第14話 大人の意地。

 午前中の精神疲労を残しながら、午後の学習発表会の準備が始まった。

 俺達と同じくすでにチーム申請を出しているグループはクラスの三分の一程度だが、それ以外も大体はまとまっている様子だ。

 なぜ、別クラスのエリオットが乗り込んできていたのか疑問に思っていたが。学習発表会は学年単位で行われるため、学年内であればチーム申請ができるらしい。

 今も大会議室を借り切ってのチーム決めが行われており、既にチームを作っているグループはそれぞれのクラスで話し合いをすることになっている。

 基本的にはチーム内のメンバーが多いクラスで作業をすることになっているみたいだが、実習室や実験室などは申請を出せば使用可能とのこと。

 今日は初回のため、どのチームも教室内で発表内容について話し合っている。


「午前中に話したけど、それぞれ発表したい内容をあげてくれ」


 四つくっつけた机い集まり、中央に大きめの紙を広げる。左上に学習発表という文字を書く。

 黒板とかを使えればいいんだけど、わざわざ他のチームに発表内容を公開する必要もないので、この形で落ち着いた。

 ついノリで議事録をネモアにお願いしたところ、どういう風に書くのか? という質問が返ってきたので、今回は俺が書くことにした。

 ファンが興味深そうに見ているので、次回はお願いすることに決めて意見を募る。


「私は、今やっている魔法陣についての研究結果の発表をしたいと思っているの」

「あ、俺も。あれは学習発表で発表すべきだ」

「僕も賛成です。ただ、ケースケさんの許可がいただければですけど……」


 ミリィから始まった言葉に、俺自身も魔法陣についての研究結果の発表だとやりやすいとは感じていたが。

 最後のファンの言葉に引っ掛かりを覚える。

 ネモアに視線を向けると、少し不機嫌そうな顔をしている。


「確かに魔法陣についての研究結果は学習発表としては最適でしょうが。ケースケさんの功績ですよ」


 少し怒り気味なネモアの声に、三人は一様に苦い顔をした。


「ネモア、どう言うことだ?」


 何を怒っているのかいまいち理解できていない俺の質問に、ネモアは詳細を説明してくれた。

 ヘランドと同じく、学力でも功績を上げた者は地位を与えられる。俺がやっている魔法陣についての研究結果はそれに値する物になる可能性があるとのこと。

 グリサラーサ家の後見を受けている俺としては、その研究結果を然るべきところで発表すれば俺としての評価が上がる。

 学習発表で発表するのは一つの方法ではあるが、チームということで俺個人への正当な評価がされない可能性がある。

 ミリィ達は研究には参加しているが、その研究自体は俺の物で。

 それについてはミリィ達も理解しているので、ファンの言葉に繋がったと言ったところだ。


「でも、実験とか意見とかそれぞれもらっているわけだし。俺も学習発表の評価内容としては考えていた。あ、でも、後見人のグリサラーサ家としてはそれだと良くないのか? 俺の評価を上げた方が良いのか?」

「グリサラーサ家としてはそうかもしれませんが……。ケースケさんが発表したいと思っているのであれば、俺はお手伝いするだけです」


 どこか投げやりと言うか突き放したようなネモアの言葉に違和感を覚えたが。

 その後は何事もなく話し合いが進んだので、その時は気のせいかと思ったが……。


「なんだ、ケースケ、悩み事か?」


 剣術の授業で、額にかいた汗をぬぐいながらウィズに話しかけられる。

 気のせいかと思っていたが、やっぱり、最近ネモアの様子がおかしいと感じる。

 学習発表の話し合いの時もそうだが、俺の意見を否定することが少なくなり、俺のやりたいことを全て通そうとしている。

 何かと世話を焼いていくれて、必要な物は惜しみなく買い与えられてきたのは今までもそうだったが、前であれば、非常識な部分については否定と説明、助言をはっきりと言ってくれていた。

 それが今は、否定をしながらも最終的には全てを肯定してしまうネモアの態度に、違和感は大きくなっている。


 気づかないうちに何かをしてしまったのだろうか。

 そんなことを考え込んでいた所為で、相変わらずの基礎体力作りをメインにやっていた俺は終わった後にぼんやりとしてしまっていたようだ。

 ウィズと先生の試合を見ていたはずだが、気づけば考えに没頭していた。

 ネモアとファンは別々の生徒と試合をしていて、ミリィは今しがたウィズとの試合が終わった先生に挑んでいる。

 考え始めると周りが見えなくなる癖はどうにかしないといけない。


「そんなに悩んだ顔をしているか?」

「ん? ああ、難しい顔してたぞ。どうせ、ネモアだろ? また喧嘩か?」

「違うと思うけど、違わないかもしれない」


 喧嘩をしているかと聞かれれば、俺はしていない。

 ネモアとしては、しているのかもしれない。

 原因がわからないから胸のあたりが気持ち悪い。そもそも俺は、ネモアとこういう雰囲気になることが多くないか。

 前回はお互いに会話が不足していたら、それ以降はできる限り俺も自分の中に溜めないようにしている。

 ネモアもマメに色々と言ってくれていたから、最近は良好だと思っていたが。

 よくよく考えると、この間のヘランドのことにしても、俺が不利や不快に思うかもしれないものについては隠している傾向がある。

 大概、そういう場合のものは後回しにするほど危険なことが多いのだが。


「話さないことには、どうにもな」

「ネモアはケースケに甘えてるからな」

「……甘えてるか? 俺の方が甘えさせてもらっている気がするけど」

「甘えてるって。俺もファンも、ネモアと小さい頃から仲良いけど。どれだけ困っていても自分で解決してたからな」


 頼りにされて羨ましいぞ。と、笑いながら軽く頭を小突かれた。

 ウィズとしては寂しいのだろう。

 喧嘩自体あまりしたことがない、いつも何か起こる前にネモアの方から謝ってくるのだと言われた。

 拗ねて甘えるのを見たもの、俺に対してが初めてらしい。


「ただ、ネモアの気持ちもわからなくはないかな。俺もケースケといると安心できる」


 満面の笑顔で言われた言葉に、思わず頬が熱くなるのがわかった。

 照れるなよ。と茶化しながらも、ウィズの顔も真っ赤になっていることから、言った本人自体も恥ずかしかったのだろう。

 無言でウィズの頭を叩いてから、誤魔化すように撫で回した。

 文句を言いながらも振り払わないウィズに自然と口元がにやける。

 ウィズと話していくらか気持ちが楽になった俺はその勢いでネモアと話をすることにした。

 いつも通り部屋に帰ってきて、何気ない日常の会話をして、その流れのままに切り出してみたのだが、部屋は重苦しい沈黙に包まれていた。

 会話の延長線上でいけば話しやすいかと思っての行動だったが、それが見事に裏目に出たようだ。


「ネモアの方は、何かあったのか?」

「……何か、って何がですか?」

「いや、最近。ネモアの様子がおかしいように感じて。また、ヘランドみたいなことがあるのかと思って」

「何もないです」


 思っての言葉を言い切らないうちに否定の言葉を返したネモア。

 驚いて顔を上げると、ネモアは眉を寄せてこちらを睨みつけてきていた。

 ウィズは拗ねて甘えているだけだと言っていたけど、これは怒っているとか嫌っているといった感情ではないのか?

 今までネモアから向けられたことのなかった感情に、戸惑い言葉につまる。

 ただ、ここで引き下がると、今以上に溝が深くなりそうなことが予想できたので、いまさら質問を取り消すわけにもいかない。

 睨みつけてくるネモアに視線を合わせると、できる限り優しい声で柔らかい表情になるように務める。

 最初に会った時もこんな感じだったな、と頭の隅に思い描きながら。


「俺は、そんなに頼りないか?」


 俺の言葉にぴくりと肩を揺らしたネモアの瞳が揺れる。

 寄せられていた眉は下がり、薄く開いた唇を何度も噛み締めていた。

 俺もネモアも何も言わず、お互いに見つめ合うと言った状況が続いている。長い沈黙の中で、外の雑音だけがやけに耳についた。


 どれぐらいの時間がたっただろう。

 部屋に差し込む陽の光が傾きかけていることから、三十分ぐらいはそうしていたのかもしれない。

 いまだに、真一文字に口を結んだままのネモアは、本当に話すつもりはないのだろうか。

 ふと視線を広げると、きつく握り閉めた拳が震えているのが目に入った。


「……わかった、いいよ」


 これ以上粘っても仕方がないか。

 夕食の時間も近い、ネモアに話す気持ちがないのであれば、今はどれほど無言で見つめ会っていても仕方がない。

 また後日、長期戦で挑むしかないだろう。

 そう思って頭を掻いて、するりっと視線を横に外した。


「時間も遅いし、食堂に行こうか」


 上着をとって部屋を出る準備を始める。

 今日は直接的に聞きすぎたから、今度はもっと間接的に聞き出すしかない。

 気持ちを切り替えるために一度頭を振ると、再度ネモアに向き直る。笑いかけながら声をかけるつもりだったが、それはできなかった。


 先ほどと同じくそこに立ったままで、声も出さずにボロボロと涙を流すネモア。

 口はきつく結ばれたままで、悲しみに寄せられた眉と、更にきつく握り締められた拳。顔を真っ赤にしてただ泣いている姿に驚いた。

 感情を無理やり押さえ込みながら泣くネモアに言葉を忘れてしまった。

 きつく、言い過ぎた、か。


 一瞬慌てたが、こちらまで感情的になってはまずいと、小さく深呼吸をするとゆっくりとネモアに近く。

 俺が少し動くだけで肩をはねさせるネモアに、申し訳なく思ってしまう。

 すぐそばまで近くと、頭を優しく撫でる。

 泣かせてしまうほど追い詰めていたなんて、二十四歳になっても配慮が足りないな、と苦い思いが込み上げてくる。

 何度か撫でると俯いたままだったネモアがおずおずと顔を上げた。

 涙でボロボロだった。

 今までこれほど泣いているネモアをみたことがないため、変に子供くさく見えて小さく笑いながら、持っていた上着で顔を強引に拭いてやる。


「……ケースケ、さん」

「ああ、無理にしゃべらなくていい。落ち着け」

「ふぅ--っ」


 喋るとしゃくり上げそうになるネモアに笑いながら言う。

 どんっと押し倒されるような勢いで抱きついてきたネモアは、俺の胸に顔を埋めながら声を殺して泣いた。くぐもった音に合わせて背中をさすってやると、抱きつく力が強くなった。

 胸のあたりが湿ってきてはいるが、後で着替えればいいだろう。


「悪かった。無理に聞き出そうとして。人だから言いたくないことの一つや二つあるものだよな」

「……ケースケさんも、ですよね」


 慰めるような気持ちで呟いた言葉に、ネモアは体を少し離すとこちらを見上げながら言った。

 どこか苦しそうで、哀しそうに寄せられた眉に真っ赤な鼻と目が余計に威力を増している。

 すぐに、ネモアが言っている俺の言いたくないこと、が何のことなのかがわからなかった。

 俺も? と呟きながら首を傾げると、またしばらく唇を噛んだネモアは意を決したように真剣な目で見つめてくる。


「俺は、ケースケさんが悲しんで苦しんでいるのに、何もできない。ケースケさんは魔法陣について色々調べているのに俺は何もできていない。だから、邪魔にならないようにしないと、って思ったんです」


 告げられた言葉は、多分、この頃のネモアの行動の意味なのだろう。

 ただ、ネモアと俺の間には認識の違いがあるように感じる。

 俺はネモアに助けられているし、逆にネモアがいなかったら何もできない。授業は受けているが、こちらの常識はわからないことだらけで、買い物も何もかもネモア任せだ。

 一人で生活しろと放り出されたら、生きていけない自信しかない。


「俺はネモアがいないと困るなぁ」

「っ! じゃぁ、なんで何も言ってくれないんですか! 悲しんで苦しんでいるって、俺が悪いんだって、俺の所為だって言ってくださいよ!」


 ネモアの言葉に目を見開く。

 確かに、最初はネモアが魔法陣を起動しなければとか思っていた時も会ったが、今はそれよりも起動したのがネモアでよかったと思っていることの方が多い。

 何故そう言う風にネモアが思ったのか。

 そこに今回の原因があるのだろう。


「俺、気づかないうちに愚痴とか言っていたか?」

「……」

「ネモアに不満なんてないし、本当に助かっているよ。何もできないって言うけど、魔法陣の研究だって一緒にやっているし、それこそネモアがいないと一人じゃ考えつかないこともある」

「……でも」

「なぁ、何でそう思ったんだ? 俺が、悲しくて、苦しいと思っているって?」


 顔を覗き込むと、ひどく不安げな目がうろうろとさまよっている。


「販売権の件で、城に行った日。泣いていたじゃないですか……」


 聞き取れるか聞き取れないかぐらいの小さな声で呟かれた言葉を俺の頭が理解した時。

 頬が燃えるように一気に熱を持ったのを感じた。


 皆井啓輔、今年で二十四歳。後、二ヶ月ほどで二十五歳になる。

 地元のシステム会社に四年ほど勤めていたが、ある日の帰宅時に突然現れた光の壁から、エルコティアソフィアという世界にきている。

 転移の魔法陣の誤作動で喚び出されたのだが、魔法が存在するといっても、ゲームや小説のように簡単には行かないようで。

 アニュキスという都市にあるオケアノス学院で学生しながら、知識をつけることになった。

 同級生の年齢で多いのは十五、六歳ぐらいの若い子ばかりで、体力的にも精神的にもついていくのがやっとだけど、何とか生活をしている。


「ケースケさん……?」


 目の前で不思議そうに顔を見上げてくる男の子は、彼が俺をこちらに喚び出してしまったネモア・グリサラーサ、十五歳。

 誕生日を聞いていないので、もしかしたらもう十六歳になっているかもしれない。

 実際の原因を作ったのが、ネモアの師匠であるのだが、いまだに面会をしたことはない。

 相当の変わり者で、ネモア曰く、責任は自分が取るのであんな大馬鹿野郎には会わなくていいです、とのことだ。

 総じてこちらの世界の人は体格がよく、俺の身長はネモアより頭一つ分は高いが、成人女性の平均より少し高いぐらいで、顔が童顔に見えることもありエルコティアソフィアでは十八歳ぐらいに見えるらしい。


「あの、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。悪い、ちょっと現実逃避を」


 俺はいまだに熱の引かない頬を軽くさすると、現実に意識を戻す。

 突然の回想は自分自身を整理したかったためで、あとは、俺があと二ヶ月で二十五歳になるという現実を再認識するためだ。


 ネモアに言われるまですっかりと忘れていたが、今思い出した記憶では、城へ行ったあの日。

 確かに俺は泣いた。

 ネモアとファンの居る馬車の中で、彼らに見られている中で、十五、六歳の子供に見られている中で、泣いたんだ。

 二十五にもなる大人が情けない、夢を見て泣くなんて、である。

 このまま忘れてしまいたいが、ネモアが悩んでいる原因がそれであるならば、話題に出さないわけにはいかない。


「ネモア、気にかけてもらってこんなことを言うのも悪いんだが……。俺、今の今まで、泣いたことを忘れていた」

「……は?」


 俺は小さい頃からあまり夢というものを見なかった。見ても覚えていないことの方が多かった。

 馬車で起きたあの一瞬、確かに夢の内容を覚えていたし、思い出した今は朧げではあるが思い出せる。

 だけど、学院まで帰ってくるまでに二度寝をしたために、次に起きた時から今の今まで、夢を見たことすら忘れていた。


 途中で一度起きて泣いたことも含めて、それはもう、綺麗さっぱりと。

 言われてみればネモアの様子がおかしくなったのは城から帰ってきてからだし。

 城を出る前は特に変わった様子はなかった。

 つまりは俺が泣いたことが原因だったんだけど、俺は自身は自分が夢を見て泣いた事実を忘れていたわけで。


「今言われて思い出したんだ。悩ませて悪かったな」

「え? ええ?」


 理解できなかったのか、思考が追いついていないのか。

 ネモアは瞼を何度もしたたかせ、口からは言葉にならない声を発している。

 あまりの狼狽様に思わず声に出して笑ってしまったが、それに怒るでもなく、こちらを呆然と見つめてくる。


「故郷での仕事の夢を見てな。懐かしくて泣いていたんだと思う」


 課長の笑顔を思い出して、自然と顔がにやけるのがわかる。

 懐かしくて、当たり前の日常が嬉しくて、けれど、そこには俺がいないということが悲しくて。

 自分自身に夢で教えられたみたいだった。

 でも、今思い出すと、夢自体は俺にとっては良いものだったんだ。

 忘れかけていた平凡な日常を思い出して、そこに少しでも近づきたいと思えた気がしたから。


「……ケースケさんって、どんな仕事をされていたんですか?」


 しばらく黙っていたネモアが突然そう言葉をかけてくる。

 俺は、故郷の話がしたかったのだろう。

 誰にも話さない俺に、思い出さない俺に、夢の中の俺が訴えかけるほどに。

 そんな自分でも気づかなかったことに、確かに、ネモアの言うとおり、悲しんで苦しんでいたんだと思い出す。

 でも、誰かに、言い訳をするのであれば。

 年下に泣き言を言うのが、恥ずかしいと感じた、大人の男のプライドを。

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