第二部

第1話 開幕は非現実的。

「お大事に」


 受付の女性の言葉を背に受けながら、俺は通い慣れた自動ドアの入口を潜った。

 手にある袋には数種類の色も形も異なる錠剤が入っている。

 診察をしてくれている医師から、精神安定剤とか睡眠導入剤とかビタミン剤とか、そのような類の説明をしてくれていたように思う。

 素人判断は危険だとわかってはいるが、飲む必要性を感じることが出来ず、話を半分に聞いてしまった。

 一度も飲んだことがない同じような錠剤が部屋の引き出しの奥に溜まっている。

 精神科も入った総合病院で、朝から半日ほどかけて行われた検査を終え、やっと一息つく。


 あの日。

 飲み終わった缶コーヒーを駅のゴミ箱に捨てると、次に来た電車のいつもとは違う車両に乗ってマンションのある駅で降りた。

 駅からマンションへ向かう途中にあるコンビニに立ち寄り、おにぎりとペットボトルのお茶を持ってのんびりと帰路に着いた。

 懐かしさを感じるマンションの部屋の鍵を開けようとした俺を、ぬっと伸びてきた腕が捕まえる。


 そのまま人生初となるパトカーを体験し、警察へと連れて行かれた。

 運転免許証や健康診断証。連絡を受けて実家から慌ててやってきた母さんと対面し、なんとか皆井啓輔本人であると証明されて。

 俺はその時になってやっと、こちらでの時間の経過のことを考えた。


 エルコティアソフィアで過ごした時の流れは、良かったのか悪かったのか、地球とほぼ同じだった。

 向こうで過ごした一年はこちらの一年で。

 俺が向こうへと行った次の日。

 会社に出社しない俺に上司が連絡を取ろうとするも繋がらず。マンションの管理人に事情を説明して鍵を開けて入った部屋には荒らされた形跡もなければ住人が帰ってきた形跡もない。

 実家に連絡を取るがどこにいるかは解らず。

 事件に巻き込まれてしまったのではないかと、警察へと捜索願が提出された。


 またタイミングが良いのか悪いのか。

 ちょうどその時、とある殺人事件の犯人を追っている最中で、場所が近かったこともあり大々的に捜索が開始。

 会社のある駅のホームで電車に乗り込む映像が確認されたが、どこの駅でも降りた形跡が見つからない。

 幸い殺人事件の犯人については半年前に捕まったそうだが、俺は行方知れずのまま。

 手がかりも何もない状態で、現代版神隠しとも言われ、数ヶ月前には全国ニュースにもなったらしい。


 迷宮入りかとも思われ、警察にも家族にも諦めムードが漂い始めていた。

 そんなときに、何事もなかったかのように姿を現した俺。

 情報提供のビラが配られていたこともあってか、マンションのある駅で降りた俺に気づいた駅員が警察に連絡。

 防犯カメラの映像と全く同じ格好の俺の姿を確認した警察に保護された、というわけだ。


 ここで、見つかりました、めでたしめでたし。

 で、終わらないのが童話やおとぎ話とかとは違うところだろう。

 警察での事情聴取に始まり、仕事は当然のことで解雇されていて、もう少しで精神病棟へと入院しなくてはいけなくなるところだった。

 事情聴取と仕事のことは仕方がなかったとしても、精神病棟騒ぎは俺の失態だ。

 警察でも、連絡をした仕事上の上司にも、異世界に行っていましたなんて本当のことだとしても言えるはずもなく。

 一年間の記憶がないようにふるまった。


 実際にそうやってふるまうこと自体はそう難しいことではなかった。

 事実、地球での一年間の記憶がないのだから。

 だけど、両親にしつこく理由を聞かれて、心配する二人に、つい、こぼしてしまったのだ。

 魔法のある世界に行っていた、と、召喚されたんだ、って。

 サッと表情を青ざめ、口元を強張らせる両親を見て、咄嗟にそういった世界観で書かれている小説を本棚から取り出したのは、なかなかの判断だったと思う。


 あの時としては最善の回避策だったとしても。

 何か辛いことがあって、小説と現実の区別ができなくなってしまったのでは? と、重度の現実逃避病を疑われた。

 何故か、医師からもそのような内容の診断を受けた。

 俺の演技の賜物なのか、本当に俺はどこか精神がまいってしまっていたのか。


「……でも、現実なんだよな」


 そろそろじゃないかなとは、思っていた。

 帰ってきてからばたばたと忙しく過ぎて行った数日。

 部屋の鍵が掛かっていることを再度確認する。

 一年間放置されていた俺の借りていたマンションの契約は切れていた。

 失踪事件を起こしたことになっている俺に、過保護になった両親の強い説得もあり、今は実家に帰ってきている。


 高校の頃まで使っていた部屋はあまり変わっていなくて、懐かしさと安堵を覚えたのは確かだ。

 押入れの奥に隠しておいたリュックを背負うと、携帯をマナーモードにしてベッドのそばへと置いた。

 ついさっき、夜まで寝るから起こさないで欲しいと母さんにメールをしておいた。

 時間は昼を過ぎてすぐ。

 今日は父さんの帰りが遅くて、夜ご飯は八時過ぎになると言っていた。

 滞在可能な時間は、大体七時間ぐらい。


 ちょっと古い型の懐中時計をズボンのポケットに突っ込んで、部屋の真ん中に立った。

 ざわざわと覚えのある気配に、心臓が一つ跳ねる。

 リュックの奥には現実逃避でも妄想でも夢でもなかったことを証明する、魔法の杖が入っている。

 足元に浮かび上がった陣から、白い光が部屋の中を包み込む。

 あまりの眩しさに目を強く瞑りながら、俺は思った。

 カーテンは閉めておくべきだった。


 閉じた瞼の向こうで、強い光がだんだんと治っていく。

 ゆっくりと目を開けると、視界に広がるのは一年前のあの日と同じだけどどこか違う光景。

 少しくたびれた木の床と壁。所狭しと並べられた本の数々。本棚に収まりきらない本が床に積み上げられていた前回とは違い、代わりに描かれた二つの大きな陣。

 俺の足元を中心に広がるように描かれた、転移の魔法陣。

 それと並ぶように描かれた、転送の魔法陣。


 床へと落としていた視線を上げると。

 オケアノス学院の制服である、魔法使いのローブのようなものを着た少年。ネモア・グリサラーサ。

 前回はネモアの魔法でこちらへと喚び出された。

 その隣に立って杖を掲げている、白銀の髪と翡翠色の瞳を持つ女性。ユリア・オメクトリ。

 彼女の起こした行動が全ての始まりだった。


 そして……。


「お、王様?」


 アニュキス国の現国王、カルディナ王。

 薄く口元に弧を描き、そこに立っているだけであるはずなのに、存在感に満ち溢れ、その背後が輝いているように錯覚する。

 その側にカルディナ王を護るためであろう騎士が数名。

 予測していなかった人物の姿に、おかしな声をあげてしまった。


 うまく状況を飲み込むことが出来ず、助けを求めるようにユリアの隣に立つネモアへと視線を向けた。

 交差した瞳には、戸惑いや申し訳なさや悲痛や、色々な感情が混じっているように見えるが正確なことは解らなかった。

 そんなネモアの表情が、一年前に必死で土下座をしていた時の姿とダブって見えた。

 厄介ごとでなければ、いいんだけど。


 俺の人生二度目の異世界召喚は、とんだ再会で幕を開けた。


「元気そうでなりよりだ。無事に故郷へと帰れたのだな」


 隣のリビングへと移動した俺たちは、机と四つしかない椅子に座っていた。

 通称、お誕生日席と呼ばれる場所にカルディナ王が座り、その右側にユリアとネモア、左側に俺が座っている。

 護衛の騎士達はカルディナ王の周りを固めるように、とても良い姿勢で立ちながら周囲を警戒している。

 ユリアの持ち家であるここは、街から少し離れた場所にある、少々年季の入った一軒家。

 それに似合った、座るとギシリッと音を立てる木の椅子と、角や色々なところが欠けた机。


 一見、一国の王とは不釣り合いのようにも思えるのに、カルディナ王が座っているというだけでアンティーク家具にも見えるのだから不思議だ。

 俺は、どうしたものかと思考をしていた。

 ネモアがこちら側に座ってくれていれば、まだ、小声で状況確認とかも出来たかもしれないが。

 喚び出されてから一度も話すことは叶っていない。


「はい。喚び出された時にいた場所へ、無事、戻ることができました」

「それはなにより」


 緊張をしながらも返した言葉に、フッと表情を和らげるだけのカルディナ王。

 その何も含みもないように見える自然な微笑みに、勘ぐりすぎだったか? と、頭の中で首を傾げる。

 先ほどは、予想外の人物の存在に戸惑ってしまったが。

 カルディナ王が転送の魔法陣について知るために此処にいる、と考えるのが、妥当なのかもしれない。


 この世界の魔法は、ゲームや小説で見ていた魔法ほど万能ではない。

 前回、この世界に喚び出された原因が、転移の魔法陣の誤作動によるものだった。

 転移の魔法陣とは、この世界に存在する魔力を持ったものとの繋がりを作り、呼び出すための魔法だ。

 呼び出すためには繋がりが必要不可欠となる。


 放浪癖のあるユリアを弟子であるネモアが呼び出すために用意された転移の魔法陣。

 ユリアは転移の魔法陣についての研究を重ね、この繋がりを完全に消すことで、自身を呼び出せなくする方法を考え出し実際に行った。

 その方法はユリアを呼び出せなくするという点に関しては成功だったが、転移の魔法陣自体の無効化が出来ていたわけではなかった。


 何の因果か、その消した隙間にたまたまはまってしまったのが、地球の日本でいつもと変わりなく過ごしていた俺。

 会社帰りにいつもの電車に乗り込もうとした時だ。

 そもそも、転移の魔法陣にはそういった事象が発生する誤作動がある、という認識は広くされていた。

 俺と同じような事例が過去に何度か発生していたのだ。


 それならば使用を止めるなどの処置が取られてもいいように思うが。

 その問題を無視してでも、転移の魔法陣の使用に制限が掛かっていなかったのには、この世界の魔法が万能ではないことがあげられる。

 移動系の魔法というものは、かなり昔から研究されているらしい。

 それでも、そうそう簡単にできるものではない。

 そのほかの魔法に関しても、いまだに魔法技師と呼ばれる魔法陣の開発を専門とする職業や魔法の研究者が一般的であるほど、開発や改善が進められている途中だ。

 世界の魔法陣がまとめられた本が、辞書一冊分程度で納められているという事実もあり、まだまだ発展途上なのだろう。


 そんな中、転移の魔法陣は、魔法使いでも魔法陣の研究者でも魔法技師でもなく、ただ絵を描くことが好きな売れない一人の芸術家。ティラムによって偶然にできたものだった。

 ティラムが発表した『世界を表現した』絵が魔法陣として発動して、転移の魔法陣の誤作動による最初の被害者、カトリヌが現れた。

 何年、何十年と研究されてきた中で一向に進展を見せなかった移動系の魔法。

 偶然起きた誤作動による転移の魔法陣。


 作成者であるティラムの手によって、偶然を必然にするための研究が進められたが、繋がりのあるモノを呼び出すことができるようになっても、転移の魔法陣にはまだまだ不明確な部分が多い。

 そのためになくなることのない誤作動の被害者。

 ただし、転移の魔法陣の誤作動という事例が何度かあるからといって、俺のように異世界から喚び出された、なんて事例はなかったわけで。

 通常の誤作動の対処法は、陸や海を渡って故郷に帰ることになるのだが。

 陸や海、ましてや空すら繋がっているか解らない異世界に帰る方法なんてなかった。


 転移の魔法陣の誤作動が広く認識されていて、被害者である俺の立場は悪いものではなかったおかげで、世界最高峰の学び舎と呼ばれるオケアノス学院に入学し、帰る方法を探す手段は得たが。

 一年の月日をかけて調べた成果は、解らないことと不可能ではないかという思いが増えるだけだった。

 突然の転機は、そもそもの元凶であり、ティラムとカトリヌの娘であるユリアによって、転送の魔法陣の存在を知ったことだ。

 ユリアの机上の理論では完成しているはずの転送の魔法陣は、正しく発動する確証も、元の場所へ帰れるという保証もなかったが。

 俺は無事に帰ることができた。


 転送の魔法陣が成功したかどうかの確認のため、こちらの世界で一週間後にあたる今日。

 予め繋がりを作っておいた転移の魔法陣で喚び出される約束をしていた。

 新しい魔法というものはとても貴重で、かつ、移動系の魔法となると価値は格別だろう。

 転送の魔法陣の存在を知ったカルディナ王がこの場にいることは、当たり前のようにも思える。

 だけど、俺が帰る前のユリアの話では、転送の魔法陣を世に出す予定はないと言っていた。

 それに、ネモアの態度も気になるところだ。


「……つかぬことを聞くが」


 自分の考えに沈み始めていた俺に、カルディナ王の低く落ち着いた声がかかる。

 ハッとして視線を向けると、こちらを観察するようなカルディナ王と眼が合った。

 俺の体を頭の上から足の先まで、カルディナ王の視線が流れるように滑っていくのを感じる。

 座る際に椅子の足元においたリュックもじっくりと見られている。

 思わず緊張で体が強張り、小さく肩が震えたが。かろうじて椅子の音を立てるようなものは抑えることができた。


「ケースケは、王族の御子息であったのか?」

「は? え、いえ、そんなことは……」

「君の今着ている服は、裁縫が細かくとても上質なものに見える。持っているものも質が良く、装飾の品は国に贈られても見劣りしない物に思う」


 質問の内容が自分とかけ離れていたので一瞬理解できず、曖昧に答えてしまったが。

 難しそうに眉を寄せてカルディナ王は続けて呟いたのは、自分の考えをまとめる為なのか、俺に問いかける響きではなかった。

 そのため、下手に喋ってはボロを出してしまわないように口を噤んで、次の反応を待つ。

 しばらく考え込んだ後、顔を上げたカルディナ王にしっかりと眼を合わせられ、何もかも見透かすような視線と交わる。


「ケースケ。君は、何処の何者なのか?」


 ネモアの小さく息を飲む音が聞こえた。

 俺はカルディナ王から視線を離さずに、問われている内容の真意を探ろうとするが、そうそうできるものではない。

 相手は一国の王様で、こちらはただの一般人だ。

 社会人経験が四年ほどの人間に何ができるというのだろうか。

 手の平がだんだんと熱を持ち、じんわりと汗が滲んでくる。


「……王様は、海の先に何があるか知っていますか?」


 必死に頭を回転させて、やっと言えたのはそんな言葉だった。

 緊張の中、なんとか絞り出した声だったが、想像していたより震えていなくて、逆に少しトーンの低い落ち着いた声に聞こえた。

 それが、自分の願望が起こした幻聴でない事を祈りつつ。

 カルディナ王と交わしたままの視線の意志が強く見えるよう、真剣に感じるよう、眉に若干の力を入れる。

 やってしまった後になってから気がついたが、睨み付けている、と思われないだろうか。

 そんなことを考えながらも、黙ってこちらを見るカルディナ王の次の言葉を待つ。


「……海の先とは、シンフォアやアポテメタンの事ではないな。……外海……のことか」


 確認するように呟かれたカルディナ王の言葉に、しっかりと首を動かして頷くと、自然と目線も下がった。


「外海と君に関係がある。と言いたいのか?」

「その事をお話する前に、俺の知識が正しいものなのか、確認をさせてください」


 城で初めて王様に謁見をした時のようだ。

 あの時は、ヘランドという店で見つけた魔道具の販売権についてだった。

 一般的な魔道具のほとんどが箱型をしている。

 性能の良し悪しは魔道具に組み込まれている魔法陣の性質や性能に直結していて、エルコティアソフィアでは、良い魔道具は良い魔法陣という方程式が広く世界に浸透していた。


 ヘランドの店主、マルクが販売していたのは初級の魔法陣を使用した魔道具。

 だけど、俺にはマルクが製作した洗濯機は、小学校の社会や家庭科の教科書を思い出させる立派な二層式洗濯機だった。

 魔法という動力のおかげで、排水のことだけを考えればどこにでも設置できるそれは、現代の洗濯機よりすばらしく、とてもエコかもしれない。


 しかし、この世界で一般的ではないマルクの考えた技術は、国を巻き込むほどのすごい発見であったわけだ。

 貴族間での販売権を巡った騒動に巻き込まれ、事態収束のため、城へ呼び出されたのだ。

 その時も、販売権について調べた自分の知識が正しいのか、確認をするための時間を設けてもらった。

 そんな風に過去を思っていたのは向こうも同じだったようで、カルディナ王の険しくなっていた表情が少し崩れ、柔らかくなったように感じた。


 エルコティアソフィアは、その昔。一つの大陸だった。

 ある時、天から一つの雷鳴が響き、大陸は二つに割れ、ロア大陸とムア大陸ができた。

 大陸が二つに割れたことにより海流が生まれ、気候が変わり。

 ロア大陸は大津波によって、ムア大陸は大きな地割れによって。

 現在のノシルフィ、アポテメタン、シンフォア、イエルザの四大陸に分かれた。

 その四大陸に囲まれる内側で楕円形に広がる海は内海、四大陸の外側に広がる海は外海と呼ばれている。

 外海に何があるのか。外海はどこまで続くのか。

 その事実を知る者はいない。

 外海へ出て帰ってきた者はいない。


 オケアノス学院の低学年。一年生から三年生の間に学ぶ、エルコティアソフィアの歴史。

 補習で教わった中に、外海のことがあった。

 小さい子供でもわかりやすいように絵本になっていて、簡単な言葉でまとめられたそれがエルコティアソフィアという世界の全てだった。

 何故、外海を調査しないのか。

 地球だって、過去に航海へ出た様々な人々が新大陸を発見し、偉人として名を残している。

 エルコティアソフィアの人々にだって、それをしなかったわけではなかった。


「外海が魔物の巣窟で、人々が足を踏み入れられない場所だというのは、本当ですか?」


 俺の問いかけに、カルディナ王は沈黙する。

 補習の時、外海には何があるのか、と質問した俺が答えてもらった説明は、要約すると魔物の巣窟だった。

 大陸から外海の沖へ数キロ進むと、海底が突然深くなる境目があるらしい。

 今まで綺麗なコバルトブルーであったはずの海面が、突如、光の届かないほど深い海底により、黒い闇色にも見える深く濃い青に染まる場所らしい。


 なだらかに深くなるのではなく、まるで、そこから抉り取られたかのような、断崖絶壁が海の中に存在するのだと。

 外海へ出ると怖い魔物に海底へ引きずり込まれてしまう、と書かれているものがあった。

 危険だから近づかないように、という意味で語られている言葉であるらしいが、深くなった海底のあるその場所には、その深さに見合った巨大な魔物が巣食っているのだとか。

 本当に外海へ出た人達はその魔物に引きずり込まれてしまったのかもしれない。


 一つ一つの説明を思い返し、まだ沈黙を続けているカルディナ王へと意識を戻す。

 どこか探るような視線は変わらず、俺の問いかけに適切な答えを探しているようにも見えた。

 だから俺は先に口を開く。


「俺の故郷は、大小様々な大地からなる場所です。その中でも周りを海に囲まれた島国で暮らしていました」


 故郷の島国を日本と呼んでいること。

 自分たちのいる場所を地球と呼んでいること。

 夜空に浮かぶ大きな丸い星を月と呼んでいること。

 地球には魔法がなく、使えないということ。

 魔法や魔道具の代わりに、電気や機械というものがあること。

 自分は専門家ではないので、それがどういった方法で製造されているのかは解らないが、簡単な仕組みや原理は学校で教わったこと。


 俺がこちらで過ごした一年間は、あちらでの一年であったこと。

 あちらに帰った俺は、何らかの事件に巻き込まれて、その時の衝撃で一年間の記憶がない状態である、というふうに装っていること。

 そして、大陸の外側の海には危険な魔物がいるため、その先に何があるかわかっていないこと。


 嘘と少しの本当を混ぜながら、話に真実味を纏わせていく。

 まぁ、日本の本当のことを言ったとしても、夢物語にしか聞こえない可能性も高いが。

 異世界という表現よりは、同じ世界のまだ知らない場所から来た、と表現した方が少なからず現実味があるだろう。


「このエルコティアソフィアの外海の先に、ケースケの故郷である地球があり、ケースケはそこから呼び出されたと言いたいのか」

「そうかも知れないですし、そうでないかも知れません。あくまでも俺の故郷の話で、外海の先に地球があるという証明も保証もできません」

「……なるほどな。中々に興味深い。また、ありえない、と言い切れる話でもない」


 外海に魔物が巣食っているというのは本当のことらしい。

 過去、幾度か外海の研究と新大陸発見のため、人々は海にでた。

 エルコティアソフィアの絵本で語られる「外海へ出て帰ってきた者はいない」は、危険だと認識させるための言葉で。

 数キロ先で海底が断崖絶壁のごとく深くなっているのを確認した人も、巨大で凶暴な魔物を目の当たりにした人もいる。

 その内の多くが海の藻屑と消えたことも事実ではあるが、少ないながらも情報を持ち帰った者がいたことも確かだ。


 また、そのような危険な魔物が外海にいるとなると、エルコティアソフィア自体の危機のようにも思えるが。

 過去から現在までの記録に残る限りでは、外海の魔物が浅い海底へ現れたことはない、とのこと。

 カルディナ王はそこまで口にすると、改めて目を合わせた。


「そのための、記憶喪失か」

「はい。ですので……」

「よい。ケースケの故郷の話は、今だけの話だ。悪戯に夢を抱かせる必要もないだろう」

「ありがとうございます」


 確証もない仮定に、新天地を夢見た人が、地球を目指して外海へ出るかも知れない。その逆もしかり。

 本当は地球に外海なんて物騒な海はないし、地球が丸いことも、詳細な世界地図があるので今更新天地を探す人は少ないだろうが。

 魔法が未だに発展途中のエルコティアソフィアでは、科学や化学といった分野も未だに発展途中だ。

 地球のように電気や機械といったものが発明されない理由の一つには、魔法が存在する所為ではないかと俺は思っている。


 現在のエルコティアソフィアでは、電気に代わる魔力というエネルギーを、機械に代わる魔法陣で制御する方法を探すことに手がいっぱいだ。

 そのため、他の方法というのを思いつくに至っていないのではないかと思う。

 目に見えているものに、まだまだ改良の余地があるのだ、他のものは後回しになってしまうのではないだろうか。


 また、日常的に消費される食材なども、貿易よりは自給自足率の方が高い。

 そのため、現代の日本では当たり前になっている、長期保存可能な食品加工技術などは数が少なく質もよくない。

 馬車や船の製造も大部分が木製だ。

 外海への後悔は得るものより、失うものの比率の方が高くなるわけだ。


 緊張感で覆われていた室内の雰囲気が薄れていくのを感じる。

 一時しのぎかも知れないが、すぐにどうこうなるという、悪い状況だけは避けられたということにほっと息をついた。

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