第五章 敬虔に絶望を祈る願望 3

「僕の願いを? それはまたずいぶんと大きく出たね。でも、あなたは鋳装を鍛造しないと、AF能力を使えないでしょう。そして――あなたには、鋳装を鍛造しない。絶対にだ」

「俺のことを相当調べてあったようだな。そりゃ鍛造しないさ」

 黒曜事件を引き起こしたのは、鋳装を鍛造してAF能力を全開で使える状態にしたからだ。あれ以来、冬戸は何がどうなっても鋳装だけは鍛造しないようにしてきた。

 それなら、命の危機に直面しても、AFプログラムの暴走によって同じような大惨事を起こさずに済む。

 それ自体はいいが、鋳装を鍛造しないと能力は使えないということは、今の冬戸はただの一般人と変わらないということだ。

 一般人の身でAF能力に対抗するなんて、正気の沙汰ではない。とはいえ、冬戸はまるで臆することなく、それどころか、どこか酷薄な笑みを浮かべてみせた。

「けど、お前を倒すのに、鋳装が必要とも思えない」

「………。そうか。どうやら、これ以上話しても無駄なようだね。なら、こちらも主導権を実行犯に戻そう」

 と、人形が言った言葉を最後に、協力者の声が聞こえなくなった。代わりに、さっきまでずっと動かずにいた棺運びは、電源を入れたかのように、はっと頭を上げる。

 状況を一瞬で理解してから、唇の端を気持ち悪いぐらいに持ち上げた。

「ペストウウウゥゥゥゥゥ―――!」

 ザラザラした叫び声を合図に、十体の人形は同時に手に白銀のキューブを爆ぜさせた。

 使用者(デコーダ)だった人形だけじゃない。一般人の親子も同じくその手に、AFソースコードで空気を鍛造する。道化師の傀儡の人形は、鋳装を共有できるのだ。

 そして、鋳装が鍛造された次の瞬間、人形たちは一斉に動き出した。

 盾を手にする一般人の親子は棺運びの前で守るように盾を構える。弓やボールらしきものを手にする二体の人形は、盾のオリジナルの後ろに隠れてこちらに狙いをつける。残りの五体は、それぞれの武器を手に肉薄してきた。

 近接戦、中距離援護、それと操作者である棺運びという、簡単で有効な陣形だ。

 とはいえ、人形の強さはいつも傀儡師の熟練度で決まる。目の前の棺運びは、協力者にとっての実行犯役だが、協力者のような冷静な思考がなく、見たところ、ただ憎悪で行動しているようだ。

 それなら、簡単に対処できる。

「………剣、金槌、竿、槍、ナイフ。残念だが、お前らの能力や鋳装は調査のために、もう把握済みだ」

 ほぼ同時に斬りかかって、突き刺さってくる鋳装を目に、冬戸は少しだけ体の重心をずらし、皮膚が微かに鋳装に触れるぐらいの距離で躱す。

 武器が虚しく宙を切る一瞬の隙を見逃さず、武器を振るう手の手首や肘の関節を、両手で逆方向に叩く。

 狙いは剣を使う人形だ。その一撃で関節がずらされ、振るわれた剣が力の失った手から落ちる。白銀に輝く剣が地面に落ちる前に、当たり前のように柄を握る。

 もし、これは神谷のような能力なら、こんなことはできなかっただろう。風の鋳装は鍛造した使用者本人以外のものが手にすれば、「風を具現化した概念物質」を手にすることになる。

 それは、手を暴風の中に突っ込むのと同じことだ。握った瞬間皮膚が削られ、肉が千切れられるのが目に見える。

 とはいえ、能力は鉄とか、ガラスのような、触れても大丈夫なものなら、このように、使用者本人以外の人が手にしても傷つくことはない。

 ハードウェアである使用者から離れたプログラムの産物だから、一秒顕現を続けられるかどうかも怪しいが、そのわずかな一瞬があれば、十分だ。

「………」

 掛け声も、力を発するとき自然と出てくる声もなく、冬戸は流れるような動きで、剣をキャッチした瞬間に、切っ先を二体目の人形の太ももに突き刺す。

 白銀の剣が突き刺さった同時に消えてしまったが、二体目の人形のバランスは崩せた。転がりそうになるのをこらえる人形の手首を掴んではもう片手で肩を固定する。そのまま関節の外れやすい方向へと人形の手を引きちぎる。

 引きちぎられた手に握られた槍は、そのまま後ろにいる三体目の人形の頭を吹き飛ばす。

 ここで、ようやく援護が入り、遠くから弓やボールが飛んできたが、その弓も軽く手で流し、方向を変えて四体目の人形の膝に飛ばす。ボールのほうは、四体目の人形のナイフを手ごと蹴り上げ、下からボールを刺し衝撃を弱める。

 それから、竿を振ってきた五体目の人形を視界の端に捉え、人形の肘の裏に手のひらを撃ち込んで衝撃を叩き込む。

 すると、竿は手ごと振る方向を変えられ、野球のバットのように、ボール型の鋳装を、そのまま打ち返し、離れたところで陣取った人形三体を盾ごと吹き飛ばす。

 そのように、冬戸からは何も仕掛けず、ただ自分に向けた攻撃の方向を変え、殺傷の対象を敵に変えるだけなのに、あっという間で人形の無力化に成功した。

 冬戸には、鋳装を鍛造しないと能力が使えない。しかし、戦いにおいては、いちいち鍛造する時間を与える敵なんているはずもない。

 だから、それなりの手段が必要になる。使用者と戦うならなおさらだ。

 そこで、冬戸が得た答えはこれだ。――指向変換レバレッジ。他人の鋳装を利用したり、攻撃の方向を変えたり、他人の能力や技を使って攻撃する技術だ。

 場合によって使えないときもあるし、相手の能力内容は不明瞭な場合、小石を鋳装に投げつけたり、何かを盾にして相手の攻撃を受けたりと、接近するリスクや鋳装に触る危険を確認する必要があるが、集団戦では非常に役立つ技術だ。

「おい、協力者。聞こえるか。このままだと、お前の実行犯は倒されるぞ」

 あっという間に八体の人形の鋳装を破壊した冬戸は、ゆっくりと棺運びに接近しながら、どこかで盗み見しているであろう協力者に話しかける。

 が、返事はない。代わりに、人形の体の傷ついたところにAFソースコードが浮かび、修復していくのが見える。人形の手に、再び鋳装が鍛造された。

 人形たちはすでに死んでいる。鍛造しても記憶を消費することはない。だが、鋳装の鍛造には代償が必要だ。それはおそらく、手に血が出るほど、力強く棺桶を掴む棺運びの命で払っているのだろう。

 十人の鋳装を鍛造、維持する代償はあまりにも大きく、一つの戦いに数か月の命が消費される恐れもある。だが、その代償の対価として、道化師の傀儡の人形は決して倒れることはない。さながら不死の集団だ。

「大した執念だ」

 白銀のキューブをその身に這わせて傷を修復していく。千切られた部品をくっつけさせながら、鍛造しかけた鋳装を手にふらつく足取りでよってくる人形を目にして、冬戸は思わず賞賛でもしているかのように言葉をこぼした。

 とはいえ、それで冬戸の歩みを止めるわけではない。

 複数人を相手に取るとき、指向変換がうまく機能すれば、武器の数が多い分、相手が多いほうが逆に戦いやすいのだ。

「もう諦めろ」

 襲い掛かってくる人形を次々と破壊し、一歩一歩と棺運びに近づいていく。

 その間に、再生の人形を視界の端で確認しながら、協力者のほうに話しかける。

「俺はここで、偽の棺運びを潰す。それで、お前は手駒の実行犯を失う」

 ついに、人形たちは自分の鋳装だけじゃなく、ほかの人形の鋳装を鍛造して、武器を両手に急所を狙ってきたが、それでも、足止めにもならなかった。

 手首や肘、肩など主要関節を叩き、鋳装の向かう先を変えたり、鋳装そのものを落として、こっちに一撃打たせてもらったりと、目では追いつかない攻撃の嵐の中を、冬戸は対処しながら、淡々と一定のスピードを維持した歩みで進んでいく。白銀の斬撃が飛び散る中、悠然と棺運びに向かっていく。

「実行犯がいない状態では、中央部にいるお前も迂闊に動けない。そこで、お前の手口を暴き、念入りにシステムをチェックすれば、お前の身分を特定できる。詰めだ、お前は」

 一歩、また一歩、ようやく棺運びの目の前に来た冬戸は、かかとを後ろに踏み出す。斜め後ろから突き刺さってきた槍と竿が脇の下を通るのを見下ろし、体の前にX字に交差させてから――両脇の下から突き出した槍や竿にさらに勢いをつけて、棺運びを守る二枚の盾を人形ごとに突き刺す。

「終わりだ」

 人形たちと戦い始めてから、ずっと穏やかで変わらない速度を維持していた歩みが、ここにきて初めて加速する。

 棺運びを守る二人の人形の体勢が崩された隙を逃さず、一気に棺運びの懐に突っ込む。その心臓の位置に目標を定め――掌底で渾身の一撃を棺運びの体に叩き込む。

「――カ……ァ、ァ……ペス、ト……ゥ……」

 肺の空間が圧縮され、空気が棺運びの内側から突っ込んできた。出てきた空気に口が開いた。しかし、この一撃で内臓がやられたはずなのに、棺運び喀血はしなかった。

 目にした事実に少し眉を顰め、冬戸は万全を期するために、もう一撃を加え徹底的に無力化しようと思ったが……

「ヒッ」

「………?」

「ヒ……ヒヒ、ㇶヒヒ……ヒヒヒヒㇶㇶヒㇶヒヒヒㇶㇶヒ」

 棺運びは倒れるどころか、急に狂気に満ちた笑い声を上げ、その痩せた両手で、冬戸の手を掴んだ。

「こいつは……ッ!」

 同時に、棺運びが目深に被ったフードがようやく風に飛ばされ、隠されていた顔が露わになった。

 ひどく醜く乾燥した顔だ。皮膚にしわが入っていて、骨の輪郭も鮮明に見える。その目玉は、水分が取り除かれるように、萎縮しており、濁った茶色をしている。

 そして、自分の手を掴む棺運びの手も、皮膚に覆われているにもかかわらず、どこにどんな形の骨があるか、簡単に見分けられるほど痩せている。

 これはもう栄養不良のレベルじゃない。むしろ……

「や、ペスト。どうだい。予想外の展開も、ときどき悪いものじゃないでしょう」

 さっきまで、冬戸の名前やコードネーム以外、言葉らしい言葉を口にしたことはない棺運びが、急に穏やかな声で問うてきた。

 協力者のほうだ。人形の体しか操作できないはずの、協力者が、棺運び本人の体を操作している。この事実の意味するところを、冬戸はすぐ理解した。

「僕はね、あなたに手口がバレてしまうときのこともちゃんと考えているからね。それで、正面から戦ったらまず勝機はないことを悟った。そこで、ちょっと釣りをしようかと思って」

「釣り……。つまり、この棺運びは死体で、お前の操り人形の一つってわけか」

「いや、まさか。道化師の傀儡の人形は、道化師の傀儡そのものを操れない。もし棺運びは、棺桶にストックされた人形でしたら、彼が棺桶を操れるはずがない。あなたなら知っているはずだが?」

「じゃ、この状況を納得する説明を……しろ!」

 手を掴まれるままにして、もう片手の肘を棺運びの胸に力強く打ち込む。

 渾身の一撃の衝撃を受け、棺運びの痩せた体はなす術なく後方へと吹っ飛ばされた。しかし同時に、冬戸を掴む手を離すこともなかった。

 結果として、執拗なまでに冬戸を捕まる棺運びの両手が、吹っ飛ばされた体から分離されたのだ。その両方がAFソースコードによって繋ぎ止められ、棺運びが足を踏みしめ吹っ飛ばされた衝撃を殺すなり、磁石のようにお互いを引き寄せる。

「いや、それはね」

 両手が胴体につなぎ直す同時に、少し困った感じで協力者の言葉が続いてきた。

「あなたを拘束している彼は、道化師の傀儡そのものだよ」

「……なるほど。人造鋳装の使い手の末路か」

「ええ、まさしくその通り。命を使い果てたものは、AFプログラムそのものになる。しかし、プログラムはあくまでプログラム。暴走する事例もあるけど、はい、道化師の傀儡の場合は、新しい使い手を見つけないと、自分で動き出すことはできないんだ」

「そして、お前はその使い手で、俺はそこまで察しなかった」

「ご名答。さて、これで、僕は王手をかけたが、どうします?」

 棺運びの口でそう言った瞬間、冬戸は目の前の建物から何かの気配を感じた。

 いや……この建物だけじゃない。この工事現場のありとあらゆるところから、同じ気配がしてくる。……何かが射出され、空気を切り裂きながら飛んでくる感じだ。

 全方位からの一斉攻撃。おそらく、事前にセットしてあった罠だろう。自分はまんまとはめられたわけだ。一秒足らず内に視線で捉える距離まで迫ってきたそれらは……剣。さっきの人形の一体が持っていた剣だ。スピードから見れば、弓の鋳装で撃ったのだろう。

 道化師の傀儡は同じ死体からきた人形を二体同時に鍛造できるとは、聞いたことないのだが、目の前に起こった以上、これは紛れもなく事実だ。

 とはいえ、王手、と言えるほど最悪な状況でもない。

「この程度で」

 身を逸らし、同時に自分の手を執拗に離さずにいる棺運びを盾にして、ほとんどの剣を躱すか防ぐ。残りにどうしても避けきれないものは、片手で流し、ほかの剣にぶつける。

「王手をかけたつもりなら、なめられたものだ」

「おや、全部防いだとは」

「驚いたか。なんならもう一度撃ってきてもいいが」

「もともとそうするつもりでね。ただ一つ……いや、二つ訂正しておこう」

 意識の半分を協力者の話に、半分を再度迫ってきた剣の鋳装に集中しながら、次の手を考えていると、

「一つ、あなたをこの程度で仕留めるとは思っていないので、驚きはしない」

 ふと、全方位から飛んできた剣が、もっと速い何かに、一本残さず撃ち落された。

「……なんだ?」

「一つ、僕は王手と言ったけど、何もあなたにかけたものだとは言ってないよ」

 その言葉で、剣の鋳装を撃ち落したのは圧縮された風の弾丸だと気づいた。

 この場にいちゃいけない。だからこそ、あえて日記屋であんなことを言ってやったはずなのに。

「空木!」

 なぜ、神谷が、二丁の大型拳銃を手に、風の加速でこっちに向かってきている!

「バカか。くそ……これで本当に王手だ」

「でしょう。では、僕はこの辺で」

「神谷、撃つな!」

 協力者が満足げに言い残すと、体の主導権を棺運びに戻したようだが、そんなことをかまう時間じゃない。

 それだけはまずい。神谷の実力なら、技に繊細さがまったくなくても、人形たちを力ずくでなぎ倒せるだろう。実際、双牙の狂嵐の情報に記載された、神谷の奥の手を、冬戸も捌けられない確信がある。風の能力を最大限以上に発揮する一撃は、暴威と呼んでも過言ではないのだ。

 だがしかし、棺運び相手だけは――道化師の傀儡相手だけは、使っちゃいけないのだ。

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