第一章 風の少女 4

 学校を出てから、冬戸はとりあえず中央部に向かうことにした。

 都市の中心にある、独立都市インスラを運営する機関のことだ。独立官が仕事を受けるのも、情報取得の依頼を出すのもそこで行われている。

 申請だか何だか面倒な手続きが必要だろうが、琴葉からもらった資料を読んで、どうしても監視カメラの映像を確認する必要があると思ったのだ。

 風紀委員の情報網を使って調べてもらったあの資料の内容を簡単にまとめると、いくつか分かることがある。

 まずは、犯人は巨大な棺桶を背負っていることと、殺した人の死体を持ち帰ることだ。これだけでも眉を顰めるほど不気味だが、ここまでは琉青も知っていることで、正直最終的には捕まるからやることは変わらないのだが。

 問題は、被害者は八人もいることと、そのいずれもそこそこAF能力を扱える使用者だということにある。その中に一人は独立官の免許を持っていると分かったとき、さすがの冬戸も少し驚いた。

 使用者は平たく言えば超能力者だ。AF能力を扱える人を何人も殺せるとなると、同じ使用者か、熟練した殺し屋だと予想できる。

 それが、小隊を探ろうとしても、死体が見つからないから打つ手がないときた。おまけに、現場を映ったはずの監視カメラも、何らかの手段で犯行が行われる間に故障してしまった。

 そのせいで、八人の被害者も出たというのに、未だに棺運びのしっぽを掴めずにいる。いくら上層部が必死に事実を隠蔽しようとしていても、このままじゃ独立都市インスラが恐慌状態に陥るのも時間の問題だろう。

 それを防ぐためには、一刻も早く棺運びを捕まるしかない。そこで、冬戸が思いついたのは、中央部で監視カメラの映像をチェックすることだ。

 誰かを襲う前に、監視カメラを故障するとすれば、逆に監視カメラが故障したところに行けば、高い確率で棺運びを見つけられ――

「……?」

 ふと、思考を遮るように、斜め後ろから何かがぶつかってくるのを感じた。半ば無意識に頭ごとに上半身を前に倒して躱す。

 ほぼ同時に、背中を何かがかすめた感じがして、離れた建物に盛大な爆破音が空気を乱暴に震わせた。

「……なんだ?」

 音のした方向に目を向けると、そこには巨大な何かをぶつけられたかのように、凹んでひび割れた一面の壁が視界に入った。よほどの威力があっただろう、冬戸に直撃したはずのそれは、たった一撃で建物の一回の壁を半壊にしたのだ。

 とはいえ、驚嘆する暇もなく、冬戸はこれもまた半ば無意識に体をずらして、背後に手を伸ばす。高速で放ってきた拳をかわしては、その手首を掌で側面から叩き、勢いの方向を変えて横に流す。

 身体に染みついた一連の動きで何とかやり過ごしたのだが、正直何がどうなっているか全然分からなかった。

 状況を少しでも理解するために、前に目を向ける。

 すると、そこには奇襲を防がれた、両目を少しだけ見開いたものが立っていた。

 まだ本格的な成長期に入っていない小柄な体に、中学生の制服であるセーラー服をまとっている……少女だ。

 独立都市インスラでは中学生はセーラー服で、高校生はブレザーという決まりだが、白いセーラー服だから、第四区の中学の生徒だろう。

 袖から伸びた腕やスカートから覗く生足は健康的な白をしていて、長すぎず短すぎず、華奢な体とちゃんとバランスを取れている。

 普段はよく体を動かしているだろう。腰がくびれていて、子供の体つきなのに、スタイルは抜群だ。膨らみかけた胸もその歳にしては……いや、お世辞でも大きいとは言えないが、そこにさえ目をつぶれば、申し分のないかわいさだ。

「やるわね。まさかあたしの攻撃を二度も躱したとは」

 鈴を転がすようにきれいで、だが幼さが残っていて、それでいてどこか不機嫌そうに聞こえる、少女の声。

 幼い顔を不機嫌そうに歪め、海色の目で睨んでくる。桜色の唇から、白い犬歯が覗き、怒ったネコのように見える。

 少女は栗色のセミロングを風になびかせながら、小さな手を横にやる。

「でも、次はない。覚悟しなさい」

「や、何言ってるんだ? てかいう、お前誰だ」

「独立官。あんたを逮捕する人よ」

 手を横に軽く振り抜く。指先でなぞった軌跡からすさまじい暴風が放たれた。

「逮捕か、なるほど。じゃあ人違いだ。俺は何もしていなかったし何もしていない。これからも何かするつもりはないんで。これでいいだろう。分かったらそこ退いてくれ、チビだからって道の真ん中に突っ立っていいもんじゃない」

 軽くしゃがみ頭を下げて、当たったら車と正面衝突するほどのダメージを負っただろう暴風を避けながら、平静な声で返す。

「ち、チビって――」

 だが、そう簡単には逃がしてくれないらしく、少女が素早く手を前に伸ばしたかと思えば、見えない何かを自分のほうに引き戻すように勢いよく手を自分のほうに戻す。

 背後に飛んでいったはずの暴風が、勢いをつけて逆方向にぶつかってきた。

 耳障りな金切り音が響き、圧縮された空気が刃になり、空間を二分する勢いで斬りかかってきた。それを今度は軽くジャンプして避ける。

 暴風に風刃、とすると、彼女は風関連のAF能力の使い手だろう。

「言っとくけど、人違いなんて馬鹿な言い訳を信じるほど、あたしはバカじゃないからね。おとなしくしなさい!」

「はぁ……めんどくさいな。AF能力を使いこなせるほど人の話を聞かないタイプが多いから、予想はできるけど。ならこうしよう、まずは俺を襲う理由を教えてくれないか?」

「理由? そんなの人に聞くの?」

「聞くだろう普通」

「だって、あんた、棺運びでしょう。棺桶は持ってないみたいだけど、そんな噂、間違っても驚かないわ」

 なるほど、確かに連続殺人事件の犯人である棺運びなら、襲って逮捕しても何の問題もないだろう。

 だが、残念なことに、冬戸には自分が棺運びになった覚えがまったくない。

「そういうことなら、やっぱり人違いね。はい、解散だ。早くお家に戻ってねんねしろ」

 しっしっと手を振ってみたが、少女は退かないどころか、海色の目で睨みながら、両手に風を纏わせた。普通では見えないはずの空気が、圧縮され渦巻いていて、遠くから見ても視認できるぐらいになっている。

「だからそんなくだらない言い訳信じないって言ったでしょ! 今まで姿を隠し通してきたけど、そう何度もいかないわ」

 もう完全にこっちが犯人といった様子で、自信ありげに自分の推理を語っている。

「あんたは監視カメラを壊してから行動するのは知ってるわ。その逆を取って、監視カメラが理由もなく故障したところに行けば、あんたを捕まえるのよ。観念しなさい!」

 どこか……というか、さっき自分が思ったのとまったく同じことだ。

 つまり、この少女も同じ棺運びを追っている独立官ということなのだが、めんどくさいことになったようだ。

 どうやら、このあたりの監視カメラが理由もなく故障したところを、自分が通りすがったようだ。無実を主張したいところだけど、今し方自分も同じ考え方をしていたから、なかなか反論できない。

「俺はただ中央部に行こうとした独立官だが……」

「騙されないわよ。あんたがたまたま通りすがって、監視カメラもたまたま全部故障するなんてことありえない。つまり、あんたが犯人」

「まぁ、普通そう思うか」

 一応説得を試みたが、少女に自慢げに鼻を鳴らされただけだった。

「けど、逆に言えば証拠不足だ。そんな理由で襲ったら自由妨害だぞ。独立官の権限を無闇に使っちゃよくない」

「独立官は何で独立官と呼ばれるか、知ってる?」

 両手に風を纏わせながら、そんな問いを投げてきた。

 ああ、これはもう止められないな、とこれから言われることを想像してため息をつく冬戸に、少女は言葉を吐く。

「自分で依頼を受け、自分で判断し、対処する。そのため多少の法律違反は許可されているからよ」

 幼い声が空気に溶けて消えたのと同時に、少女の姿は、視界から消えた。

 ほぼ同時に、懐に入ってきた少女は風を纏わせた手のひらを、思いっきり冬戸の腹に突き出した。その小さな手のひらから、暴風が砲弾のように放たれた。

 風による高速移動からの、至近距離の暴風。普通は躱しようのない攻撃だ。

 これはもう話し合う余地はないだろう。誤解を解くには、おとなしく捕まえて、中央部で監視カメラの映像やら寮の記録やらで、アリバイを証明するしかないが……理由もなく痛めつけられるのも嫌だ。

 だから、冬戸は自分で体を横にやり、空振りした少女の手の甲を指先で流す。

「な……っ!」

 勢いを殺せず、小さな体も横に流され、無防備の体の横が冬戸に晒される。

 冬戸に放ったはずの暴風が、近くの建物を粉砕し、コンクリートの破片が地面にぶつかりおびただしい音を立てた。剥け出した鉄筋が、くの字に捻じ曲げられている。

 凄まじい破壊力だ。しかし、どれほど威力があろうと当たらなきゃ意味がない。

 体勢を崩した少女の手首をそのまま掴み、もう片手を少女の肩を掴もうと伸ばす。

 とりあえず少女を押さえる。それから中央部に連れて行って無実を証明しよう。

 そう、考えたのだが……

「――っ!」

 冬戸の手がその細い肩を掴む直前、少女の姿はまた唐突に視界から消えた。

「こいつ……!」

 完全にAF能力を使いこなしている。

 AFプログラムの「あの副作用」が判明されてから、まともな考えを持っている人は極力能力を使わないのに、今戦っている少女はそうじゃないらしい。

 能力を自分の手足みたいに操っていることこそがその証明だ。そして、経験上、AF能力を使いこなす人はバカと頭のどこかがおかしい人ばかりだ。

 とはいえ、この程度ならまだいける。

 視界から消えてはいたが、音も消えたわけじゃない。

 目の前に少女が姿を消したのとほぼ同時に、栗色の髪が空間に線を描き、風の力を借りて冬戸の背後に回り込んだ少女が、風を叩き込もうと手を振り抜けるのと同時に。

「後ろか」

 高速に動き回ったために少し荒くなった息遣いを聞き逃さず、その動きを正確に捉えた。

 けど、少女の渾身の一撃から、冬戸は距離を取ることなく、最小限の動き頭を横にやり、風の纏った拳を耳のすぐ隣に素通りさせる。

 それから、少女の拳がまだ止まっていないうちに、流れるような動きで片足を後ろに踏み出す。背中が少女の体に触れ、わずかな体温や息遣いが間近に感じた。

「えっ」

 少女の攻撃範囲から逃げようとせず、逆に距離を詰めることで意表を突くと、予想通り少女の素早い動きが一瞬鈍ってしまった。

 その隙を逃さず、冬戸は頭の隣の手の手首と二の腕を掴むと、少女を背負うような体勢で、小さくて柔らかい体を前に投げる。

 本来、可憐な少女に使う技じゃないのだが、こっちが冤罪で狙われているのだ。これぐらい許されてもいいと思う。ついでに、少女を背負ったとき、背中に伝わってきた柔らかい感触も、気づかないようにするので、水に流してほしい。

「――っ!」

「おっと」

 そう思いながら、冬戸は風で落下のスピードを緩和し、また逃げようとする少女のもう片手の手首を掴む。

 高校生の男子生徒が、人気の少ない中央部付近で、背後からかわいい女子中学生の両手を強引に掴んで拘束する。当の女子中学生といえば、悔しそうに唇を噛みしめ、屈辱の表情で首をひねって、背後の男子生徒を睨めようとしていて……

「くっ、離してよ!」

「離すわけないだろう」

 おまけにこんな会話である。とても人に見せられる光景じゃない。

 なぜか無実の罪で襲われた冬戸のほうが罪悪感を覚えたのだが、ここで手を離すと、何をやらかすか分からないので離すわけにもいかなかった。

 人生いろいろと難しいものだ。

「こ、の……!」

 それでも、少女はまだ諦めるつもりはないらしい。身動きがほとんど取れないまま、力いっぱいジャンプした。その頭が、冬戸の鼻目掛けでぶつかってくる。

 幸い、身長差もあって、軽く顎を上げるだけでぶつけられずに済む。ただ、ジャンプしたせいで揺れたセミロングから、女性特有の花のようないい匂いが鼻腔をくすぐる。ある意味では、鼻への攻撃は効いている。

「暴れても離さないよ。AFプログラムの能力は末梢神経を通じて、特に手足みたいな敏感なところに能力を発動するからね。逆に言えば、手足さえ封じればいい。見たところ、お前、足はあんまり使わないじゃねぇの?」

「それは――。……、それより、あんた、よく自分は棺運びじゃないって言えるわね。やたら戦闘に慣れてるくせに」

「都合悪いからはぐらかすな。それと、戦えるからって棺運びなら、お前も立派な棺運びだ。どうする? このまま逮捕しようか?」

「屁理屈言わない!」

「自分に説教するやつ今日初めて見たぞ」

「う……」

 冬戸の言葉に、少女は一瞬目を逸らしたが、やはりおとなしくするつもりはないらしい。

 仕方なく、しばらくこのままして少女が諦めるのを待つか、と思った矢先。

 ふと、少女はぴょんぴょん跳ねるのをやめて、体から力が抜けたのが分かる。

「? 意外だな。てっきり五分ぐらいは暴れると思ったんだが」

「……」

「ま、ともあれ、まともに話し合うつもりになったんだな。じゃあ、まずは中央部に行って――」

「……よね……」

「は?」

「……どうしても離さないよね」

 少女の声はさっきまでとはまるで別人のようで、低くて不気味なほど落ち着いている。

 まるで、暴れる海流を隠す海面のような……無風地帯となった台風の目のような……

「そう」

 そう考えていると、冬戸の無言を肯定ととったのか、少女は素っ気なく言い捨てるように言葉を吐いた。

 瞬間、その手に今までとは比べ物にならない暴風が爆ぜた。

 ――おびただしい白銀のキューブとともに。

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