第33話 終点、最寄駅。

 ユリアから転送の魔法陣の話を聞いてからしばらく。

 俺は城に通うことをやめ、それまでのように学生生活を過ごしていた。

 オケアノス学院初等学の五年になったが、特にクラス替えがあるわけでもなく、ネモアとウィズ、ミリィ、ファンのいつものメンバーで過ごすことがほとんどだ。

 城の秘蔵書通いをしていた俺とネモアは、日に日に疲れが表に出ていたが、ウィズたちは心配しながらも止めることしなかった。


 俺の必死さが怖いほど見えて、止められなかったと。

 何かと剣術の練習を付き合えと行ってくるウィズ。放課後になると買い物に誘いに来るミリィ。おすすめの本を読み終わる前に渡してくるファン。

 ここ数日のそんな行動の中で、それぞれに言われた言葉だった。

 以前のようにのんびりと過ごす俺とネモアに、安心した、とため息を吐いた三人に苦笑いを返した。

 休日にはネモアと街に出かけて、昼食をとり、たまにヘランドでマルクと魔道具の話で盛り上がる。


「ネモア、明日、お前の師匠の家に行くぞ」


 夕食後、明日はどこに行こうかと楽しそうに話すネモアに、俺は言った。

 唐突な俺の言葉に、目を丸くしてこちらを凝視するネモアに話を続ける。

 ヴァカンフで魔法の杖を買ってくれたのがユリアだということ。

 学習発表会の日にトイレで会ったこと。

 城の個人研究室で、ユリアが初めてネモアの師匠だと知ったこと。

 ユリアが、転移の魔法陣の最初の研究者である、ティラム・オメクトリとその被害者のカトリヌ・コラーザの娘だということ。

 その話の中で、ネモアは自分の師匠、ユリアの両親のことを何も知らなかったことがわかった。


 そして、転送の魔法陣のこと……。


 俺は、考えていた。

 転送の魔法陣は、成功するとは限らない。

 成功しなかった場合、俺はどうなるのだろうか。

 何が起こるかもわからないというリスクを伴っても転送の魔法陣を試して元の世界に帰るのか。危険を回避して将来の職も決まっているこちらの世界にとどまるのか。


 こちらで過ごす中で、体調の異変は感じられない。

 長期的な目で見れば、今後、特有の病にかからないとも言えないが、それでも一ヶ月二ヶ月であっけなく逝ってしまうようなものではないだろう。

 それどころか、学生として体を動かしているおかげか、以前より動くのが楽になっているような気さえしている。

 少し出てきていたお腹も、しっかりと筋肉がつき、腹筋が割れるとまではいかないが、健康的といえるだろう。


 この一年で身長があまり変わっていないことが現在の懸念事項ではあるが。

 元の世界と違い、様々な種族がある。

 意外と、大きな問題でもない気がする。

 人間関係も良好で、元の世界の希薄だったご近所付き合いと比べれば、手助けしてくれる人もたくさんいるだろう。

 その筆頭がネモアであることは確実だし、一番に信用できる。

 国家魔法士というエリートにもなれるわけだし、地位も権力も申し分ないだろう。

 なかなかランクの上がれないサラリーマン。既に職を失っているかもしれない場所に帰るよりも、こちらでこのまま過ごす方がいいかもしれない。


 ただ、そうだとしても、気になるのは両親のことだった。

 突然こちらに喚び出されて、何を言うこともできなかった。

 事件とも、事故とも、生きているかも、生きていないかもわからない状態。

 心配はされているだろう、安心をさせてあげたいと思う。

 家族への思いをすんなり忘れられるほど、俺の諦めは良くなかったみたいだ。


「帰るよ、俺は」


 少しうつむいたまま、俺の話を聞いていたネモア。

 思い沈黙の中、しばらく時間が過ぎた。


「……ごめんなさい」

「ん?」


 小さくつぶやかれたネモアの言葉に、俺は反射的に聞き返す。

 勢いよく顔をあげたネモアは、ぼろぼろと涙を流していた。

 最近、ネモアの泣き顔ばかりみているな、とか、余計なことを考えていると、定番というかなんというか。

 胸元に衝撃を受ける。

 今回は寮の部屋のベッドに腰掛けて話をしていたおかげで、後ろに倒れることもなければ、後頭部を強打することもなかった。

 だんだんと湿ってくる感触を布越しに感じながら、ネモアの頭を軽く撫でた。


「俺が、ケースケさんと師匠を会わせていればよかった。俺は、全然役に立っていなくて。俺は、迷惑しかかけてないです……。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ひたすら謝り続けるネモアの気がすむまでそのまま続けさせた。

 何も言わずに、ただ頭を撫でる俺に、俺の服がぐしゃぐしゃになった頃、不安そうにこちらを見上げるネモアの瞳があった。


「俺はネモアがいたから助かったよ。こちらに残る方がいいのか、悩んだのもこの世界で生きることが楽しいってネモアが思わせてくれたからだからな」


 笑いながら言う俺に、また泣き始めたネモア。

 しがみついたまま離れないネモアをあやしながら、いろんな話をした。

 俺の世界のこととか、ユリアがどれだけ駄目な師匠だとか、明日のこととか。

 いつの間にか寝ていて、泣き疲れて寝てしまったネモアの顔の酷さを起きてすぐに見てしまって、思わず笑ってしまった。


 ネモアの師匠の家、ユリアの家の玄関は開けられていた。

 中に入ると、入口すぐのリビングのような場所に、運び出したのであろう本が積まれている。

 声をかけると、奥の部屋から現れたユリア。

 ぼさぼさの髪で、顔はインクで汚れて、埃で白く化粧されたローブを身に付けていた。


「来たわね……」

「師匠……俺、もう一度殴っていいですか?」

「ネモア、貴方は本気で殴るから、今回は辞めてほしいわ……。気絶できる自信があるの」


 どこかやつれた顔のユリアが、据わった目をしたネモアに苦笑いをして答える。

 そういえば、前にカルディナ王に会いに来ていた時、殴り飛ばしたといっていたような。

 いくら怒っていたからといって、本気で女性を殴り飛ばせるんだな、ネモアは。

 二人のやり取りに、過去を思い出しながら、ユリアの案内で奥に進む。


 ネモアに喚び出された場所。

 あの日、本棚に入りきらず、床に積み上げられていた本は無く、すべてがはっきりと見えた床には二つの魔法陣が描かれていた。

 転移の魔法陣と転送の魔法陣。

 その複雑な模様は、一日、二日で描き上げられるようなものではない。

 一つでも間違えると、魔法はうまく発動せず、何人もの国家魔法士にネモアがお願いしたという話はその複雑さ故にだ。

 それを、ユリアは一人で描き上げていた。


 転移の魔法陣については、他の物でも描けたかもしれないが、転送の魔法陣はユリアしか知らない。

 魔法陣は内部に描く模様が複雑になればなるほど、結果的に陣そのものが大きくなる。

 雨風に晒されず、かつ、人目のつかない場所ということでユリアの家のこの場所が選ばれた。


「先に、こっちの転移の魔法陣に繋がりをつけるわよ」


 ユリアの指示に従って、床に描かれた転移の魔法陣の前に立つ。

 紙に描かれた小さな魔法陣を渡されて、それを転移の魔法陣に向けて発動する。

 陣の円の下部分に少し会いた空間が小さく光り、模様が書き込まれていく。それが繋がりで、個を識別するための情報となる。

 転送の魔法陣を発動した後、こちらの世界で一週間後に転移の魔法陣を発動することになっている。


 転送の魔法陣で俺の姿が消えたからといって、成功したとは限らないから、その確認のためだ。

 転送先が日本でもなく、訳のわからない空間とか、またすぐに死んでしまうような別世界の可能性がないわけではない。

 ユリアの当初の案では、転送の魔法陣を発動して、一時間後に転移の魔法陣を発動するという話だった。

 それだと、もし何かがあった場合、助かる可能性があると言われたが、俺は帰れると信じている。

 もし駄目だったときの場合は、できるだけ考えたくなかった。


 だから、敢えて、一週間後に魔法陣を発動させるように変更した。

 こちらに来たときに着ていたスーツに着替え、鞄を持ち、転送の魔法陣の中心に立つ。

 その、見慣れない俺の格好に、不思議そうな顔をしたユリアが目に入った。

 ユリアにはまだ、俺が異世界から来たことを言っていない。

 そのせいでユリアの心が動揺して、発動に悪影響を与えないとも限らなかったからだ。

 ネモアにも黙っているようにお願いした。


 上手くいって、転移の魔法陣でこちらに来たときに、教えようと思う。

 あわよくば、同年代だと知って、俺を男として意識してはくれないだろうか、とも思っていたりもする。

 責任はとってくれるらしいし、ネモアに聞いたところ、付き合っている人もいないみたいだから。


 スッと、ユリアが杖を構えて意識を集中し始めた。

 隣で心配そうにこちらを見つめるネモアに、笑顔で手を振った。


「またな」


 声を出さずに呟いた俺の言葉、ネモアに届いていただろうか。

 自分を取り囲むように、光の柱が立ち上がり、目の前が白く染まる。

 あの日と同じ、目を開けていられないほどの強い光に、きつく瞼を閉じるとその光が収まるのを待った。

 ゆっくりと開けた目の前を、凄い勢いで通り過ぎていく。

 驚いて後ろに下がった俺は、誰かにぶつかっていた。


「っあ、すみません」


 振り返ると、イヤホンを耳につけた青年が、こちらを鬱陶しそうに軽く睨み付けてきていた。

 周りにいた人も、こちらに怪しげな視線を向けてくる。

 その視線から逃れるように列を外れると、近くにあった自販機に鞄から取り出した財布から五百円玉を入れた。

 いつも飲んでいたブラックのコーヒーのボタンを押すと、出てきたそれを取り、ベンチに腰掛ける。

 プルタブを開け、口に含み、広がった苦味に一息つく。


「三番線に、……行き、普通車がまいります」


 流れるアナウンス、缶を持つ手が震えていた。


 ◆◇◆第一部 完◆◇◆

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