間章
使用者が化け物扱いされて、AFプログラムが絶望のプログラム呼ばわりされることは、冬戸にとっては、ごく自然で当たり前のことだ。
本棚に並んだ数十冊の日記帳。黒一色で、表紙に銀色の字でローマ字を綴った「空木冬戸という人の歴史」。そのプロローグに当たるところを読めば、誰だって冬戸の態度を納得してしまうだろう。
なぜなら、冬戸にとってのAFプログラムは、最初から絶望のプログラムだからだ。
空木冬戸は、物心ついたときから、一般社会には馴染めなかった。人間関係が苦手というより、他人に無関心といったほうが適切かもしれない。
だから、孤児だった冬戸は、世話してもらった孤児院の中でも、仲間はずれされた存在だった。院生だけじゃなく、先生からも冷たくあてられたが、それは、冬戸が先に冷たい態度を示したことからきた、当然の結果だと言える。
友達がなければ、他の人と遊ぶこともできない。
時間を潰すために、冬戸はよく自分で本を読んだり、外でぶらぶらしたりしていた。
まだ子供だから、読んでいたのは絵本か、子供向けに書き直した小説だったが、そのおかげで、冬戸の視野も知識量も、同年代の子供より遥かに上回っていた。
そして、ある日、孤児院に新しい子が入ってきた。
両親に死なれたという、冬戸よりいくつか年上の少女だった。
顔は覚えていない。日記にも大まかな特徴しか書かれていないから、今となっては思い出そうとしても思い出せない。でも、置かれた境遇からは想像できない優しい性格をしていたことが、子供頃に書いた文字でも十分に伝わる。
いつも笑顔で、思いやりのある彼女は、あっという間で孤児院の子供たちと仲良くなった。その輪の中には、当然のように、冬戸の姿がいない。
しかし、なぜかは今だに謎だが、ある時期から、唯一友達になれいなかった冬戸に、少女が毎日のように話しかけてくるようになった。
冬戸も別に人間嫌いだから友達を作らないわけじゃない。話しかけてくれば相槌は打つし、相手が話を続けようとしている限り、自ら話を切ろうともしない。
ただ、それはつまり、どんな話題を投げようと盛り上がらない。どんな気持ちを打ち明けようと共感どころか、少しのリアクションすらもらえないということだ。今まで冬戸に話しかける人がいても、最終的に一人も友達になっていなかったのはそのためだった。
でも、少女は意外と普通に冬戸を受け入れてくれた。
二人の話は、主に冬戸の読んでいた本をめぐる。読書が苦手な少女にとって、子供にしては少し小難しい小説を読んでいた冬戸は、大人びて見えたのか、いつもキラキラした目でいろいろ聞いてくる。
正直、覚えていなくとも、楽しい時間だったと、日記を読んでいるだけで思えてくる。
「ふーゆとっ! 私と小説、どっちが――」
「小説」
「ま、まだ最後まで言ってないのに! うぅ……でも、冬戸、本当に小説好きだよね。いつも読んでるし」
「別に、子供だから、難しい本が分からないだけ」
「へぇ、そうなんだ。私、どれも同じだと思うから、そんなこと考えなかったな」
「本読むの……?」
「ううん、どれも同じわかんないから、どれも始まりのとこしか読めなかった」
「……なるほど」
「でも、冬戸って小説好きじゃないの? 前にテレビで見た映画、せんせーが小説が映画化したものって言ったよ? すごく面白かったんだ」
「好き……かどうかはわからない。中の人の考えてることもよくわからないし……。だから、なんでこうしているか、なんでそうなったのかもわからない」
「? そうなんだ」
「ちなみに、あなたの考えてることもよくわからない」
「ひ、ひどい!」
と、そのような会話は終わりがないかのように、日々繰り返された。
少女が来てから三ヶ月が過ぎたごろ、少女と冬戸はすでに仲良くなっていた。
「冬戸、私いいことを思いついたよ!」
そんなある日、少女が興奮気味に冬戸に駆け寄って、得意げな顔で言ってきた。
「冬戸、私いいことを思いついたよ!」
「うん、さっき言った」
「私が、冬戸のお姉ちゃんになってあげようと思う!」
「あの、先生?
「ちょっ、え⁉ 私、変なこと言った?」
「変なことしか言ってない。というか、変なことしか言ったことない気がする」
「うぅ……本気で言ったのに……」
唇を尖らせてぶつぶつ文句を言う凜華に、その真意を聞くと。
「だって、冬戸と私は孤児院の院生じゃない?」
「うん、一応」
「皆と仲良くなったけど、やはり家族がほしいなぁ、って思って。そこで冬戸のお姉ちゃんになると決めたの。代わりに、冬戸を私の弟にしてあげてもいいよ」
「いや、別にいらないし……」
「私にはいるの!」
と、半ば強制的に家族入りされたのは、空気鍛造プログラムが発表される二ヶ月前だった。
空気鍛造プログラムの発表は、孤児院でも話題として持ち上げられていた。
と言っても、あくまで雑談の材料のようなものに過ぎない。
子どもたちにとって、テレビで見た超能力が、いきなり現実にも出てくることを、正確に認識し、理解することができなかったのだ。ぼんやりとすごいと思いはするけど、テレビで出てきたヒーローと同じ、自分たちとは無縁の存在だったのだ。
少なくとも、最初はそうだった。
AFプログラムが発表されてから、一ヶ月。スーツ姿の男三人、孤児院に訪れてきた。
中央に立つ男は、院長に名刺を渡したあと、何かの相談を始めた。
当時の冬戸はまだ子どもだ。
子どもだけど……いや、子供だからこそ、生物としての本能で、自分に危害を加えるかもしれない相手を判別することができる。
その本能は、冬戸に強く警告する。……あのスーツ姿の男達はいい人だという可能性なんて、欠片もないと。
果たして思ったとおり、政府の役員だという男たちは、次に来たとき、孤児院の一部の子どもを連れ去っていった。
目的地は、政府の秘密地下施設。
子どもの教育は早いうちにやったほうがいい、という観念を軍人の養成にも用いられてるらしい。選ばれた子ども達は、使用者で構成する特殊部隊の団員にする予定だったと、役員がそう告げた。
当然のことだ。立ち止まることは後退することだと、誰かが励ましの言葉のつもりで言ったようだが、それは軍事においても同じ。新しい技術が生まれたら、ほかの国が軍事に実用投入する前に、技術を使いこなせなかったら、あっという間にほかの国に対抗できなくなる。
空気鍛造プログラムの使用者による特殊部隊の構成は、この時代において避けようのない必然。そして、徴収された三十人の子供の中に、冬戸と凜華もいた。
最初は三ヶ月の基礎訓練だ。その頃はすでに、凜華はついてこられなくなってきている。
もともと体の弱い凜華のことだから、これぐらいは驚かない。冬戸疑問に思うのは、もっと別のことだった。――なぜ、体の弱い凜華を選んだのか。
子供でも分かるほど規模の大きい計画を実行するのだ。人選選びを適当にするはずがない。
なら、なぜ?
冬戸のその疑問は、基礎訓練が終わった後で、答えを知ることになった。
基礎訓練のあとに、皆がやらされるのは、AFプログラムのダウンロードやインストールだ。
願いがないと使用できないAFプログラム。なるほど。だからいつも希望がいっぱい持っていそうな凜華を選んだわけだ。会話をあまり交わしていなかったから、性格を分かるとは言えないが、ほかの子供たちも確かに、よく笑う子か、未来のことをよく口にする子ばかりだった。
冬戸はすぐに納得した。代わりに、新しい疑問が湧いてきた。
願望が必要なら、なぜ自分を選んだだろう。
願望なんて持ったことないし、これから持つようにも思えない自分は、AFプログラムの移植に成功するわけがない。
こうして、自分を選んだ原因を探し出そうとしても、最後の最後まで、それこそインスラに入って十七歳の少年になっても分かることができなかった。
しかし……
――あなたの願望はなんですか。
――何も願ってないし、願望も持っていない。
脳の奥……そのさらに深くに響いた優しい声に、誠実にそう答えた冬戸は、なぜか、AFプログラムのインストールに成功した。成功してしまった。
DNAに新しい指令が書き込まれ、神経系に新たな機能を追加され、人間から、
その日、冬戸は悲劇しか引き起こせない、すべてを圧倒する力を手に入れた。
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