第 五 章 5



「……あいつだって、悠真だって覚悟の上よ!」


 気づけば、あたしも声を上げていた。


「あいつ見てよ。あんな小さいのに、女なのに、どれほどの覚悟でレースに挑んでいるか! 社長だって命賭けでレースやってたじゃない。悠真の気持わかるでしょ。悠真ならちゃんと走れる。悠真のこと信じてやってよ!」


「信じているからこそだ! 悠真ならスカラシップを逃しても、次のチャンスを掴める。だから今は治療に専念して次に備えろ、そう諭すんだ。海――」


 社長は立ち上がり、一転して冷徹な目をあたしに向ける。


「おまえは自分の過ちを認めたくなくて、自分の正しさを悠真に押し付けているだけじゃないのか。悠真のことを信じてないのは、おまえの方なんじゃないのか」


 胸をえぐられるような悔しさと、体を削るような自己嫌悪に襲われる。


 認められるわけ、ない。だってそうでしょ。認めたら、必死になってレースに挑んだあの日々が、積み上げたものが、すべて崩れ去って無意味に終わってしまう。


 そんなの絶対、絶対に受け入れられない。受け入れてしまったら、あたしは――


「……智さんに聞いたよ。あたしの名前いい加減につけたとか、厳しくしたとか、後悔してるんでしょ。それさ、水に流してあげる。だから認めて。これっきりだから」


 胸くそが悪いなんてものじゃなかった。反吐が出るとはまさにこのことだった。


 社長はつかつかとこちらに歩み寄り、目の前に立つなり腕を振り上げた。大きな音がして、頬が焼けたように熱くなる。


「厳しくしすぎたことは俺の不徳だった。だがな、己の弱さを子供押し付けるような人間に育てた覚えは断じてない!!」


 顔も上げられなかった。


 消えてなくなりたい。


 社長は立ち尽くすあたしに背を向け、換気扇のヒモを引っ張るとタバコをくわえる。煙を大きく吐いてから引き戸に歩み寄り、小窓から悠真をのぞき見た。


「医者が許可しているのは、本当なのか」


「……ほ、本当。本当です」


 言葉の意味をすぐに理解できなくて、つっかえつっかえに返す。


「くそ!」苛立たしげにタバコをシンクに投げ込み「今から医者に会ってくる。ドクターストップがかかったらもちろん、俺が判断して駄目だと思ったら即欠場だ。いいな」


 言うなり事務所を出て行ってしまった。


 許可してくれた。信じられない思いだったが、あたしは盛大なため息をついた。


「とりあえず、参戦を許可します」


 言いながら悠真のそばの椅子に、叩かれた頬を見せないように座る。


 社長がつけた条件を告げて、あたしは背もたれ体を預け、深々とため息をつく。


「なに? まだなんかあるの」


 物言いたげに立ち尽くしている悠真に、気分の悪さからつっけんどんに言ってしまう。すると悠真は、深く頭を下げ、


「ありがとうございました」


 全身が凍り付いた。息もできなかった。


 深いお辞儀と、感謝の言葉。


 森屋と最後に会ったあの病室で、森屋が最後に口にした言葉とまったく同じだった。


 ただの偶然だ。そうに決まってる。自分に言い聞かせるが、ダメだった。


 すさまじい不安が胸で渦き、自分の顔が青ざめていくのをまざまざと感じていた。



          * * *






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