第一章 風の少女 5

「な――おまっ」

 半透明な白銀のキューブ――正式名称AFソースコード。

 空気鍛造プログラムの真の能力を使うときに発生するものだ。

 一個一個はルービックキューブのパーツよりも小さいが、空間を塗りつぶすほどの数で、少女の手の周りでざわめき、あたりを白銀に染め上げる。

 幻想的で、現実離れで、無機質な光景だ。

 その中心にある少女の手に、まるで白銀のキューブが組み立てたかのように、「何か」の骨組みが構成されていく。

 空気鍛造プログラム――名称通り、空気を鍛造するプログラム。

 薬を注射してから脳に電波を発することダウンロードすると、遺伝子に新たな指令が書き込まれ、人間に新しい能力を与える。

 それは単に特殊能力を使えるようになるだけではない。インストールに成功したAFプログラムは、情報伝達の役割を果たしている神経を通じて、特殊の電波を神経が密集する手に伝わり、さらにその外にある空気の原子に働きかけることも可能にする。

 特殊の電気信号を受け、仕組みを変えられた原子は物理学ではありえないの変化を起こされ――最終的には、物質としての概念まで書き換えられる。そこで生まれたのは、空気鍛造を行使した使用者の能力の概念を物質にして形作った武器。

 いわゆる概念物質で構成した、使用者の専属武装――鋳装だ。

 形は人さまざまで、自分で選べるわけでもなく、それに一人には一つの鋳装しか持たないという、いろんな制限がある。しかし、人間に武器を持たせると、戦闘能力が高まるのと同じように、鋳装を鍛造した使用者の戦闘能力は通常より格段に高まる。

 なにせ、使用者の能力そのものを物質化した武装だ。その武器が、使用者の能力の具現ともいえる。

 そして、少女の手の周りでざわめくAFソースコードの中で出現したのは、一丁の拳銃。

 バレルが通常の拳銃より長い、小さな少女の手とは不釣り合いな大型拳銃。概念物質で構成される拳銃は、鋳装特有の白銀色をして、それでいてどこかはかない雰囲気を漂わせる。

 その言いようのない見た目は、あえて喩えれば、遥かな未来、今では想像さえ許されない技術で作り出された、概念と物質の間に位置する特異金属というところだろう。

 ただ、普通の使用者なら、鋳装を鍛造した直後、副作用で動きは鈍くなるはずなのに……

「これで、動けなくても――」

 少女は驚くほどあっさりと、まるで何も起こっていない様子で、両手を掴まれたまま、拳銃の引き金を引いた。冬戸の足元に暴風と瓦礫、衝撃波が轟音を立てて爆発した。

「……普通に話し合っても通じないって薄々分かってたが」

 全然、躊躇わなかった。それどころか、完璧に鋳装を使いこなしている。

「お前、この程度で鍛造するか。バカにもほどがあるぞ」

「バーーバカはそっちよ! 犯人に拘束されたんだから、これぐらい普通でしょ!」

「だからって――、――っ!」

 冬戸の言葉を遮るように、少女は容赦なく拳銃の引き金を引いた。

 銃口から撃ち出されるのは風の塊だ。限界まで圧縮された空気が渦巻いているのは簡単に目で捉えた。

 拳銃の銃口が衝撃波を走らせるのとほぼ同時に、撃ち出された風弾はすでに胸元に迫ってきた。耳障りな金切り音を立てた風弾を躱すと、風が炸裂した音背後から伝わってきて、鼓膜を乱暴に揺らす。

(指一本でさっきとは段違いなパワーを出しやがって……)

 心底からめんどくさいような表情を浮かべ、空間を強引に裂くように撃ち込まれてきた風弾を躱しながら舌を打つ。

(だが、対処できないわけでもない)

 どんな武器を使って、どれだけでたらめな威力を出そうと、命中しなきゃ意味がない。つまり、射程圏内から出ればいい。そして、射程圏外は、必ずしも少女から離れたところに限らない。

 拳銃を握った手と体の間。銃を使うものの最大の死角はそこだ。肉薄してから、拳銃を奪う。

 そう思って、地面を思いっきり蹴って少女に突っ込んだのだが……

「ふんっ」

 少女が待ってた、といった顔で鼻を鳴らした。かと思えば、周囲の空間に風が巻き起こされ、二人を囲むような風の壁が作られた。

「……なんだ?」

「遅い!」

 勝利宣言でもしているかのように唇の端を吊り上げ、少女は冬戸が懐に飛び込むタイミングで――何も持っていなかった手に暴風とAFソースコードを出現させた。

「――っ!」

 完全に予想外の光景に絶句していると、少女のもう片手に二丁目の拳銃が鍛造され、その銃口を冬戸の腹に叩いてきた。風の概念そのものとも言える拳銃が、さほど力の込めていない一撃で、暴風を叩きつけるのと同等の衝撃を、冬戸の腹に叩き込む。

 発砲してこなかったのは、この距離であの風弾を食らったら即死したからだろう。といっても、風の概念そのものに叩かれるだけで、腹の中にあるものを吐き出そうになる。

「か……」

 無様に尻餅をつくと、正面から少女が銃口を向けてきた。

「これで、あんたは逃げられない」

 二つの鋳装。その事実を目にして、ようやく冬戸は目の前の少女の正体を分かった。

 どんな使用者でも鋳装を一つしか持ちえない。それはAFプログラムの大前提だ。とはいえ、何事にも例外というものがある。

 そして、目の前の少女がまさにそうだ。

 口をへの字に結んで、勝気な目で二人を囲む風の壁を一瞥してから、視線を冬戸に戻す。

「圧縮した空気で作った、高速回転の風の壁よ。触れただけでも千切れられる。おとなしくすることね」

 きれいな海色の瞳で見下ろしてきた、その少女は、この独立都市インスラにいるすべての独立官の中でも、頂点に位置する五人の特殊官。その、四位。

 二つの鋳装を持つことから、二本の牙を持っているという喩えで「双牙の狂嵐」の異名をつけられたもの。

 能力を完璧に使いこなしているのも、中学生であることも聞いたことがある。だが、こうもやすやすと鍛造を行うのは、さすがに信じられなかった。

「さ、さっさと答えなさい。あんた、いったい何者?」

 なぜ、「希望のプログラム」とさえ呼ばれていた空気鍛造プログラムは、今は規制だれているのか。

 その理由は、鋳装にある。

 脳から電気信号を発し、神経を伝って、空気に本来あり得ない働きかけを行う。鋳装を鍛造するための動作は、当然のことだが、脳に少なからず負担をかけるものだ。

 そこで生じた副作用は、記憶の喪失。

 能力、人、鋳装によって変わるが、一回の鍛造につき、半日から十日ぐらいの記憶が失われる。鍛造する際に脳が電気信号を出した余波は、記憶を司る海馬に影響を与え、記憶のデータを脳から消すのだ。思い出すことが絶対にできない。

 際限なくAFプログラムを使い続けると、やがて使用者は自我を奪われ、自己存在証明ができなくなり、やがて事実的に死亡する。

「お前……それ、なぜそんな、簡単に……」

 それを、少女が――まだ中学生の少女が――

「別に、大した理由なんかない」

 風に囲まれた空間の中、少女は栗色のセミロングを風になびかせながら、その幼さの残った声で、はっきりと言い放つ。その言葉は、冬戸にはとてつもなく歪なものに聞こえる。

「記憶より大事なことがある。それだけよ」

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