃどうにもですよ」

「ダメよ!護衛兼、虫よけ兼、女性受け要員としてあなたが必要なの!」

「その、最後のはなんなんですか」


 リグネッタ様は、おほほほと高笑いをして懐から出した扇を仰いだ。お嬢様は覗き込むようにして僕を見つめると、あいている方の手で僕の頬をぴたりと叩いた。痛みはない。彼女は嬉しそうにぺちぺちとほっぺたを叩き続ける。


「ふふ。私の支持層は、女たちとお年寄りが多いの。だからその層を更に取り込むのに、カーレイの整った顔と高貴な雰囲気がぴったりだと思ったのよね。ていうか貴方、本当は貴族の血を引いてたりしない?あまりにも品格がありすぎるわよ?」

「複雑な気分です。男たちからの支持は逆に失うかもしれませんし」

「どうかしら。貴方なら女でも行けるんじゃない?」


 そう言いながらもぴたぴたと頬を叩く手は止まらない。

 まったく勘弁してほしい。


「冗談はともかく、私は貴方に期待しているの。このエリアレン領に毒をばらまいているコベルマン家を叩くには、民衆の力と純粋な戦力とが必要になる!」

「ほう。敵はコベルマン家なのですか?」

「その可能性が高いわ!決め手にはかけるけれどね!」


 隣領のコベルマン伯爵家は裏社会に顔が利くという。帝都の商人ともつながりがあり、その見えない権力は侯爵家をも凌いでいるとかいないとか。僕はこれから待ち受けるであろう戦いの恐ろしさに、無意識に身震いした。


「必ず、私に協力しなさい」


 そう言いながら、彼女は蒸留酒の入ったグラスを片手に構える。

 僕も同じように構えて、そして二つをぶつけあった。


「できるかぎりでお力になりましょう」

「侍従カーレイ、今日からあなたは私の剣よ」


 言いたいことを言ってやったとばかりの満足げな表情でお嬢様が笑みを浮かべる。できるかぎりと言ったのに全然聞いてやしない。典型的な貴族の交渉だ。彼女もまた、一口で酒を飲み干すと、僕に背を向けて、ひらひらと手を振った。もうこれ以上に話をする必要はない、そういうことなのだろう。なかなかクールだ。


「それでは、また」

「フロンシア、トロトロしてないでさっさと行くわよ」

「はっ」


 リグネッタ様は笛を吹くように鋭く号令を出すと、フロンシアを連れて颯爽と去っていった……と思ったが、よくみればその足はもつれ合っている。なんだ、ただ酔っぱらっただけか。フロンシアが彼女に肩を貸して、そのまま歩き去った。


「貴族もやはり大変だな」


 僕はそう思った。


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