第22話 通行料。
エカトルタはアニュキスを北上した砂漠地帯に存在する国だ。
ただし、アニュキスから北上するだけではエカトルタには辿り着けない。
ナギィコと呼ばれる天高い山脈が大陸の東西に走っているからだ。それが、ノシルフィ大陸を南北に分けている。
自然にできた壁は、大陸全体を三対一の割合で領土を分けている。
ナギィコの北側は一面砂漠で、南側に緑が広がっているのだから、不思議なものである。
ではどうやってエカトルタに行くのかと言うと、長い年月をかけて掘られたトンネルがあるのだ。
大陸の端の方に向かって、山脈の幅は狭くなっている。
昔は海を渡るか、山脈を越えるかして移動をしていたらしいが、土を掘る技術ができてからトンネルが掘られたとか。
アニュキスやエカトルタができるずっと前の話になるらしいが。
大きいキシャが余裕で通れるぐらいのトンネルは、北側がエカトルタ、南側がアニュキスの兵がそれぞれを警備をしている。
今は平和らしいが、その辺はしっかりしているみたいだ。
ここでもオケアノス学院の紹介状を渡し、通行証を受け取る。
その際、ネモアが通行料を払っていたので、いくらか聞いてみたら、一人ジュース一本分ぐらいの値段だった。
帰りには向こう側で払うらしく、あまり値段は変わらないとのこと。
渡された通行証は金属の板のようなもので、小さく文字が刻まれている。
専用の器具で確認すると、通行日や滞在期間などが書かれているのが確認できるらしい。
「どれぐらいでむこう側に着くんだ?」
「そうですね、三時間ぐらいでしょうか」
洞窟に入ってしばらく、ウィズが操縦を担当しているネモアに声をかける。
キシャは走ればすごく早いが、洞窟の中では速度制限があるらしく、ウィズに任せるのは危険だとネモアが交代した。
結構距離があるみたいで、一般のキシャや馬車が通る道と定期便の通る道が用意されている。
洞窟の中ではあるが、一定距離ごとに照明器具が設置されていて、さほど暗さは感じない。
洞窟に入る前は、途中で天井が落ちてきたらどうしようとか。
かなり昔に作られているものだと聞いていたので、不安で仕方がなかったが。
実際、洞窟の入り口はいかにも古そうな感じだったし、道幅が広げてあるためにとても頼りなさそうに見えた。
入ってみると中は定期的に補修が行われているようで、外との気温差はあるものの空気も循環されているみたいだった。
基本的に交通手段は馬車やキシャなので、排気ガスという心配もない。
途中になぜか露店も出ていて、歩いて通行している人もいるようで、結構賑わっていた。
聞く話によると、小さいながら休憩場もあるみたいだ。
最初はそれが物珍しくて、洞窟の中を観察していたが、今は変わり映えのない土の壁に飽きてしまった。
しばらく横になっていると、ここ数日、移動中は寝てばかりいたはずなのに、すぐに瞼が下がってくる。
暖かいものが体に掛けられる感触を最後に、俺は夢の中に旅立った。
どれぐらい経っただろうか。熟睡してしまっていた俺は、大きな揺れで目がさめる。
驚いて飛び起きると、ウィズ達の姿はなく、荷物だけが置かれている。
まだ完全に覚めていない頭で状況を確認しようと、あたりを見回すと外から音が聞こえてきた。
食事の準備でもしているのか?
そう思って窓から外を覗くが、誰の姿も見えない。
見えるのは寝る前に見ていた洞窟の壁で、それが窓のすぐそばにあった。
壁際は歩行者のスペースだったはずだ。と、違和感に眉を寄せていると、派手な音を立てながら入り口が開いた。
「ケースケさんっ!」
ネモアが酷く慌てながら転がり込んできた。
続いてファンが入ってくる。
二人とも手には剣を握っていて、服がところどころ泥で汚れてしまっている。
知り合いがいたことの安心感より、ただごとでない状況への恐怖心が湧き上がってくる。
「どうした? 何があった?」
「魔物です! エカトルタ側から侵入したみたいで、洞窟内で馬たちが混乱して」
「僕たちはまだ後ろの方だったので、直接魔物と接触はしていませんが、出口側は混乱で進むことができません」
ネモアとファンの説明に、ウィズとミリィがまだ姿を見せていないことに気付く。
「ウィズとミリィは?」
「様子を見に、もしくは加勢しに前に行きました」
「出口側だったら、エカトルタの兵士がいるんじゃないのか?」
「わかりません。洞窟内まできているということは、そういうことなのかもしれません」
ファンの言葉に小さく舌打ちをしてしまう。
確かに、ファンの言う通りなのかもしれないが、ウィズやミリィを危険に晒すわけにはいかない。
洞窟内の混乱の中、進むことすら危険だ。
ましてや、馬車やキシャが多く通行しているのだから、それこそ潰されかねない。
状況がわからないまま、ウィズ達に危険が迫っている。
それだけで、外に駆け出す、十分な理由になるだろう。
思わず立ち上がった俺は、左足の痛みで無様に床へと倒れ込んだ。
「ケースケさん!」
「っ、忘れていた……。たく、こんな時に……」
ズボンをめくって確認すると、巻かれた包帯に血は滲んでいなかった。
傷が開かなかったことに安心すると、立てかけてあった長めの棒を手にする。
松葉杖の代わりとして、棒をついて立ち上がると、覚束ない足取りで入り口を目指す。
俺が外に出ようとしているのがわかったのか、慌ててネモアが体を支え、そのまま足止めするように腕をつかんだ。
「ケースケさん! 怪我をしているんですよ! 行ってどうするんですか!」
「ウィズとミリィを呼び戻しに行く。いくら二人が授業で強いからといって、洞窟内は動きにくい。それに、実践は授業とは違う」
「それはわかります! でも、ケースケさんが出ていくことも危険です!」
「だったらだろうするんだ! 二人を放っておくっていうのか!」
怒鳴りながらネモアの腕を外そうともがく。
突然、胸のあたりに感じた衝撃に、片足では耐えきれず、そのまま後ろに倒れ込んだ。腰と背中を強く打ち付ける。
ネモアが腕にしがみつき、もう片方の手で杖を持っていたため、ガードできなかった頭までぶつけた。
一瞬、目の前が光ったように白く覆われ、あまりの痛みに呻く。
しがみつかれていない方の手で頭を抑えると、グッと胸ぐらを掴み上げられる。
ぼんやりと回復した視界に、腹に乃木らげるファンの姿が見えた。
「っ、お前……!」
「ケースケ!」
文句を言おうと開いた口は、ファンの怒鳴り声によって遮られる。
怒っている顔なんて見たことがなかった。ファンの強い眼差しに、そのまま黙ってしまう。
「落ち着け。今、ケースケが行っても足手まといになるだけだ! 冷静に判断しろ!」
普段の敬語はなく、今にも殴りかかりそうな勢いのファンに圧倒される。
ファンの握られた拳は、目に見えてわかるぐらい激しく震えていた。
睨み付けてくる瞳には今にもこぼれ落ちそうなぐらい涙が溜まっている。
腕にしがみ付いてくるネモアを見ると、こちらも激しく体を震わせて、見上げてくる顔はすでに泣いていた。
土で汚れた顔に、もしかして、と思い至る。
「追いかけたのか……」
「……はい。でも、俺たちじゃ、邪魔になるだけで」
「先に帰されました」
俺は彼らが頑張っている時に、何を一人で寝こけていたんだ。
ようやく熱くなっていた頭が冷え始め、深く息を吸い込む。
現状を把握しなくては駄目だ。今熱くなって飛び出しても、ネモアとファンの言う通り、邪魔になるだけだ。
叫び出したくなる気持ちを押し込めると、頭を振る。
「詳しい状況を説明してくれ」
洞窟に異変が起き始めたのは、今から一時間以上も前の話らしい。
前方の進みが悪くなり、渋滞してきて、最初は周りもどうかしたのか? 程度で特に気にしていなかったそうだ。
ところがどんどん渋滞は進み、最後には一歩も進まなくなり、後続の馬車も増えてきた洞窟内がざわついてきた。
長い待ち時間に苛々を募らせる人も増えてきて、そこらじゅうで声が飛び交っていた。
その時、エカトルタ側から悲鳴があがる。
アニュキスへ向かう側の道を凄い速さで駆ける馬車。
ひどい蛇行を繰り返し、車体を引きずりながらも前に進んでいたらしい。
馬車の後にも次々に前方にいたであろう集団が、洞窟内で無理な方向転換をしようとしていた。
とっさにネモアはキシャを洞窟の壁際に寄せ、他とぶつかるのを防ぐ。
ただ、横を向いたまま道を塞いでしまった馬車やキシャの所為で、前にも後ろにも動けなくなってしまった。
混乱の中、原因がわからないままではどうしようもないので、ウィズを筆頭に確認に向かった。
「なんで、俺を起こさなかったんだ」
「その時は混乱していて……」
「想像以上に通る場所がなくて、魔物に襲われているとわかったのも、随分と進んでからです」
エカトルタの出口に近い場所で、何人かが魔物と戦っていた。
しかし、状況は思わしくなく、押されている状態だった。
ウィズとミリィが加勢に入り、そこに来てやっとネモアが俺のことを思い出したらしい。
来た道をファンと共に戻り、今である。
「魔物は? どんなやつだったんだ?」
「砂漠地帯に生息する、カルピオです。甲殻に覆われた、大型のものが集団できていました」
ファンの説明に、過去に見た資料の記憶を頭の中で思い返す。
確か、見た目は蠍そっくりのやつだ。
毒針はついていなかったので、どちらかといえば伊勢海老に近いかもしれないが、色は黒っぽく蠍のようだと見た時に思った。
体を覆う甲殻は成長するほど硬くなる。
砂漠を好み、雨の日は出現率が極端に少ない。
「ウィズ達と別れて何分ぐらいだ?」
「十分とちょっとです」
「加勢にいくぞ」
「僕たちじゃ足手まといにしかならないです」
「剣を使うのならな。だけど、俺らは魔法が使えるだろう?」
俺の言葉にネモアとファンが小さく目を見開く。
魔法と言っても、ゲームのように攻撃力のある魔法陣なんて、そうそう、存在しない。基本的に、魔法は生活のために利用される。
攻撃するにしても、魔法を発動するまでに時間がかかりすぎるのだ。
国のお抱え魔法使いぐらいの実力がなければ、魔法でなんて考える人はいないだろう。
だけど、サポートぐらいは行える。
攻撃としてダメージを与えることはできないだろうが、相手の動きを鈍くさせることぐらいはできるはずだ。
カルピオの甲殻は確かに硬いが、あれは水分が蒸発しているからだ。
精霊や魔物に書かれた本と、旅行記や伝承などを調べていた中で、そういった表現がされているものがあった。
本来、甲殻となっている部分は、少し分厚い目の皮膚で、水分が蒸発することにより密度を増している。
だから水をかけてやれば、幾らかは吸収されて柔らかくなるはずだ。
説明をしながら、ネモアとファンの肩を借りて目的の場所に進む。
ただ、あくまでも本で得た知識により導き出した論であり、うまくいくかどうかは半分半分といったところだ。
最悪、水属性の魔法陣が聞かなかった場合は、別の属性を試すしかない。
やらないよりはましだろう、というのが、俺の意見である。
金属と硬いものがぶつかり合う音が近づき、倒れた馬車などの影に隠れながら様子を伺う。
他の大人たちに混じって剣を振るうウィズとミリィの姿が確認できた。
まだ大きな怪我をしていなかったことに少しほっとして、その戦いに目を向ける。
剣で戦っている人達は、その体に弾かれたあまりうまくいっていない。数も集団と多いために苦戦をしている。
力のある大男がなんとか斧で背中から押し潰していた。
ネモアとファンと手分けをして、大量の水を発生させる魔法陣と、風を起こす魔法陣を書き上げる。
これはマルクさんの魔道具の応用だ。
出した水を風で押し出す。
荷台の上からやれば、うまくいけば雨が振るように広がるだろう。
「準備はいいか?」
俺の言葉にネモアとファンが頷いた。
集中した魔力を、魔法陣に向かって放つ。
「うわ?」
「なんだ? 水?」
突然頭上から流れてきた水に、戦っていた人達が一瞬戸惑う。
それでも、変わらずカルピオへの攻撃を仕掛けている。事前に言えればよかったのだが、必死に戦っている人に長い説明はできない。
威力自体も通り雨が降った程度なので、時間を優先した。
「ケースケ!」
魔法を使ったことでこちらに気付いたウィズが声をあげる。
その剣を振り下ろした時、先ほどとは感触が違うことに気付いたみたいだ。
再度魔法陣を発動し、同じように魔法を放つ。
こちらの意図に気付いたウィズがミリィに声を掛け、水を多く被ったカルピオへの攻撃に狙いを変更する。
周りの人達にもウィズが何事かを伝え、次々に柔らかくなった甲殻のカルピオに剣を振り下ろす。
あっさり、とはいかないが、先ほどよりは確実に手応えのある感触だったのだろう。
集団の襲撃に疲労を浮かべていた人達の顔に、勝機が浮かんでいた。
逆にカルピオは洞窟内に振る雨に、徐々に後退を始めている。
それから、数分。
濡れた地面と動かないもの以外のカルピオは洞窟から逃げ出していた。
戦いが終わってキシャに戻った俺たちは床に座り込んだ。
あの時は気にする余裕もなかったが、荷物を置いていたのに、誰も見張りを置いていなかった。
洞窟内が混乱していたためか、物盗りなどの被害がなかったのでよかったが。
疲れているウィズに背負われて帰ってきたため、長時間の戦闘で疲労困憊だったウィズは限界だったようだ。
仰向けに倒れると、荒く息をついている。
ミリィにも元気さはなく、座り込んで、立てた膝に額をつけていた。
カルピオとの銭湯で色々と汚れた服は外で水魔法を使って流した。
ミリィに先に入って服を着替えてもらい、他は外で着替えたため、荷台はさほど汚れてはいない。
「ウィズもミリィも怪我はしていないか?」
「軽い擦り傷や打撲程度だ。やばい怪我はない」
「私も、大丈夫。あれ以上続いていたら、まずかったけど」
その返事に安心しながら、小さな傷の手当てをしていく。
カルピオが洞窟から撤退したあと、エカトルタ側から兵士が入ってきた。
どうやら外でも交戦をしていたみたいで、洞窟内になかなか近づくことができなかったらしい。
洞窟内のカルピオが逃げ出てきてから、外の群と一緒に逃げたため、中に確認に来れたという。
幸い、洞窟の中で戦っていた人の中に死人はいなかった。
最初の方で襲われた馬が数頭駄目だったが、他は怪我はあったが命に別状はないらしい。
エカトルタの兵士への状況説明は、一緒に戦っていた大人たちに任せた。
こちらがまだ学生で子供だとわかった大人たちが快く引き受けてくれたため、俺たちはキシャに帰ってきたのだ。
俺たちのキシャ自体は、周りで身動きが取れなくなっている所為か比較的大人しくしていた。
ただ、長時間この場所にいたので、お腹が空いていたようで、ネモアがご飯をあげている。
ウィズとミリィの手当てが終わると、ネモアに言われて俺も左足を見せることになった。
行きはネモアとファンの肩を借りて、帰りはウィズに運んでもらったため、それほど負荷はかけていなかったつもりだった。
それでも、結構力が入っていたのか、傷口は開いていなかったものの、少し熱を持っている。
汗もかいて包帯も汚れていたので、塗り薬と湿布を貼り替えると、別の綺麗な包帯が足に巻かれる。
包帯が巻かれるだけでウィズやミリィの怪我より、こちらの方が酷く見えるのが不思議だ。
こんな時、魔法で治療ができればと思ってしまう。
「でも、助かったわ。硬くて剣じゃ、歯が立たなくて」
「たまたま、本で見たことがあったから、今回はなんとかなったけど」
そこまで言って、背筋がぞっとした。
自分で口に出して思ったけど、本当に今回はたまたま結果がよかったけど、実際はどうなっていたかわからない。
カルピオが水に弱くなかったかもしれないし、ウィズやミリィが大怪我をしていたかもしれない。
そう思うと、段々と顔が強張ってくる。
俺の表情の変化に気付いたのか、先ほどまでにこやかに話していたミリィが真剣な顔をこちらに向ける。
それにそって、ウィズもこちらを見つめてくる。
「みんなを危険な目に合わせた。下手をしたら大怪我じゃすまなかったかもしれない」
俺が起きていれば、突っ走らずにすんんだかもしれない。
メウテスロで怪我をしなければ、今日ここを通ることもなかったかもしれない。
ネモアの言う通りアニュキスに帰っていれば、良かったのかもしれない。
「……本当に、ごめん」
手をついて頭を下げる。床に額をつけて土下座をする。
メウテスロで怪我をした時、ネモアに言われてもアニュキスに帰らなかったのは、俺自身が知りたかったからだ。
魔法の属性の法則に、化学的な法則が当てはまるのか、証明したかった。
そうすることで、他のこともわかる気がしていた。
俺は自分に何度も何度も嘘をついている。
帰れない、それならこの世界で生活するしかない、一人で生きていけるようになるしかない。
そう、何度も自分に言いながらも、どこかで思っている。
帰りたい、帰るための魔法が必要だ、魔法を調べれば、帰れるんじゃないか。
こちらの世界の常識では、いつまで経っても帰れない。だったら、自分で調べないと、自分でどうにかするしかない。
気づけば、毎日焦っている。
一日経つごとに、元の世界が薄れていくみたいで。
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