第四章 願望の本質 1
「惨いな。調査もせずに独立官に依頼を出すだけのことがある」
インスラの外、賑やかな街の真ん中で、冬戸は数人の警察とともに、建物の間の路地にいる。
周囲はおなじみの
神谷と外に調査しに行った翌日、独立官に出した依頼を冬戸が受けて、それから事件現場に直行したのだ。
事件内容は殺人。それも、死体を持ち去り、ただ犯行現場の路地裏に、血や臓器の液体を残した、目に当てられないものだ。路地裏に残された痕跡を見ると、犯行がどれほど惨い手段によって行われたのかは窺い知れる。
「けど、こういう事件は最初から独立官に任せるほうが賢明なのも確かだ。あんたらにしては、珍しくいい判断したじゃないか」
「空木独立官、調査と関係のない言葉は慎んでいただきたい」
「褒めてるつもりだが。まあいいだろう」
背後から聞こえてくる不機嫌そうな警察の声に、冬戸は壁に残された痕を撫でながら適当に言葉を返す。
鋭い刃物がついたような傷だ。それが、深く深くコンクリートの壁に残されている。
これこそが、警察側が調査もせずに、独立官の協力を仰ぐ原因の一つだ。
先端技術を用いる兵器ならともかく、普通の殺人犯がコンクリートをここまできれいに切り刻める刃物を持つわけがない。壁に残された傷跡を分析した結果、中には確かに血液反応があるから、事件と関わるのは確定だ。
不可解な道具で行われた殺人。この事実が、警察側にこれを使用者の仕業だと判断させ、インスラんに依頼を出したわけだ。
ついでに言うと、こんなひどい殺し方ができるなんて、血も涙もない使用者しかできないだろうというのも、犯人が使用者だと判断した理由の一つだ。
死体が持ち去られただけじゃなく、現場に残った骨の破片や大量の血液を鑑定した結果、そこに頭蓋骨の破片と脳みそが含まれていることが分かったのだ。
おそらく何かに頭を叩き切られて、見事に両断されただろう。一般人にとって恐ろしい存在の使用者を疑うのも無理もない。
現場がある程度清掃されているにも関わらず、空気に染み込んだ人間の中特有の、鼻につくと吐き気がする臭いが漂っている。地面の血痕、壁の傷、そしてこの匂い、この場に残されたすべての痕跡が、ここにいる人の五感に事件の惨さを訴えている。
とはいえ、冬戸がここにいる原因は、そのどれでもない。棺運びについて調査している今、ただ使用者によるひどい殺人事件だけで依頼を受けるほど、冬戸は暇があるわけじゃない。
忙しくあっちこっちで科学的な分析をしている小型のAPOを避けながら、冬戸が周囲を見回り、あるものに気づいた。
まだ消し切れていない血痕の染まる地面に、細心の注意を払わなければ確実に見落とすであろう、赤い破片。
ヘソみたいな形をしている、赤いゴムの破片――風船の結び目だ。
「刑事さん、被害者の情報を聞いても?」
「………捜査に必要な情報ですか」
「それはもう」
「……」
小さな風船の結び目を拾い、目の前に持ち上げてしげしげと眇めながら、背後にいる刑事に言葉を投げる。すると、しばらくして、しぶしぶした声が返ってきた。
「小倉恵子、女性、二十八歳。小倉優衣、女性、六歳。親子です。昨夜、遊園地から帰宅する途中に殺害されたと推測されています。夫の小倉大助の話を聞く限り、個人の恨みはありません。ごく普通の市民です。被害者の特定は、血液によるDNA検定です」
「監視カメラは? 不審人物が映ってないか」
「このあたりの監視カメラは全部、犯行が行われる前に何者かに破壊されました。あなたがさっき見つめていた壁と同じように、鋭い刃物に切断されましてね。最後確認できた映像は、二人がまだ大通りにいる頃のものです」
「そうか」
「ちなみに、念のため二人の映った映像を全部調べましたが、あなたの姿もありました。それはどういうことか、聞いてもよろしいですか」
「なに、ちょっとした調査に付き合ってただけだ。それに、何が起こったか映像見れば分かるだろう」
皮肉の込めた言葉に肩をすくめて、冬戸は膝に手をついて立ち上がる。
監視カメラの破壊、死体を持ち去る行動、どう考えても、|関係ないわけがない≪・・・・・・・・・≫。
依頼を受けた同時に提示された情報の中、監視カメラの映像によるものがいないのと、死体がないという情報を見たから、冬戸がこの依頼を受けた。
だが、前の被害者八人と違って、今回の被害者は使用者ではなく、ごく普通の一般人だ。ほかの一般市民と違うところがあるといったら、やはり、昨日起こったあのことだろう。
顎に手を当てて頭を巡らせながら、路地から出ていく。すると、刑事の不愉快そうな声がまた投げられてくる。
「何をしているのです。現場に来たばかりなのに、もう帰るんですか」
「安心しろ。別に帰って寝るわけじゃない。お前の求める犯人や事件詳細は、近いうちにもらえるだろう」
「………どういうこと?」
「気になるか」
「………」
薄い笑いを浮かべ、振り返って問うと、眉をきつくひそめている真面目そうな刑事の顔が目に入った。
「お前の情報携帯端末を出せ。データの識別コードやるから、自分でインスラにデータの閲覧許可を申請しろ。それで分かるだろう」
言いながら自分のスマホをポケットから取り出す。相変わらず不愉快そうな顔のままだが、刑事も一応スマホを取り出したので、手っ取り早く棺運び事件について、警察機関に公開可能のデータ識別コードを送信した。
閲覧許可を申請したところで、許可が下りた頃には、すでに事件が解決したはずなのだが、それは別にどうでもいい。今刑事が黙ってくれればそれでいいのだ。
「じゃ俺は帰らせてもらうぞ。しっぽを掴んだと気づかれていないうちに早いところ事件を解決したいからな」
言い終わって、冬戸は刑事の返事を待たずに近くに停まったインスラの車に乗り込んだ。
ついでに、ポケットにしまわずにいるスマホで電話を掛ける。二、三コール鳴ると、電話の向こうからちょっと弱気で頼りない声が聞こえた。
『もしもし? って、空木さんじゃないですか。どうしたんですか』
仕事中なのだろう。話しているのとは別に、紙をめくる音やキーボードをたたく音が聞こえる。
『根岸か。頼みごとがある。神谷に俺を逮捕させたり、俺の情報を神谷に漏らしたお前だ。拒否は許さない』
『え、まだそんなこと気にしているんですか』
『あ?』
『あ、なんでもないです。でも、できることだけですよ。僕もただの警備部職員ですから』
『安心しろ。俺の部屋番号まで調べたお前にとって簡単なことだ』
向こうから伝わってきた困惑な雰囲気を無視して、続きの言葉を口にする。
『神谷の携帯番号くれ』
………
………
………
『あの、空木さん、そういうの、直接本人に聞いたほうが――』
『調査の連絡のためだ』
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