第五章 敬虔に絶望を祈る願望 4
「よかった。間に合ったね。ちょっと待ちなさい!」
残念なことに、遠く離れた神谷に、剣戟の音の中では冬戸の声は届けなかった。
人形の数体をやっつけても蘇ってくるのを見て、神谷は決心がついた様子で、いったん風の加速で人形たちと距離を取った。
それから、左手の拳銃を握り直したかと思えば――白銀の銃身が、まるで鍛造されたかのように、AFソースコードを浮かばせる。
「チッ、邪魔だ!」
すっかり余裕を失った冬戸は、棺運びの肘の裏を叩き腕を曲げさせる。捕まった手が棺運びに寄せられるのにさらに勢いを載せて棺運びの顎を掌底で叩く。
顎に上への力を叩き込む同時に、足を払い後ろに転倒させる。棺運びの全身が宙に浮かんだところに、棺運びの手首を叩き、捕まった手をひねて拘束を解く。
しかし、一瞬で棺運びを振りほどいて神谷のほうに向けたが、すでに遅かったようだ。
神谷の左手にある拳銃が元の形を失い、白銀の光になっていく。その流体の光が、形を変えて新しい形に定着していく。
流――鋳装を分解、再構築する技術。
冬戸の知る限り、使用者の中では神谷しか使えない、AFプログラムにはなかったはずの指令だ。
それを可能とするのは、今は仮説でしかないが、インスラの研究施設では、願望の強さによるものじゃないかと言っている。あながち間違っていないと、冬戸も思う。
二つの鋳装、定められた形を捻じ曲げる。AFプログラムが想定していなかった事象をいくつも起こしたのは、おそらく、神谷の強い願いによるもので間違いないだろう。なぜなら、AFプログラムの動力源はもともと、何かを願うという、脳の電気信号だからだ。
神谷の手に視線を向けて、冬戸は止めようとしても間に合わないと悟った。
白銀の光が収まると、そこに現れたのは、一つの弾倉。概念物質特有の白銀色をそのまま、形だけが元の拳銃から弾倉に変わっていった。
それを軽く投げると、流れるような動きで右手の拳銃を水平に振り抜く。空中でぐるぐる回る弾倉を装填した。
鋳装をもって鋳装を射出する。概念物質が砕けたとき起こった、概念の爆散事象。――すなわち、鋳装の暴走。それを利用した一撃は……
「一気にやっつけたげるわ」
引き金を、引く。
刹那、銃口から爆ぜた白銀の風の奔流が、何もかも飲みつくす獣のように放たれた。
双牙の狂嵐、その異名の由来でもある一撃は、風の概念物質を細かく砕いて射出することで、鋳装の束縛を解くものだ。砕かれた鋳装の破片の一つ一つは秘められた風の概念を解き放ち、暴風を引き起こす。
無数に起こされた暴風を一つに束ね、暴走状態で敵にぶつけるそれは……竜巻を横方向にするような、電流や氷を混ざった風の奔流だった。
咆哮する風の奔流が石とコンクリートを抉り、人形たちを千切って鉄筋や鉄骨を捻じ曲げながら――問答無用の暴力を棺運びの棺桶にぶつけていく。
だが……
「ヒッ、ヒヒッ」
棺運びは怯むことなく、むしろ興奮した顔で、その痩せた体では考えられない速度で棺桶に走っていく。
手や足を使うその走り方は、獣を通り越して虫のように見える。が、冬戸が心配したのは、その不気味な光景じゃなく、人造鋳装の棺桶のほうだ。
阻止しようとしても、神谷はすでに撃ったし、道化師の傀儡の棺桶もここからじゃ手が届かない。
果たして、神谷の渾身の一撃を正面に喰らわせるはずの棺桶が――誰も触れていないのに、その蓋を開けた。
棺桶の内部から、無数の「手」が生えてきた。
しかし、それは人形たちの白銀の手ではなく、どす黒くて、泥みたいな手だった。粘っこいそれは、人を地獄に引き下ろそうとする罪人のように、我先に棺桶からあふれ出し、貪欲に竜巻を掴みかかっていく。
数十、数百……数え切れない「手」が竜巻にぶつかると、風の暴威に耐えられず紙屑のように千切れられていく。衝突した瞬間からすでに押されているのだ。
しかし、腕がもぎ取られても、指が千切れてバラバラになっても、空いたところにはまた新たな「手」が穴を埋めていく。幾度なく風で塵にされても、無限に湧いてくる手が執拗に白銀の竜巻を掴もうとしてくる。
神谷の鋳装を弾丸に撃ち出した暴風は、ほんの一部だが、確実に無数の手に剥がされ、棺桶に引きずり込まれていく。
棺桶が、白銀の暴風を喰らっているのだ。
そして、ようやく暴風の威力に耐えられず、手の群れが突き破られ狂乱の竜巻が棺桶と、それに駆け寄る棺運びに容赦なく叩きつけられた。
痩せた棺運びの体はたちまち千切られ、無数のパーツとなり地面に落ちる。……棺桶のほうは、間一髪のところで、棺運びに退かされ、直撃を免れた。
泥のような無数の手。あれが道化師の傀儡の捕食器官だ。
一般人の親子も加えて、十人をストックさせたその力は、必ずしも人を喰らわなければならないわけじゃない。こうやって、鋳装だけ喰らうことも可能だ。
普通なら、鋳装だけを喰らうぐらいなら、使用者を喰らったほうが手っ取り早いし、使える人形も増えるのだが、強力なAF能力を持つ神谷相手ではそうもいかない。だが、鋳装を撃ち出すなんて技を使う神谷になら、その切り札を使わせて――喰らうことができる。
「お前バカか! 脳みそどうした!」
「脳み――ななにその言い方! せっかく助けてあげ――ちょっ」
敵を倒したと思い、ふぅと息をついた神谷に、冬戸が勢いよく駆けつける。そのまま肩を掴んで、小柄な体を押し倒す。
次の瞬間、全方位から空間を裂く勢いで飛来する風弾を、間一髪のところに躱した。
中の一つは、さっきバラバラにされた棺運びの手によるものだった。AFソースコードを切断面に浮かばせ、体をつなぎ直しつつ、鍛造した拳銃で撃ったのだ。
「な、なによ……それ……」
「説明は後だ! いったん逃げるぞ」
と、そう言っていると、また数え切れない風弾が全方位から撃たれてきた。実体がないそれを、指向変換では流せない。とはいえ、逃げようとしても、風弾の数が多すぎるせいで、避けるだけでも全力が必要な状況では、逃げることもままならない。
それに、気になることもある。
道化師の傀儡の人形はこれで全部のはずだ。なら、なぜここから離れたところから、鋳装による狙撃が撃たれてくるのだ。
ある程度の推測があるが、それが正しければ……棺運びは別に、自分のAF能力を奪わなくても、インスラを滅ぼす二番目の策があるということになる。そして、それはおそらくついさっき実現され……
「―――っ!」
と、考えていると、
遠くから、未開発区画ですらない――中央部の方向から、風を纏った剣が、目で捉えられないスピードで空間を切り裂き――気づいたら、すでに眼前まで迫っていた。
狙いは、神谷の胸のど真ん中。
絶えずに撃ち込まれた風弾の嵐の中に、そんなスピードで迫ってきた鋳装を完璧に防いだり流したりできるわけがない。しかし、ここで神谷を殺されたら、棺運びに第二の鋳装を提供することになる。
「こ――の!」
咄嗟の判断で、片足を踏みしめ、もう片足の膝を勢いよく蹴り上げる。
風を纏って加速した剣が神谷に突き刺さる直前、膝が剣を下からぶつかりの飛行方向を変えた。
しかし、それは行き先も計算した指向変換ではなく……単に目標に命中させないために方向を変えたものだ。そして当然、膨大な運動エネルギーを秘めた剣は、膝蹴りぐらいで大きく方向を変えるわけもない。
白銀の切っ先が、冬戸の肩に深く刺し込んだ。直後、使用手から離れた剣は、冬戸の背後の景色が見えるほどの傷口を残して、最初から存在しなかったかのように消えていった。
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