第二章 共通戦線 2

 翌日、いつも通りラジオを聞いていると、不意にスマホが震えた。手に取って画面を見ると、琴葉きたメールが目に入る。

 シンプルで控えめな、しかしかわいさを失わない顔文字や、丁寧な言葉遣いは、琴葉の性格を如実に表れる。その内容といえば、冬戸に学校に行こうと誘う文章だ。

「………」

 メールを読み終わると、冬戸は黙々といつもの返信を打つ。それから、私服のままソファに腰を掛けて、スマホの画面を昨日根岸からもらった資料に切り替える。

 根岸の言った通り、監視カメラのシステム異常について詳しく書かれている。棺運びの活動範囲から推測して、身を隠す可能性のある場所も地図に記している。

 とはいえ、そのいずれも一度は捜査された。捜査を行うのは警備部の人か風紀委員かは知らないが、居場所かもしれないところにはすぐ人員を派遣するものだ。人の命がかかわる大事件ならなおさらのこと。

 それが今も棺運びのしっぽを掴めないということは、そのいずれの捜査も成果をあげられなかったということ。地図に記された推測のポイントは、何の役にも立てないとも言える。


 ――ピンポーン!


 と、そこで、不意に玄関のところから軽やかな音が響いた。

 この家のドアチャイムが鳴らされるのは、今まで琴葉か千葉がきたとき以外に、今まで一度もなかった。それが、いつもちゃんと登校している二人が教室にいるはずの頃に鳴ったということは、ありえない。部屋を間違えたに違いない。

「……」

 そう自分に言い聞かせると、冬戸は黙って資料を読む作業に戻ろうとし……


 ――ピンポーン! ピンポーン! ピピピンピンポーン!


 執拗に鳴らされ続けたドアチャイムが狂ったように、断末魔に似た音を連続に響かせた。

 さすがに無視できないので、重い足取りで玄関に向かう。

「人違いです。部屋番号ぐらいちゃんと確認してください」

「人違いじゃない。根岸からもらった資料は確かにここだと書いてた。それに、あんたの声は覚えてる」

 鈴を転がすようなきれいな声と、その声を台無しにするほどの不機嫌そうな喋り方……聞き覚えがある。どうやら、昨日のあれは悪夢じゃないらしい。

 朝起きてからずっと現実逃避してきたが、現実とは、いずれ突き付けられるものだと、ここにきて理解できた気がする。

「………。人違いです。部屋番号ぐらいちゃんと確認してください」

「開けないと、ドアを吹っ飛ばす」

 ドア一枚隔てても、向こうで口をへの字に結んで、不機嫌そうに腕を組む少女の姿が目に浮かぶ。容赦なく言い放たれた言葉に、仕方なくドアノブを回してドアを開ける。

 すると、口をへの字に結んで腕を組む少女が目に入ってきた。セーラー服に身を包んで、いかにも不機嫌そうにこっちを睨んでくる。

 一応、中学部もこの時間は授業のはずだが、独立官には学校に行かなくてもいい権限がある。驚くことではない。理解できないのは、なんで学校に行ってないのに、中学部の制服を着ているところだが、別に理解する必要もないから、この考えをいったん頭から追い出す。

「あの、誰?」

「は? 何とぼけてるのよ! 神谷杏奈、昨日あんたのせいでひどい目を遭わされた独立官!」

「……? 神谷……さん?」

 あえて戸惑った顔を作り、顎に手を当て考え素振りを見せる。

「すいません。その、心当たりがないんだ。俺、昨日一日家にいるし、誰かがきたわけでもないし……、その、同じ名前の誰かを探してるじゃないか?」

「え? あ……は? えっ? ……そんなはず……」

 真摯な声でそう言ってみると、案外騙されやすいのか、神谷は犬歯をむき出すように口を開き、何か言おうと口をパクパク動かしたかと思えば、すぐ視線を斜め下に逸らした。

 難しい顔で少し考えると、両手で持っている資料を紙が破れそうな視線でのぞき込む。それから、また冬戸に困惑の目を向ける。

「あ、あの……本当にその、人違いなの?」

「少なくともあなたとは初対面だよ。それはそれとして、あの制服、中学部の生徒だよね。今は授業の時間のはずだけど。あと、ここは男子寮なんだから、女子がほいほい入っていいとこじゃないよ」

「え? そ、その、あ……あたし、独立官なんだから」

「へぇ、独立官。その歳で偉いね。じゃあ頑張ってね。次はちゃんと部屋番号を確認してよ」

「あ、う、うん。分かった」

 こくりとうなずくのを確認して、そっとドアを閉じる。

 と、ドアを閉じたとき、廊下から神谷が何かを操作したと思うと、玄関を離れようとした際、誰かと喋っている声が聞こえてきた。

「もしもし? 根岸? 情報が間違ってるのよ! なんかすごく似てるけど、苗字の同じ人の部屋に来ちゃった。……、………。え? インスラでは空木冬戸は一人しかいない? ……うん、……、うん。……………分かった」


 ――ピピピピピピピピピピピピンポ――ピピピンポーン!


 再度ドアチャイムが鳴らされた。今度ははなっからドアチャイムを壊しにきた勢いで。

「お前、いちいち律義に確認することじゃないだろう。おとなしく引き返すことぐらいできないのか? それが今どきの中学生?」

「やっぱりあんたじゃない! な、なに騙してんの! 性格悪! 最悪!」

 ドアを再び開けると、体の両側で両手をピンと伸ばし、上体を少し前へ倒し睨んできた神谷の顔は、恥をさらしたからか、真っ赤になっている。

「最悪なら来るな。別に頼んでない」

「それとこれは別よ」

「どれとどれだ……? お前の脳みそと体か?」

「ちがっ――ね、なんであんた喋るだけでそんなムカつくの? そういう天才?」

「褒めても飴はあげないよ」

「褒めてないし飴なんかいらないし!」

 威嚇するかのように背伸びして睨んできてはいるが、つま先立ちになっても身長差は埋められない。相変わらず見上げる形になった神谷は、やはりご機嫌斜めのヤマネコに見える。心なしか、栗色のセミロングが少し膨らんだように見えて、毛を逆立たせるネコを思わせる。

「と、とにかくだ。あたし、自分の都合とか気持ちとかは任務と分けて考える。あんたはムカつくけど、棺運びを追ってるなら、二人でやるほうが効率がいいわ。だから、こうして来てあげたわけ」

「別にいらんが」

「うっさい。あんたの意見なんて聞いてない! ほら、そこ退いて。中に入るから」

 そう言いながら、小さな手をしっしっと振ってきた。

「はぁ……」

 これ以上話しても諦めてくれないと悟って、仕方なく通してあげた。

 こういう感情ではなく目的で行動を決めるものは、目的そのものを変えさせない限り、行動は変えられないのだ。そして残念ながら、神谷の持つ情報で考えたら、冬戸と二人で調査を進めるという選択は極めて合理的で、理詰めの説得は不可能と言える。

「けど、お前よくもこんな図々しくこれたものだ。普通、冤罪で捕まった相手にこんな仕打ちはないと思うが」

「あたしだってそんなことしたくないわよ。でも、仕方ないでしょう。今回の事件は殺人事件。それも八人の使用者が殺されたんだよ。あんたとあたし以外に依頼を受けた人なんて一人もいないわ。昨日根岸に調べてもらったんだから間違いない。それともなに? 自分の都合でまた人が死んでもいいって言いたいわけ?」

 靴を脱ぐために、細くて白い足を上げた神谷に文句を言ってみると、そのあたりもちゃんと考えたようで、尖った声で返された。

「ん」

 ふと、諦めてため息をつきかけた冬戸に、いつの間にか靴をちゃんと並べた神谷は、大きな買い物袋を差し出した。

「なんだ、これ」

「これからの仕事で、ずっと同じことを言われるのも嫌だし、その……お詫びみたいな感じだけど、昼食を持ってきてあげたの」

 そういえば、朝は資料を読んだり自分なりに分析したりして、もうそろそろお昼の時間だな。

 神谷の言葉でそれを思い出して、買い物袋の中を覗き込む。そこには二人分の食材が入っていて、ネギがちぃーすと言っているかのように、上半分を覗かせる。……食品ではなく、食材だ。料理する必要があるやつ。

「お、お前さ……」

「な、なによ。そんなに驚くことないでしょう。ま、感謝の気持ちを抱くのはいいことね」

「俺、料理得意じゃないんだけど」

「お詫びで人に料理させるほど、あたしはあんたみたにひどい人じゃないわよ」

 赤面で視線を逸らした神谷に確認を込めて聞くと、違う意味で顔を赤らめた。

「つまりこのまま食えと……?」

「あんた、バカじゃないの? 鶏肉は生で食べられるわけないでしょう。それとも、生で食べてて頭壊したからそんなこと言っちゃうの?」

「いや、俺に料理させるつもりないだろう? でもここ、俺とお前しかいないだろう? つまり料理する人がないけど、それは食べる。つまり生で食べるってことじゃ――」

「あたし! が! 作る! の!」

「………」

「な、なんで急に黙るのよ」

「俺、台所あまり使わないけど、そこが実験室みたいになっていいと思ってるわけじゃないぞ」

「?」

 何を言っているのか分からないといった感じで小首を傾げてきた。が、あんなにAF能力を振るった神谷が料理できるなんて、とても考えられない。

 そんな神谷から、冬戸は黙って買い物袋を奪い、そのまま台所に向かう。

「ちょ――なにすんのよ! 料理できないじゃなかったの⁉ ね、あれ、あたしの分も入ってるけど!」

「卵と鶏肉と……お米とネギか。ま、適当に水煮にすればなんとかなるだろう」

「台無しになるじゃない! もういいからそこで待ってて。あとで食べながらお互いの能力や今後の方針について話し合うんだから、その準備でもしといて」

 冬戸から買い物袋を奪い返すと、大股で部屋の奥に入っていった。

 そのあと、恥ずかしい顔で小声で台所の場所を聞いてきたのだが、そのあたりは気にしないことにする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る