第6話 秘密の共有。
朝の八時。七海にその時間に家へ来て欲しいとお願いすると、時間が早すぎるのではないのかと余計に怪しまれた。
明日、予定では九時にエルコティアソフィアに向かうことになっている。
先にネモアと相談をして、その後帰ってきてから相談をした方がいいのか。と、思案を始めた俺に、七海は何かを感じたのか八時にくることを了承するとその話は終わってしまった。
よくよく考えれば、一度、ネモアやユリアに相談をしてから七海に説明をする方がよかったのかと思ったが、今更だ。
自分が自覚している以上に、七海に異世界のことを説明しようとしていることに対して、動揺しているのだと思う。
考えがうまくまとまっていない気がする。
その後は会話も少なく、ご飯を食べ終わり洗い物は俺が引き受けて、七海をマンションまで送ることになった。
近いところだと聞いていたが、俺の家と駅のちょうど間ぐらいで、歩いて十分ほどのところだった。
マンション自体は十年以上前から建っていたものだったが、インターフォンはカメラが付いていて人通りも多く、近くには交番もあるところなので女性の一人暮らしでも安心できる立地だ。
明日、俺の家にくる時の荷物を減らすため、仕事でしか使わないノートパソコンを一台、俺が持って帰ることになった。
ノートパソコンと電源コード、マウスやペンタブレットにイヤホンマイク。そのほか、配線関係が細々とつめられた鞄はそこそこな重量があった。
「配線は明日行った時に自分でするから、曲がらないように鞄から出して机にでも並べておいて」
「わかった。明日はよろしくな」
「うん。気をつけて帰ってね。また、明日」
「ああ、また、明日」
七海の部屋の前で別れた、肩からずり落ちそうになる鞄に注意をしながら家路を急いだ。
行きがけに玄関とリビングの電気はつけたままだったので、真っ暗な家に帰ってきたというわけではないが、朝には両親がいて、さっきまでは七海がいたから、いつもより静かに感じる。
七海に言われた通り、リビングの机の上にノートパソコンと一式を出して線が痛まないように並べる。
各部屋の窓の鍵とカーテンがしまっていることを念入りに確認して自室に戻った。
エルコティアソフィアから戻ってきて、部屋の床に置きっぱなしの鞄が目に入る。
明日向こうにいくための準備、いや、七海に説明するために何か用意をしていた方が良いのかもしれないが……。今日は色々なことが起こりすぎて頭が疲れた。
そのまま、ベッドに横になると自然と下がってくる瞼に逆らわずに眠ることにした。
ピンポーン……ドンドンッ! ピンポーン……。
ドアを叩く音が聞こえる。うすぼんやりとした視界に、携帯が目に入った。
画面が真っ暗だ。昨日はコンセントにも刺さずに寝てしまったから、充電が切れてしまっているようだ。
部屋の壁にかかっている時計を見ると、八時半を指していた。
「……あっ! 七海!」
完全に寝過ごした。
鳴り続けるインターフォンの音と、控えめではあるが合間に叩かれるドア。
慌ててベッドから飛び起きると、服は昨日のままだ。風呂にも入らずに、そのまま朝まで寝てしまったみたいだ。
電源の入っていない携帯を片手に、慌てて階段を駆け下りる。
どたどたとうるさい俺の足音が聞こえたのか、階段を降りきる頃にはインターフォンの音もドアを叩く音も止まっていた。
鍵とドアを開けると、七海が険しい顔でこちらを見てきたが、俺の姿を視界に治めると、一瞬目を丸くする。
「ご、ごめんっ、寝てて……」
「……いや、その格好見たらわかるよ。って言うか、服も昨日のままじゃない」
「携帯の充電も切れてて……」
「まぁ、そうでしょうね」
呆れたように相槌を打つ七海に、だんだんといたたまれなくなってくる。
それよりも時間だ。
ネモアと約束している時間は九時。召喚の魔法陣が使用されると、どうにもできない。
こちらから事情を説明する方法もないし、刻一刻と時間は迫ってきている。
玄関前にいる七海を家に上げると、玄関に鍵を掛ける。俺の突然の行動に七海が訝しんでいるのがわかる。
「ごめん、説明しなきゃいけないことはわかっているんだけど、時間がない」
「? 啓輔が慌てているのはわかるけど……、一体……」
「ごめん、それも話している時間がない。とりあえず、俺の部屋にきてくれ」
靴を脱ぎ終わるか終わらないかの七海の腕を掴むと、強引に二階の俺の部屋へと引っ張っていく。
切羽詰まった俺に、七海は大した抵抗もせず部屋へと付いてきてくれた。
部屋に入るなり、窓のカーテンを閉め始めた俺に、七海は危機感を感じたのか、俺の行動を注視しながらも部屋の扉の近くを陣取っていた。
時計は八時五十分を指している。エルコティアソフィアにこちらと同じ秒針で進む時計はない、何時、始まってもおかしくない。
「七海、今からお前の想像を遥かに超えるだろうことが起きる」
「は? な、何?」
「十分、いや、十五分。遅くても十五分以内に帰ってくる」
「え? 啓輔が、出かけるってこと?」
「いや……、本当は、事前に色々話したかったんだけど……」
昨日と同じ、俺の要領を得ない言葉に、七海の眉間に皺が寄せられていく。
せめて、何か事前知識を……と、部屋の中を見渡すと、本棚の小説のタイトルが目についた。それを手にとると、七海に押し付ける。
意味がわからないという表情ながらも、小説を落とさないようにしっかりと手に持ってくれた。
その様子を確認した時、足元が光り始めた。
「え!? け、啓輔っ!」
「ごめん! 帰ってから説明する!」
突然の光景に慌てた七海が近づいてこようとした。俺はそれを手で静止する。
一瞬、硬直した七海は、俺の顔と手の中の小説で何度も視線を行き来させた。
その、一瞬の硬直の間に、俺の体はエルコティアソフィアに転移した。
「ケースケさん、おはようござ……」
「ネモア、非常事態だ」
手を前に突き出した状態で現れた俺からの第一声は、酷くネモアを混乱させるものだっただろう。
目を見開いて固まったネモアだったが。すぐに、こちらの話を聞く姿勢を作ってくれた。
この一年でのいくつもの騒動への対応のおかげか。
そんなネモアの姿を見て、こちらも慌てていた気持ちが徐々に落ち着いてくるのがわかる。
「まず、十五分後には向こうに帰りたいんだが、それは可能か?」
「それは問題ありません」
「俺を呼ぶ転移の魔法陣は、俺以外の人間を一緒に連れてくることは可能か?」
「可能なはずですが。ケースケさんの世界からとなると……はっきりと断言はできません」
「……そうか、そうだよな」
転移の魔法陣の誤作動で呼び出された者を帰す方法に、その土地に近い人と一緒に転移するという話を聞いていた。
ただ、それは、エルコティアソフィアでの話。
異なる世界を超えることヘ、影響がないという保証があるわけがない。
俺が無事に行き来できているのも、運が良いだけの可能性が高い。
「……すまん。冷静じゃなかった」
「何があったんですか?」
「あっちの人間にこちらへ転移する瞬間を見られた。……いや、元々、昨日こちらに来ている間に家族から色々と疑われたのが始まりで、そいつにこちらとのことを説明するのに、今日、転移するところを見せるつもりだった」
「……」
俺の言葉にネモアが黙り込んだ。色々と思うことがあるのだろう。
「その時点から冷静じゃなかった。その辺りの話も含めて、ネモアと相談したい」
「っ! それは、勿論」
「ありがとう」
力強く頷いたネモアに、少し気持ちが軽くなった。
しかし、今は、七海のことだ。
「……悪い。色々とあるが、今日はあっちの対応を先にすることになる」
「そうですね、それがいいと思います。こちらも、複数人の転移について、情報を集めておきます」
「ありがとう。……連日で悪いが、明日、同じ時間に呼んでもらえるか? 状況によっては、今日と同じですぐに帰らないといけないかもしれない」
「わかりました。こちらは問題ないです。アロディーン家のこともあって、もともと十日間はケースケさんの予定に合わせることになっていたんです」
「そうなのか……何から何まで、ありがとう」
ネモアが胸を張って答えてくれて、一人ではないという実感が俺の胸に広がる。
同時に、昨日からの自分の不甲斐なさに俺の眉が下がった。対照的に、ネモアはどこか嬉しそうにしている。
「ネモア……?」
「あ……っ、すみません。ケースケさんが大変な時に……」
「いや……。もしかして、俺に頼られて嬉しいとか……?」
「……すみません」
シュンと頭を下げるネモア。
全然、状況が好転しているわけでもなんでもないのに、自然と俺の口元にも笑みが浮かぶ。
「なんか、ネモアと一緒なら大丈夫な気がしてきた」
言葉と共にフッと吹き出した俺に、ネモアは下げていた頭を勢いよく上げた。
俺の表情を確認すると、ネモアの表情も柔らかくなる。
「じゃ、また、明日」
「はい、また明日」
来た時とは違い、落ち着いた気持ちで魔法陣が光るのを見つめていた。
そんな穏やかな気持ちでいられたのは、自室に景色が切り替わり、強い衝撃と共に床へ押し倒されるまでの短い間だった。
受け身も取れずに倒れ込んだ俺は、後頭部を強く打ちつける。
ぐぅ、とも、ぐぇ、とも、どちらとも言えない蛙が潰れたような声で呻きながら、痛みに目の前がチカチカする。
幸い、倒れ込んだ先に危険なものがなかったため、しばらくすると後頭部の痛みは落ち着いたが。
それ以上に強い力で握りしめられている両腕の方の痛みがやばかった。
「な、七海……、い、痛い……、指の力を……」
「っ! 馬鹿啓輔!」
俺の声に反応した七海は、へばりついていた俺の胸から勢いよく起き上がると、大きな声で怒鳴った。
握りしめる指の力は相変わらず強いままだったが、俺はそんなことを言える立場ではなかった。
七海の目は真っ赤になっていた。
よく見ると俺の腕を握りしめた手は震えていて、目尻からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
「……ごめん」
「わ、私が……っ! どんな、どんな、気持ちで……っ!」
「……うん」
「おばさんから、連絡も、くるし……っ! なんて、言ったらいいか、わからないしっ!」
「うん、ごめん。俺が、悪かった……」
「っ! ぅ、うう……!」
震え出した七海の肩から腕にかけてをゆっくりと撫でると、七海は俺のシャツにしがみついた。
そのまま、声を抑えるように肩を震わせて泣き出す。
胸のあたりが熱いもので濡れていくのを感じながら、俺は七海にいろいろなことを勝手に押し付けようとした自分がなんて最低なことを考えていたのかと、後悔が押し寄せる。
しかも、既に巻き込んでしまっている。どれほど、謝っても元に戻すことなどできない。
エルコティアソフィアに呼び出された時、被害者だった俺は、この時、加害者になったんだ。
しばらくして落ち着いた七海から、まずは母さんに連絡をするようにと言われた。
酷く混乱していた七海は、それでも、母さんには事実を伝えずに誤魔化してくれていた。
一緒に朝食を食べるため、早めに俺の家に来たこと、牛乳の残りが少なかったので近くのコンビニへ買い物に出かけたこと。俺の携帯の電池が切れていたので、充電中であること。
三十分ぐらいで帰ってくるはずだから、戻ったら連絡させること。
電話口の母さんから、七海にあまり迷惑をかけないようにと、注意されながらも、俺の側に七海がいるという安心感からか、昨日ほど心配している様子は見せなかった。
毎回、電話するまではいらないから、メッセージに反応は返しなさいとのこと。
メッセージアプリには何時の間にか、俺と両親と七海のグループができていた。旅行中は、基本的にこのグループへ送られるらしい。
電話を切った俺は、リビングのソファに座っていた七海のところへ移動する。
「おばさん、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だった。ありがとう」
随分と落ち着いた七海は、コーヒーを飲みながら、仕事用のノートパソコンで作業を始めていた。
その目はまだ赤みが残っているが、気持ちはだいぶ落ち着いている様子だ。
仕事の邪魔にならないように、黙って少し離れた位置に座ってその作業姿を盗み見た。
俺は使ったことのない、デザイン用のソフトを立ち上げて、軽快に使いこなす七海の姿。
昨日も今朝もかけていなかった、少し縁の太い眼鏡は、レンズに度は入っていないようだ。ブルーライトカット用のものだろうか。
高校時代、バレー部で動き回っていた七海とは随分と変わってしまった。
ただ、真剣に仕事に打ち込む視線は、練習や試合に真剣に取り組むあの頃と変わっていなかった。
「今日は午後から半休をとったの」
十三時過ぎ。仕事に一区切りをつけた七海が、パソコンを片付けながら俺に話しかけてきた。
半休をとった。どう考えても、俺の所為だ。
「……ごめん」
「昨日、何かあると聞いた時点で、元々半休はとる予定だったの。どうしても、片付けないといけない仕事があったから、さっきまでの作業はそれ」
七海は気にしなくても良いと、いう感じで続けるが、俺の所為であることに変わりはない。
朝の騒動で朝食も抜いた状態で、昼食も少し遅い時間になってしまった。
七海が仕事をしている間に、家にある材料で鍋の用意をしていたが。それも、作業の邪魔をしていただけではないかと思えてくる。
そのせいで、時間がかかったんじゃないかって。
「もう、お腹空いたよ。さっきから、美味しそうな匂いがしてたんだよね。豆乳鍋?」
「あ、ああ、豚肉と白菜があったから……」
「わぁ、ごまだれもあるじゃん! 早く食べよ!」
笑顔で席につく七海に急かされるまま、向かいの席につく。
七海が鍋から二人分を器に取り分けてくれた。渡されたのを受け取り、二人で食べ始めた。
美味しいと言いながら食べる七海に、俺は失敗していなかったことに胸を撫で下ろした。
一人暮らし時代に何度か作ってはいたが、料理が得意だというほどの腕ではなかったので、心配だった。
一通り、食べ終わり、〆にご飯とチーズを入れてリゾット風に味を整え、それも二人で食べ切った。
少し量が多かったかと心配したが、綺麗に食べ終わっていた。
七海が食後のコーヒーを入れている間に、軽く洗い物を済ませる。
俺が作業を終えたのを確認すると、先程まで座っていた椅子を指差される。テーブルには俺の分のコーヒーが置かれていた。
「……で、話してくれるんでしょ?」
七海の問いかけに、俺はことばに詰まった。
既に、巻き込んでいる。今更、なかったことになんてできないことはわかっていた。
「……啓輔が何考えてるのかわかんないけど。あんなもの見せられて、何の説明もされない方が、私は嫌だよ」
俺の気持ちを見透かしたかのような言葉に、思わず七海の顔を見てしまった。
ご飯中も、目を合わせることができなかった。色々と感想を言ってくれていたけど、曖昧な返事しか返せなかった。
巻き込んだという後ろめたさから、七海の目を見るのが怖かった。
泣かせてしまった七海の目を正面から受け止めるのが怖かった。
正面から見た七海は、怒ってはいなかった。いや、むしろ、心配しているとても俺を気遣っている目だった。
啓輔の場合は。 藤沙羅 @ktrsay
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