第六章 それでも、希望を信ずると 1

 未開発区域で、一人の男が悠然とした足取りで戦いが終わったばかりの工事現場に現れた。

 中央部職員が着用するスーツを脱ぎシャツ姿になった彼は、丸メガネも適当に捨てて、道化師の傀儡の棺桶と、地面に倒れて、びくりとも動かない棺運びの前で足を止めた。

 悲しそうに唇を噛みしめて、でも、誰かを誇りに思うような目で、そっと棺運びの死体を抱え上げた。

 そのまま未開発区域の中で予め用意しておいたお墓に行き、棺運びの死体を石の棺に下ろす。

「父さん、手札が全部そろえたよ」

 頭の中で、道化師の傀儡とのリンクを感じつつ、棺運びの頬を優しく撫でる。

「これで、父さんが戦争でできなかったことを……殺せなかった悪魔を殺せる。僕、ちゃんとヒーローになれたかな」

 当然、棺運びの死体は言葉を返すことはなかった。もともと限界だったのだ。今回のようにおとりに使って、何度も壊されては、もはや動かすことすらできなくなってしまった。

 すでに戦争で死んだ父をこんなことに使うのは正直、心が痛む。だが、それは自分と父さんの願いを叶えるためなら、どんなことでもして見せる意気込みぐらいはある。

 皆のために、自分を犠牲にする。この世から、いつかどこで二度目の黒曜事件を起こしてもおかしくない使用者を駆逐する偉業の前に、自分と父親という小さい犠牲は些細なものだ。戦争で無念を抱いたまま散った父親も、きっと、こんな結末を望んでいるのだろう。

 第一次AF戦争では、自分の命を犠牲にして人造鋳装に呑まれるまで、願いを叶えたかった父の願いは、何がどうなっても絶対叶えて見せる。

 そんな心意気は、男にはある。

 使用者という巨悪の前に、一人ではどうにもならない。なら、継げばいいのだ。父が駄目なら、その子供である自分が願いを叶える。自分が駄目なら、また同じお願いを持つ誰かに託せばいい。

 数年前に父がそうやったように、今度は自分の番だ。

 リンクされた道化師の傀儡たち・・を最大稼働率で同時励起。……これからすることは、確実に自分の命を奪うのだろう。

 インスラの使用者を確実に全滅させるために、いくつかの案を用意してあったのだが、どれも自分の命を代償にするものだ。例えば、冬戸のの能力を奪って、インスラを第二の黒曜事件で滅ぼす案は、その膨大すぎる力を引き起こすために、命を一瞬で使い切ることになるのは、適当に計算すれば分かる。

 でも、それでいい。それが、自分と父親が抱き突ける願いだ。そしてそれが、今から叶えるのだ。

「では、父さん。行ってくるね。終わったら、すぐそっちに行くから」

 動かなくなった父親に微笑みかけ、そっと蓋を閉じる。

 ある意味では、第二の黒曜事件の案を実行しないのは幸いと言えるかもしれない。これで、実行する難易度が少し上がるが、父親のお墓を壊さずに済むのだ。

 そう思いながら、彼は――真の棺運びは――スマホをポケットから取り出して、スクリーンを軽くタッチする。

 中央部で事前に設定してあったもので、全インスラの放送システムにつながる。

 同時に、すぐ隣に置いた棺桶を含む、未開発区域の建物の中に隠してあった道化師の傀儡たちを起動する。――リンクされ、ストックを共有する百三十七個の道化師の傀儡を、同時に。

 十体の人形が、九つの能力と鋳装を操る不死の戦士と化す。それを百三十七回繰り返すと、千を超える数の不死使用者軍団が誕生した。

 そして、自分も弓と剣を手に鍛造して、剣を真上に撃つ。

 白銀の鋳装が空中を突き破り最高点に達し、落ち始めたところを狙って、今度はナイフに風を纏い、最高速度で射出する。

 空中で衝突した二つの鋳装が、白銀の爆発とおびただしい音で夜の空をインスラの平穏とともに揺るがした。――革命の号砲だ。

【えっと、皆さん、聞こえますか? こちら、中央部警備部で……ああ、この口調も飽きたなぁ。芝居は終わりだ】

 短く前置きして全インスラの住民をこちらに注目させてから、放送システムで住民たちに話しかける。

【独立都市インスラ。僕たちにとっては、おぞましい化け物の巣窟に暮らす使用者たちよ。これから、あなたたちにも僕たちの苦しみの千分の一を味わってもらう】

 明確な憎悪と殺意を込めた彼の声は、各区画に配置された放送システムによって全インスラの人々の耳に届く。

【それと、中央部の方々はご安心ください。別に一般人に手を出すつもりはありませんから、そこから出てこない限りは無事です。今の中央部に使用者がいないように、先に手を打っておいたし、報復を恐れる必要もない。ああ、でも、扉を開けて、使用者を避難させたりしたら、安全は保障しないよ】

 そして、概念物質の白銀の人形たちは、鋳装を手にインスラへの侵攻を始めた。




「インスラの住民すべてを狙ってるというの⁉ そんなこと、絶対させない」

 肩に怪我した冬戸を連れて、未開発区域の建物に隠れた神谷が、拳銃を片手に外で行動を開始した人形に照準を合わせる。

 その華奢な手を、冬戸は痛みを耐えながら掴んで動きを止める。

「な、なによ」

「少し落ち着け。壊してもすぐ元通りになる人形だ。もともとはこうするつもりはないが、来ちまったら仕方ない。情報を教えてやる」

「棺運びの情報……?」

「ああ」

 短く答えながらブレザーを脱ぎ、袖部分を包帯代わりに使おうと、引きちぎろうとする。

 だが、肩の筋肉が切られた今では力もうまく出せず、仕方なく、服を足に引っ掛かってなんとかしようとすると、ブレザーを神谷に奪われた。

「あたしがするから、あなたは口だけ動きなさい。その……ごめん。なんかよく分かんないけど、あたしのせいでこうなったみたい……」

 鋳装の銃口で、ブレザーの肩あたりをなぞると、鋭い刃で切られたかのように袖部分が切り落とされた。それを手に、神谷が目を冬戸から逸らしながら隣に正座して、制服だった布を冬戸の肩の傷口にぐるぐる巻き始めた・

 薄暗い建物の中には二人しかいない。おまけにこの距離だ。神谷の息遣いを肌で感じられる。

「まったくだ。追い詰めてやったのに、いい迷惑だ」

「それは――その、ごめん……」

 珍しくしゅんと小さくなって、鋳装を太ももに置いた神谷は案外素直に謝った。

 鋳装を維持している状態だから、今の神谷は全部の記憶を覚えているのだろう。だから、普段より少し大人っぽいかもしれない。過去の記憶や経験というものは、性格を形成する基盤のようなものだから。

「けど、責任など今はどうでもいい。神谷、情報を教えてやる前に、一つ聞きたいことがある」

「聞きたいこと?」

「ああ、まず一つ目、なぜ棺運びがここにいると分かった? お前には教えていないはずだが」

「それは、根岸が教えてくれたけど?」

「……なるほどな。案外近くにいたわけか」

「近く? 何が?」

 止血を終えた神谷が、小首を傾げて聞いてきた。

「棺運びだ。根岸が、棺運びだ」

 APOがあたりにいない、監視カメラも二人の姿を捉えないところで戦ったのだ。それを中央部にいるにもかかわらず知ったのなら、もう考える必要がない。

 おまけに、根岸は棺運び事件の調査を担当している。いろいろと行動の自由度を高められたのだろう。

「で、でも、さっきの放送、根岸の声じゃないよ⁉」

「変声術だろう。たぶん、インスラに入ってから、ずっと作った声で話してると思う。驚くことはない。やつはそのために生きてきたらしいからな」

 言葉を返しながら肩や手の調子を確かめてみる。動きこそ鈍いが、動けないほどじゃない。手を握りしめて、出せる力を確認してから、神谷に向き直る。幼さの残った顔に、海色の目に微かな不安な色が秘めている。しかし、それより鮮明なのは、心底から自分のやっていることを正しいと思っている自信だ。

 その目を見て、冬戸は一瞬逡巡したが、やがて口を開く。

「これから、棺運びについて教える」

 いつもより重たさを感じられる言葉に神谷が固唾を呑み込む。そこで、切り出す。

 棺運びの手口、人造鋳装、道化師の傀儡、棺運びの願望と気持ち、人形の特性、鋳装を奪う能力……それと、神谷の鋳装が一つ奪われたということも。

 そのすべてを、包み隠さず教えていく中、神谷はただ黙って聞いている。だが、海色の目は一度も伏せることなく、秘められた意志も弱まることもない。

 日記屋のときと同じ、言葉を返してこなかったが、今度は返せないじゃないようだ。もともとは凹むと思ったのだから、少々意外な気がする。

「以上だ。これで分かっただろう。棺運びがやっていることは、お前のやっていることの本質は同じだ。そして、引き起こした結果も、きっと似たようなものだろう。ここでもう一つ聞くが――それでも、お前はお前の願いを貫くと言えるのか」

 やや強い口調で問いを投げつけると。神谷は鋳装を手に、こちらを見据え返してきた。可憐な口元がなぜか柔らかい微笑みを浮かべている。

「やっぱり、あんたはすごいね」

 心底から感心したように言うと、神谷はふと視線を鋭くして、真正面から冬戸を見据える。

「でも、間違ったことがある」

「ほう」

「あたし、六年の記憶しか残ってない。だから、前に言われたときはうまく言い返せなかったし、正直、あんたの言っていることが正しいなら、願いを諦めたほうがいいじゃないかとも思った。でも、あんたと同じことを言った人がいたわ。そして――その言葉には続きがある」

 白銀の拳銃を、自分の記憶を見せつけるように、胸元まで持ち上げて見せる。

 美しい造形の鋳装だ。鉱石のような無機質の美も、科学的で近未来的な雰囲気もある。あれが風の概念物質、神谷の、願いの結晶。

 AFプログラムにおいては、願いはただの動力源として使われている。能力の性質や内容に直接的に関係しているわけじゃない。それでも、AF能力は使用者にとっては願いの具現とも言えるものだ。

「願いを叶えることの本質は、他者の願いを踏みにじること。それが大きければ大きいほど、美しければ美しいほど、傷つくものが増えていく」

 それは、冬戸が神谷に言った言葉。以前、先生が冬戸に言った言葉。

「でも、本当に願うなら、ほかの誰かの願いを踏みにじっても、己を貫く。頑張って願いを叶えることで傷ついた人がいても、それと同じように、幸せになれたものも必ずいるんだから。幸せにしたいものがいれば、恐れずに、自分の見ている道の先に進む! これは、あたしの兄さんが言ったことよ」

 そしてこれは、先生が昔冬戸に言った言葉。冬戸が、神谷に言わなかった言葉。

「小さい頃、兄さんの言ってることの意味が分からなかったけど、今は、少し分かる気がする。鍛造して思い出してよかったと思う。ここであえて言うわ。あたしは、何があっても、願いを叶える! それが正しいし、人々に幸せにできると信じてるから。その結果で、誰かが傷ついたら、あたしはその罪も受け入れるわ」

「それはまた……」

「でも!」

 毅然とした顔で言い放つ神谷に、冬戸が少し釈然とした笑みを漏らすと、まだ話が終わっていないと言うかのように、神谷が鋳装を握っていないほうの手を冬戸に差し出す。

 小さな手のひらが向けられ、その後ろには神谷の純粋な視線がある。

「それは、誰かを傷つけていいと思っているわけじゃない! 誰も傷つかないように頑張るし、もし、誰かが傷つかなきゃならないときが来たら、とても難しいと思うけど、その役割はあたしが引き受ける。そして今、そのために、あたしが棺運びを、根岸を倒さなきゃならない」

 はっきりと言い切った神谷を目にして、その確信の言葉を耳にすると、なぜか先生のことを思い出す。

 日記帳で見た覚えのない記憶の中、先生は妹を守ると言った。あのときの先生も、この表情をしているのだろう。何かがあっても、願いを手放さない。誰かを傷つけてしまうと知っても怯まず諦めず、その傷をできるだけ自分に集めようとする。

 きっと、失敗するときもあるだろう。実際、先生が冬戸と凜華を含む三十人の子供も守ろうとしたが、最後は守れなかった。

 だが、今、神谷が目の前にいる。それが、先生の願いが叶った証だ。

 自分は、たった一人の姉さんを守ろうとし、そして失敗して黒曜事件を引き起こした。そのせいで、先生が守った妹が使用者になってしまった。だが、彼女は今ここで先生と同じ目で、願いを諦めないと宣言した。

 もともとは、棺運びのすべてを聞いた神谷が躊躇したり、動揺したりと、少しでも意志につける隙を見せれば、彼女をいったん眠らせて、一人で全部を終わらせるつもりだが、これなら、一緒にやってもいいだろう。

 すでに起きてしまったことは仕方がない。でも、後始末ぐらいは、させてもらおう。

 願いを叶えさせるなんて言える立場じゃないけれど、絶対善の陰に必ず存在する必要悪になることぐらいは、できる。

 神谷は傷を全部引き受けると言うのなら、自分が、神谷の傷を全部引き受けてやろう。

「なるほど」

 苦笑交じりの言葉をこぼすと、膝に手をついて立ち上がる。

「バカだと思っていたが、大バカだな、お前は」

「なっ、ほ、本気で答えてあげたのに、何その言い草……ッ!」

「でも、それでいい。きっと、この世界を変えることができるのは、天才でも賢者でもない。お前みたいな大バカだろう」

「褒めるか貶すかはっきりしなさいよ! は、反応に困るじゃない……」

「神谷」

 鉄骨から頭を乗り出して、外でうろつく人形を視野に収めながら、少し吹っ切れた感じで名前を呼ぶ。

「お前が鋳装を一つ奪われた。おかげで、状況は最悪だ。手札を揃えた根岸が、お前のおかげで、インスラ壊滅計画を実行できた」

「……うっ」

「だが、こっちにもまだ切り札がある」

 いつからだろう、こんな自然に笑えたのは。いや、よくよく考えたら、初めでかもしれない。記憶はあまり残ってないから知らないが、不思議とそんな気がする。

「……切り札?」

「そうだ。これから、俺は一度だけ鍛造する。それで根岸を倒す。そしてお前には、道化師の傀儡をどうにかしてもらう。さっきの全方位攻撃と、この数の人形から見ると、建物の中に別の棺桶を置いているだろう。最低でも百個ぐらいあるはずだ」

「ど、どうにかするって、その、壊すだけならできると思うけど、どこにあるのか分からないよ! それに、あんたはどうするのよ。あんなにうじゃうじゃいるのよ! 傷も……」

「安心しろ。お前がぼうとしてるせいで受けてしまった傷だが、片手が使い物にならない程度だけだ。気にするな」

「気にするなって言うなら気になる言い方しない!」

「じゃ気にしろ。悔い改めろ。そしてちゃんと戦え」

「ぐ……」

「それと、道化師の傀儡の位置だが、人形がどこから出てくるのかを見れば分かる」

「それはそうだけど、もう出てるのよ」

「ああ、それか」

 不満げに頬を膨らませ、上目遣いで睨んでくる神谷に、冬戸が少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「一度消してやるから、出てくるところをちゃんと見ろよ」

「消し……は?」

「それと、全部片付けてから、俺と根岸のところに来い。俺の能力で道化師の傀儡を壊せちまったら、お前の鋳装もそのまま戻らなくなる」

「いや、ちょっと、まだ何を言っているか――」

「聞きたいことは分かる。けど、今は説明するだけの時間がない」

 抗議してくる神谷に、顎で外でうろつく人形を示して見せる。それで状況を再認識したのか、神谷は相変わらず何かを聞きたそうに不満げに口を尖らせているが、ちゃんと黙ってくれた。

「だから、お前の鋳装を取り戻す方法だけ教える。いいか――」

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