第五章 敬虔に絶望を祈る願望 2


 風紀委員のオフィスを出て、琴葉の誘導で未開発区域につくと、冬戸は即座に琴葉との連絡を切ることにした。

 これから始まろうとすることは、未成年者には刺激が強すぎたのだ。

 まだコンクリートで固まっていない鉄筋の基礎があっちこっちに見えて、すでに骨組みまで完成した建物もある。地面には、建材が並んでおり、さらに視線を伸ばすと、クレーンやらショベルカーなど建設機械も視界に入る。どこもかしこも工事特有の雰囲気を漂わせる。

 都市部と比べれば、未開発区域はだだっ広い区画だ。未完成の建物に視線を向けると、鉄骨の間に夜空が顔を覗かせている。遮蔽物があまりないので、夜の冷たい風が容赦なく冬戸の顔や体に打ち付けてくる。

 その寂しい空間を冬戸は澄ました顔で進み、未完成の建物の前に足を止めた。

 ここは工場群にする予定の区画だ。建物は高くはないが、敷地は相当に広い。

 鉄骨の影が交差する空間の奥にいるだろう棺運びに、冬戸は声を上げて呼びかける。

「いるだろう。出てこいよ」

 決して大きくはない声だったが、風の音しかしない夜の未開発区域ではよく響いた。

 そして、数秒を待つと……中から、砂や小石まみれの地面を素足で歩くような足音が聞こえてきた。

 視界にあれが現れたとほぼ同時に、空気を擦るかのような、乾ききった声が響いた。

「ウツギ……フユト……ッ!」

 未完成の建物の陰から出てきて、月の光を浴びた姿は、なるほど、確かに棺運びだ。

 折れていないのが不思議なほどに痩せた体を緩いマントで隠し、顔を隠すようにフードを目深にかぶっている。唯一覗ける体の部分は、フードの下にかろうじて見える歪んだ口元だけだ。歯を見せるように開いた口は、唇の周囲に乾いた唾液の痕跡を残している。

 彼の肩には、身長と同じぐらいの大きさをしている棺桶が背負われている。それを、筋肉がすっかり萎縮して、ほとんど皮膚で骨を隠しているだけの状態の手で下ろし、ドスンと地面に置く。

「やはり俺のことを知っているのか」

 棺桶の正面を向けてきた棺運びに、冬戸は納得がいったという感じで、落ち着いた声をこぼす。

 乾いた血のように赤黒く塗装される棺桶の蓋に、逆さまになっている金属の十字架がすっかり錆びついており、月の光に照らしているにもかかわらず、輝きを見せることはなかった。

 この不気味な棺桶は……見覚えがある。

 AFプログラムによる鋳装と同種だが、少し違いのあるものだ。

 人造鋳装――空気鍛造プログラムの技術が発展するのにつれて、作られてしまった派生の形。物にプログラムをダウンロードして使う武器だ。

 ダウンロードもインストールも、物を対象にするところから想像できるように、人造鋳装の作成には、願望の有無はどうでもいい。ただ作成の手順をちゃんと踏めば、AF能力を発動できる武器を作れるのだ。

 しかし、発動すると鋳装と同等の力を出せるとはいえ、人造鋳装は使用者と違って、鍛造しないと能力はまったく使えないのだ。

 そして、もっと肝心な違いもある。――人造鋳装は使用者と違って、記憶ではなく、命を代償に使う武器だ。

 そして、目の前に禍々しい雰囲気を漂わせる棺桶は、黒曜事件のあと、使用者は一人残らず殺すべしと主張する過激組織が引き起こした、人類史初のAFプログラムを使う戦争で、政府と敵対する勢力によって作られたAF兵器。

 人造鋳装、AFコード「道化師の傀儡マリオネット・オフ・ピエロ」。殺した者の体をストックし、傀儡として操る能力だ。――ストックされたものは使用者なら、その能力や鋳装さえも使える、最初は何の脅威にもなれないが、放っておくと、手が付けられなくなる厄介な能力だ。

「もう二度と見たくない能力だが……仕方ないか」

 こぼしたため息が冷たい夜風にかき消されて、冬戸は正面から棺桶を見据える。

 棺桶を背負っているのと、使用者を殺しまわっていると聞いたときから、ある程度の予想はついていた。だから冬戸はこの任務を受けた。さらに言うと、棺運びにこれ以上強力な能力を提供しないように、神谷を遠ざけたのだ。

 すべてがうまく運んでいる。そう確認してから、冬戸は吹きすさぶ風に打たれ、今にも折れてしまいそうな体をした棺運びに目を向ける。

「な、正気かどうかは知らんが、お前をやっつける前にいくつか聞きたいことがある」

「ア……アァ……」

 一応聞いてみようと話しかけると、棺運びが唸り声だけを返してきた。

「……ァ……ㇶ、ヒヒヒ……」

 そして、唸り声が次第に乾いた笑いに変わる。すっかり水分を抜かれた喉で発したかのような不気味な笑い声の中で、棺運びは強く棺桶を掴んだ。それだけで、指の骨が全部砕けるような感じがする。

「……ウ、ツギ……フユ、ト……ぺ――ペストゥゥ」

 ペスト。その言葉に、冬戸は思わず眉をひそめた。

「嫌な名前を知ってるね。それはお前の経験から知ったものか? それとも協力者が教えたものか」

「……ァア……ぺ――」

 またその耳が痛くなるような声で何かを喋ろうとした棺運びは、ふと、動きを止めた。

 まるで糸を切られた操り人形のように、口も手も、全身が静止した。

 と、同時に、棺桶が薄っすらと白銀に光り始めて……表面に、AFソースコードを浮かび始める。白銀に輝く、半透明なキューブ。空気を概念物質に鍛造するソースコードだ。それが使用者じゃなく人造鋳装で使えば、こうやってAFプログラムのダウンロードされる物体の表面に浮かぶ。

 能力が発動された棺桶の蓋は、棺運びは動かしていないのに、ギィィィッと音を立ててずらすように開いた。覗かせた隙から、唐突に、ホラー映画に出てきそうな感じで、一本の手が突き出してくる。

 あまりに勢いよく狭い隙間から突き出したから、手の皮膚が蓋と棺桶に擦られて無残に剥けたが、そこから滲んできたのは、赤い血ではなく、白銀のAFソースコードだった。

 それを皮切りに、内側から蓋をこじ開けようとするかのように、棺桶から何本もの手が突き出し、それらが乱暴に蓋を押して開けると、中からおびただしい数の部品・・が落ちてきた。

 人間だった、部品だ。それらの表面にAFソースコードが這うように浮かんできて、お互いを引き寄せる。手を、胴体を、足を、頭を……それらが集まって、十人の人形に組み立てた。

 どれも見たことのある顔だ。棺運び事件の被害者リストにある写真と一致している。

 違うところといえば、今目の前にいる……いや、あると言ったほうが正しいか……十人は、血や肉で構成する生物ではなく、白銀の概念物質で作り上げた人型の何かでしかないことだ。

 人類史初のAFプログラムを使う戦争、第一次AF戦争で嫌なほど見たあれこそが、道化師の傀儡が励起されるときに発生する現象だ。

「話し合いすらできないか。仕方ない。協力者のほうを探し出してから聞くとしよう」

 すっかり戦闘態勢に入った棺運びを前に、冬戸は少し残念そうにこぼすと、足を踏み出――そうとしたところに、

「いや、それには及ばないさ。ペスト」

 ――動く死体のはずだった一体の人形の声に、動きを止めた。

 声のする方向に目を向けると、相変わらず無表情で口を半開きにしている人形が視界に入る。……のだが、喉や舌などを発声装置として使っているのだろう、見た目とは裏腹に、落ち着いた丁寧な声が紡がれる

「驚いたかい。道化師の傀儡はね、使いこなすと、こういうこともできるんでね。さて、こうして対話するつもりはなかったが、協力者がいると気づいたようで、特別に、言葉を交わしてあげよう」

「そりゃどうも、つまり、お前がその協力者ってわけか」

「主犯格が協力者と呼べるかどうかは疑問だが、実行犯のサポートという意味では、はい、僕が協力者だ」

「回りくどい説明だな、協力者さん。で、何が目的だ?」

「おや、ペストにしては優しいね。気遣ってくれているかい」

「いや、俺も少しは大人になったつもりだ。昔と違って、自分がしてることはろくなことじゃないぐらいは分かっている」

「ほう」

「だから、他人の願いを踏み潰す前に、それがどんなものかぐらいは聞いておくことにしたんだ」

 感心したような嘆息を漏らした人形に、冬戸は射貫くような眼差しを向けながら言い切った。

 すると、人形とは別の方向から、また違う声が響いてきた。今度は女の声だ。

「それはそれは、大変成長したようで何より。でも、そうだな、目的か。ご存知と思うのだが……」

「自分の考えは他人も知ってるってのは、子供によくある勘違いだ。気にするな」

「はは、耳に痛い。ま、言っちゃ悪いものでもないし、ここは教えてあげよう」

 くすくすと笑うような感じで、無表情の人形をマイクのように使って言うと、今度はまた別の人形で言葉を続けていく。

「目的は、あなただよ、ペスト。忌々しい黒の能力を操り、人々に死をもたらす使用者、第一次AF戦争で数万人の死者を出した、黒死の死神ペスト

 ペスト、それは中世のヨーロッパで、人口の三割も減らした黒死病とも呼ばれる疾患だ。

 その死をもたらす性質と、黒のイメージが強いところから、黒の能力で敵対勢力の人間を葬っていく冬戸にこのコードネームが付けられたのだ。

「やけに詳しいな。戦争の生き残りか」

「さて、どうでしょうね」

「にしても、俺を狙ってるのか。つまり、今まで使用者を殺してきたのは、俺を倒すために、能力のストックを増やそうとしたわけか」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。僕があなたを狙うのは、あなたの能力も手に入れて、僕の願いを叶えるためだからね。使用者を殺すのも、その一環、いや、最終目的とも言えるかな」

「なるほど。つまり、神谷がこの仕事を受けたのも、お前が裏で糸を引いたってわけか。その能力を手に入れて、俺を倒すために」

「ええ、あの子は能力だけが素晴らしいものだ。彼女自身はまだその真価を発揮していないようだが、僕なら、それを引き出せる」

 今度は、また別の人形で語りかけてきた。

「にしても、それにも気づいたとは、さすが殺人鬼と言うべきか、勘がいい。そのために、あの子を連れてきていないのなら、とても残念だ」

「殺人鬼はお互い様だろう。で、お前の願いはなんだ? 一応聞いておく」

「願い? 別に大したことじゃないさ。子供の頃から、ずっと憧れていたんでね。正義の味方、ヒーローのようなものに。そんなもの、この時代にはなれないと思っていたのだが、AFプログラムの発明で、そうでもないじゃないかと思えたんだ」

 また別の人形で話を続けるその声音は、マイク代わりに使われる人形のうつろなひょ場とは裏腹に、明確な嬉しさが秘められている。

「僕はね、家族が皆、黒曜事件と第一次AF戦争で死んだんだ。多くの人々もそうだ。僕も最初は、悲しんだ、憎んだ、嫌な気持ちに支配されてたよ。しかし、泣き、嘆き、怖がっているほかの人たちを見て、僕は思った」

 どこまでも無機質に見える白銀の人形が、心躍るような嬉しさに満ちた口調で語り続ける。

「誰かが皆を救わなければならない。この世界を脅かす使用者を、駆逐しなければならない」

「あながち間違っていないな」

「ご理解どうもありがとう。あれだけのことをしたあなたも、その罪の重さで、少しは罪悪感を覚えてくれたのかな。悔い改めて、死んでくれるようには見えないけど。ま、話を戻すね。僕はそう決心したのはいいけど、あいにくあのときはまだ子供で、何もできなかった。でも、願いを叶えるということは、もともと長い道のりだ。だから、僕はまず、計画を立てることにした」

「それで、インスラが設立してすぐ中央部の職員となって悟られないようにこっそり計画を立てたのか。その棺桶おもちゃも、インスラが第一次AF戦争に介入したとき、隙を見て使えそうな人造鋳装を手に入れたわけか」

「半分正解といったところか。その洞察力、恐れ入るよ」

 人形のその声で、裏で話している協力者が微笑みを浮かべるのが見える気がする。

 なるほど、使用者をこの世から駆逐するヒーローになりたい。それが彼、あるいは彼女の願い。過激な反使用者組織が言いそうなことだ。

 そして、冬戸には分かる。神谷の言うように使用者にもいい人がいっぱいいるが、その反面、悪い人も多くいる。そして、一般人の中における悪人と違って、使用者の中の悪人は、その力で、普通はできない悪事を平然とやってのける。

 だから、棺運びの願いが間違ってるなんて、冬戸には言わないし、思わない。

 何より、今は正しさなんてより、棺運びのその願いをこれまでの行動と照合して、何を狙っているか、何をしようとしているかを考えるほうが得策だ。

「つまり、お前は能力のストックを増やすために、インスラで使用者を狩り続けた。そして、使用者である神谷に助けてもらった親子が気に食わなくて、殺したということか」

「少し誤解があるようだね。僕は、正義の味方たるものは、憎しみで行動してはいけないと考えている。だから、あの親子を殺したのは、憎しみによるものではないのよ。でも、正義の味方は同時に、己の信念を曲げて、すべきことをしないこともしてはならない」

 やってることとは裏腹に、その少し困った声音はどこまでも理知的で落ち着いている。あらゆる要素を考えたうえで、自分がしていることに悪の要素も含んでいると知ったうえで、なお願いを貫く人の話し方だ。

 ある意味では、今話している棺運びの協力者は、神谷よりも己の願いをちゃんと理解していると言っても過言ではない。

「だから、僕は心を痛めていても、どうしてもあの親子を殺さなければならなかった。女の子は双牙の狂嵐に助けてもらわなければ、とっくに死んだでしょう。使用者は存在してはいけないもの。つまり、あの女の子は僕に殺された前にすでに死んだのだ。僕は、起きたことを起きたようにしただけだ。ちなみに、母親のほうは能力の使用を見られたから、大義のために、やむなしね」

「そうか。ちゃんと考えていることは理解した。最後に、一つ聞かせてもらおう」

「もちろんいいよ。これから能力を奪われるあなたは、ある意味僕のスポンサーだからね」

「それだ。俺の能力を手に入れて、どうする気だ?」

「ああ、あなたにしては、案外シンプルな疑問だね」

 また話す人形の変えて、肩をすくめるような感じで言う。

「簡単さ、黒曜事件。覚えて……いなさそうね。でも、知っているでしょう。ほら、あなたが起こした、街一つ消し去る事件のことだよ。あの力を手に入れて、手始めにこのインスラを丸ごと消してやる予定なんだ。血も肉も、叫びも嘆きも涙も悲鳴も、絶望さえも全部消せるでしょう。使用者たちの最後には相応しいと思わない?」

「独特な考え方だと言っておこう」

「はは、では、質問はこれで終わりかい」

 無機質な物質で構成するという不気味な外形とは裏腹に、人形は丁寧な口調で質問を口にした。それに冬戸は小さく笑いを浮かべて答える。

「終わったな。そっちに話したいことがないか」

「まさか、あると思っているかい」

「いや、形式上、聞いてやるだけだ。なら、そろそろ始めようか」

「やれやれ、分かってくれるようなことを言っていたから、てっきり、ここで潔く僕の能力の一つになってくれると思ったのに」

「そいつはとんだ勘違いだ」

 嘆息をこぼした人形に、冬戸は足を踏み出し、ゆっくりと棺運びのほうに歩きながら声を上げる。

「神谷にも言ったことだが、お前にも言っておこう」

「ほう、黒死の死神ペストが贈る言葉か、なんでしょう」

「願いを叶えることの本質は、他者の願いを踏みにじることだ」

 神谷と棺運びのように自分の願いを叶えようと、理想を貫こうとする人は、ほかの多数のものの考えをないがしろにするきらいがある。

 使用者と一般人が一緒に暮らせる世界を作りたいという、神谷の理想と、使用者という憎まれている爆弾を世界から駆逐したいという、棺運びの理想。

 そのどちらも、正しいとも間違っているとも言えない。ただ……

「願いが大きければ大きいほど、美しければ美しいほど、傷つくものが増えていく。そしてお前のその願いは、大きすぎた」

 願いが叶うのに伴う犠牲があまりにも多い。実現したとしても、願いを叶えた本人が振り返れば、そこには思い描いたのとは全く違う光景が広がっているだろう。今までやってきたことがどれぐらいの悪を成したか知ったとき、顔に浮かぶ絶望に近い表情は、冬戸はもう見たくないのだ。

 だから、せめて、彼ら彼女らはまだ自分が正しいと思っている今のうちに、自分が悪を成し、その願いを踏みにじってもきれいのままにする。

「行くぞ、棺運び。今から、お前のその願いを殺す」

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