第 七 章 2
スターティンググリッドで静かに目を瞑り、集中力を高めている悠真のそばにあたしは立ち、アンブレラをかざしてやる。
強い闘志を感じる。かといって気負いのない、いい顔つきをしていた。
このレースの前、悠真は岩代さんのもとへ謝罪に
それでも悠真はすっと背筋を伸ばし、力強い動きで頭を下げ、告げた。
「ご心配おかけしてすみませんでした。もう大丈夫です」
久真とも仲直りできた。でも、悠真の初恋は実らなかったようだ。
口にはしないけど、きっと胸が切り裂かれる思いだったろう。
つらくとも、苦しくとも、すべてを受け入れ、そして前へ歩もうとする悠真に、あたしは敬意の念を抱かずにはいられなかった。
そして、四人は正々堂々の勝負を誓い合い、今日という日を迎えた。
ビーーーーッ!! と強烈なホイッスルが耳を
「楽しんでらっしゃい!」
悠真を肩をばしっと叩き、久真とは拳をぶつけて、ウォーミングアップランに送り出す。
「海さん、ドキドキしてきました!」
「あたしも。なんか叫んじゃいそう!」
サインエリアで舞ちゃんと手をつないでその瞬間を待つ。
悠真がグリッドに戻り、力強く前を見据える。久真が一発、自分の胸を殴った。
ふたりだけじゃない。岩代さんも、哲求くんも、グリッドについた全レーサーの凄まじい気迫に、ぶわっと全身に力がこみあげてきて、あたしは身震いした。
ーー
目に見えるようなこの高揚感。これぞレース。あたしが大好きなバイクレースだ!
レッドシグナル点灯――ブラックアウト。20周のレースがスタート。
オープニングラップから、トップランカー4台が抜け出す。
今こそあたしは、
自分のレース人生を振り返ろう。
あたしは完全燃焼できなかった。怪我という、誰もがしょうがないと言ってくれる、自分でも納得できる、夢をあきらめられる理由を、不幸にも手にしてしまった。
でももし、今でも現役だったら、あたしは完全燃焼できただろうか。
白状する。今だから言える。世界最高峰の舞台に立つ資格が、あたしにはない。
*
序盤、かなり早い段階でスパートをかけた哲求くんを、久真が追いかけトップツーを形成。2秒遅れて岩代さん、悠真のセカンドグループがつづき、そのまま均衡したが、ペースは異様に速い。静かな、しかし神経が擦り切れるような、緊迫したレースになる。
*
あたしは、あたしの精一杯で努力した。でも足りなかった。女を言い訳にしたことが一切ないとは言い切れない。
闘志を燃やすこの少女のように、己のすべてを懸けて挑んだか? そう問われれば、首を縦に振れない。だからーー
*
「来た!」
残り4周で、岩代さんが一気にペースを上げた。これまで岩代さんは、終盤に悠真を追い上げ、優勝をさらっていく展開がほとんどだった。今日は状況がまるで違う。悠真が岩代さんの後ろにいる。彼女のペースアップについていけなければ、優勝などあり得ない。
「よおぉしっ!」
悠真は食らいついた。2台はトップツーを猛追、僅か2周でテールトゥノーズに持ち込む。その勢いのまま岩代さんは久真と哲求くんをゴボウ抜きし一気にトップに立った。悠真は4番手つける。
*
身勝手な話だけど、あたしはあたしの夢を、悠真に
悠真のように己のすべてを懸けて挑めば、才能の壁を打ち破れる。その確信が欲しい。その瞬間を、あたしはこの目に焼き付けたい。
*
「やっ、キャーーーーー!!」
舞ちゃんが悲鳴を上げる。哲求くんが強烈なハイサイドを喰らい宙を舞った。前方に投げ出され、宙で一回転して背中から路面に叩きつけられる。バイクは破損したパーツを血しぶきのようにまき散らしながら二転三転する。
「あぁー!!」
少し離れたところでサインボードを出していた晶が、頭を抱える。
哲求くんはすぐ起き上がり――よかった怪我はない――自分のマシンに駆け寄り、両拳を悔しそう振り下ろす――リタイヤだ。哲求くんの転倒を寸前で回避した悠真は、久真の背後につける。
*
だからあたしはメカニックとして、ふたりが全力でレースに挑めるように、全身全霊をかけてマシンを組み上げた。マシントラブルなんて起こしたら腹切するつもりで、世界一速いマシンを組み上げるつもりで、長年培ったノウハウはもちろん、柏木監督に助言を請い、社長には頭を下げてアドバイスを求めた。なりふりかまっていられなかった。
*
10コーナーで悠真が久真のインを突く。久真はブレーキングをミスり、フロントタイヤから白煙を上げ、あわやスリップダウン。大きくポジションを落としてしまう。すぐに戦線に復帰したが、優勝争いからは脱落。
*
いざバイクを組み上げる段になっても、これが本当にベストか? これがあたしの全身全霊を懸けた仕事か? そう、何度も自分に問いかけた。だって、絶対に、絶対にミスは許されない。少年少女の夢を懸けたレースだから。
そして気づいたんだ。あたしが組んだバイクで夢を掴む。夢の一端をあたしが担ってる。それはつまり、二人が夢を叶えた時、あたしの夢も叶ったということだ。
目の前の仕事を全身全霊をかけてやり遂げることで、あたしは夢を取り戻せるんだ。
なんてやっていたら、連日の徹夜になってしまったという訳だ。この際過労で倒れたってかまいやしない。このレースの〝勝利〟のためなら。
*
ついに悠真と岩代さんの一騎打ちになり、観客のボルテージをまさに最高潮に達する!
*
あたしは感動していた。挫折を経験した少女が、今まさに、自分の限界を打ち破ろうと挑んでいる。こんなすごいやつそういない。あたしは悠真のメカニックであることが誇らしい。世界中に自慢したい。
*
「悠真ぁ!!」「悠ちゃあぁん!!」
あたしも舞ちゃんも身を乗り出し、声を枯らさんばかりに叫ぶ。
勝負が決する、ファイナルラップ!
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