第四章 願望の本質 3

「……えっ……?」

 何を言われたか、一時的に理解することができず、神谷は間抜けた声を漏らすことしかできなかった。

 海色の目を瞬かせ、耳がキャッチしたメッセージを頭が理解し始めたら、ようやく顔に怒りに似た感情が出てきた。

「い、いきなり何言い出すの⁉ さっき言ったばかりでしょ、あたしが棺運びを捕まえなきゃならないって!」

「それは、事件の解決はお前の願いを叶える過程の一部だから、だろう」

「そ……そうだけど……?」

 妙に落ち着いた声で聞かれ、神谷は困惑を込めた眼差しを冬戸に送る。

「なら、なおさら辞めるべきだ。棺運びを逮捕するようなことを繰り返しても、お前の願いは叶わない。いや、それどころか、遠ざかっていくだけだ」

「は? そんなこと――」

「事実だ」

 神谷の反論を遮るように、容赦なく言い切る。説得の言葉を軽く考えると、恐ろしいと感じさせるほど純粋な黒をしている目を向ける。

「な、神谷、手口や事件の詳細から見ても、棺運びがAF能力を使っていることはほぼ確定だ。だが、AF能力を使う使用者が、使用者を殺し、挙句ただ使用者に助けられただけの一般人も殺した。それはなぜだと思う」

「なぜって――ッ、そ、それは……」

 反射的に何かを答えようとしたが、口に出せる答えを持ち合わせていないと気づき、口を開けたままに黙り込んでしまった。

 冬戸の質問について、神谷は考える必要がないと無意識にそう思い、考えないようにしてきたのだろう。だから、実際に問われても、答えがないと気づかず、いざ言おうとしたときに、ようやく今まで考えもしなかった事実に気づく。

「質問を変えようか。お前は、ほかの人、誰でもいいから、やつらが何を考えているのか、考えたことあるか」

「それは――今関係ないでしょう……」

「残念ながら、関係なら大いにあるんでね」

 言葉に詰まる神谷に、冬戸は思わず苦笑をこぼした。

「使用者へ向ける負の感情は、その副作用から生じる恐怖と、都市一つ丸ごと消した黒曜事件によるものだと、今は使用者も一般人もそう思い込んでいるらしいが、実はそうじゃない」

「なによ……それ。記憶が失う副作用がない、黒曜事件もないなら、ぐちゃぐちゃにならなかったでしょう? 五年前の第一次AF戦争も、黒曜事件がなければ」

「そうとも言える。だが、使用者へ向ける憎悪は、実はもっと早い段階ですでに現れたんだ」

 一度ティーカップを口につけて、お茶を啜ってから言葉を続ける。

「使用者は平たく言えば、願望で力を手に入れた人たちだ。もらった力は願望の内容とあんまり関係ないから、それで願いを叶えるわけじゃないが、手札が一枚増えたってのは事実。それだけで、人は他人より優位に立てるんだ。それに、ダウンロードしようとしても失敗したものにとって、願いの強さや能力が否定されたように感じるだろう。成功者にとってAFプログラムは希望のプログラムかもしれない。けど、ダウンロードに失敗したものにとって、AFプログラムは最初から絶望のプログラムだ」

 ここでいったん言葉を区切る。それから、動揺する神谷の両目を見つめる。

「神谷」

「な、なに?」

 急に名前を呼ばれて、神谷が緊張した面持ちで少し上ずった声で返す。

「質問だ。例えば、クラスの中で十人がテストで一位を取ろうとするとしよう。普通は何人が一位を取れるんだ?」

「それは……一人だけど」

「なら、新たしい職員二人求めて、面接を行う会社がある。そこに、三十人の求職者がきた。普通の場合、何人が採用してもらえるんだ」

「二人でしょう。――ってなによ、いきなり変な質問して。今は棺運びでしょう!」

「だからそれについて言っているんだ。よく考えてみろ。クラスで一位を狙っても取れない九人と、面接を受けても採用してもらえない二十八人。やつらが失敗した原因は無数にあるが、最も簡単な理由は一つだけだ。――一位を取ったものと、採用してもらった人がいたからだ」

「そ、その理屈じゃおかしいわ。自分が取れないだけでしょう。なぜ人のせいにするの⁉」

「それが事実だからだ。一生懸命頑張っても、報われなかった人がいる。理由は無数にあるが、根本的なのは、上に行く人がいることだ。こんなはっきりしたことじゃなくても、手に入れなかったものを誰かが手に入れたのを見て、人は羨望し、嫉妬するものだ。そんな敗者にとって、勝者は悪役だろうな。物語の主人公が負けたら、負かした勝者がその物語では悪役だ」

「それは――」

「分かりにくいのか。なら、お前も知っている知識の話をしよう。歴史では、あまたな戦争が行われた。神谷、戦争を起こした国の中、悪になろうとするだけのものを一つでも挙げてみろ。世界大戦、戦国時代、宗教戦争、何でもいいから、何の信念も願望もなく、戦争を起こした口を、一つでも教えてくれ」

「―――ッ! あ、そ……き、急に教えろって言われても……」

「言い訳するな。一年考えさせてやっても、お前は答えられない。ないものはないからな。これで分かったのか、願望をもって願望を潰すのが人類だ。AFプログラムはただその現象を集団から個人レベルに下げて、ついでに増幅しただけだ。今の世界は何一つ歪などない。むしろ、今のほうが正常な姿と言える」

 どことなく重く聞こえる冬戸の言葉が、二人しかいない和室で響き、空気に溶けて消えていく。

「AFプログラムの黎明期には、すでに大勢の人が使用者によって願望を叶えるチャンスを、成功を奪われた。あの頃にはすでに、使用者への憎しみがあった。あとで起こったすべての事件は、いずれくる状況に正当性を付与させ、ついでに前倒しに行っただけだ」

「で、でも、使用者は悪くないじゃない! 使用者はただ、願って、頑張ってるだけよ。それだけで悪人扱いなんておかしいわよ!」

「その考え方こそが、最も根本的な問題だ。そもそも、お前の言う願いも、家族が黒曜事件や第一次AF戦争で死んで、インスラの設立に伴って、ほんの少しとはいえ、ようやく救われたと感じられた人にとって、おぞましい悪夢に他ならない」

「なんでよ! 皆理解し合えば――」

「考えてみろ、お前は何もしてないのに、突然誰かに家族を奪われた。政府がそんな悪夢を再現しそうなものを社会から隔離してくれたから、少しは安心できたが、ある日、急にお互いのこと理解し合おう、平和に一緒に生きようと言い出すやつがいた。お前はどう思う? いい気になれないだろう? なぜなら、使用者かたきを理解することだけでも十分おぞましいからだ」

「そ――それは……」

 冬戸の言葉に、神谷は反射的に反論しようとしたが、言っていることは至って普通で、想像できるものだから、神谷の声がだんだん小さくなり、やがて黙り込んでしまった。膝に置いた手がきつくスカートの裾を握りしめ、掴まれたスカートに醜いしわが寄せる。

 そんな神谷に追い打ちをかけるように、冬戸は諭すように口を開く。

「覚えておけ。何かを成そうと頑張ってるだけで、他人を傷つけられる」

 さほど大きな声を出したわけでもないのに、冬戸の言葉は込められた意味のせいで、どこまでも重く聞こえる。

「今回の件もそうだ。これほど偏執的な犯行だ。棺運びもまた、何かを成そうと行動しているのだろう。少々行き過ぎだろうが、本質はお前の、そして俺のやってることと同じだと言える。つまり、お前が使用者と一般人の隔たりを無くそうと起こした行動が、逆に隔たりを深める原因にもなれる」

「そんなこと――」

「最後に一つだけ忠告してやろう」

 両手でちゃぶ台を叩き、反論の言葉を叩きつけようとした神谷を遮るように、冬戸はタブレットを手に立ち上がる。すでに温度の概念を失った冷たい目で神谷を見下ろす。

 冬戸とはそれなりに行動を一緒にしたのに、初めて見た冬戸のあの視線に、背筋が凍るような感じがして、思わず黙り込む。そんな神谷から目を離し、冬戸がゆっくりと出口に向かって歩き、障子に手を掛ける。

「お前のその願望。叶えようと頑張っていても構わない。けど、一つだけ覚えておけ」

 それから紡がれた冬戸の言葉が、神谷を黙らせるには十分すぎた。

 冬戸は言い残して、すぐ障子を開けて和室を出ていったが、神谷には追うほどの余裕がなかった。己が願いを心から叶えようとしているからこそ、自分の気持ちを守るために、冬戸の言葉を鼻で笑って無視することができなかったのだ。

 自分に向けて、嘆息とともにこぼされた言葉は、今もまた空気に残っていて、耳に突き刺さっている気がする。


 ――願いを叶えることの本質は、他者の願いを踏みにじることだ。それが大きければ大きいほど、美しければ美しいほど、傷つくものが増えていく。

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