第3話 レイチェル=アシュリアの悲劇



 目が覚めたらベッドの上で、しかもお嬢様が傍で寝ていた。


 もちろん添い寝じゃない。

 ただ、脇のソファで寝てるだけだ。

 でもその眼は泣いたように腫れている。


 うん。悪いことしたな。

 僕はむくりと起き上がって、お腹を触ってみた。


 いっ、つつ。


 やはり銃弾は腹を貫通していたようだ。

 お嬢様に当たらなかったのは、弾がジャケットで止まったからだろう。


「不幸中の幸いってやつだな」

「なにが幸いなものですか」


 声がした方向を振り返ると、そこにはフロンシアがいた。

 ちょうど今、部屋に入ってきたようだ。

 手には濡れたタオルやら包帯やらを持っている。

 なるほど、看病してくれたのは彼女だったか。


「まぁ死ななくてよかったよ」

「最後の狙撃手は私が殺しました。君も油断をするのですね」

「ちょっと考えごとをしてたせいだよ」


 ふぅ、と安堵の息を漏らして、フロンシアは僕の横に座った。

 ベールの下の顔は、相変わらずまったく見えない。

 だが、平静そのものに見える彼女も心配してくれていたようだ。


「三日間、眠っていたのですよ」

「どうりで身体の調子が良すぎるわけだ」

「……おかげでお嬢様は助かりました。有難うございます」

「礼ならそっちから貰うよ」


 僕が顎で示した先には涎を垂らした淑女がいる。

 いや、ほんとにこれが侯爵家のご令嬢なのだろうか。


「……フラン……わたしは……」


 むにゃむにゃとお嬢様が寝言を言っている。

 フロンシアが、彼女の身体を無言で揺さぶった。


「うにゃ……、カーレイ、やめてよぉ」

「あー……僕はちょっと手洗いに行くことにする」

「まだ完治はしていません、安静にしていてください」

「フラン……やめて……もう許してよぉ」


 それを聞いたフロンシアが、しかめ面でお嬢様のデコを叩いた。

 途端にリグネッタ様は飛び上がり、寝ぼけまなこで周囲を見回す。


「ぎゃっ!なによ!なにを笑っているのよ!」

「あれからろくに寝ていないのですよ、この方は」

「へぇ。それはご心配をおかけしましたね」


 それを聞いて、お嬢様はしかめ面になった。

 彼女は、僕の腹をおもいきり叩くと、


「カーレイ! 今度命令を無視したら許さないわよ!」


 と言った。

 というか死ぬほど痛かった。


 僕が呻きながらうずくまっていると、リグネッタ様はふん、と鼻を鳴らして部屋から立ち去った。そのあとをフロンシアが続く。まったく、けが人を殴っておいて放置するとは、優しいのか意地悪なのか、それとも心配性なのか。分からない。


 と、思っているとすぐに扉が開いた。


「カーレイ。怪我の具合はどうかね」


 ルフィールだった。

 湯気だったスープのようなものを持っている。

 この人、やっぱりお嬢様よりよほど優しいな……。


「具合はそう悪くないですよ。傷もある程度は塞がったみたいで」

「そうか。魔弾での狙撃とは、敵も本気のようだな」

「お嬢様もちょっと張り切りすぎですね。夜の外出は控えたほうがいいでしょう」

「それは……きっと難しいだろう」


 苦虫を噛み潰したような表情で、ルフィールが言った。

 どうやら彼は、お嬢様について何かを知っているらしい。

 僕は、受け取ったスープを飲みながら問う。


「なぜです」

「お嬢様はなんとしてもコベルマンを倒さねばならないのだ」

「コベルマンを? 一体、帝都でなにがあったのです?」

 

 因果か。それとも因縁か。

 お嬢様にはやはり、伯爵と敵対する特別な理由があるらしかった。

 ルフィールは、厳めしい顔で呟くように話し始めた。


「これは、帝都の知り合いから聞いた話なのだがね。帝都に入られた頃のお嬢様は、学園中の生徒から『女帝』として恐れられていたそうだ。とても冷酷で、歯向かった者を容赦なくいじめていたらしい。教師ですら手を焼いていたと聞く」

 

 なんだそれは。僕のイメージどおりのリグネッタ様じゃないか。

 幼いころから傍若無人の無理難題で恐れられたあの方、そのものだ。

 女帝が、いったいどうして今みたいになってしまったんだ?


 僕の不思議がるまなざしに答えるべく、ルフィールは話に戻る。


「そんなリグネッタ様にも、ある日、一人の友人ができた」

「フロンシアじゃないのですか」

「いいや……レイチェル=アシュリアという商家の娘だった」


 商家の娘とリグネッタ様が結びつかない。

 冷酷なころのお嬢様なら、そんな相手は家ごと潰してしまいそうなものだが。


「彼女は元々、お嬢様のいじめを注意しにきたそうだ。それから何度か喧嘩をしたのち、すこしずつ仲を深めていった。だが彼女には、大きな秘密があった」

「馬が合ったってやつですね。一体どんな秘密を抱えていたんです?」


 冷酷女帝と馬が合うような人物だ。

 もしかすると、ろくな秘密じゃないかもしれない。

 男を奴隷にして監禁しているとか、下僕を夜な夜な嬲っているとか。

 いや、冗談でも笑えないけど。


「うむ。レイチェルが、というより彼女の親が悪事を働いていた」


 ルフィールはしかめ面のままで、詳細を語り始めた。


「実は、アシュリア商会の主であり父親のレイデンは、密造酒と魔薬のビジネスに手を染めていたのだよ。だが娘のレイチェルにそのことがばれてしまい、彼は、きっぱりと違法な組織から抜けることを決めた。それが三年目のことだった」


 密造酒と麻薬。最近よく聞く言葉だ。

 リグネッタ様の行動原理はここにあるのか。


「越年の日だ。レイチェルとお嬢様はちょっとしたいさかいで別々に学園を出た。その夜、彼女からお嬢様に魔法の矢文が飛んできたという。中には、せっぱつまった文面で「たすけてくれ」と書かれていた。お嬢様はいそいで屋敷へと向かった。だがそのときすでに、少女の屋敷は燃え上がっていた。間に合わなかったのだよ。レイチェル=アシュリアとその家族は、明け方、焼死体となって発見された」


 そう言うと、執事長は思い出すのも苦しいとばかりに目元を抑えた。

 静かな嗚咽が、彼の喉から漏れる。

 僕はその肩にそっと手を置いた。


「ルフィール様、あなたが見つけたのですね」

「……黙っていてすまない」

「知り合いから聞いただなんて、ウソが下手くそすぎます」


 寝室に男のすすり泣きが響く。


 ルフィールは、このことを知っていた。

 だからこそ、お嬢様の行動に反対していたのだろう。

 最近のあの方を見ていれば分かる。

 あれは、後先を考えずに無茶をするタイプだ。

 

 ひとしきり彼を泣かせたあと、僕は、話を本題に戻した。


「それで、その組織を操っていたのが、コベルマンということですか」

「ああそうだ。だからお嬢様は伯爵を追っているのだ」

「もしやそのために、エリアレン領に?」

「あぁ。これらはすべて、帝都の侯爵様もご存じのことだ」


 なるほど。

 フロンシアも恐らくその辺りは知っているのだろう。

 だったら酒場で偉そうに講釈を垂れた僕は、笑いものだな。

 ほんの少しだけ恥ずかしく思いながら、僕は呟く。


「酒や薬物の取り締まりも、彼を誘き出すため……ってことですか」

「それだけではないがな。実際にお嬢様は、よりよい領地を作ろうと考えておられるのだと思う。コベルマンの失墜も、その手段として画策しておられるはずだ」


 敵討ちと、領地の再建。

 その両方の鍵を握る悪党を討つ。

 とんだ野望だ。


 だが、あのお嬢様がそれを望むのなら、

 僕とフロンシアは、どこまでもこの身を捧げるだろう。


「だから、あの方は決して手を抜かない」

「はい」

「それはつまり、無茶をする、ということだ」

「そうでしょうね」

「カーレイ……お嬢様を頼んだぞ」


 ルフィールが絞り出すような声で言った。


「もちろんです」


 窓の外で一枚の葉っぱがひらひらと落ちたのが見えた。

 この年で最初の、落葉。

 夏が終わるのだ。

 そうして、新しい季節が来る。


 だがそれは、恐ろしく冷えている。

 凍えるような試練の季節。


 死の季節だ。





 冬が来てからしばらく経った。

 もうすぐ僕らは、越年の日を迎える。


 そのあいだ中もお嬢様と僕たちは、領内を動き回っていた。

 祭典に式典は、当たり前。

 それらをこなしつつ、目的のために動かなければならない。


 条例を公布しては説得に回ったり、商人とのパイプをつないだり、密造酒のルートを突き止めるために探偵ごっこをしてみたり、あるときは魔獣を倒してまわり、あるときは、傭兵や盗賊団を始末してまわった。まるで、なんでも屋状態だ。


 行動が身を結ぶこともあれば無駄足に終わることもある。

 まったくの裏目に出ることもあれば、思わぬ手がかりを掴むこともある。

 だが、全体として、僕らが敵を追い詰めたかといえば……


「全然ダメよ!! こんなのじゃ、追い詰められないわ!!」


 お嬢様の声が、屋敷の一室に響いた。 

 防音は十分だから誰かに聞かれる心配はない。

 だが、すぐそばにいる僕には大ダメージだ。


「分かってますよ……でも、コベルマンの組織は隠れ蓑が多すぎます。どの組織のボスを捕まえても、コベルマンの名前は一向に出てこない。まるで魔法の力でも働いているみたいに、どうやっても、奴の存在が見えてこないんですよ」

「カーレイの言うとおりです。お嬢様、このままでは証拠は得られないかと」


 フロンシアがそう言うと、ぷいっとお嬢様はそっぽを向く。

 そうしてから、不機嫌そうに地団太を踏んだ。


「だったら! コベルマンの屋敷に直接、乗り込むしかないわよ!」

「アホですか。勝てるわけないでしょう」


 僕がそう言うと、すかさずチョップが飛んでくる。

 エリアレンの血を引くわりには、パワーが弱い。

 別に痛くもないが、大げさに頭を抑えておく。


 ふふん、と得意げな顔をするリグネッタ様。

 それを見て、フロンシアが大きくため息を吐いた。


「コベルマン伯爵は、今代最強の力動魔法使いだと言われています。仮に護衛をどうにかしても、我々の戦力では、伯爵自身に勝つことが難しいでしょう。はっきり申し上げて、真正面から戦って勝てるような相手ではありません」


 正論だ。そして正論はお嬢様を怒らせる。

 リグネッタ様は、今度はフロンシアにデコピンをした。


「じゃあ、あなたたちに他の策があるの?」

「このまま、尻尾を出すのを待つのが最善かと」

「あんたも本当にバカね! 私たちが動いてるってことは、コベルマンも動いてるってこと! どっちが先に死ぬかの勝負なら、勝ち目があるわけないでしょ!」


 なるほど。一理あるといえばある。

 きっと、敵だって何かを狙っているのだろう。

 だが、それで目立つ動きをとるのは向こうの思うつぼだ。

 墓穴を掘って負けるのは、流石に、恥でしかない。


「まぁ油断せずに待ちましょう。ここしばらく、刺客は現れていませんし、急いてはことを仕損じるとも言いますから。越年には領主様も戻られるでしょうし」

「別に、力を借りるつもりはないわ」

「領主様の魔剣ならコベルマンだって真っ二つにできますよ」

「ふざけないで、カーレイ!!」


 冗談混じりに言うと、向こうずねを蹴っ飛ばされた。

 クソ痛ぇ。あながち冗談でもないのに。


 侯爵オルトロス=エリアレン様は、コベルマンが恐れられるのと同じくらいに強大な単独戦闘能力を持つ魔剣士だ。エリアレン領に侯爵が不在であっても、他領がちょっかいをかけてこないのは、その力を恐れているからだと言われている。


 一度だけ見たことがあるその絶技は、魔法さえも斬り裂いていた。

 魔法使いコベルマンでさえも、侯爵様の剣の前では十秒と保たないだろう。

  

「私たちの驕りが、あの男をつけあがらせたのよ」

「まぁ、格下の相手を殺しにいくなんて普通はできませんからね」

「カーレイ、君に暗殺術の嗜みはないのですか」

「力動魔法の使い手をナイフでどうにかできるほど僕は強くないよ、フロンシア」

「それで君が死ねば、攻める理由にはなりそうですが……」

 

 縁起でもないことを言わないでほしい。

 大体、暗殺にいった奴の敵討ちなんて誰も納得しないだろう。

 リグネッタ様も、しかめ面で話を聞いている。


 と、そのとき、お嬢様は訝し気に眉根を寄せた。


「そうだわ。どうしてコベルマンは私を殺さないのかしら?」

「そんなの僕らが守ってるからに決まって……」

「いえ、確かにそうです」


 僕の軽率な言葉を、フロンシアが遮った。


「カーレイ、確かにお嬢様の仰るとおりです。私たちは並の刺客なら確かに撃退できます。ですが、もしコベルマンほどの相手が本気で暗殺を試みたら、きっと私たちでは守り切れない。でも現状は、こうして守れているのです」


 ん? どういうことだ。

 つまりコベルマンは本気で殺す気がないってことか?


「じゃあなぜ、刺客を送ってくるんでしょう」

「あ! 待って! そうだわ! どうして思いつかなかったのかしら!?」


 叫んだのはリグネッタ様だった。

 彼女はいつになく興奮した様子で僕の両肩を掴んだ。


「コベルマンが狙っているのはオルトロス様なのかもしれない!」

「ちょちょ、落ち着いてください!」

「お嬢様、なぜお父様が狙われていると?」


 フロンシアがベールの下から問いかける。

 その眼が、興味深そうに光っているような気がした。


「オル、お父様はとてつもなく強い剣士だわ!」


 リグネッタ様は、興奮で舌をもつれさせながら説明を始める。


「だから、コベルマンが私を殺さないのは……単に、報復が怖いからだと思うわ! でも、それなのに刺客を送りつけてくるのは、『リグネッタが狙われている』という先入観をみんなに植え付けるためよ! あなたたちや、お父様に!」

「……確かに、腕利きの護衛はすべてこの屋敷に回しています」


 ぼそりとフロンシアが言う。

 その声は氷のように冷え切っている。

 お嬢様が、早口で問うた。


「フロンシア。お父様は、いつここに戻るの?」

「越年の日の前日にここに到着されるはずですから、明日の夜です」

「なら今日はちょうど、コベルマン伯爵領のそばを通るはずだわ!」


 そう言うが早いか、二人の姫は身支度を始める。

 え、ちょっと。

 僕だけ全然ついていけてないんですが。


「ちょっと、本気でそんなことが起きると思ってるんですか?」

「カーレイ。すこし黙って」


 思わず僕が問いかけると、真剣な声でお嬢様がそう言った。

 彼女はなにかを考えるように少しだけ目を瞑ると、

 フロンシアに向き直り、その手をぎゅっと握りしめた。


 そしてお嬢様は、なにかを決意するように呟いた。


「教えて、フロンシア」


 そう願われたフロンシアも、瞳を閉じた。

 歯は食いしばられていて、苦しげな表情が浮かぶ。

 それはまるで、なにかに葛藤しているかのような、それだ。


 しばらくしてから、フロンシアは言った。


「起きうる範囲、だと思います」

「そう。よかった」


 安堵のため息とともに、お嬢様が僕に向き直る。

 ほんの少しの怯えとおそれ、

 そうしたものが、刹那のうちに浮かんでは消える。


「大丈夫なのですか?」

「……カーレイ! 馬を用意して! なるべく多くの兵を連れて行くわよ!」


 リグネッタ様は、無理やりに笑みを作るといつもの大声で叫んだ。

 まだ少しだけ震えが残っているような気がした。

 フロンシアはいまだに目を閉じていて、何か言う気配はない。

 だったら、お嬢様を止めるのは、僕の仕事か。


「お嬢様も行かれるのですか?」

「当然! あなたたちを連れて行くのだから!」

「それはなりませ……」

「黙れカーレイ! それならあなたが私を、守り抜きなさい!」


 止めさせてもらえなかった。

 おいおい、本当にこの人を行かせても大丈夫なのか。

 振り向いて確認すると、フロンシアは小さく頷いた。

 いや、頷かれても困るんだが。

 

「この時間が無駄よ! さっさと行くわよ!」

「もう、仕方ありませんね。守れる保証はありませんよ」

「それでも私は! あなたを信じているわ!」


 口角が上がる。いつものお嬢様に見える。

 その爛々と光る眼には、もはや怯えもおそれもない。

 だが僕は、その表情の意味を知っていた。


 これは、覚悟の顔だった。

 

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