エレイ先生の場合は(2)
試験結果の束を受け取り、一喜一憂する生徒の顔を見ながら、生徒一人一人に一言二言声を掛ける。
今回は少し惜しかった子も、次は是非とも頑張ってほしい。
「ケースケ君、初めての試験お疲れ様」
最後にやってきたケースケに残っていた紙の束を全て手渡す。
初等学の四年は一番受ける試験の数が多い。
今後の選択のために様々な授業の基礎を教える時期なので、自然と試験数も増えていく。
両手で受け取ったケースケが、その量と重さに小さく眉を寄せたのがわかった。
「どうも」
「次もがんばってね」
「はい」
私の言葉に小さく微笑む姿がどこか疲れて見えたのは、気のせいだろうか。
ネモアたちのところに向かっていくケースケを気になって少し観察していたが、他の生徒に質問されて視線を外した。
それからしばらく、試験結果の質問に答える時間が過ぎていった。
「シルファナーン! チーム申請を出したとは本当か!」
教室内、いえ、隣にまで響いたのではないかというほどの大声に、説明をするために見ていた手元から顔を上げる。
私が目にしたのは、真っ赤な顔をしてミリィを睨み付ける一人の生徒の姿。
エリオット・アロディーン。隣のクラスの生徒のはずだけど、何故彼がいまこの教室にいるのだろう。
私が動揺している間も、ミリィに対して何事かを叫んでいるエリオット。
それに対して、ミリィが微笑みながら言葉を返した。
彼女の周りが一瞬冷たくなった様な気がした。
私の位置からは何を言っているのか聞こえなかったが、近くで聞いてしまったであろう生徒たちの表情が固い。
教室内には嫌な沈黙が流れ始めていた。
「グリサラーサ、貴様! シルファナーンを唆したな!」
そこに再度響き渡るエリオットの怒鳴り声。
ミリィに向けられていた視線が、今度はネモアに向けられる。
今にも飛びかかりそうな勢いのエリオットの姿に、私は足早に彼に近づいていった。
「エリオット君、何事なの?」
そう声をかけた私にエリオットの視線がこちらに向く。
その目には強い意思が込められていた。
「先生、シルファナーンとは僕がチームを組みます」
「私はお断りしたはずよ、アロディーン」
「シルファナーン、君は騙されているんだ。グリサラーサなんかと一緒にいる必要はない」
エリオットの言葉をすぐに否定するミリィ。
表情はかなり嫌がっている。さらには、エリオットに対する暴言を小さく呟いている。
少し離れている私に聞こえているのに、何故、エリオットには聞こえていないのか、不思議で仕方がない。
チームとは学習発表会のことだろう。
エリオットがミリィに執着しているという噂は聞いたことがあったが、これほどまでとは。
なんとかエリオットに声を掛けるが、全く話を聞いてくれない。
どうしたものかと、痛む頭を押さえると、エリオットの前に座っているケースケの姿が目に入った。
あの大声を間近で聞かされたためか、しきりに耳を触っている。
つい、ケースケに目を向けたままでいると、私の視線に気づいたケースケと目があった。
どこか、仕方ないな。と言いたげな感じ。その仕草に、心臓が、とくんっ、と跳ねたのに私は小さく首を傾げた。
その後のケースケは鮮やかだった。
エリオットをうまい具合におだてて、エリオットの素晴らしい学習発表が見たいというと、エリオットが悩み始めたのだ。
ミリィも途中でケースケの意図に気づいて、うまく話を合わせたのがとてもよかったみたいだ。
それでも、なかなか決断できないでいるエリオットに私は声を掛ける。
「学習発表は何も今年だけじゃないでしょう? 今年は、一人で成果をあげてみるのも良いかもしれないわね」
「……そうですね」
随分と落ち着いた声を返すエリオット。
ミリィに微笑みながら宣言したエリオットは自分の教室へと帰っていった。
私はほっと息を吐くとケースケへ視線を向ける。
今回もケースケに助けられてしまった。いつかは返せるように頑張るからね。
そんな思いを込めて微笑んでみたけど、伝わったかな。
そして、そんな機会はすぐに訪れた。
学習発表の調査に様々な気候の場所に行きたいと相談を持ちかけられたのだ。
ケースケは学院内での話をしていたみたいだが、気候の調査となると、実際にその場所に行った方が早い。
私はすぐに課外自習を勧めた。
それほど危険なところでなければ、特に難しくなく許可が降りるはずだから、と一言付け加えておく。
一週間後に提出された申請書は、ケースケが探していた気候が異なる四つの場所だった。
ほとんどが観光地として有名な場所。
一つ、キシャルナの森だけが国の機関に許可を取らなくてはいけないが、その必要な書類も既に用意がされていた。
更には期間が分かれた二つの申請をまずは提出されて、どちらが良いのかの相談も受けた。
移動にキシャを使用すると言う話だったので、一回で一ヶ月の方を選択した。
場所が離れていたため、長い期間になってしまっていたが、しっかりと立てられた計画と安全な場所ということで、私はその申請書をそのまま上に提出した。
この申請は学習発表の管理を担当している先生が確認して、最終的に学院長が許可を出すことで課外実習が可能となる。
私の予想通り、早々に出た課外自習の許可証を手にケースケの元に急いだ。
私は学院長室へと急いでいた。
授業終了後すぐに職員室に現れたセイルさんに、帰りの準備をしていた私は荷物の片付けも放り投げて前を歩くセイルさんの後を追いかける。
ノックもそこそこに学院長室へと続くドアを開けて中に入るセイルさんに続く。
「学院長、連れてまいりました」
「うむ」
「ヘリオス学院長……、ケースケ君は?」
案内されている間にセイルさんから聞いた報告の内容を確認するため、私は整っていない息を途切れさせながら何とか言葉を絞り出す。
ソファに座っていたヘリオス学院長は、私に向かいのソファへと座るように勧める。
答えてくれないヘリオス学院長に焦りからか、急いだためか、判断のつかない鼓動の速さがやけに耳についた。
セイルさんが落ち着くためにとすぐに紅茶を持ってきてくれる。
差し出されたそれを受け取るが、飲めずにいると、ヘリオス学院長は小さく息を吐く。
「昨日の晩、メウテスロの村長から届いた手紙だ」
そう言って差し出されたそれを、半ば奪い取るように受け取ると文字に目を走らせる。
予定通りに生徒が来たこと、生徒の名前、期間。
それはオケアノス学院が課外自習の際にお願いしている、状況確認のための報告書だった。
その中に綴られている文字に私は息を詰める。
「チコに噛まれて、全治二週間の怪我……」
「更にまずいことにな、その手紙が出されたのが八日前。ヴァカンフからアニュキス行きの便が出た時に、大嵐に見舞われたようでな」
深く息を吐いて答えるヘリオス学院長。
昨夜、届いてからすぐに確認のために早馬を走らせたが、メウテスロにもヴァカンフにもケースケたちの姿はなかった。
次の目的地であるパリアカにも行ったが、二日前に調査を終えて、既に出た後だったらしい。
エカトルタにいく前に報告に帰ってきた者の話を聞いて、担任であり、課外自習のことを知っている私に早めに言うことに決めたとのこと。
ケースケの出した申請書の日程表で行くと、アニュキスには寄らずにエカトルタに向かうことになっている。
パリアカからエカトルタに行く場合、アニュキスを経由すると遠回りになってしまうからだ。
二日前に出たということは、もう国境あたりにはついているころだろう。
「彼らの申請書に関しては私も確認したが。場所も問題なく、ウィズ君とミリィ君の二人がいたために安易にみてしまったが。教師などの同伴はなかったのだな」
「……すみません」
「いや、こちらも見落としていた。他の者も気づかなかった。君だけが悪いわけではない」
ヘリオス学院長は安心させるように微笑んではくれたが、私は全く安心できずにいた。
現状としてわかっているのは、パリアカでの調査の時には、怪我が大分塞がっていたということ。
移動はウィズが手伝っていたが、元気そうだったという報告がせめてもの救いだろうか。
情報が入り次第、伝えてもらえることになった。
職員室の自分の机に座りながら、私はケースケから受け取っていた日程表を改めて確認する。
すぐにアニュキスからエカトルタに早馬で確認に向かっているらしい。エカトルタを出るころにはなんとか合流できるだろう。
「だから、忠告してあげたんですよ」
「っ……!」
突然の声と、落としていた紙に映り込む影。
振り返るとそこには冷たい目でイアン先生がこちらをみていた。
「……何がですか?」
「どうせ、あのどこの誰ともわからない生徒が問題でも起こしたのでしょう? 確か、課外自習に行っているんですよね?」
淡々と告げられる声に、私は唇を噛み締める。
言い返してやりたいが、それをするとケースケたちに何かがあったのだと肯定しているようなものだ。
何も言わない私に、イアン先生はあからさまなため息をついた。
「貴女には失望しました。同じ研究者として、高められる人だと思っていたのに。私の思い違いだったようです」
その言葉に私が顔をあげた時には、既にイアン先生は背を向けて歩き始めていた。
それは、どういうことなの?
呟く疑問の代わりに浮かんだのは、幼い日の光景。
私は魔法が好きだった。幼い日に母が見せてくれた数々の魔法。何もないところから生まれる火や水や風や土。とてもキラキラと輝いて見えた。
ただ綺麗だと思っていた魔法。魔法に興味を持って、それがどういったものなのかが気になり始めたのは物心がついてから。
そんな私に母が初めて買ってくれたのが、幼い子にしては難しいであろう、ヒュペリオン著の『魔力について』だった。
それを他の子が絵本を読む中で、ひたすらに読み更けていた。
彼の掲げる仮説はとても興味深く、今もなおその仮説を解明しようと数多くの魔法使いや研究者がいる。
私もその仮説を解明しようとする研究者の一人となった。
彼の立てた仮説の中で、私がどうしても証明したいもの。魔力とはなんであるか。
彼の研究の永遠の課題であり、様々な仮説が立てられている。
そのほとんどが証明も否定も難しく、仮説のまま、何年、何十年も解明されずに残されたままだ。
単純に方法が難しいものもあれば、大規模な土地や予算が必要なものや、解明するための方法が浮かばないものまで様々だ。
私は小さな研究所で働きながら、その方法を探していた。何年も、解明するための方法が浮かばず、芽のでない研究に疲れ始めていた。
そんなときに、オケアノス学院の教師にならないかという誘いを受けた。
ヒュペリオンが初代理事長を務めた学院。そこにいけば何かわかるんじゃないか、そう思って受けた話。
イアン先生を見つけた時に酷く興奮したのは、イアン先生も私と同じ、『魔力について』の研究をする一人だったから。
「……エレイ先生」
イアン先生が見えなくなっても、去っていく先を見つめたままの私の肩を軽く叩く感触。
心配そうなジル先生に、私はなんて答えたのだろう。
冷たいイアン先生の目と、言われた言葉とかが頭の中を回って、自分は何を思っているのか、良くわからなかった。
酷く、不安を感じている気がした。
理事長から呼び出されてから二日、職員室内は大変な状況になっていた。
早馬でエカトルタに向けて出ていた人が、国境を渡れずに帰ってきたのだ。
アニュキスとエカトルタを結ぶ洞窟のエカトルタ側で何かがあったらしい。ただ、洞窟内が酷く混乱していて正確な情報が掴めない。
ヘリオス学院長は他の課外自習に出る生徒に影響が出てはいけないと、できるだけ大事にしたくなかったらしいが。そうも、言ってはいられなくなった。
連日、授業終了後に学習発表の管理を担当している先生と、情報収集に長けた先生が残り、正確な情報の把握に奔走した。
結果、解ったのはエカトルタ側の出口でカルピオの集団に襲われたということ。
幸い死人は出なかったが重軽傷者は出た。
重軽傷者の中にケースケたちの名前はなかったが、逆に驚くところから名前があがった。
カルピオの集団と交戦し、撃退するための糸口を作ったのが、ケースケたちだというのだ。
名前までは広がっていなかったようだが、オケアノス学院の生徒が五人という情報で、現在エカトルタに向かっている生徒はケースケたちしかいない。
ケースケたちを追いかけた早馬がエカトルタにたどり着いた時には、ケースケたちは調査を終わらせて帰った後。
何とも間の悪い。
最後の目的地であるキシャルナの森に行く前に、一度学院に帰ってくる予定になっている。その時に何としても、詳しい事情を聞き出さなくてはいけない。
授業が終わると職員室へ急ぐ。放課後は学生寮へ行って、ケースケたちが帰ってきていないかの確認をする。それが、ここ数日の私の日課だった。
遅くても明日には帰ってきているはずだけど。
思いながら職員室前に見えた二人の人影に、ここが廊下だということを忘れて走りだす。
近づいて、ケースケが話しかけている先生がイアン先生だと気づいた。その口が何かを言いそうになって、私は慌てて声をかける。
「ケースケ君、ファン君!」
内心の動揺を悟られないように、歩みを緩めながら近づく。
しっかりとイアン先生に頭を下げてお礼を言ったケースケに、その時、イアン先生の顔が歪んでいるのに気づいた。
「お久しぶりです。途中経過の報告にきました」
「ちょっとまっていて、会議室を用意するから」
ケースケたちに一言断って職員室に会議室の鍵を取りに入る。
急ぎ足で戻ろうとした時、あの日以降、まったく話をしていなかったイアン先生に軽く腕を掴まれた。
「……急いでるんですが」
「貴女は、もう一度しっかりと考えてみてください。貴女は教師ではない、一、研究者なのです」
「失礼します」
イアン先生の言葉に気持ちがざわめく。
私に何をさせたいの。私の何がいけないの。
自分の中の良くわからない感情をイアン先生に悟られたくなくて、ケースケとファンの腕を掴むと会議室に急いだ。
二人を会議室に押し込むと、念のために鍵をかける。
ヘリオス学院長も大事にはしたくないと言っていたし、周りから見えるとまずいと思ってカーテンを閉めて回った。
一通り安心して二人を振り返ると、何の説明もせずに行った私の行動に酷く動揺している様子だった。
「……ごめんなさいね。ばたばたしてしまって。さぁ、座って」
カーテンを閉めるために窓際にいたため、ちょうど二人の正面になっていた。
椅子に腰掛けると改めて二人が大変な状況を過ごしてきたことを思い出して、顔色や目立った怪我がないか確認をする。
顔色は健康的だし、怪我はケースケの左足に包帯が巻かれているだけだった。
チコに噛まれたが、元気そうだったと報告は受けていたが、無理をして傷が開いていないか心配だった。
先ほど移動するときも特に足を引きずっている様子はなかった。
あまりにもじっと見つめすぎていたのか、二人の体が若干揺れたような気がした。
「何か、ありましたか?」
ケースケのこちらの顔色をうかがい心配そうに寄せる眉に、入っていた肩の力が抜けるのがわかる。
「何かあったのはあなたたちの方でしょう?」
ついつい、言葉と共に出てしまったため息。
本気かどうかはわからないが、ケースケの雰囲気が思案している風なのに、小さく頭痛がする。
ここ数日、いろいろと動いていたためまともに熟睡できていなかった所為もあるかもしれない。
「洗いざらい、話をしてもらうわよ」
呟いた言葉は想像以上に低くなっていた。
多分、私の目は鋭くなっていたのだろう。二人の体がぴんっとのび太のだけはわかった。
今回の件に関しては、こちらの確認漏れという事実もあって、ケースケたちが完全に悪いとは言えないが。
優秀なのも困りものというか。
ここ数日で話し合われた、課外自習の管理担当の先生たちも、あまりにできた申請書だったため初等学の四年だとは思っていなかったという。
目的地が有名な観光名所で、地質調査という分類だったのも、確認漏れの一つの要因となっている。
最終的に期間が長いことが少し問題ではあったが、その期間も綿密な調査と日程表の上に成り立っているのであれば納得してもおかしくない。
ケースケから状況の説明を聞き、更に本人は既に自分の行ったことの悪い点をわかっていて。深く頭を下げて謝られると、こちらもそれ以上怒ることはしなかった。
寮で休んでいたネモアとウィズとミリィの三人も呼び出して、学院長室での各先生方からの説教は甘んじて受けてもらった。
何度も頭を下げるケースケたちに、心配からくるお説教だった先生たちは、その元気な姿に安心している様子だった。
「あの……キシャルナの森の調査は……」
お説教がひと段落してお茶を飲んで落ち着いていた時に、おずおずと言った表現が最適であろうケースケの一言。
残っていた先生たちから一斉に視線が向けられて、しゅんと頭を下げる姿。
しばらく沈黙が続いたが、ヘリオス学院長の漏らしたため息で更に小さくなるケースケ。
あのため息は、仕方がないなぁ、とか、そんな感じだったのだが。これほどまでに落ち込むケースケの姿はそうそう見れるものではないだろう。
「キシャルナの森の調査許可は出ておるよ。ただし、今回のこともある」
「……はい」
「……エレイ先生、ジル先生。ケースケ君たちの調査のために、キシャルナの森に同行をお願いできますかな?」
ヘリオス学院長の言葉に、一度は項垂れたケースケだったが、次の言葉に勢いよく顔をあげる。
その表情は、本当に良いのか? と、とても不安そうだ。
ゆっくりと私とジル先生に向けられたケースケたちの視線に、私も先ほどのヘリオス学院長のようにため息を漏らした。
「勝手な行動はしないで頂戴ね」
「俺のいうことを良く聞くんだぞ」
私の言葉にジル先生もいつもより固い声で続ける。
ケースケたちはしばらくお互いに目を見合わせていたが、許可が出たことがわかると、不安そうだった顔に小さく笑みを浮かべていた。
そうして、改めてこちらを向いた五人は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
気持ちいいほどに揃った声に、私も自然と口元が綻ぶのがわかった。
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