第四章 願望の本質 4
和室を出て、いつも通りにこにこでのんびりしている店主にからかわれながら会計を済ませる。その温かくて柔らかい光に満ちた日記屋から出ると、扉のすぐそばには見慣れた顔が視界に入った。
「なんでまたここまできて……」
「なんとなくだよ。友達を心配する俺の優しさを疑わないでほしいな」
千葉琉青。高校での同じクラスの生徒だ。第七区の柔らかな橙色の街灯の下、いつもオシャレなイメージの金髪も、どこか文学的な雰囲気を漂わせている。
ここ数日、琴葉が調べてくれた資料を読むために、学校に足を運んだ日以外会ったことないが、インスラでは冬戸の数少ない知り合いだ。
こいつにも連絡しておいたから、神谷と会うことを知って、それでわざわざ迎えに来たのだろう。
「で、一人のようだし、神谷とやらは置いてきたってことだろう。なに、振られちゃったりした? 情けないな~もう」
「なんだ、そのあからさまに面白がってる表情は」
「いや、面白そうだしね」
日記屋から離れながら、琉青が楽しそうに笑みを浮かべた。夜の涼風が、その長めの金髪を軽く揺らす。
「お前が面白いと思うものは、大体面白くないってことにそろそろ気づけ」
「えー、ひどいな。友達なのに」
「それと、振られていない。こっちが振ったのだ」
「……? ツンデレ?」
「琴葉に連絡したとき、ついでに神谷の昔受けた依頼のリストも作ってもらったんでね。ちょうど、神谷が棺運びの資料を読んでる間に届いた。それを確認してからやつと話せたのは助かった」
「おい、ちょっと、ツッコミなしはさすがにひどいじゃないの?」
「それで、予想通りの結果が出たんだ。インスラが設立されてから六年しか経ってないし、特殊官制度も、実績ではなく、数字上のAF能力強度によって選出せざるを得ない。だから、もっと実戦に慣れた人もいるのに、この街には五人の特殊官しかいないんだ」
「はぁ、ま、それがどうした?」
第七区の中心まで来て、区画の品ある特徴に合わせた、木製の大きな駅につくと、冬戸は一度足を止めて、嘆息とともに言葉をこぼした。
「三位以上の化け物どもはいざ知らず、四位さまは今まで、都市内の仕事や、警察が協力を仰ぐ事件しか解決してこないんだ。それが棺運びと対峙したら、今までの価値観が崩壊し、棺運びが手を下すまでもなく、自滅してしまう。そして、棺運び相手なら……能力が強いだけの四位さまの能力は、逆に事態を悪化させる」
「気遣ってるね。だから俺たちに協力してもらおうと?」
「それとこれは別件だ。ま、事情ならあとで琴葉と合流してからゆっくり話してやるよ」
からかってくる琉青に、笑ってもいないのに口の端を吊り上げてみせる。それから、駅に入っていく。
インスラでは、最も便利な乗り物は電車だ。各地域が主要な路線でつながれ、主要駅を中心に、さらに小さな路線が周辺地域に敷かれている形になっている。
最先端技術で作られた電車のスピードでなら、待ち合わせ場所の風紀委員のオフィスまで十分ぐらいしかいらない。
あまり混んでいない電車の中で、琉青の話に付き合っていると、あっという間に冬戸が指定した待ち合わせ場所の風紀委員のオフィスに到着した。
扉の前には、両手でカバンを提げている私服姿の琴葉が待っている。カーディガンにチャック柄のスカートと革のロングブーツ。相変わらず、大人っぽい雰囲気の漂う衣装だ。
「あ、冬戸くん」
こっちを視認できて、すぐはにかんだ笑顔で小さく手を振ってくる。
「すごいな、恋する最中の人って。自動的に無関係な対象を視覚情報の収集対象から外せるんだね。やー、参った参った」
「えっ、そ、それは――ち、違うよ! そういうのじゃないんだからね!」
からかうつもりで言った琉青の言葉に、琴葉は両手をぶんぶん振って誤魔化すように言い繕う。やがて、手を口元に当てて、わざとらしく目を閉じて咳払いした。
「こ、こほん。な、なに言ってるかな。千葉くん、ときどき変なこと言うのね。たはは……」
「冗談はまた別の時間にしろ。今は緊急事態だ。中に入るぞ」
そんな二人を横に、冬戸がそう言い残すと風紀委員のオフィスに入っていった。
今は夜だ。勤務時間じゃないから、生徒を中心に運営する風紀委員のオフィスには誰もいない。仮にいるとしても、琴葉の副会長権限で退避させてもらっているのだろう。これから行うことは、決して関係者以外に見られていいもんじゃないのだ。
「あ、ま、待って」
冬戸の後ろを、慌てて琴葉が追ってくる。さらに後ろに、琉青がいつもの歩幅でついてきた。
無人の受付を通り抜け、照明のついていない職員室も無視して、最奥にある扉に到着すると、琴葉に振り向ける。
「琴葉、頼む」
「も、もう、だめだよ。そんな怖い顔しちゃ」
少しだけ頬を膨らませて、不満をアピールしてきたが、それでもちゃんとカードキー代わりの風紀委員手帳で解錠してくれた。
扉がすぅーと開くと、中の照明が自動的に点灯した。壁を埋めるほど大量のモニターが並ぶ、いろんな観測機材に溢れる一室だ。
ここは風紀委員専属の情報システムだ。根岸のオフィスにあるそれの上位互換と考えていい。生徒運営の風紀委員は一応、中央部の警備部と連携を取っているが、基本は別々の機関。つまり、ここで何をやってる、警備部にはバレずに済むということだ。
「でも、なんで急にこんなところを……何かあったの?」
髪を耳にかけて、琴葉が不安そうに上目遣いで聞いてくる。
その不安げな顔に、冬戸は穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「大したことじゃない。ただ、棺運びのしっぽを捕まえただけだ」
「そうなんだ。………。――ええぇぇぇ!」
「……大げさだ。驚く暇があれば、早く機材の準備をしてくれ。今向こうはまだ気づいていないし、神谷にかけた呪文もまだ生きてるはずだ。その間で決着をつける」
「う、うんっ! よくわかんないだけどわかった!」
「どっち……?」
胸元で小さな拳を握りしめ、さながら新入社員みたいにやる気を出した琴葉に、冬戸は思わずこぼす。
だが、すぐパソコンを立ち上がったり、機材の確認に取り掛かったりする琴葉の行動は、正直すごく助かる。
「もう分かっちゃったの? さすが冬戸」
横から、千葉のからかいが聞こえた。殺人事件について話してるのだが、相変わらずの明るさとは、さすがとしか言えない。
「でも、なんで俺まで? 俺、普通の善良なインスラ市民だぞ? 琴葉みたいにはいかないと思うよ? うん」
「自分で言って自分でうなずくな。見てるだけで腹立つ。それと、お前、インスラのとは違う回線を使って、アルバムなんて買っただろう。そんなことをやったやつが善良な市民のはずがない」
「えっ、なんで知ってんの? 俺をストーキングでもしたのか」
琉青なんかに本気でドン引きされて、さすがに自尊心が傷つく。
「棺運びの調査でたまたま知っただけだ。知りたくもないがな。だが、今回は黙ってやる。お前のその回線、スマホで使えるか」
「そりゃ……ま……」
「テザリングも使えるか」
「使えるは使えるけど、俺、これバレたらヤバイよ? 何がしたいの?」
「お前のその回線を使ってもらうに決まってるだろう。お前の人生はこの一瞬のためにあるんだ。喜べ」
「いや、俺、そんな安っぽい人生送ってきた覚えがないけど⁉ おーい? 冬戸、聞いてるー?」
「琴葉」
「は、はいっ」
琉青を無視して琴葉の名前を呼ぶと、ちょうどパソコンの立ち上がりを完了した琴葉が素早い動きで顔を向けてきた。
「ネットワークはインスラのものを使うな。千葉のものを使う」
「え? で、でも、スピードが落ちちゃうよ?」
「かまわない。棺運びに気づかれるよりマシだ」
「なるほ……、――えっ?」
真っ赤な目が、まんまると見開かれた。横にいる琉青も、驚きに声も出ない様子だ。
「か、か―ー棺運びって、で、でも――えっ? インスラの回線を使うと、棺運びに気づかれるの?」
「ああ、ずっと気になったんだ。警備システムが充実しているインスラで、なぜ棺運びが姿をうまく隠しつつも犯行を繰り返せるのか」
驚きで手を止めてしまった琴葉と、その背景となり、今まさに起動したばかりのモニターを視界に収めながら、言葉を続ける。
「考えてみろ。このインスラでは、使用者が暴動する可能性も考慮して、実弾を装填したAPOが四六時中うろついているぞ。それに、監視カメラもあっちこっちにある。この街にいる誰かを探そうとしたら、顔認証システムと合わせりゃ五分で終わらせるんだ。それなのに、犯罪者一人も探し出せないとは、おかしく思わないか」
「それはその、監視カメラが故障したからじゃないかな。前に、冬戸くんのために調べたとき見ちゃったんだけど、その、何らかの手でインスラの警備システムを無力化した感じがするよ」
「そうだな。誰だってそう思う。実際、俺も最初はそう思った。だが、今朝、外で同じ棺運びがやったと思われる事件では、監視カメラはシステムを無力化されたじゃなくて、ハードウェアそのものが壊された。おそらく鋳装でだ。ここがどうしても気になる」
今朝の事件を調査しているとき、刑事からもらった情報は、監視カメラが何かで両断された。そのときに感じた違和感を覚えつつ、それを言葉にして二人に説明する。
「インスラのシステムは時代の先端を行っている。外のより手ごわいはずだが。なら、なぜやつはセキュリティが強いインスラではシステムを狙ったのに、外ではシステムではなく、ハードウェアを狙ったんだ?」
冬戸の言葉に、琉青は手を顎に当てて、考えるポーズを取った。
「そんなことが……なるほど、確かに」
横から琉青の声が上がった。ごもっともな意見だ。会話についていけず、琴葉はなんとなくわかるといった顔を作るのに頑張っているが、残念ながら、分かっていないことも、誤魔化そうと頑張っていることもバレバレだ。
一応協力してもらっている身だ。説明ぐらいしてもいいと思い、冬戸が口を開く。
「監視カメラの件で、違和感をいくつか覚えた。まずは、捜査隊が何度も派遣されたのに、棺運びが見つからないことだ。基本は外にいるじゃないかとも疑ったが、犯行を行うたびに街に入るなんて、見つかる確率を自分で上げるようなものだ。可能性として低すぎて考慮しないとしたら……棺運びが、事前に調査隊の動向を知る方法があるとしか考えられない」
それは前に神谷とも検討したが、棺運びにはその方法がないからと捨てた考えだ。だが、もし冬戸の推測が正しければ……つまり――
「中央部には棺運びの共犯者がいる。そう仮定すれば、すべてのつじつまが合う」
――棺運びを捜査する側に、棺運びのお仲間がいれば、今まで不可解な点が全部簡単に説明できるようになる。
「そして、そう仮定したら、もっと根本的で、誰もが当然だと思い込んでいる見落としに気づいた。――なぜ、誰も棺運びの姿を見たことがないのに、やつが棺桶を背負っているっていう、明白な特徴が分かるんだ?」
「言われてみれば……」
「ちょっと……おかしいよね……。なんか、嫌だな、こういうの」
ここで初めて気づいたといった感じで、琴葉も琉青も目を伏せて呟いた。
事件を追う最初の一歩、情報収集から、すでに棺運びという言葉が当然のように情報の中に混ざっていたのだ。それを最初の情報だと受け入れ、疑いもしなかったから、今まで違和感に気づけずにいた。
幸い、監視カメラの件でいろいろと情報を見つめ直し、さらに、中央部に棺運びの共犯者がいると仮説を立てたことで、ようやくその根本的な問題に目を向けることができた。
「誰かが、棺運び――棺桶を背負ってる人が犯人だという先入観を植え付けようとしているんだ。そうすれば、捜査の目が中央部から離れ、裏切者がいるなんて可能性を微塵も考えられないようになってしまう。それで、共犯者が自由に棺運びのサポートをすることができる。仮に、棺運びが見つかってやられても、共犯者がいる限り、また別の事件を起こせるだろう。賢いやつだ」
「なるほど……だから、俺のとっておきのスーパー裏道を使うってことか……」
琉青が何やら呟いているようだが、たぶん回線のことを言っているのだろう。正直、アルバムを購入するためっていうくだらないことで、インスラでは使えないはずの外のネットにつなぐ回線を手に入れた琉青には感謝している。じゃないと、今は監視されている可能性が高い自分の独立官の回線を使うしかないところだ。
「というわけで、琴葉、これから
「は、はい、その、つなげると思う……んだけど、ちょっと時間がかかるかも」
「なら、その間、少し調べ物をしてくれ」
と、テザリングを開いて、パソコンと接続することに頑張っている琴葉の傍にきて、壁を覆いつくすモニターに目を向ける。
「まずはここ数か月、独立官に出した依頼だ。それと、中央部が自分たちで解決したやつも」
「え、えっと……データベースから……あ、ここだ。えっと、何書いてるの?」
モニターに出てきた文字に埋め尽くされたデータを目に、琴葉が小首を傾げて、冬戸に聞いてきた。
「今度教えてやるから、今は読めなくていい。俺が読む」
画面を真剣な目つきで見つめたまま答える。黒い目に映ったのは、ここ数か月、中央部や独立が解決した事件の一覧だ。
中から外部での事件を除外してから、冬戸は画面にインスラ全域の地図を出して、事件をそれぞれの発生場所に表示される。中央部やインスラ十二区に対応する地図の上の区画に、小さな数値が表示された。
その数値を、中央部が解決した事件と独立官が解決した事件と二分し、さらに円グラフを作る。すると、各区画で起こった事件は、誰の手で解決されたのかが一目瞭然になる。
インスラでの警備体制は、事件の性質によって、AF能力を使用する独立官に依頼するか、集団での捜査を得意とする中央部の警備部隊に依頼するかが決まるシステムだ。だから、各区画で起こりやすい事件をもとに推論すると、事件の解決比率は予想できる。
例えば、生徒が多い区画が中央部による介入が多く、大学区画となると、独立官の解決件数が増えた。そして、AF能力まで使う喧嘩が多い区画には、当然のように独立官の解決件数が中央部のを上回る。ここまではいつも通りのことだ。だが――
「ビンゴだ」
棺運びが出現する一か月前から、未開発区画で発生した事件は、どれも独立官の介入がない。
――今このデータをチェックしている時点で、すべてがまだ未解決と書かれているのにもかかわらず、独立官の協力を求めていないのだ。
それもそうだ。――棺運びの居場所を知る手掛かりを得るチャンスを、わざわざ独立官にあげるわけがないのだ。冬戸が棺運びの共犯者なら、きっとこうするに違いない。
念のため、独立官が受けた、未開発区域での最後の事件の詳細も拾い上げて、詳細を読んでみる。すると、その独立官が、棺運び事件の最初の犠牲者となったことが分かった。
「棺運びが未開発区画にいる。おそらく建材とともに入ってきたのだろう。検証だ。この二か月、インスラに送ってきた建材の詳細データ、調べてもらえるか」
「え、えー、ちょっと無理かな。その……閲覧権限が……」
「なら、門の監視カメラ映像を見せろ」
「それならできるかも。ち、ちょっと待っててね」
琴葉が素早くキーボードに指を躍らせると、モニターに一つの映像が飛び出てきた。外の食材、建材がインスラに運んできたときのものだ。
インスラの対外ゲートは、中からの暴動や外からの侵攻を予防するために、このゲートを通るとき、車が通る道はスピードを制限するための突起が設けられている。その突起を超えるとき、トラックに載せたコンテナが微かに揺れて、中に入っているものの重さが窺い知れる。
「よし、次は前々回の映像だ」
そのあまり画質のよくない映像で、コンテナの揺れ具合を確認すると、琴葉を促し、次の画面を出してもらう。
効率を追求するハイペースに、琴葉が思わず小さく唸り声を上げたが、手を止めずに頑張って次の映像を探し出す。
ここも相変わらず、検察を通ったトラックが次々と緩いスピードで地面の突起を通過し、上に載せたコンテナがドスンと揺れる。
その中の一台だけが、突起を通過したとき、コンテナの揺れ具合がほかのコンテナより少し大きかったのを、冬戸は見逃さなかった。
「なるほど。ここで棺運びがインスラに入ってきたわけだ」
「な、なるほど……」
冬戸が確信を込めて言うと、琴葉も意味深げにうなずいた。
「お前、実は何かあったかまだ分かってないだろう? 知ってるふりをしなくてもいいぞ」
「てへへ、バレちゃった?」
図星を指されて、琴葉が少し照れくさそうに首をすくめ、はにかむように小さく笑った。
「やっぱり冬戸くんはすごいや。きっとほかの独立官も、私も考え付かないものを考え付いて、こうやってすぐ犯人を探し出すこともできちゃうもん」
「まだだろう。今は未開発区画にいるしか推定していない。だが、もうすぐだ。APOはもういいのか」
「えっ、えっと……はい、さっきつながげたとこ。どうしたらいいの?」
「未開発区画の周辺にあるAPOを遠隔操作する。未開発区画にうろついてるAPOはそのままさせて、APOのない場所に移動させてくれ」
「うん、分かった」
と、答えてから地図の上に点滅している無数の光点の一部を移動させ、未開発区画を示す地図にある光点を避けるように進ませていく。
同時に、ほかのモニターにはAPOの捉えた映像が表示される。顔認証システムで、APOのカメラに映った人は、すぐ映像をピックアップされ、ついでに登録情報も表示される仕組みだ。
今は夜、工事が行われていない。普通なら、この時間で未開発区画にいる人なんていないはずだが……
「……あ……」
こちらで操作するAPOが突入してから数分経って、一つの画面が拡大表示された。
そこには、鉄骨の陰に隠れる、痩せた体をしている人と、傍に置いている棺桶があった。
陰に隠れたその姿を認め、冬戸が思わず酷薄な笑みを唇の端に刻む。
「見つけたぞ。棺運び」
(間章入れるの忘れた! ごめんなさい! 第三章のすぐあと、第四章の前に入れました! よろしくお願いします!)
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