第二章 共通戦線 3
心配な気持ちでいっぱいいっぱいな三十分があっという間にすぎた。
これから何を食わされるかと考えると思考放棄もしたくなる。神谷の言う準備とやらもろくに進めずにいると、ふと、台所から料理の音が途絶えた。そこから神谷が丼二つを手に、何やら得意げな顔でこっちに歩いてきた。
「はい、親子丼。お腹満たしたげるんだから、お腹を叩いたことは忘れなさい」
何やら屁理屈を平然と言ってのけ、ドンと丼をテーブルに置く。
見た目は……普通な親子丼だ。いや、普通どころか、見るからに美味しい。
「これ……お前が作ったのか?」
「ほかに誰がいるというの……?」
親子丼を指さして、信じられないという顔で聞くと、神谷は両手を腰に当てて、呆れたようにジトっと睨んできた。
「そ、そうか」
食欲をそそるいい匂いに負けて、それでも警戒するように親子丼を一口食べる。
もぐもぐ、もぐもぐ……
「………」
「な、なに黙ってるのよ」
ソファにその小さな尻を沈め、口をもぐもぐさせる冬戸に海色の目を向ける。
「いや、その……なんというか、すごくうまい」
「――っ! ま、まあね。あんたにしてはずいぶんと素直じゃない」
「いや、でもおかしいだろう。なんでお前が料理できるんだ? そんなイメージじゃないんだけど」
「褒めてあげたのに、何そのムカつく言い方……」
珍しく嬉しそうに笑ったと思うと、また冬戸の言葉で声のトンを落とした。
「言っとくけど、あたし、昔お兄さんと一緒に暮らしてた頃は家のことを全部任されてたわ。料理も家事もできて当然なものよ」
素っ気なくそう言ってから、神谷は小さな手と比べればずいぶんと大きく見える丼を手にして、フーフーしてからぱくっと頬張る。
「それより、これでチャラよ、チャラ。これからは仲間意識を持って行動すること。いいね」
「なるほど。じゃあまず、それを食ってから帰るんだな。棺運びを捕まえる前に、お互い別々に行動することで連携を取る。ちなみに、お互いの行動に影響を及ぼしかねないから、連絡も取らなくていい」
「それって全っ然協力してないじゃない⁉ あんた、いったいどれだけあたしと組むの嫌なわけ? こう見えても、一応インスラでは四番目強い独立官よ」
呆れた声をこぼしたが、やがて諦めたのか、神谷はごくんと飲み込むと、箸でびしっと冬戸の顔を指す。
「でも、あんたの考えはどうでもいい。もう決まったことだからね。だから、まずはお互いの能力やできることを教え合う。情報共有よ」
「また勝手に決めて……言っとくけど、俺子守りは嫌だぞ」
「いいから、早くあんたのAF能力を教えなさい! あと鋳装も」
「AF能力か……」
丼をいったんテーブルに置き、冬戸は顎に手を当てて少し考える。
そう聞いてくるということは、神谷が根岸からもらった、自分の個人情報にはAF能力については触れていないだろう。じゃないと、わざわざ聞く必要もない。部屋番号だって聞いてないのに急に押しかけてきたのだ。
どうやら神谷も根岸も、閲覧権限を持っていないから、そのあたりはこうして直接聞くしかないようだ。
「それについては教えてやれないな」
「な、なんでよ」
「お前も俺の個人情報もらってるから知ってるじゃないのか。閲覧制限がある情報は、当人でも軽く口にしちゃいけないものだ」
「それは……そうかもだけど……」
冬戸に正論をぶつけられ、神谷は目を落とし、ぶつぶつとどこか不満そうに呟くが、反論ができなかった。
それもそうだろう。神谷は自分で、自分の都合とか気持ちとかは任務と分けて考えると言った。それはつまり、いつももっと効率的なやり方、もっと正しいやり方を求めているということだ。そんな彼女に正論をぶつけたら反論などできるはずがない。
とはいえ、丼を持つ手を力なく膝の上に置き、しゅんと小さくなった神谷は、いつもの強気な性格とのギャップで、弱々しく見えてしまう。
まるで自分がいじめているみたいで、少し罪悪感さえ覚えてしまう。
「ま、その、なんだ。別に俺はAF能力使うつもりはない。鋳装も、何があっても鍛造しない。知ってもどうしようもないから知らなくてもいいじゃないのか」
「……でも、昨日AF能力使ってた」
「? いや、使った覚えはないが」
「うそよ。どんな能力は分からないけど、あんた、あたしの攻撃を全部躱したじゃない! それにカウンターも打ってきた。そんなの、AF能力しかできないわ」
「うそはつかない主義だ。昨日のあれはただの護身術で、ちゃんと練習すればだれでもできる技術だ」
「あたし、風で移動してたのよ。AF能力なしで全部捌くなんて、普通じゃありえないわ」
「普通ならな。ま……別に言ってもいいから、一つ教えてやる」
一拍おいて、冬戸は言っても大丈夫、かつ神谷が納得しそうな情報を口にした。
「俺は使用者だけど、鋳造を鍛造しないと、能力は使えないんだ」
「え」
一時的に冬戸の言ってることの意味を理解できず、きれいな海色の目を瞬かせる。
AFプログラムは空気鍛造プログラム。空気を自分の鋳装に鍛造することで、AF能力の真の力を引き出すものだ。
しかし、それは別に鋳装を鍛造しないと能力を使えないわけじゃない。神谷のように、威力や速度こそ鋳装による攻撃を劣るものの、ただ手の神経末端に電気信号を送るだけで、能力によって現象を引き起こせる。
それを、冬戸は鋳装を鍛造しないと使えないと言っているんだから、戸惑っても当然だろう。
「ま、そんな反応だろうな。だが事実だ。じゃないと、昨日はただ一方的にやられるわけないだろう」
「そ、そうね……でも、なんで?」
「理由までは分からないが、とにかくそういうことだ。俺と組むといっても、お前と戦うとき以上の実力は出せない。これでもいいなら、組んでやってもいいが」
これで引き下がってくれるだろう。なにせ、AF能力を使えない使用者(デコーダ)なのだ。インスラのエリートである特殊官四位様の目にかなうはずがない。
そう思って、あえて一歩譲るような言い方で、神谷に引き下がりやすくしてあげるつもりだったが……
「そうね。確かにAF能力を使えないと厄介だわ」
「そうだろう」
「でも、あたしがカバーしてあげれば大丈夫よ。大船に乗ったつもりで任せなさい」
「は?」
なぜか、満面の笑顔で自己主張の弱い胸を叩いて、すんなりとAF能力を使えないという事実を受け入れた。
「いや、なぜだ。普通断ったところだろう」
「普通ならね」
にこっとあえて明るく笑って見せ、冬戸がついさっき言った言葉をマネして返す。
「あんたはAF能力を使わなくてもあたしと互角に渡り合えた。それでいいじゃない?」
「俺はよくないが……」
「もう勘弁しなさいよ。諦めの悪い」
ここまできても諦めずにいる冬戸にさすがに呆れたのか、神谷は口をへの字に結んで、ちょっとした不思議な生き物を見るような顔になった。
「ま、いいわ。組んでもいいって言ったから、これぐらい許してあげる」
「ずいぶんと上から目線だな」
「そう? とにかくよろしくね。あたしは神谷杏奈、風の使用者。コードネーム『双牙の狂嵐』。これから、あんたと一緒に棺運びを追う独立官よ」
言質を取ったことで勝ったと思ったのだろう、今まで見た中では一番ご機嫌な笑顔で、神谷が手を伸ばしてきた。
小さくてふっくらとした女子中学生の手だ。風の暴威を振るうものだと、実際に見たことがなければ言われても信じないだろう。
それを目の前にして、冬戸は思わず黙り込んだ。
ただでさえ若いのにもかかわらず、そのわずかの記憶や思い出をAF能力に使っているのに、神谷の視線も言葉も、どこまでも真っ直ぐで、ありのままの自分を隠しもしない。
きっと、彼女は今までいろんな困難を乗り越えてきただろう。真っ直ぐで、ありのままの自分に向き合っている。どんなことがあっても信念を曲げない、誠実でやる気に満ちている。あのきれいな海色の目は、そんな輝きを湛えている。
だからこそ、冬戸には、それがとてつもなく恐ろしく見えるのだろう。
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