第28話 束の間再会。
引き出しを開けたまま、俺はしばらく中を見つめていた。
変わりなく揃えられた資料を見て、小さく溜息を吐く。
「……かなり、切羽詰まっているんだな」
周りに聞こえないほど小さな声で呟いた俺に、ネモアは首を傾げている。
俺は寮の資料が入った引き出しに、簡単な細工をしていた。
一番奥まで閉めて、爪の先が引っかかるぐらいの隙間を開ける。
部屋を出る前にその細工をして、帰ってきた時に確認する。ただ、それだけのことだが、今、引き出しは奥までしっかり閉められている。
中身の位置は少しも動いていないし、多少動いていても気づかないが。
自分の指先で確認しているそれには気づいた。
護衛として騎士達のおかげで身の安全は保証されているため、今のところ問題は起きていない。
追加の発表内容も俺の頭の中ではある程度まとめてあるし、今の時点で資料を盗みにきていると言うことは、追加分はなくても大丈夫なのだろう。
ただ、部屋に侵入しているということは、俺たちがいない時間帯、授業を受けている時間帯だと言うことになる。
エレイ先生にそういった実働は無理だろうし、ここは誰かを雇ったと考えるのが妥当だ。
物盗り、だけならまだいいが、それ以上がないとも言い切れない。
「ネモア、図書室いくぞ」
最近借りた本を手に、部屋から出る選択をした。
誰かが入った形跡のある部屋で、その誰かが出て行ったかもわからない部屋に、長居をするつもりは全くない。
質問ではなく、断定の俺の言葉に、ネモアは戸惑っていたが。静かに見つめる俺に何かを感じてくれたのか、最低限必要な物だけを持って外に出た。
騎士を引きつれながら図書室に向かうと、人の多い場所を選んで座り、手に持っていた本を広げた。
ネモアも隣に座り、同じように本を読み始める。
「何か……あったんですか?」
ただ事ではないと感じ取ったネモアが、周りを気にしながら、本で口元を隠して尋ねてくる。
俺も変わらず本を読みながら、考えるように口元に手を当てると、小声で返す。
「部屋に誰かが入った形跡があった」
俺の言葉にネモアの表情がこわばる。
すぐに元に戻していたが、心の中は穏やかではないだろうことは明らかだ。
騎士は寮の部屋までは入ってこない。
誰かがいるかもしれない寮の部屋に居るよりは、外で騎士や他の生徒の目に触れるところに居る方が安全だ。
ファンにウィズ、ミリィのところも調べられているかもしれないが、彼らの部屋には複製すら置いていない。
「何か、手を考えないと危険だよな」
部屋を探して目当ての物が見つからなかった。
とすると、誰かが肌身離さず持っているという考えになるのではないだろうか。
誰かが持っているということは、その誰かをどうにかしなくてはいけない。
こちらに、牙が向けられる可能性があるということが重大だ。
早々に手を打たないといけない。
しばらく考えた俺は、学院長室に向かうことにした。
学習発表会が一週間後に迫っていた。
学習発表会前日、ヘリオス学院長と寮の管理人のタルタさんに、ウィズたちを部屋に泊める許可を得る。
ウィズたちは同じ男なので問題ないが、ミリィが一人女の子という理由があり、一応話を通して置く必要があった。
部屋侵入疑惑の日にヘリオス学院長にお願いしておいたことがうまくいったのか、あれ以降、侵入された形跡はなかった。
エレイ先生に絡まれることもなくなったので、多分、こちらの思惑通りの事態になったのだろう。
うまくいっているとすると、追加の発表資料は作成しなくても良いはずだけど。
過信はよくないのと、一カ所に集まっていた方が安全なのとで、当初の予定通り、発表資料の作成ということで集まってもらった。
今は、複写された資料を、新しく書き直している。
前回の資料では、それぞれの数値と表と、それを基にした図を同じ用紙に書いていたため、全体を合わせた時にスペースを広く使っていた。
できるだけ、完成形を他の人にわかり辛くするための対処だったが、発表を聞いてもらう人にもわかり辛くなってしまっているのだ。
そのため、魔法陣の属性と自然エネルギーの関連についての部分の資料を新たに追加することにした。
自習室で行っていた、魔法陣の調査資料を基準値として、それぞれの場所の数値をパーセント化した単純なものだ。
それがあるだけでも、随分とわかりやすさが違う。
「ケースケさん、予備の方の資料はどうするんですか?」
「資料は良いよ。今あるので、代用ができるから」
「だったら、もうすぐ終わるわよ。あとは、ウィズが書いているもので最後だから」
「終わったぞ」
徹夜する必要がないことも、泊まる必要がないこともわかっていたが。
前回の資料作成で慣れていたのか、作業を始めて一時間半で必要な物が揃っていた。
発表資料が完成したあとは用心のためにも部屋から出ない予定だったので、ご飯もお風呂もすべて済ませたあとだ。
「……とりあえず、この部屋の中で各自自由時間ということで」
部屋から出ない理由は話してあり、ウィズたちも賛成しているので問題はないが。
窓の外は空が暗くなり始めたばかりだ。
寝るのには少し早い。
それに、本来二人部屋のところに五人が集まっているので、自由といってもできることは限られてきてしまう。
俺やファンは本が読めれば基本的に大丈夫だけど。
運動好きなウィズや、女の子が好みそうな物がないためミリィは暇そうにしている。
ネモアはお茶を入れたりお菓子を出したりしている。
呼び寄せた本人としては、そんな彼らを放っておいて本を読んでいるのも気が引けて、何か暇をつぶせそうなものはと部屋を見渡す。
室内でできることといえば、ボードゲームやカードゲームが考えつくけど。
そういえば、こちらにきてからそういった娯楽を見たことがないな。
見たことがないと言うことは、存在しない、可能性があるわけで。
ネモアがお茶を入れに行くのを手伝いながら、こっそりと聞いてみた。
どうやら、チェスのようなものはこちらの世界にもあるみたいだ。
ただし、ルールが難しくて、子供の遊びというよりは大人の嗜みといった内容らしい。
カードゲームに関しては、トランプとかは無いようだ。
神経衰弱のような絵合わせをするものはあるらしい。
それも、小さい子用のおもちゃのようで、カードと言うよりは口に入らない大きめの木の板に絵が描かれているもので。
慣れてくると、裏の木目でどの絵柄なのかわかるから、大きくなるに連れて自然と飽きてくるとのこと。
ちょうど資料を作っていたから、紙は余っているし、トランプを作ることにした。
厚紙とかがあればよかったのだが、残念ながらここには無いので、若干薄いが裏が見えることはない。
一から十までの数値と、模様を表に描き込み、ピエロの絵を二枚描く。
ジャックやクイーン、キングも作ろうかと思ったが、ピエロの完成度が壊滅的だったので、今回は四十二枚で行うことにする。
しばらくして出来上がったそれを、すべて裏を向けて机の上で混ぜた。
「絵合わせでも、するの?」
「まぁ、似た様なものだ」
そういって混ぜたカードを集めると、ルールを説明しながら全員に配る。
五人いるので、一人頭八枚か九枚が行き渡ると、手持ちの中から揃っているものを出していく。
模様は四種類。
黒く塗りつぶしたクラブとスペードと、塗りつぶしていないダイヤとハート。
小学校の自然学校から社員旅行まで。
移動中や夜に何度となくやっていた、同位の札を二枚ずつペアにして手札を減らしていく単純なゲーム。
ババ抜きが始まった。
しかし、簡単で単純なゲームだったために、異様な盛り上がりをみせ。
ババ抜きが徹夜の原因になるとは、予想外だった。
最初こそ俺の勝ちが続いていたババ抜きだったが、相手の顔色を伺ったり、フェイントをかけたりと単純で意外と奥が深いそれに、回を重ねるごとに勝敗がばらけてくる。
ただの絵合わせに、かなり真剣になっていた。
動物的勘が働き始めたウィズの独壇場になる頃、日が昇り始めていた。
寝ないで発表に挑む勇気はないので、会場の準備などで、発表自体が午後からという幸運にとりあえず眠りにつく。
この時期で日が昇り始める時間というと、六時は回っていることになる。
発表の前には朝食を取らないといけないし、会場に資料を運ばなくてはいけない。
それに、カルディナ王の話だと、審査のために各国の王や国家魔法士が召集されるという話だ。
遅刻など許されるはずもなく、向こうが早く集まれば、開始時間が早まる可能性もあると聞いている。
偉い人が集まるのだ、無駄な時間は少ない方が良い。
となると、最低でも十時には部屋を出なくてはいけない。
そう思っていたのだが、騎士の人達に体を強く揺さぶられて、起こされた。
寝起きのはっきりとしない思考と視界に、心配そうに声をかけてくる騎士の姿。部屋のドアを激しく叩いても誰の返事もないため、部屋に飛び込んできたらしい。
何かあったのかと本気で心配してくれる騎士の人達に、遊んでいて寝不足になりました、とは言えず。
騎士の人達も、資料の作成で疲れていたのだろう、と思ってくれたので黙っていることになった。
医者の検診を進めてくる騎士の言葉に、ぐさぐさと心を刺されながら、発表を理由に丁重にお断りした。
ただの、遊びすぎの寝不足なので、本当に申し訳ない。
周りをいつもより多い騎士に囲まれて、袋二つにまとめた資料を手に移動する。
寝起きの悪いネモアは顔を洗ったあともぼうっとしている。
野菜と肉を挟んだパンを食べたあと、会場へと向かっているのだが。
起きてすぐに食べたためか、緊張のためか、お腹の調子がおかしくなってきた。
ちょうど、トイレの隣を通りかかったので、ネモアたちと騎士の人達に断って、寄らせてもらうことにする。
「あ……」
そう呟いたのは無意識だった。
トイレには、さらりっと揺れる長い銀髪の女性が先に入っていた。
俺の声に振り返った女性から、翡翠色の瞳がこちらに向けられる。
断じて言うが、間違って女子トイレに入ったわけではない。こちらの世界のトイレは、男女兼用なんだ。
だから、別段女性がここにいることはおかしなことではないのだが。
彼女が見覚えのあった人だったため、思わず、声をあげてしまっていた。
「どうかしたの? 使っていないから、どうぞ?」
そういって、個室のドアを指さす女性は、どうやらこちらのことは覚えていないらしい。
身嗜みを整えにきたのか、鏡の前にはポーチの中身が出されている。
「あの、覚えていないかもしれないですけど。これ、ありがとうございます」
これ、と言って取り出したのは、肌身離さず持ち歩いていたあの魔法の杖だ。
女性はしばらく見つめたあと、思い出したのか、ああ、と声を漏らす。
「ヴァカンフで、会ったのよね。ここの学生さんだったのね」
「はい。あ、今だったらお金返せるので……」
「良いわ、それぐらい。大事にしてくれているみたいだし、あげるって言ったのよ」
微笑みながら続ける女性に、俺は、あまりしつこく言っても失礼かと思い直し、もう一度お礼を言ってから魔法の杖をしまった。
お腹の調子が本格的にまずかったので、個室に入ることにしたが。
女性のことが気になって、気がつけば聞いていた。
「俺、ケースケっていいます。貴女のお名前を聞いても良いですか?」
支度を終えて、フードを被り、トイレを出て行こうとしていた女性は足を止める。
ゆっくりと振り返り、ヴァカンフでのように、口元に弧を描いた。
「ユリアよ。また、機会があったら、会えるわ」
それだけ言ったユリアは、振り返ることはなく、行ってしまった。
頬が熱い気がする。心臓も五月蝿い。
それを深く考えるまもなく、限界が近かった俺は個室に駆け込んだ。
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