第 三 章 12



 ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ


 目覚まし時計に起こされる。森屋の姿はなく、寝ぼけ眼でルーフベッドから這い出るとあたしはタンクトップ一枚の半裸で、大慌てで転がっていた下着を身に着けた。


 後部座席でうずくまり、頭を抱えた。


 ――なにやってんだ、あたし。


「あの野郎……」


 サンダルをつっかけて外に出て、あたしは息を呑んだ。雨が上がりの朝の空気はどこまでも澄んでいて、濡れたアスファルトが朝日を受けて輝いていた。


 はっとするほど、爽やかな朝だった。


「海」


 後ろを振り返る。歯磨きセットを手にした森屋だった。


 いい朝だな、なんてすっきりした顔で言われて、あたしの頭の中でなにかが弾け、次の瞬間には森屋の頬をひっぱたいていた。


「ってぇ」



 歯磨きセットが派手な音を立ててアスファルトに散らばる。


 頬に手をあてた森屋は、なんとも不服そうな顔をしていた。


 その後の運転は、当然森屋にさせた。


 あたしは助手席で、唇を噛んで堪えていた。


「お、おい海。なぁ海ってば」


 森屋が運転席から、おろおろと声をかけてくる。


「泣くなよ――痛ぇ!」


「うっさい! 話しかけんな!!」


 あたしは森屋が口を開く度に、蹴りをいれた。


 酔った勢いとはいえ、付き合ってもいない男と、しかもトランポの中でなんて……。


 自分のうさつさにも怒り覚えた。あたしは自分が、もっと節操のある人間だと思っていた。なにより、あのやすらぎを思うと、こみ上げてくるものを堪えることができない。そんな自分に驚いて、それが森屋によってもたらされたと思うとなんか悔しくて、


「いやマジで泣か――あ痛ぇ!」


「話しかけんな、この色魔!!」

 あたしはこみ上げてくるものを、その訳を、怒ってみせることでうやむやにした。


          *


 ゆっくりと、まぶたを持ち上げる。


 晶には、森屋とは付き合ってないと言った。それは本当だ。でも、なにもなかったというのは嘘だ。大嘘だ。森屋との行為は、その後も続いた。


 あたしは悔しい思いをしたり、イライラしたり、逆に涙を流すほど感動したり、飛び上がるほどよろんだり――心が激しく揺さぶられると良くも悪くも疲れる。疲れるとしたくなる。それに寝不足や疲労が重なるとなおさらだった。


 そんなそぶりは見せていないはずなのに、そういう時に限って森屋は抱きついてきた。


 そして、あのやすらぎに、あたしは抗えなかった。


 おばあちゃんを亡くして、失ったやすらぎを、あいつはあたしによみがえらせた。


 本当に嫌なら、嫌と言えばいい。トランポの共有をやめて森屋を叩き出せばいい。そうしなかったのは、あのやすらぎが、他には代えられなかったから。


 森屋のことは好きじゃなかった。あれは愛情とは違うはずだ。


 あたしは抱え込むようにお腹に手を当て、背中を丸くする。


 ぐっと全身に力を込め、少し熱を帯びた吐息をつく。


 あのやすらぎを、恋しく思ってしまっていた。





          第 四 章 へつづく

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