第 五 章 3



 あたしは髪をかきあげるように頭に手をやって、森屋に背を向ける。


 これで抗議しなかったら、あたしがヘタレってことになるじゃない。


 …………いいや。誤魔化すのはやめよう。


 数えきれないほど出たレースのひとつ。いちいち相手にしていたらキリがない。バカの相手はしない。効率が悪い。エトセトラ……


 そうやって賢いふりをして、まぁいいやって、やり過ごす。そんなことを繰り返していくうちに、あたしは絶対に手放しちゃいけないことまで、手放していたんじゃないか。


 そして自分をわらう。


 あたし、誰とレースしてるのよ? わかってたじゃない、森屋がこういう男

だって。


 森屋のレースに懸ける想いは、それが生きる理由であるかのように、ブレることも、後へ引くこともなかった。


「あーもう! わかった、わかったから。ほら!」


 財布ごと、森屋に放って渡す。


「海! よぉーし、これで今川に天誅食らわせてやろうぜ!」


「物騒なこと、大声で言うんじゃないよ!」


 事務局へと駆け出す森屋に向かって、あたしは声を上げた。


 果たして――抗議は却下され、保証金は没収された。


 地元に戻り、あたしと森屋は行きつけの安居酒屋で、ヤケ酒をあおった。


「……保証金は折半せっぱんする。払いは、来月で勘弁してくれ」


 こいつなりに責任を感じているんだろう。すっかり据わった目で森屋は言った。


「いいよ」


 抗議すると決めたのはあたしだ。


「なんでだ――」


「いいから」森屋を言葉を遮り、言い聞かせるように「いいの」


 いつから、やり過ごせるようになったんだろう。


 あたしはあの悔し涙を、本気の気持ちを、どこに置いてきてしまったんだろう。


 森屋が正しいなんて言わないよ。無駄なことはしない。スルーする冷静さ

だって必要だ。


 でもあたしは、森屋のこういうところをガキと見下せるほど訳知った大人じゃなくて、それどころか、まだ熱々のガキかもしれなくて。


「見てな森屋」


 あたしは森屋のグラスにビールを注いでやる。


「次はトップ走って、今川のクソ野郎を黙らせてやるよ」



          * * *






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