第8話 さかしま



 いつの間にか空が白んでいた。

 ふたりの影が立つ。

「どうじゃ。此処からの眺めは綺麗じゃろう?」

 山を背にした集落の全貌が足元に見えた。

 そこからの眺めは綺麗だったが、集落の入り口の道筋などが手に取るように分かる。

「もはや城ですね。下から登ってきたら何回殺されるか……見当が尽きません」

「ははは。そう見えるか。昔から敵が来ると良く見えてな。それで戦火から守られておる」

 そう名取六郎は風景を見ながら愛おしいような瞳をした。

 すると日の出となった。

 その朝陽ちょうようを浴びる谷や稜線、足元の石畳さえ、すべてが煌めいて見えた。

 ――此処は地図にも載っていないのに。

「美しい」

 ただ言葉がだけが素直にでた。

「それは良かった」

 そう後から声がした。

 振り向くと影があった。

 背丈は四尺二寸足らず。

 狩衣を着て頭には裏頭を着けている。

 顔は裏頭を纏めて鋭い瞳しか見えない。

 年の頃は二十歳前後。

 相馬 とおるは己の背後を初めて取られた。

御屋形様おやかた。遅くなりました。申し訳ありません」

 そう影は頭を垂れる。

「いやいや、早かったな結菜わかなよ……」

「この方は?」

「これは相馬亨殿じゃ。自分の里から暇を出されてな。ウチに来たんじゃよ。さっそくじゃが、暫くは案内など手助けなどをしてやってくれ」

「わかりました。御屋形様。では相馬亨殿、宜しくお願い致します」

「宜しくお願い致します」

 そう相馬亨は頭を垂れた。

 すると結菜は右手を差し出した。

「握手ですか。よろこんで」

 そう笑顔で差し出された手を握る。

 だが、その瞬間、相馬亨の二の腕が脇に押しつけられる。

 それを起点に身体がくの字に曲げられる。

 亨の身体は反射的にそれを弾くように外に向かって力を入れた。

 それを狙い澄ましたかのように、結菜の左手は亨の手の甲をかぶせるように捕らえて、その横方向の力を上に逸らした。

 その勢いの侭、結菜は手を抱え込んで亨の内側に自らも右向きに回転して潜り込み、そのまま右手首を亨の足元に落とした。

 亨は天地が逆しま《さかしま》になった。

 だが、もはや宙を彷徨う刹那の刻も許されていなかった。

 後は亨の後頭部が石畳に垂直に落ちるだけ。

 ――頭蓋ずがいが割れる。

 だれもがそう思った瞬間。

 相馬亨の頭蓋と石畳の間に僅かな黒い渦が見えた。





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