エレイ先生の場合は(3)
キシャルナの森の奥。その過ごしてきた年数にあった貫禄と威風堂々とした巨大な姿にしばらく目を奪われていた。
寝床の準備を終わらせると、ケースケたちはすぐに課外自習の調査環境を整え始めた。
環境を整えると言っても、開けた場所に線を引き、棒を立てるだけのとても単純なものだった。
魔法陣を取り出した時には、周りに被害が及ばないか不安になったが、それらが全て初級の魔法陣の中でも更に威力の小さなものだということに黙って見守ることにした。
「……そんな」
そして始まった調査。
私の目の前ではケースケたちが黙々と作業を進めていく。
最初は何をしているのかわからなかった。
同じ魔法を繰り返し、少しすると違う魔法を繰り返す。魔力切れを起こさないように、順番に魔法を使う役が変わり。
こんな方法で……。
たった、五人。それも初等学の四年の生徒が始めた調査方法が、それが、何を測定するための調査なのか。浮かんだ私はその事実に釘付けになった。
確かに、地質調査と呼ばれるものだろうが。
彼らが行っているのは、私が何年も何年も考えて至らなかった、『魔力』を測定しているのではないだろうか。
陽が傾き、あたりが暗くなる頃。ケースケたちの今日の調査は終わったようだった。
明日も朝から引き続き調査を続ける様で、立てられた棒はそのままだ。
集めた枯れ葉や枝で作った火を囲みながら夕食をとる。
私は口元に持っていっていたパンをかじるのを止めて、数回、口を開閉させたあと、乾き始めていた唇を湿らせた。
目の前に揺れる火を見ていると、その視界の左端に彼の足が映った。
「ねぇ、ひとつ聞いてもいいかしら?」
俯いたままの私の問いかけに、それまで談笑していた声が止む。
全員の視線が私に向けられているのが肌を通して伝わってくる。
ケースケたちの調査方法を見て、私が思ったこと。
彼らは何故、こんな方法を知っているのか。
私は何年も、魔法の研究を続けてきた。
魔法の強さは、その魔法陣がどれほど優れているかによって変わってくる。
魔法の効力は上級の魔法陣になればなるほど、魔法使いの技量によって差が出る。
個人差が少ないのはほとんどの者が使える、初級の魔法陣ということになるが。初級の魔法陣は効果が低く、一瞬で終わってしまうものがほとんどだ。
それを数値的に比較する方法、今まで私は聞いたことも見たこともなかった。
それを何故、彼らは知っているのか。
「エレイ先生? 何か聞きたいんじゃないのか?」
ジル先生の言葉に、深く潜り込んでいた思考から上昇し、顔を正面に向ける。
炎に照らされて、淡く浮かび上がる白い肌。赤い炎の色が反射しているのか、その肌はいつか見たエカトルタの夕焼けに染まる砂漠の様だった。
アニュキスでは珍しい、双黒の瞳に、対となるロアとムアと輝く星が映り込み、夜空を閉じ込めた様に感じた。
「あの、調査方法は、どこで調べたの?」
私は確信していた。
今回の調査方法を考えたのがケースケであると。
夜空に向けられていた二対の目が、真っ直ぐにこちらを向く。
黒い中に揺れる炎に、私は、全てを見通されているんじゃないかって錯覚する。
あたりを包む静けさと、時折聞こえてくる風の音と、何も話さずに交差する視線。
「調べた、と言われると困りますが、俺が考えました」
いつまで続くのかと、背中を妙な感覚が覆い始めたとき、ケースケが口を開いた。
続けられたのは、今回の調査方法の詳細。
威力を数値化するために、わかりやすく目盛を引く。
元から威力が強すぎる魔法陣だと、変化がわかりにくいので、調査対象は初級の魔法陣だけ。
魔法陣の効果は常に一定だとは言えないので、平均値を求めるために、一つの魔法陣について数回観察する。
目盛を引いて観察することで、縦長や横長の効果を見せる魔法陣の場合でも、おおよその大きさは判断できる。
それほど難しい道具を使わずに、比較的簡単に確認できる方法として考えたのだという。
「私は、何度も魔法の研究学会に参加して、色々な方法を調べてきたわ。でも、こんな調査方法、聞いたことも見たこともないわ。……一般的ではないだけで、既に他の誰かもやっている方法かもしれないけど」
ケースケは自分で考えたと言った。
私が教師になる前に魔法の研究をしていたと告げても、ケースケは何故私がこんなに興奮しているのか理解していない様子だった。
「研究や開発をする人は、それがそのまま自分の地位に繋がるから。その方法が素晴らしく良いものであるほど、人には話したがらないものなのよ」
どこにでもある器具で行える合理的なケースケの調査方法は、それだけでどれほど研究の幅が広がることか。
続けた私の言葉に、感心したように声を漏らすだけのケースケ。
その態度に、思わず掴み掛りそうになった。
「でも、やっていることはとても簡単なことですよ。俺が試していなくても、いずれ誰かが思いついていたんじゃないですか?」
それよりも早く、ケースケが述べた言葉に、彼は本気でそう思っているのだと分かった。
確かにケースケが説明した調査方法は、とても簡単なものだ。方法さえ知っていれば誰にでもできるものだ。
一度、誰かがやって、それに続くことは確かに容易い。
その……初めて……になるのが、どれほど大変なことか。ケースケは気づいていないのだろう。
いや、大変なことだったと、ケースケは思ってすらいないのだろう。
ケースケの頭の中には、どれほどの閃きと知識が隠されているのか。
やはり、ケースケはとても凄い子だ。
私の中に浮かんだ羨望。
その奥にひっそりと浮かぶ、黒い感情には気が付かないふりをして。
休日、久しぶりに街に出た。
一軒の豪華なレストランの前で、私は手の中の文字と看板を見比べる。
週の中頃、部屋に届いた一通の手紙。
目の前にある店の名前と場所、日時が書かれたそれに付け加えられた一文。
……貴女の今後についてお話があります……。
差出人の名前はなかった。
不思議に思いながらも、その一文が気になって、気が付けば服を着替えて足を向けていた。
まさか、こんな豪華な店だとは思っていなかったから、普段着できてしまった。
そのことに店の中に入れずにどうしたものかと、ただ看板を見上げて途方にくれていた。
「エレイさんですか?」
「え?」
突然肩を叩かれて、そちらに振り返ると、柔らかく微笑む老紳士が立っていた。
誰かの使用人のようで「お待ちしておりました」と優雅に礼をとると、呆然としていた私の手を引き、気が付けば店の扉をくぐっていた。
「あのっ! ちょっと……!」
あまりの展開に慌てて止めようとするが、にこやかに微笑むだけの彼は店の奥へと向かい歩いて行く。
見えてきた派手な装飾のされた個室へと続くドアを開けると、そのまま私を中に押し込んだ。
閉まるドアをただ見つめていると、部屋の奥から声が掛かる。
「突然のお呼び立て申し訳ない。エレイ先生」
慌てて振り返ると、その声の主を見て思わず呟いていた。
「エリオット・アドリーン……?」
「ああ、ご存知でしたか。ヒュートス・アドリーンです。息子は元気にやっていますか?」
「え? あ、エリオット君のお父様ですか?」
状況についていけない私に、ヒュートスは自分の座っている前の席を勧める。
訝しく思いながらも、いつまでも立っている訳にもいかず、恐る恐る席についた。
それにしても、何故隣のクラスの生徒であるエリオットのお父様が、私なんかをこんな場所に呼び出したりしたのだろう。
しかも、エリオットの今後についてだたらわかるが、何故、私の今後について……?
「突然の手紙、申し訳ありません。驚かれたでしょう?」
「え、ええ。それで、私の今後について……とは……?」
「いえ。大したことではないのですが……。貴女を優秀な魔法研究者と知り、お願いしたいことがありまして」
そう言ってヒュートスはそばに置いてあった鞄から、数枚の紙を取り出した。
受け取ったものの、私はしばらくどうするべきか悩んだ。ヒュートスが見ることを目で促してきたので、彼の視線から逃げるように手元の紙へと目を向ける。
まず、飛び込んできた文字に、小さく息を呑んだ。
続くその内容に、まさかと目を疑った。
……ケースケ・ク・グリサラーサの国家魔法研究所資料盗難について。
八月某所、研究所内にて資料の紛失が発生した。
当初、事故か事件か不明のため、極秘に捜査が行われた。
対象の資料がごく一部のジーナをはじめ、国家魔法研究所の中核が携わっていた最重要機密であったこともこの一因である。
同年、十一月、メウテスロで資料と酷似した調査を行う者がいることが分かった。
その後、パリアカ、エカトルタ、キシャルナと、資料の調査結果をなぞったかのような行動がとられる。
さらに、ケースケ・ク・グリサラーサはこの時の調査方法について、自らが考えたことと周知させようとしている。
これは調査をしたという事実を作る目的があると思われる。
行動の記録として追加されていた、ケースケたちの課外自習やその後の行動が簡単にまとめられていた。
特にケースケの行動を記録したものが一番多く、証拠を隠すためか、暗号のようなものを使用していると記述されていた。
「エレイ先生は、彼らに同行してキシャルナの森に入ったと聞きました」
「……はい」
「エレイ先生。魔法研究者として、彼らの調査方法は異様だと思いませんでしたか? こんな方法を、子供が考えられるものかと」
「っでも! ケースケ君は、とても優秀で……」
「それが、そもそもおかしくはないですか?」
スッと細められた視線が、私を射抜く。
部屋が暑いわけでもないのに、額からは汗が流れ始め、喉が引きつるような感覚が襲ってくる。
「転移の魔法陣の誤作動。自分の住んでいた場所もわからない。なのに何故、最高峰と呼ばれるオケアノス学院の初等学の四年に編入できたのか」
「……」
「彼を調べれば調べるほど、不明確なことばかりです」
深く息を吐きながら、まっすぐに向けられた視線が外される。
沈黙が部屋を包み込む。
私は手の中の紙の文字を、まだ、信じられない思いでたどっていた。
「……私に、何を、お願いしたいのですか?」
呟いた声は、蚊の鳴くように小さな声だった。
授業が終わると明日の必要な準備を早々に済ませ、自室にこもった。
机の上には、黒で埋め尽くされた紙が束ねてある。床にも幾枚もの紙が折り重なり、壁にも針で貼り付けてある。
足元に散らばる紙を踏まないように避けて通りながら、最近、この部屋での指定席となった椅子に腰を下ろす。
重ねた紙の塔を端に寄せて、空いたスペースに紙を置き、筆を手にとった。
机の隣にある本棚から一冊の本を選ぶと、挟んでおいた栞に指をかけて頁を捲った。
私はここ数年、読み返すことが減っていた過去の研究資料を掘り起こし、様々な調査方法と調査結果を書き出していた。
数値的に魔法陣の威力が表現できる。
それだけで、今までは不明確だったことが一つひとつ、解明できる。
はやる気持ちと、次々に浮かぶ方法に、紙の上を滑る筆と踊る文字。
気がつくと夜が更けているなんてことは、このところの日常となってきていた。
「課題の採点をするのを忘れていたわ……」
一息つくために紅茶をいれて、持ち帰ってきていた鞄が膨れているのを見て思い出した。
外には既にロアとムアが浮かんでいて、そろそろ寝ようかと思っていたため、これから採点を行うと思うと、感じていなかった疲れが一気に押し寄せてきた。
小さく息を吐きながら鞄から課題として提出してもらった紙の束を取り出すと、その一枚目に目を落とした。
「……相変わらず優秀ね」
さらりっと目を通しただけでも埋まっている全ての問題。
算数の授業に確認課題としてに十分程の時間を取り行ったそれは、ところどころにひっかけ問題や少し先の問題もあった。
その全てが埋まっている。
答え合わせをすると正解が続き、最後まで間違いが出ることはなかった。
ケースケ・ク・グリサラーサと綺麗な文字が書かれたその横に、点数を書きながら、小さく吐息が漏れていた。
キシャルナの森から戻って、一週間後に提出された課外自習の課題も完璧だった。
量もさることながら、意地悪な課題もそれなりに織り交ぜられていたのに、座学優秀なファンがいたといってもあそこまで完璧にできるものだろうか。
五人分より多い課題量は、言ってはあれだがあまり座学の成績が良くないウィズがいることを考えると、実質四人で行うことになったのだろう。
間に合わなくて、二、三日延ばして欲しいと、頭を下げにくる姿を思い描いていた先生たちは、その顔や全身に疲労を訴えながらも期日内に提出されたことに驚いていた。
その提出内容が完璧だったとあれば、驚きはひとしおだ。
一番の功労者がケースケであることは、周知の事実であったりする。
転移の魔法陣の誤作動で現れた、自分の住んでいた場所もわからない辺境の地からきた一人の少年。
編入当初からケースケの優秀さは群を抜いていた。
それは、頭が良いとか、運動が出来るとか、そう言ったものではなかったけど。
考え方や、閃きや、いっそ時代の天才たちにあったものを持っていると言えばいいのだろうか。
羨ましいと思う。
自分にその才があればと、憧れを抱くものは少なくない。
教師の中でも、ケースケを知っている人はケースケと話したがる。
廊下での立ち話であったり、授業後の質問であったり、放課後のお茶へのお誘いであったり。
ケースケの言葉から、新たな思考の波をうねらせ始める人がどれほどいるのか。
それが、仮初だとしたら……。
ヒュートスに呼び出されたあの日から、私はヒュートスの従者を通じて様々な指示を受け報告書のやりとりを行った。
決定的な証拠。
それを探すために、ケースケと言葉を重ねて、不自然にならない程度に課外自習や学習発表会のことを探った。
だけど、思ったほど事はうまく運ばなくて。
二日前に届いたヒュートスの手紙には、強制連行の文字。
明日の放課後、ケースケは城に連れられていくのだろう。
でも、魔法の研究をする者として、私の判断は間違っていないはずだ。
人の功績を盗んでまで、達成することほど、虚しいことはないと私は思っている。
ケースケは犯罪者かもしれない、けれど、私のクラスの生徒だ。
生徒が間違った道を歩もうとしているのだから、私は担任として正してあげることが、教師としての務めだと思う。
それなのに、如何して? 何で? 何故なの?
頬が引きつるのがわかる。ヒュートスの従者の言葉を聞きながら、頭の中では疑問符と憤りが渦巻いていた。
カルディナ王の元で行われた聴取。
ケースケはこともあろうに、自分が研究していた内容が……たまたま……国家魔法研究所のものと同じだったと言い切ったという。
その上で、先に発表すればそれが自分の功績になると。
なんて、愚かな行いなの!
震える手を握り締めながら、湧いてくる怒りで叫び出さないようにするのが、今できる精一杯だった。
カルディナ王も王だ。
その後のケースケの口上に上手くのせられて、わざわざ学習発表会まで持ち越すなんて。
ケースケはその間に、どれだけの悪知恵を働かせるのか。
人の研究内容を自分のものだと言い張るぐらいだ、それぐらい考えがあるのだろう。
「そこで、エレイ先生。大変申し訳ないのですが、引き続きこちらに協力していただきたいと、我が主人が申しております」
「はい、任せてください。一、研究者として放ってはおけませんから」
力強く頷いた私に、ヒュートスの従者は小さく笑みを浮かべ、綺麗にお辞儀をすると下がっていった。
私はその後ろ姿を見送る。
傾きかけた陽が、長い影を作っていた。
職員室内は、いつもの朝よりざわついていた。
朝一にやってきたヘリオス学院長の秘書のセイルの言葉に、少なからず動揺している様子だった。
詳しいことは話さなかったが、カルディナ王からの要請でケースケたちに騎士がつくこと、それについてできるだけ静かに過ごさせてあげて欲しいとのことだった。
昨日の寮での出来事は、騎士に連れられていくケースケたちの姿を宿直の先生が見ていたみたいで、何かがあったのだということは知られていた。
ただ、優秀な生徒だけに、悪く言う先生は少なかった。
……直に、手のひらを返すことになるのだろうけど。
「また、あの生徒ですか」
聞こえてきた言葉に、私の眉間の皺が寄るのがわかる。
それを手早く人差し指で揉み解してから、口元に笑顔を浮かべる。
その状態でゆっくりと後ろに振り返る。
声の主のイアン先生はそんな私の顔を見て、右の眉を微かに上に動かした。
「お騒がせして申し訳ありません。私が、甘く見ていたばかりに……すみません」
頭を下げる私に注がれる視線。
しばらく下げていたが、何も言われないのでゆっくりとその顔を起こす。
いつもの、刺すような視線は無く、ただ、見下ろしてくるその目。
お互いに無言で見つめあっていたが、イアン先生は何も。
ため息も、冷たい目も、言葉も、睨み付けることも、何もせずにゆっくりと私の横を通り過ぎていった。
いつもと違うイアン先生のそんな反応に、心に言いようのない不安が押し寄せる。
思わず振り返り、イアン先生の姿を目が追っていた。
一度も振り返ることなく、職員室を出て行くその姿に、一瞬だけ心臓が軋んだ気がした。
それを気の所為だと、一度深呼吸をして心を落ち着かせることで、決めつけていた。
教室前の廊下には、いつも通り楽しげに談笑する声と、人が動く音が聞こえていた。
ケースケは朝から学院長室に呼ばれていたみたいだから、もしかしたら教室には来ていないのかもしれない。
それなら、それで、いい。
自分が悪いのだと、その愚かな行いを反省すればいいんだ。
そう思って教室のドアを開けた私は、教室の後ろで異様な存在感を見せつける騎士の姿と、いつもの席に平然と座るケースケの姿に、表情が歪みかける。
何故、そんなに普通にしていられるのか。
罪の意識などまったく浮かべていないその顔に、胸に黒い靄が浮かぶ。
「ケースケ君。昨日の寮のことで話があるの。放課後、来てもらえる?」
少しぐらい、反省したらどうなの? 研究者として恥ずかしくないの?
私の言葉にざわつく教室内。
騎士にケースケが連れて行かれたのは、時間的に一部の生徒しか見ていなかったみたいだが。それなりに噂が流れていたのだろう。
ケースケへ不信の目が向けられる。
それらの視線をものともせず、柔らかい笑みを浮かべたケースケは肯定するだけだった。
その堂々とした行動に、ざわめいていた教室内は落ち着きを取り戻す。
どこまでも、冷静で、優秀な、子……。
「昨日は大変だったのよね? 無理に授業に出なくてもいいのよ?」
放課後、借りた会議室に私とケースケ。ネモアとファンと騎士の姿があった。
ケースケ一人という意味だったのだけど、騎士の有無を言わせない雰囲気に何も言わなかった。
その視線を感じながらも、私は午後に届いたヒュートスからの手紙の内容を遂行することにした。
ヒュートスからの手紙には、昨日押収した資料の中に大事な部分が入っていなかったことが書かれていた。
発表する上で必ず必要な物で、それがないことを知っていたから、聴取の時のケースケは自信満々だったのではないか、と続けられている。
騎士には部屋の隅々まで探させたから、もしかしたら肌身離さず持っているか、別の部屋に隠している可能性がある、と。
気遣う言葉をかけながら、私はそれらを聞き出す術を探していた。
「でも、学習発表はどうするの? 授業に出ている暇なんて、ないんじゃないの?」
私の言葉にケースケが笑みを浮かべる。
その意地の悪そうな笑顔に、スッと背筋に走る悪寒。
「ご心配いただいて、ありがとうございます。でも、大丈夫です。学習発表の資料は既に出来上がっているので」
気づかれている? 私が聞きたいことに?
その考えに、大きく心臓が跳ねる。
「昨日中に?」
とっさに出た言葉に、さらに笑みを深めるケースケ。
「いえ、既に作っていたものです。昨日、無事に持ち帰れました」
暗に、昨日の資料が全てだと語るケースケに、強張りそうになる表情を何とか抑えた。
私が聞きたいことがばれていたという事実。
渡さないという意思表示にもとれる発言に、黒い靄が大きくなる。
忘れていた、彼は優秀な生徒だったのだ。
優しく、素直な生徒だと、信頼さえしていたのに。
勝手にそう思っていたのは私なのかもしれないが、裏切られたとでも言ったらいいのだろうか。
いえ、そもそも、あの日々自体が、元、研究者である私を欺くための行動だったのかもしれない。
自室の机の上には、この数ヶ月で書き連ねた研究の内容が並んでいる。
今日の午後、あの店でヒュートスと直接会う。
ケースケが隠し持っているであろう大事な部分の書かれた物を、それとなく探ってみたが結果は思わしくない。
ヒュートスの従者を通じて、そのやりとりをしていたが、一人で考えるのは大変だろうと、直接会って話をすることになったのだ。
「どうしてもわからないかい?」
「すみません。中々、見つけられず……。騎士の方々が常にそばにいるので」
深くため息を吐くヒュートスに、私は首を項垂れる。
ヒュートスも色々と手を使って探っているらしいが、いまだにどこにあるのかすらわかっていないらしい。
落ち込む私と、暫く黙って何かを考えていた様子のヒュートス。
もう一度、部屋に響いた、小さなため息に肩が震える。
「ああ、すまない。エレイ先生、貴女が悪いのではないのです。ただ、優秀な研究者である貴女に、これ以上その能力を無駄に眠らせてしまうのが申し訳なくて」
「え……?」
「早くこんなこと終わらせて、私は、貴女を国家魔法研究所の研究員として迎えたいと思っているのですよ……実は」
私を? 私を国家魔法研究所の……研究員……として?
ヒュートスの言っている言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
国家魔法研究所とは、今までにも数々の功績を世に輩出してきた、魔法研究の分野では上位に位置する研究所だ。
その研究員として、私を迎えたい、と。
彼は、そう言ったのだ。
いまいち状況が理解できていなかった私に、ヒュートスは続ける。
彼は、国家魔法研究所の運用を任されているのだという。
その彼が、私の魔法研究員としての志と能力を評価して、是非、国家魔法研究所に迎え入れたいのだと。
イアン先生でもなく、名のある研究者でもなく、当然ケースケでもなく、私を!
喜び震える私の手の先に、ここ何ヶ月、寝る間を惜しんで書き続けた資料が触れた。
うず高く積み上げられた紙の束は、絶妙な角度で均衡を保っていたが、その塔はゆっくりと傾いていく。
既に幾重にも床に散らばる紙の上へ、ひらひらと舞い落ちる……それら……を眺めながら、震える胸に、手を押し当てた。
「ケースケ君」
その後ろ姿を見つけて、一直線に向かっていく。
近づいて見えたその表情は、穏やかな笑みを浮かべていて、それが酷く私の喉を干上がらせていく。
まるで、私を嘲笑うかのように。
「何かありましたか?」
口元の笑みをそのままに問いかける音が、酷く耳についた。
奥歯を軽く噛み締めると、私も笑顔をケースケに向ける。
「学習発表会の資料は、どうしたの? 最近集まっていないみたいだけど、もしかして、何かあったの?」
私の問いに、ケースケが口を開く。
「発表資料はできていますから、特に集まる必要はないんです」
それは、昨日も、一昨日も、その前の日も聞いたわ。
私が聞きたいのは、そういうことじゃないのよ。
歪みそうになる表情を深く息を吸い込むことで何とか押さえ込むと、これ以上胸の内を掻き回されないように笑顔の鎧を被る。
私が冷静にならなくて、どうするのよ。
相手は、ただの子供なのよ。
「一度、私に資料を見せてくれないかしら?」
「学習発表の資料は、チームで厳重保管ですよね?」
「ええ、でも、何かと、大変でしょう? できているなら、私が当日までしっかり預かるわよ?」
だから、渡すのよ。
早く、渡しなさい。
笑顔の私に、目の前のケースケが申し訳なさそうに、眉を下げた。
「先生に、ご迷惑をかけるわけにはいきませんし」
「あら、私なら大丈夫よ」
「……それに」
先ほどより笑みを深めたケースケ。
「資料なら複写をとっているので、既に同じものはあります」
……ご存知でしょう?
そう、聞こえた気がした。
カッと全身の血が沸騰するようだった。
襟元から伸びる、白く細い喉元に目がいく。
この口がっ!
伸ばした手の先に人影が間に入る。思わず止まった手の先には、騎士の服に身を包んだ男がこちらを見下ろしていた。
「そ、そう。それなら、大丈夫ね。頑張ってね」
私は慌ててその場を駆けだす。
あの行動は駄目だった。気がつけば周りに集まった生徒の視線。
それから逃げるように角を曲がった私の腕を引く、誰かの腕。
近くの部屋に引きずり込まれた私は、咄嗟に悲鳴を上げそうになり、振り向いた先にいた人物に言葉を失う。
「イアン……先生……?」
「エレイ先生、貴女、何をしているんですか?」
硬い声と冷たい視線が私を射抜く。
彼に掴まれている腕の先の指が、小刻みに震えているのに気づいて、慌てて自分の胸元に引き寄せて握り締めた。
何を? 私は、ただ、研究者として。
「私は、研究者として……、そうよ……、私、国家魔法研究所の研究員になるのよ。イアン先生、国家魔法研究所よ!」
「……」
「私の志と能力が認められて、引き抜かれているの!」
「……」
「私は国家魔法研究所の研究員になる……のよ」
凄いでしょう? 私の志と能力が認められたの。
そう、見上げた私の目に飛び込んできたのは、冷たい視線ではなく、いつもより下がった目尻だった。
今にも泣き出しそうなイアン先生の表情に思わず言葉が詰まる。
自分ではなく、私が引き抜かれたことが悲しいの……?
それとも……。
「……あまり、無理はしないでください」
「……」
そう言って私の頭を軽く撫でると、私から視線を外すイアン先生。
言いようのない不安が、全身から沸き立つ。
今、この人を行かせてはいけないような、今、この人に縋らなくてはいけないような。
何故、私はこの感情に素直に従わなかったのだろう。
二日後、ヒュートスの従者から、無事、資料が手に入ったことが知らされた。
学習発表会では、是非、国家魔法研究所側でその結果を見届けて欲しいとのことだ。
後、数日後に迫った学習発表会。
それに向けての準備が、オケアノス学院では着々と進められている。
授業は短縮になり、教師たちは展示場の整備や会場の整備に追われていた。
何せ、今年は各国のお偉い様方と、高名な魔法士が集まるのだ。
その準備はいつも以上に念入りで、当日の段取りや、警備の方法など、国の騎士が足を運び話し合うほどだ。
くしゃりっと足元で音が鳴る。
床に敷き詰められるほど散らばった私の大事……な、研究内容たち。
何度も踏みつけてしまったせいで、よれてしわしわになってしまったそれを拾い上げると、ベッドに腰掛け膝の上で丁寧に伸ばす。
あんなに、洪水のように浮かんできていた、研究内容を書きとめた紙。
とても眩しく輝いて見えたのに、黒いインクで細々と書かれたそれは、床一面を埋め尽くす黒で。
イアン先生の私を心配するあの言葉。
あれを聞いてから、私の中で何かが、弾けていた。
何かに取り憑かれたように部屋に帰ると机に向かっていた私はもういなくて、次々と浮かんでいたはずの研究内容は、ピタリッと止まってしまった。
その代わりに繰り返されているのは、自問と自答。
……私は、間違えてしまったのかもしれない。
そう思うと、浮かんでくるのは、後悔と懺悔、そして不安。
答えのわからない問題に、判決が下される日はすぐそこまで迫っていた。
発表の前、私はヒュートスの従者に連れられて、国家魔法研究所の研究員であるジーナを紹介された。
彼女が今回の発表を担当するらしい。
その表情は自信に満ち溢れていて、活きいきとしていた。
舞台の袖からジーナの後ろに隠れるように、会場の様子を伺う。
本当は、控室にいようと思っていたのだが、この発表が終われば同じ仲間だというジーナの強引さに連れられてここまできてしまった。
舞台袖の薄暗さに慣れてきた目が、向こう側にいるケースケたちの姿を捉える。
私に気づいたのであろうケースケの顔に、苦笑いが浮かんだ。
ケースケは、私をどう思っているのだろう……。
恐るおそるその姿を見る私に、小さく息を吐くケースケの姿が目に入った。
ああ……、私は、本当に間違えてしまったのかもしれない。
その表情は、私を馬鹿にしている訳でもなく、本当に、しょうがないな、と。ただ、残念がっているように見えた。
思えば、ケースケは私の不躾な行いにも、常に、困ったように笑みを浮かべていたのではないか。
ジーナの自信に満ちた発表を聞きながら、話の節々に見え隠れする矛盾に、気がつけば口元が弧を描いていた。
「……ケースケ君は、本当に凄いわね」
私の小さな呟きは、顔面を蒼白にしてケースケの学習発表を見ている国家魔法研究所の研究員たちには届かなかった。
私は、嫉妬していたのだろう。
出来すぎるケースケに、それを成している彼が、まだ子供であることに。
その才能が羨ましかった、天に愛されているかのようで、妬ましかった。
ケースケの才能に触れて、私の中に眠っていた、向上心が刺激されると共に、嫉妬の心の方が大きく膨らんで。
ジーナ、彼女もそうなのかもしれない。
真っ直ぐに見つめる瞳は、ケースケに羨望を向けているのに、その表情は酷く醜い。
私もあんな顔をケースケに向けていたのだろう。
あれほど、ケースケに、学生生活を楽しんでもらえるよう、私の全力を持って臨むと、何度も思っていたはずなのに。
結局、私が一番、ケースケの生活を乱していたのかもしれない。
ケースケの発表が終わったのを見届けてから、私は会場からそっと外に出た。
「エレイ先生」
「……セイルさん」
「学院長がお呼びです」
小さく頷くと、そのまま後に続く。
案内されたのは学院長室ではなく、会場に用意された控室の一つだった。
「何故、呼ばれたのか。もう、わかっているようだな」
そんなヘリオス学院長の言葉に、苦笑いを浮かべる。その傍らには、王国の騎士がいた。
私は質問されるまま、今までの行動を包み隠さず話した。
私が受けた指示や、ヒュートスとのやり取りの詳細も全て。
淡々と質問に答える私に、聴取は問題なく進み、三十分もせずに出来上がった書類を手に騎士は退出して行った。
残ったのは私とヘリオス学院長、秘書のセイルだけだった。
そのセイルも、紅茶のおかわりを入れると、早々に部屋を後にした。
「……すまなかったな、君を止められずに」
「いえ……。遅かれ早かれ、いづれは、こうなっていたのかもしれません」
「ほお、それは何故か。聞いても構わないかな」
私は、良くも悪くも研究者なのだ。
教師という職業は嫌いではない。むしろ、教えることの喜びも感じていた。
そこに、ケースケがきた。
ケースケに対して浮かぶのは、教えることの喜びではなく、研究者としての負けたくないという思い。
私が本来より教師であったのならば、ケースケはとても良くできる生徒で、将来有望な期待の星だったのだろう。
私がもっと高名な研究者であったならば、ケースケに負の感情を抱くことはなかったかもしれない。
でも、私は私という、ただ一人の研究者で。
魔法が好きで、魔力が何かを解明したい。
できれば、それを成し遂げるのは、私でありたい。
◆◇◆エレイ先生の場合は 完◆◇◆
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