第20話 雨宿り。
昼食を食べ終わり、少しの休憩を挟んで引き続き観察を進めていく。
風属性の魔法陣をひとつ発動し終え、こん調子なら今日中に終わりそうだと話したのはほんの少し前。
「雲行きが怪しくなってきましたね」
ファンの言葉で空を見上げると、雲ひとつなかった快晴は、いつの間にか太陽を雲が隠し始めていた。
灰色を帯びた雲が空全体に広がり、太陽の光は今はおぼろげにしか見えない。
これは一雨来くるかもしれない。
早めに雨をしのげる場所に移動しようと声をかけようとした時、山の上の方に霧がかかってくるのが見えた。
よく目を凝らしてみると、すでに雨が降っていて距離があるためにここからだと霧がかかってたように見えただけのようだ。
風に乗って濃い雨の匂いが漂ってくる。
「まずい、雨がきている。すぐに道具を片付けて移動だ」
俺の言葉に一斉に荷物を片付け始める。
ノート類などのあまり濡らしたくないものを奥に入れ、その上に濡れても大丈夫なものをつめていく。
ネモアに教えられるまま、防水効果のある革素材の復路で鞄を覆うとなんとか片付けを終えることができた。
しかし、雨はすぐそこまできていて、雨宿りをしようにも屋根がない。
森に急いでも結構下がらないと、雨をしのげるような木もない。
「ケースケ、こっちに洞窟がある」
どうするべきか悩んでいると、近くを調べていたウィズが声をあげる。
すぐそこまできている雨に考える暇はなく。
急いでその場所へ走った。
確かにウィズの言葉の通り、ぽっかりと空いた洞窟の入り口があり、なんとかそこに全員入る。
間一髪と言うのだろうか。
ぽつぽつと音がし始めたかと思うと、次の瞬間には大きなバケツをひっくり返したかのような土砂降りの雨。
いくら防水効果があるからと言っても、これでは大して意味をなさなかっただろう。
奇跡的に濡れずにすんだ俺たちは、風の勢いで入り口付近に雨が入ってきていたので、洞窟の少し奥に進む。
「なんとか助かったな」
「本当、森に走っていたら間に合わなかったわね」
ミリィの言葉の通り、雨は森をすでに越え、メウテスロまで到達しているかもしれない。
しばらく続きそうな雨に、近くにあったちょうどいい大きさの岩に腰を下ろす。
でも、よくこんなところに洞窟なんてあったな。
「……ケースケさん」
俺がそんなことを考えていると、ファンがどこか緊張した顔つきで声をかけてきた。
あまり聞かれたくないのか、俺のすぐ隣に座ると、小声で続きを話す。
「ここって、巣ではないでしょうか?」
「え?」
「奥に続く足跡が複数あるんです。もしかしたら、チコの住処ではないかと」
ちらりと足元に視線を向けると、確かに獣の足跡っぽいものがいくつも洞窟の奥へと続いている。
何かがいることは確かなようだ。
その上、歩幅が異なるものがいくつかあるので、一匹や二匹と言うわけでもないみたいだ。
昼に見かけたチコが確かこの洞窟の方向へと向かっていたため、チコの住処と言うのは間違いないかもしれない。
もし、チコの住処だったとして。
「僕、前に本で読んだことがあるんですけど。チコの子育ての時期って、夏から冬にかけてらしいのです」
そこまで聞いて、俺の頭の中で警笛が鳴り響く。
チコは伝承上とても良い精霊として伝えられているが。
実際の見た目は狼である。
子育て中の親は神経質になるのは、人も同じだが。野生の生物で考えると、ここは彼らのテリトリーである。
そこに知らないとはいえ、入ると言うことは。
グルルゥ--ッ
洞窟内に響く、低く唸る声。
ぞわりっと背中を駆け上がる感覚に、手が震えているのがわかった。
錆びついた機械のようにゆっくりと振り返り、暗い闇が広がる奥に目を向けた。
俺とファン以外も異変に気づき、洞窟の奥を見つめる。
隣で大きく震えだしたファンを自分の背中に隠すように後ろに行かせると、暗い闇の中へ目を凝らす。
足音はないが、腹のそこから出すような低い唸り声と、生き物の息遣いと気配が近づいてくるのがわかる。
一歩一歩、ファンを庇うように入口へと後退をするが、暗闇の中にぽつぽつと淡い光が浮かび上がる。
二対の金色。
揺れるその光が鋭くこちらを睨みつけてきている。
段々と数を増やすそれに、隣から息を飲む音が聞こえた。本当は、悲鳴をあげたかったのかもしれない。
喉に張り付いたようなそれに、俺はじっとりと手に汗をかいているのに、背中は驚くほど冷たく感じていた。
「ウィズ、刺激するなよ」
背後でがさがさと音がしたので、振り返らずにそれだけを告げる。
多分、ウィズが護身用に持ってきていたナイフを取り出そうとしていたのだろう。
どうやら、ミリィもそうだったみたいで、小さく息を吐いたのがわかった。
「……でも、どうするんだよ」
普段より高めのウィズの声は、恐怖か緊張のため、少し震えているようだった。
どう、すればいいかなんて、俺にもわからない。
ただ、見える範囲だけでも十匹を超すチコを相手に、抵抗をすることは無意味であることだけは、警笛を休みなく鳴らす頭が訴えていた。
ここは彼らの家だ。
俺たちはただの侵入者でしかなく、武器なんて出そうものなら、敵認定されるだけだろうことはわかった。
「できるだけ、刺激しないように入口まで下がる」
「外はひどい雨だぞ」
「斜面を川のように流れているわ」
見なくてもわかる激しい雨音に、その情景は容易に想像できる。
森を越えたここは、むき出しの岩と土で、下手をしたら土砂崩れなんかも起きるかもしれない。
「ファン、ゆくりネモア達の方へと下がれ」
「ケースケさんは? どうするのですか?」
「俺も下がるに決まっているだろ? ただ、二人一緒に動くよりは、一人ずつの方が警戒されない。あと……」
俺はファンに小声でつぶやく。
ファンは俺の言葉に声をあげようとしたが、刺激するな、と言う一言でなんとかおさめる。
こちらを気にしながら、ゆっくりと下げるファン。
先ほどの伝言を聞いたのだろう、ネモアのくぐもった声が聞こえた。
もしも、襲われたら。俺を置いて逃げろ。
全員で襲われたら、助からない。メウテスロに人を呼びに行くんだ。
信じているから、助けに来いよ。
ファンは顔をしかめていたが、この状況が危ういのは一番頭の良い彼だからこそわかっているようで。
自分が代わりにという言葉に、俺の方が年上だろう、と押し切った。
あとは、一番暴走しかねないネモアを説得してくれるように頼んだ。
もちろん、襲われるつもりはない。ないが、じりじりと近づいてくるチコの集団は、かなり怒っている。
ファンの考え通り、子育ての真っ最中だったのだろう。
かなり気が立っているみたいだ。
そんなことを考えながら後ろに下がっていた所為か、転がっていた石に足を取られる。
やばい。
そう思った時には既に体は後ろに傾き、頭を打たないように上体を捻るのが精一杯で、派手に地面に転がった。
標高が高いため日差しが強く、紫外線対策に長袖を着ていたが。
反射的に体を庇うために腕を曲げてしまい、左腕の肘を強く打ち付けてしまった。
かなり痛い。
大声をだして叫びたかったが、それをなんとか抑えたのだが。
「いづ……っ!」
「ケースケさんっ!」
突然足に走る激痛。続いて襲ってくる熱さ。
一瞬、何が起こったのかわからなかったが、ネモアの悲鳴のような叫び声に、チコが噛み付いているのだと予想をつける。
どれほどの惨状か、次がくるかもしれないので、現状を確認するためにそちらに目を向ける。
案の定、外れて欲しかった予想だが、そこには一匹のチコが左足に噛み付いていた。
丈夫な革製のズボンに、鋭い牙が突き刺さっている。
噛み付いているチコはまだ若い年代のようで、他と比べると体格が小さかったが。それでも、普通の狼より一回りはでかい。
それに見合った牙は太く、顎の力が強いのか深く刺さっている。
「っ! ケースケっ!」
「馬鹿! これ以上刺激するな!」
「だけどっ!」
ミリィが慌ててこちらに駆け寄ろうとした。
チコ達の視線がそちらに向かうのを感じて、大声を出す。
痛い、痛い。
額から流れる汗が止まらない。
いまだに牙が刺さったままの場所に、心臓が移動したのではないかと思うぐらい、どくどくと脈打っている。
痛くて、怖くて、耳鳴りまでしてきた。
恐怖で叫んでしまいたかったが、何度か浅い息を繰り返す。
チコは俺に噛み付いている奴以外は、まだ何もしてきていない。
ということは、この若いチコ以外には、ぎりぎり敵認定はされていないのではないか。
「……大丈夫だ。何もしないでくれ」
いまだに噛み付かれた足と、地面に倒れている俺は顔をネモア達の方に向けることはできないけど。
精霊と呼ばれる彼らに囲まれながら、俺はできるだけ安心させるように、ネモア達に呟いた。
どれぐらいたっただろうか。
雨音が小さくなっていくのが聞こえる。
相変わらず足に噛み付いたチコはそのままだし、痛みを訴えているが。周りを取り囲んだいるチコ達が、唸るのをやめていた。
今も警戒はしているが、どこかこちらを探るような感じだ。
「すみません、勝手に入って。雨宿りがしたかったんです」
言葉がわかるかは知らないが、こちらの意思を伝えてみる。
チコの表情に変化はなく、まっすぐに視線を向けられるだけで、何を考えているかなんてわからない。
視線を外すわけにもいかないので、一番近くにいた体格の良いチコと見つめ合っていたのだが。
段々と目の前が霞んできた。
視線の端に入る足元には、血だまりができ始めている。
どれぐらい流れているのかわからないが、雨に濡れた訳でもないのに、体が寒さを感じて震えてきた。
貧血だろうか。
「……雨、上がったら出ていくんで。しばらく、居させてください」
言いながら本格的に瞼が下がり始める。
気がつけば意識は朦朧とし、足の痛みはあまり感じない。
本能で痛みから逃げているのかもしれない。
「ネモア」
「っ、はい」
「何も、するなよ」
視界が暗く埋まる直前、一番い駆け寄ってきそうなネモアに念を押す。そして、すぐに闇に包まれた。
「……生きてる?」
目を開けて見えたのは、天国でも地獄でもなく、よくある木目の天井。
近くに人はいないみたいで、俺の言葉に返事をする声はなかった。
視界を巡らせるとどこかの部屋のベッドに寝かされているみたいで、手をつきながらゆっくりと起き上がる。
瞬間、左足に走る痛み。
小さく呻きながら、再度ベッドに逆戻りした俺は、しばらく痛みが引くのを待った。
「夢、じゃないよなぁ……」
呟きながらかかっていた布団をめくると、包帯のまかれた足が見えた。
少し力を入れると、痛みがくる。
感覚があることに安心しながらも、今後、動けなくなったらどうしようかと、不安が頭をよぎる。
そもそも、あの後どうなったのだろう。
洞窟から部屋に移動し、治療がされているところをみると、最低限、俺は無事のようだが。つきっきりで看病をしていそうなネモアがここにいないのが気になる。
天井を見つめながら、ぼんやりとしていると、入口のドアが開く音がした。
視線をそちらに向けると、目を大きく見開いたネモアが、おそらく水の入った桶を手に立っていた。
「ケースケさん……?」
疲れを滲ませる顔に、やっぱり、つきっきりで看病をしていたのか、とか思いながら。
俺の名前を呟いたきり、こちらをじっと見つめるだけで動かないネモア。
俺はどれだけ長い時間を気絶していたのだろう。
「気絶したんだな、俺。ネモア達は怪我はないか?」
聞いた俺に、くしゃりと顔を歪めると、勢いよくこちらにかけてくる。
桶の中の水のいくらかが床にこぼれたが、気にしていないようで、横のテーブルに乱暴に置く。
そのまま覆いかぶさるように抱きしめられると、胸のあたりに顔を埋めて、ネモアは肩を震わせていた。
抱きつかれた時の振動で足が痛かったが、なんとか声を出すのを我慢し、ネモアの頭をぽんぽんっと軽く撫でる。
しばらく、ネモアが落ち着いてから状況を確認した。
ここはメウテスロにある診療所で、採掘作業で怪我をする人がいるため、そこそこの治療ができる場所だった。
今は夜中で、俺が気絶してから半日が経過しているとのこと。思っていたより、時間は経っていなかった。
気絶した後、俺を取り囲んでいたチコの群れが下がり、噛み付いたままの一匹と共に、大きなチコが俺の服を咥えてネモア達のそばに連れてきたらしい。
ネモアは思わず噛み付いたままのチコを外そうとしたが、ミリィに止められたようだ。
線を外すと今まで以上に血が流れる。ミリィとファンの手で止血が行われたが、状況は良くなかった。
ウィズが背負って下山したとしても、一時間以上かかる道のり。最悪出血多量で、となるわけだが。
結果的には、全員がチコの背に乗せられて、メウテスロに着くことができたとのこと。
幸い、噛みどころがよかったのか、後遺症が残ることはないと医者は言っていたが、何せ血が結構流れているから、いつ目覚めるかわからない。
あとでミリィ達にも確認したら、生死の境のような意味合いではなかったみたいだが。
怪我の所為で熱も出ていて、ネモアはこの世の終わりのような顔をしていたらしい。
ネモアが自分で看病すると譲らなかったため、他はヴァカンフの宿に延長と荷物の整理に一旦戻ったあとだそうだ。
もう一度寝た俺は、朝一でやってきたミリィ達にも同じように状況を確認した。
医者に傷の具合を診てもらって、全治二週間だと聞いた。
傷自体は三日か四日すれば塞がるようだが、無理に使えばすぐに開いてしまうとのこと。
二週間分の塗り薬と飲み薬を受け取ると、ウィズ達に調査の続きをお願いし、今日は一日病院のベッドで過ごすことになった。
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