第三章 取り残された者達 1

 早朝の日差しが窓から差し込んで、机の上で丁寧に開かれた日記帳の紙面を柔らかく包み込む。温かい白い紙面に、冬戸は静かに黒ボールペンを走らせる。

 神谷と一緒に棺運びの調査を進めることになってから、早くも十日ぐらいが経過した。今でも神谷と一緒に行動するのは嫌だが、一応これも空木冬戸の生活の内容だ。だから、こうして日記帳に書き留めている。

 この部屋に最初に押しかけてきた依頼、神谷は毎日部屋に来るようになった。そのせいで、今まであまり目立たないのに、今や外出するたびに同じ階の生徒たちに変な視線で見られたり、陰で噂されたりしてしまう羽目になってしまった。

 別にそんな他人の考えなんて、無視すればいいのだが、一昨日、ついに自動保安執行機オートマチック・ピース・オフィサーAPOも、部屋の前に待機し、出かけたなり身分証明を要求してきた。

 独立官手帳で身分を証明したから、APOはすぐ去ってくれたのだが、今まで掃除用ロボットと一緒に寮の中をうろつくだけのAPOが、初めて警戒の赤いライトをつけたという歴史的瞬間を目にしてしまった。それも自分が執行対象となると、あまり面白い話じゃない。

 前に一度神谷に、なぜ女子中学生が高校の男子寮に入ってきたのに、職員かAPOに止められなかったかと聞いたら、特殊官の権限でどうにかしたと返されたのだから、ちゃんとAPOに記憶させて、こっちを疑わないでほしいものだ。

 ところが、実にいろいろあった十日間にも関わらず、肝心の調査は一向に進めていない。

 根岸からインスラが掴んでいた情報をもらって、琴葉から生徒たちの噂も大方まとめたのだが、それらすべてを総合的に分析しても、決定的なものにはなれなかった。何か、肝心なものが足りない気がする。

 殺人事件だから、中央部もちゃんと棺運びが身を隠すところに調査隊を派遣したことがある。しかし、何の成果もあげられなかった。

 それに、監視カメラの映像にも何も映っていない。事件が起こったとき、現場の監視カメラは必ず故障してしまうのだ。棺運びの正体や隠れ場所を探そうとしても、手掛かりが少なさすぎる。

 だから、昨日、こんな進展なしの状況が早くも飽きてきた神谷が、こういうときは大胆に仮説を立てていくものだと宣言し、憶測大会を冬戸のリビングで開くことになった。

「調査隊が捜査に行ったとき、見つからないように隠れたと思う」

「可能性としては否定できない。けど、捜査隊に気づいてから隠れるのは間に合わないはずだ。となると、事前に捜査隊が派遣されたって知らなきゃいけないのだが、そんなこと、棺運びにできるとは思えない」

「う……っ。じ、じゃあ、探知関連のAF能力を持ってるとか、気配を消すAF能力が使えるというのは?」

「これも可能性の話なら否定はできないが、そもそも捜査隊もそれを想定して、AF能力の反応を探知する機械ぐらい持ってるだろう。能力発動すればそこで見つかるはずだ」

「それもそうね。うん……じゃあ、えっと……うーん……」

「考えられるのは、そもそも棺運びはこのインスラにはいないか、犯行を起こすときにしかインスラに入ってこないかだな」

「棺運びは外の人間だというの?」

「あくまで仮説だ。」

「……外。確かに、捜査隊は今までインスラの中しか調べていないね。インスラはそう簡単に出入りできるところじゃないと思うけど……外か。……なるほど」

 と、こんな会話を何度もされてきた。

 ここ数日のことを思い出しつつ、冬戸がそれを紙面に書き留める。黒ボールペンが紙面に丁寧に文字を流れるように刻んでいく。

 覚える価値のあるものしか書かないと意識していたのに、それでもだいぶページを使ってしまった。十日間だけで、これだけのページ数を神谷とのことに当てたのは、なんだか無性に眉を顰めたくなる。

「そろそろ新しいの買うか」

 小さく呟くと、冬戸は日記帳を閉じ、制服の内ポケットにしまう。

 冬戸には、数日に一度日記を書く習慣がある。それもずいぶん前から続いて、今は黒一色の日記が本棚に並んでいるほどだ。

 とはいえ、使用者にとっては別に特別なことじゃない。記憶を失うリスクを持つ使用者は皆、何かしらの方法で、自分の記憶をちゃんと記録する習慣があるのだ。その一つは日記。

 使用者にとって、日記は自分を認識するのに必要なもので、「私の知らない私」を語れる大事なものなのだ。

 インスラでの知り合いは片手で数える冬戸だが、前に一度琴葉の日記を見たことがある。それは写真付き挿絵付きのもので、寄せ書きページまである。もう百科事典か辞書のレベルに達している、凡人の冬戸にはよく理解できないものになっていた。

 それほど、使用者は失うかもしれない記憶を大事に思っているのだ。失うものほど価値があるというのはまさにこのことについて語るのだと思う。

(そういや、神谷は日記書くか)

 日記を書き終えた冬戸はぼんやりと考えながら、登校の準備を済ませ、部屋から出て学校に向かうことにした。

 別に急に自分は生徒であると自覚したわけじゃない。ただ、寮にいると確実に神谷がやってくるので、逃げるために学校に行くことにしただけだ。

 逃げた先にもそれはそれで気が休めるわけじゃないが。

「あれ? 冬戸くん、今日は学校?」

 あえて登校時間をずらしたのに、なぜか男子寮へ続く道と女子寮へ続く道の分岐点で、琴葉と鉢合わせてしまった。

「珍しいね。ちゃんと学校に行くの、いいことだと思うよ」

 さっきまでは普通の顔をしていたのに、冬戸を見ると顔を明るくさせて、はにかんだ笑顔を向けてきた。

「いろいろ事情があるんだ」

「へへ、冬戸くんらしい返事」

「別におかしくないだろう。ていうかお前、なんでこんな時間まだここにいるんだ? 普通なら学校にいるはずだが」

「………!」

 聞いてみると、琴葉はなぜか目を大きく見開き、足を止めてしまった。

「? 琴葉? おい、聞こえてるか?」

「……私の登校時間覚えてくれてるんだ……なんか嬉しい」

「は? 聞こえないんだが。おい、琴葉?」

 一人で幸せそうな表情になっている琴葉に振り向いて、目の前で手を上下に振ると、はっと気を取り戻した。

「な、なんでもないよっ! あはは~、ははは……」

 誤魔化すように乾いた笑い声をあげながら、慌てた様子で胸元で両手を振ってくる。

「それより――そ、そう! 時間だね、うん、登校時間。今日はその、ちょっと起きるの遅かったんだ。昨日、風紀委員会に申請が来て、中央部に回さなきゃいけないものだから、遅くまで審査してた。そのせいでちょっと寝不足で……てへへ」

 まだ疲れが残っている感じで微笑んで、頬についた髪を耳にかけながら言葉を続ける。

「でも、おかげでこうして冬戸くんと一緒に学校に行けるんだ。頑張った甲斐があったなぁ、って思ったり、するかも」

「別にお前が仕事を頑張るの、俺と関係ないだろう」

「それはそうだけど、ほら、いつもの時間に起きちゃったら、冬戸くんとは会えなかったし。最近、物騒な事件調べてるでしょう。私、ちょっと心配してるんだ。だから、こうして顔を見ると、なんだか安心する」

「大げさだ。風紀委員もたまたま似たような仕事するだろう。お互いさまってもんだ」

「そうだね。今回も中央部の調査に協力してる」

「だろう。だから別に心配する必要はない」

「だから分かるんだ。今回の仕事は危険だって」

 肩を並べて隣を歩く琴葉は、上目遣いで顔を覗き込んできた。

「冬戸くん以外、一人しかこの仕事受けてないよ。それもすごく強い子」

 その人のことは知ってる。中学生のくせに、やけに強気で、AF能力がバカみたいに強い人だ。

 と、心の中で密かに思うが、口には出せなかった。

 確かに、特殊官の四位しか受けない依頼なんて、傍から見たらとんでもなく危険に見えるだろう。事実もそうだけど。

「大丈夫だ。俺は――」


「――いた! ちょっとあんた、何勝手に学校に行こうとしてんの!」


 琴葉を安心させようと口を開くと、冬戸の言葉を遮るように、少し離れたところから今最も聞きたくない声が上げられてきた。

 声のする方向に目を向けると、口をへの字に結んだ神谷は、いかにも怒っているオーラを出しながら近寄ってきた。

 冬戸の前に足を踏みしめると、海色の目で睨んできた。

「もう一度さっき言った言葉を繰り返してみろ。とんでもないことを口走ったって気づくはずだ」

「だってそうでしょう。仕事が終わったわけじゃないのに、独立官のあんたが普通に学校に行こうとしてるのよ! 変じゃない?」

「知ってるか。生徒が学校に行かないほうがおかしいんだ。俺が言うのもなんだが、お前、中学の授業はどうしてるんだ?」

「AF能力に応用できそうな知識ならちゃんと覚えてるわよ。あと、話を逸らさない!」

「ほかの教科もちゃんと勉強しろ。無駄だろうが多少は脳みその鍛錬になる」

「あ、あたしのことをバカだというの⁉」

「これぐらいまだギリギリ分かるか」

「やっぱりバカにしてるのね」

 威嚇するヤマネコみたいに犬歯をむき出す様子は、今でも襲い掛かりそうだ。幸い、今は登校する生徒が多くいて、冤罪で捕まる心配はない。

「え……え? か、神谷さん? 冬戸くんと……し、知り合い……なの?」

 と、考えていると、隣から琴葉が信じられないといった様子で、冬戸と神谷の顔を交互に見ている。

「うん? 副会長? あ、審査ありがとう」

 琴葉の顔を確認すると、神谷も少し驚いた様子で目を瞬かせる。ふと、何かを思い出したかのようにぺこっと頭を下げた。

 この二人はもとから知り合いのようだ。風紀委員の仕事は中央部と関わることが多く、神谷もまた中央部から依頼を受けているから、想像できなくもない。

「ううん、どういたしまして。それで……その、どうして冬戸くんと?」

「これ? 根岸……警備部の人言われて、こいつと一緒に捜査することになったの。……あ」

 言い終わって、自分がここにくる目的を思い出したのか、はっと我に返り、再度冬戸に向き直る。勝気な目から目を逸らすと、への字に結んだ唇が視界に入る。

「忘れるところだった。あたし、こいつを捕まえにきた」

「なぜ……?」

「仕事よ!」

 問うと即答で返された。

 それから、詳しい説明もなしに手を伸ばし、制服のネクタイを掴んでくる。

「か、神谷さん⁉」

 いきなりの動きに琴葉がびっくりした声を発すると、神谷はお構いなしに背伸びし、冬戸のネクタイを自分のほうにぐいっと引っ張る。幼さの残った顔が、一瞬至近距離まで迫ってくる。

 自分の身長を一時的に伸ばすだけじゃなく、こっちの身長まで下げてくる。身長差の詰め方がうまくなっている。この至近距離で、ほんわかとなんかの花の香が鼻腔をくすぐる。

「いきなりなんだ……?」

「いいからついてきなさい!」

 言い放つとネクタイを引っ張り、このまま琴葉の傍から強引に引き離す。

「え、えぇ! か、神谷さん? その、冬戸くんはこれから学校なんだから……その、仕事はあとで……」

「ダメよ。もらった権限は今日一日のものなんだから。副会長も審査してくれたんだから、分かってるでしょう」

「それは……そうなんだけど……」

 頬をポリポリ掻きながら、困ったような顔で視線をさまよわせる。それでも神谷を説得しようと頭を巡らせる。が、最後はやはり何も言えず、どこか寂しそうな顔で二人を見送ることしかできなかった。

「あのな、別に一日ぐらいいいだろう」

「そうね。でも、もらった権限は今日だけのものだから」

「そういやさっき琴葉にも言ったな。何の権限だ?」

「外に行く権限よ」

 寂しい笑顔で胸元で手を小さく振ってくる琴葉に軽くうなずいてから振り返り、神谷に質問を投げると、妙な返事が返ってきた。

 外に……行く?

「は?」

 予想外の言葉に、思わず目を見開く。

 独立都市インスラにおいて、外という単語はインスラの外のことを指す。

 そういえば、さっき琴葉が申請の審査で遅くまで仕事していたと言った。神谷も、琴葉に審査ありがとうみたいなことを言った気がする。その申請とやらは、独立都市の外に出るためのものらしい。

 冬戸に逃げ気がないと判断したのか、ようやく手をネクタイから離してくれた神谷をまじまじ見てみると、彼女はいつものセーラー服ではなく、私服を着ていることに気づく。

 ふわふわとした、白を基調としたワンピースだ。上質な布で作られた服に、簡素なデザインが水色で施され、軽やかな色味でナチュラルな雰囲気を漂わせる。ワンピースの下にすらりと伸びる足に沿って、足に目を向けると、形のいい足を包む白のサンダルが目に入る。

 神谷を知らない人から見れば、森の妖精さんに見えるだろう。中身は森の妖精というか、森で育った女戦士なんだが。

 ともあれ、どうやら神谷は本気で言っているらしい。

 インスラの住民が外に行くとき、私服を着るという暗黙のルールがある。それは年末に特例として里帰りを許されたときも同じだ。いつも制服ばかり着ている神谷が、急に私服姿で自分を捕まえにきたのだから、間違いないだろう。

「なぜ急に外なんかに出たくなったんだ? お前仕事がしたいだろう。それと、こっちは男子寮の方向だぞ」

「あんたのせいでしょう。よりにもよって制服着て、普段は私服なのに。何? 嫌がらせ?」

「今日外に行くなんて、教えてもらってもいないのに、分かるはずがない。教えてくれなかったお前が悪い」

「あ、あたしのせいにするの?」

「実際、お前のせいだ。ていうか、いい加減外に行く理由を教えろ」

 振り向いて抗議した神谷に問いを投げると、神谷がきれいな海色の目を瞬かせ、小首を傾げてきた。

 小さな口を少し開けて、バカを見るような呆れたような視線を送ってくる。

「バカなの……?」

「お前にだけは言われたくない」

「だって、自分で言ったことでしょう」

 自分で言ったこと……?

 神谷の言葉に引っ掛かり、眉を寄せると、神谷は大きくため息をついて、やれやれといった感じで肩をすくめて見せた。

「棺運びは外の人間かもしれないって言ったのはあんたでしょう。だから、外で調査しに行く権限をもらってあげたわ。感謝したら?」

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