間章


 黒曜事件。

 あとあとで名前を知ることになった、自分が引き起こした事件の直後に、目を覚ました冬戸の目の前に広がるのは、何もないた荒野だった。

 追撃してきた二十八人の子供も、暮らしていた基地も、遠くに見えるはずの街も――守るべき姉さんも、何もかも見当たらなかった。あるのは、どこまでも見渡せる、無の荒野。

 手にある鋳装が消え、一時的に何をやっていたのかさえ思い出せなかった。幸いと言うべきか、周囲に一人もいないから、思考を整理する時間が余るほどある。ようやく冷静になると、気を失った直前の記憶も思い出した。

 自分が使用者だと思い出したとき、本能的に残った記憶をチェックしたが、もともとは三歳前の記憶――使用者にとっての安全範囲――に留まっていた損耗が、なぜが最近の二年のことしか覚えていないようになってしまった。

 AFプログラムの暴走によって一気に消えてしまった記憶は、すでに孤児院でのことを覚えておらず、まるで、この人生のすべてが地下施設で過ごしていたかのような感じがした。

 姉さんと脱出したとき日記帳は全部持ってきたから、空木冬戸という人の歴史を読むことができる。しかし、その姉さんを失った今では、そんなに気もなれなかった。

 冬戸は、亡霊のように黒曜事件の現場を出て、目的もなく彷徨う生きる死体となった。

 黒曜事件が起こったとき、消されたのは目に見える建物や地面などだけじゃない。都市を包む空気も、全部黒い風に飲み込まれたのだ。

 そのせいで、黒い風が霧散したのと同時に、真空状態になった空間を埋めるように外の空気が押し込んだ。あまりにも強すぎる空気の波で、多くの建物がまた壊された。

 黒曜事件の二次災害とも言えるその現象のせいで、黒曜事件の跡地の周りに風圧で壊滅した建物群がある。のちに無法者の巣窟になったそこは冬戸の一時の住処となった。

 その時の日々は、ただただ自責の念に苛まれる毎日だった。結局、先生がくれたチャンスを生かせず、守るべき姉さんも守れず、そのくせ、自分一人だけがのうのうと生きているという最悪の結末を迎えてしまったのだ。

 だから、そう思ってしまったかもしれない。

 自分は、願いを叶えるべきではなかった。

 先生の言葉通りだ。願いを叶えることの本質は、他者の願いを踏みにじること。そして自分は、叶えることができないくせに、踏みにじることだけが得意なようだ。

 誰も幸せにできず、ただただ傷つけていく。

 なら、何もしないほうがまだマシだ。

「そうかい。でも、今君が動かいないと、君のせいで死んでしまう人がもっと多くなってしまうよ?」

 ある日、ふと政府の役員と思しき男が冬戸を見つけ出し、にこにことそんなことを言ってきた。

「今外はね、黒曜事件で大切な人、人生の意味、夢や希望を失ったものたちが、戦争を起こした。人造鋳装という新しい武器を使ってね。昔の君の部隊がまだ健在なら、相手の本部に潜入させ、一発で終わらせる戦争だけど、今は使用者の軍人が少ない。伝統武器しか使えないから、戦況が芳しくないのは現状だ」

「……それで、俺に何の関係が?」

「いやね、尻ぬぐいぐらいはすべきではないかと、僕は思うんだ」

「また人を殺せっていうのか。戦争が終わったら、流れでどこの部隊に編入させ、また戦場に送り込んで人を殺させるだろう。見え見えだ、お前らの考えることは」

「はは、そこまで信頼されていないとは。でも安心したまえ。君がずっとここにいるから知らないかもしれないけど、外では使用者のための独立都市を設立したよ。この戦争を終わらせてくれれば、そこに入らせて、平穏に暮らさせてあげよう。黒曜のことも、君が口にしない限り、我々は犯人を突き止めていないことにしよう」

「………じゃあ、直接俺をその独立都市とやらにぶち込めばいいだろう。今後の戦争に俺がいらないなら、なぜ今回の戦争に俺が出ねばならない」

「そうしたいのは山々だがね、あいにく、転換期というものがあるんだ。今は政府側も、精鋭の使用者部隊を失ったばかりだ。準備が整えたはずがない。でも、ここで戦争を終わらせれば、数年間、戦争は起こらないでしょう。その間は、新しい部隊を設立するのに十分だ」

「………」

 政府の人は気に食わないが、言っていることは一理ある。何より、自分がやらかしたことの後始末をしなければとも思う。もし、本当にそのあと、独立都市に入れれば、これ以上人々に迷惑をかけることもないかもしれないとも思った。

 だから、冬戸は戦争に参加した。世界初のAFプログラムを使った戦争――第一次AF戦争。




 戦争自体は、一年もかからず終着を迎えた。冬戸はもともと政府が育ってきた使用者の精鋭、その中でもトップクラスの人材だ。殺人機械が活躍する戦争では、誰もその力に逆らえない。政府側の勝利自体は冬戸が参戦した瞬間確定になったのだ。

 少し予定が狂ったことといえば、独立都市インスラに入る目的は、平穏に暮らすことじゃなくなったことだろう。

 一人、また一人と敵の願いを葬ってきた。一人、また一人と仲間の願いが敵に潰されていくのを見てきた。歪の戦場で歪の成長を遂げた冬戸は、心の底で決心した。

 もうこれ以上、誰かの願いで誰かが取り返しのつかない傷を負わせない、と。

 そして、ようやくインスラに入り、寮の一室を与えられ制服ももらった冬戸が、新生活の始まりとして、独立官の資格を取得した。

 そこで、思わぬことが起きた。

 独立都市インスラの能力強度テストで、四位の成績を叩き出した一人の少女がいる。

 出力だけで採点するテストだ。ランキングなど、戦闘能力とはあまり関係ない。しかし、その成績で特殊官になった少女の名前は、無視できないものだった。

 神谷杏奈かんだにあんな。先生、神谷白かんだにはくと同じ苗字だ。

 神谷は珍しい苗字じゃない。先生が言っていた妹の歳は、杏奈という少女に近いとはいえ、日記帳に書かれた内容によれば、先生の妹はAFプログラムをダウンロードしていないはずだ。

 人違いだろう。実際、通ってる学校にも神谷がそれなりにいるし。神谷杏奈が特別なわけじゃない。

 そう思って、今まで無視してきたのだが……

 ああ、なぜもっと早く気づかなかったのだろう。

 神谷の願いは、使用者と一般人が誤解や拒絶、隔たりなく、一緒に生きていけるような世界を作ることだ。

 その願いを抱くのには前提条件がいるはずだ。――使用者と一般人が、誤解や拒絶、隔たりを抱いて、一緒に生きていけない状況が存在する――そんな前提条件が。

 そしてそれが、黒曜事件のあとに始まった状況だ。

 神谷は……おそらくだが、AFプログラムをダウンロードしたのは、管制されたあとのことだろう。先生なら、ダウンロードの設備や薬ぐらい持っていてもおかしくないのだ。よくよく考えれば、神谷も、兄がいたようなことを言っていた気がする。

 妹を守ると言った先生が、なぜ妹を使用者にさせたのかは分からない。だが、もし彼女が先生の妹なら……

 そして、そんな彼女が、兄を失った今も、毅然とあの美しすぎた願いを、胸を張って宣言するのなら――

 まだ、この汚い手で、守るべきものがあるかもしれない。

 もし、彼女は願いのその先を知った上で、自分を貫くと言い切れれば、棺運びという願いの成り果てを目にしても、なお己の願いに価値があると信じて疑わないのなら――

 彼女に、願いを叶えさせよう。

 ――願いを踏みにじる役割を引き受ける形で。

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