第 三 章 9



 鈴鹿に遠征したのは、鈴鹿サーキットで行われるレースに参戦するためだった。


 長いことレースに携わっているのに、あたしは鈴鹿サーキットを走った経験がなかった。


 現在はもてぎに譲っているが、鈴鹿は長年、日本GPの開催地だった。かの有名な鈴鹿8時間耐久レースの舞台。鈴鹿は憧れのサーキットだ。


 鈴鹿では、鈴鹿選手権という地方選が開催されている。


 あたしにも参戦資格があったが、いかんせん三重県にある鈴鹿は遠い。東京から片道5時間強。高速料金と燃料費で往復で4万近くかかる。


 いつか機会があればと思っていたが、その機会が訪れていた。森屋と鈴鹿に行けば移動費が折半せっぱんできる。森屋に話を持ちかけると、気持ちは同じだった。すぐさま遠征参戦が決定した。


 初めてのサーキットで、ぶつけ本番でレースに出るのは無謀だ。カーブのきつさ、カント、高低差、ストレートの長さ。その組み合わせでサーキットの表情はがらっと変わる。それにあわせてレーサーもバイクも調整する必要があるが、一朝一夕にはできない。


 だからあたしたちは、レース仲間にセッティングデータを教えてもらったり、車載カメラの動画を何百回と見たり、コース図をにらんでレコードラインを頭に叩き込んだり、あらゆる手を尽くして鈴鹿に乗り込んだ。


 優勝なんて身の程知らずなことは言わない。でも上位には食い込める。目標は一桁入賞。


 あたしも森屋も、やるべきことはやったという以上に、腹の底から沸き上がってくる、生来から備わっている、むやみやたらな自信があった。


 ――結果は、惨憺さんたんたるものだった。


 鈴鹿に集まるレーサーのレベルは高く、予選落ちは免れたものの、リザルドはほぼ最後尾。森屋は転倒リタイヤに終わった。


 鼻っ柱をへし折られる思いとは、まさにこのことだった。悔しいというより悲しかった。


 その帰り道、あたしたちは高速道路のパーキングエリアにトランポを入れた。そこで体力が底をついたんだ。


 過労のあまりまともに運転できず、パーキングエリアで車中泊。早朝に起き上がり、急いで帰宅して仕事に向かう〝必殺・就寝の前倒し〟はよくやっていたけど、この時はもうひとつ理由があった。


「鈴鹿選手権、惨敗に乾杯!」


「なにそれ森屋、いんを踏んだつもり!?」


 あたしと森屋は、トランポの中で酒盛りを始めた。


「ん〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰まぁい!!」


 疲れた体にみるビールは、身震いするほどうまい。


「S字を切り返すタイミング、全っ然掴めねぇの」


「あたし、シケインでオーバーランして、グラベルに足を取られて転けそうになった。どうしたらあんな、明日が無いようなブレーキングできるの?」


「海さ、スプーンのライン取り、どうだった?」


「めちゃくちゃ。速い人のライン塞いじゃって、拳突き上げられて怒られた」


 反省会という名の傷の舐めあいが、素面でできるわけないでしょ。


「優勝した子、すっごい速かった。あたしあっと言う間にバックマーカーにされたよ」


「あいついくつなの? パドックで見かけたけど、まだガキだったぞ」


「ガキとか言うんじゃないの。高一だって。しかもあたしたちと同じ、初めての鈴鹿だったんだって……。いるんだよね、いきなり速く走れちゃう人って……」


 森屋は口元でビール缶を傾けたまま固まっていた。


「才能って、なんなんだろうね」


 バイクレースは、レーサーが8割、バイクが2割と言われ、レーサーの技量が、才能が表にありありと現れる競技だ。


 たとえ性能に劣るバイクでも、才あるレーサーが乗れば高性能のバイクを追いかけ回す。高性能バイクに乗ったら手がつけられない。最後尾から全車抜きで優勝。全戦全勝のチャンピオン。才能あるレーサーの逸話ならいくらでもある。


 あたし自身、何度才能に打ちのめされたかわからない。同じバイクで、同じコースを、同じように全力で、いや、誰にも負けないくらい懸命で走っているのに、どうして敵わないんだろう。


 レーサーの才能が己にあるか、経験を積めば段々と見えてきてしまう。 


 ままならない現実を才能の所為にして、勝者へを妬みを糧に生きるほど、あたしは腐っちゃいない。才能の差は、サーキットを走り込むことで、努力で埋める。でもレースの場合、その努力にも、努力が必要だった。


 走れば走っただけエンジンは傷む、タイヤも減る。10万、20万ってお金が、笑っちゃうくらい簡単に飛んでいく。


 森屋は朝から晩まで働いていた。あたしだって少しでも多く売上をあげようと必死に働いた。そうやって稼いだお金を全部つぎ込んで、それでも足りなくて借金までする。


 プロレーサーになる。その想いを糧に歯を食いしばり、走り続ける。


 そうやって必死になって出したタイムを、才能は水たまりを避けるみたいに飛び越えていく。そういう現実を、リザルドというこれ以上ない証拠を突きつけられると、心がメリメリ音を立てて折れそうになる。それも一度や二度じゃない。レースの度にだ。


「それでも……もうちょっとは、やれると思ったんだよ」





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