第 三 章 8



 ルームミラー越しに後部座席を見やると、久真が起き上がっていた。


「おまえ、今の話し聞いてたの?」


「今の話し?」


 聞いてしまったのなら正直にそう言う。久真はそういうやつだ。


「なんでもないよ。おまえも寝てな。その代わり免許取ったら全部運転させてやる」


 微笑んだ気配がして、そして走行音が車内を満たす。久真は口数が多い方じゃない。


 それからしばらくして、久真は運転席と助手席の間から顔を出し、声を潜めて言った。


「海さん。相談にのってほしいこと、あるんです」


「……言ってみ」


 促すと、久真は力の入った声音で言った。


「悠真と、幸佳に勝ちたいんです」


 物静かで思慮しりょぶかい少年だけど、本気で世界を目指しているレーサーだ。高校にはいかないでレースに専念したいと言い出したのは悠真だけじゃない。久真もだ。


 今日のテスト走行で自分の力不足を改めて痛感した。もっともっとがんばらないといけない。でも正直行き詰まっている。だから新しい風を入れて、今を打破したい。


 そう、焦燥混じりの強い声で語った。


 久真は六歳の時に悠真と一緒にレースを始め、悠真の後塵を拝し続けてきた。2位表彰台が指定席と揶揄されたこともある。そして今年は、悠真を超える岩代幸佳が現れた。


 久真は悔しさを表だっては見せない。己の実力と悔しさを甘んじて受け入れ、もっと速くなる、次は勝つ。そのための努力を厭わず、静かに闘争心を燃やす。それが川島久真だ。


 スカラシップのシートがかかっている今シーズン。後に引けないのは久真も同じだ。


 あれこれ話し合った結果、車載カメラとロガーのデータで、久真の走りを検証するミーティングをすることになった。


「悠真には、内緒でやるんだよね」


 沈黙を、あたしは肯定と受け取り、


「いいの? 悠真にバレたら、絶対怒るよ」


「怒ることはできないはずです。俺と悠真だって、ライバルなんですから」


 少し悠真が可哀相になるけど、道理だ。


          *


 自販機で缶コーヒーを買い、人気のないベンチで疼く左足を揉む。


「昔は休憩なしでもいけたんだけどなぁ……」


 眠気に耐えながらの運転にも限界がある。船を漕ぎそうになってしまい、あたしは慌ててパーキングエリアにトランポを滑り込ませた。


「新しい風、か……」


 久真の相談に応じたものの、悠真に内緒でやるのはよくないかもしれない。監督は公平であるべきだ。


 でも、チームメイトであってもライバル。それがレースだ。


 なにより、あたしにはよくわかるんだ。久真の気持ちが。


 ――才能。


 手を伸ばし、求めるもの。なのに掴みどころがないもの。


 そして久真が戦っている相手。


 悠真は今、岩代幸佳という才能に立ちふさがれている。そしてそれは、岩代幸佳が現れる前の久真の立場だった。久真は、悠真という才能に挑み続け、そのすべてで破れている。


 背中をベンチに預け、夜空を見上げる。星が頼りなく、ちらちらと瞬いていた。


 あたしは静かに目を瞑り、あの日の記憶に思いを馳せる。


 そう。あの日も鈴鹿に遠征した、その帰りのパーキングエリアだった。





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