第10話 自習室。

 日本にいた時は、本といっても漫画や雑誌しか読まなかったのに、こちらに来てからは活字をよく読んでいる。

 読書が趣味のファンにはまだ敵わないが、それでもクラスで二番目に本を読んでいるだろう。

 図書室なんて、小学校の読書感想文を書くために借りに行った以来だ。

 授業の合間や休み時間、移動中まで。

 ひたすら本を読む俺にネモアは苦笑いをしながらも、止めはしなかった。

 ほどほどにすることと、ご飯はしっかり食べること、夜は寝ること、それを条件に本を読むのを許容してくれる。


「次は移動ですよ」


 つい読み始めると周りが見えなくなる俺を適度な休憩に誘い、今も休み時間になりさっそく本を取り出そうとした俺をたしなめてくれる。

 まだ本を読み慣れていない俺だから一冊を読み終わるのに時間がかかる。

 ファンは一日に三、四冊を読むこともあるらしい。

 慣れれば速く読めるようになるらしいので、今は気になった本から順に読んでいる。


「ケースケ、なんでそんなに本ばっか読んでんだ?」


 久しぶりに寮に来た日の夜のメンバーで昼食を取ることになった。

 ミリィは女友達といることが多いし、ウィズは昼食をさっさと済ませて体を鍛えにいくことが多い。大体がネモアとファンか、用事がある時はどちらか一方と一緒になることが多い。

 そういえば、一人で食堂に来たことがないな。


「ちょっと、気になることがあって」

「魔法陣のこと? 法則がなんとか言っていたけど」

「あの魔力切れ起こした日か」


 ミリィの疑問にウィズがなるほどと言った声をあげる。

 ミリィから話を聞いていたようだ。


「魔法陣の成り立ちとか魔力とかが何か、気になってな」

「すごい魔道具見つけたんだって?」

「ファンから教えてもらって、私も実家に送ったわ。あれはすごいわね」


 興奮気味に続けるミリィ。ウィズの見つけたという言い方にはどう返したものか悩む。

 苦笑いしながら、実家に送ったということはすでにヘランドには行ったのだろうか。


「魔道具も魔法陣で動いているだろう? そもそも、魔法陣ってどういったものなんだろうな」


 俺のつぶやきにウィズは首を傾げる。逆にミリィは目を輝かせている。

 ファンはすでに俺と同じく、魔道具の観点から魔法陣について調べている。

 俺は気になった本を片っ端から読んでいる。


 『テイアの旅行記』はいいきっかけになった。

 最初は魔力のことが知りたくて、精霊や魔物についての記述を中心に読んでいたが、それらがその土地に古くから関わる言い伝え的な話だったとまとめられている部分が多かった。

 話が読みやすく、内容自体も面白いので深く読み進めることができた。

 その中でも土地や民族の伝統や古くからの言い伝えというものは、魔法陣や魔力と少なからず結びついていた。

 それに気づいてから、気になったことについての本を探すようになった。


 ファンが集中型だとすると、俺は分散型だろうか。

 四方八方に手を伸ばしすぎて、読んでいる本は専門書から入門書、絵本まで様々だ。

 絵本を侮ってはいけない。子供は絵本から常識などを学ぶのだから、魔法陣や魔法についてもわかりやすい物語として描かれている。


「ケースケ、今度自習室を使うときは私も呼んで!」

「は?」


 突然のミリィの言葉に驚いていると、言いながら深く頭を下げられる。

 変な声が出てしまった。いつのまにこんな状況になっていたのか。

 個人的には特に問題もないし、一人より複数の方が色々な観点の意見が出てくるだろう。それからの自習室は、俺とネモア、ミリィ、ファン、ウィズの五人で行くことが多くなった。

 魔法や魔法陣などについて実験と検証をするときもあれば、自習室の名称の通り、机や椅子もあるので課題をやることもある。


 自習室の窓から入る光は夜空に浮かぶロアの光だけで、部屋の中は薄暗く窓から離れた場所の様子は目で見ることができない。

 その闇夜に浮かぶ、二つの光。

 淡く光る二つの円は、ゆらゆらと揺れ動き、黄金色の光の線を残した。

 小さい頃に母親の実家で見た、蛍のようだった。

 ぼうっと眺めていると、だんだんと大きくなる光。


「ケースケ、どうしたの? また、魔力切れ?」

「……ミリィか」

「何? 本当に大丈夫?」


 手の届く距離まで近づいてきていた二つの光はミリィの瞳だった。

 わずかな光を取り込むように広がった瞳孔が、いつもは鋭さを感じさせる瞳を柔らかく浮き上がらせていた。

 瞳自体が光っている訳ではないだろうが、ロアの光を反射するように暗闇に浮かび上がる様は幻想的だ。


 ミリィの縦長の瞳孔は猫を思わせたが、獣人であればウィズのように耳や尻尾のような特徴があるのが一般的だ。

 彼女のように瞳だけが違い、他は人と変わらない種族を俺は学院で見たことがなかった。

 そんなことを考えていると返事をするのを忘れてしまい、再度、ミリィに覗き込まれる。

 桃色の髪というのも珍しい。

 ふわりっと揺れる細く柔らかそうな髪に思わず手を伸ばした。


「え? 何?」

「綺麗な髪だね。それに瞳も、とても綺麗だ」


 驚いて声をあげたミリィにどこか夢見心地だった俺は気づかず、するりっと流れる髪を優しく撫でていた。

 途中、瞳をよく見るために、無意識に頬を撫でながら。

 じっと瞳を合わせたままの俺。

 ぽかんっと口を開いたままのミリィの姿が、とても可愛らしくて、自然と笑みが溢れる。


「っ! わ、あ……なっ!」


 突然、ボンッと音が聞こえたかと錯覚するほどに真っ赤に染まったミリィの顔。薄い桃色の髪が霞んでしまうほど、赤く染まった肌は首元まで及んでいた。

 続いて小刻みに震えながら口を何度も開閉させ、言葉にならない音が聞こえる。

 そこにきてやっと、幻想的な夢の中にいた気分から帰ってきた俺は、自分のとった行動に頭をかきむしって顔を殴りたい気持ちだった。

 かわいそうなぐらいに全身を真っ赤に染め、動揺するミリィに苦笑いを向ける。


「えっと、ごめん。勝手に触って」

「っい、いえ……」


 頭を下げる俺にまだ動揺したままのミリィはいつもの威勢がなかった。

 しばらくどちらとも話さなかったのだが、気まずかったのだろう。用事がある、と言い残してミリィが先に部屋を出て行ってしまった。

 悪いことをしてしまった。


「ケースケ、やるな」

「え? ああ、ウィズか」

「ケースケさんって、ミリィのこと……」

「いや、違うぞ。ネモア」

「先ほどのミリィの反応を見る限り、大丈夫なのでは?」

「ファン、だから違うって」


 今日は魔法陣をいくつか試して、夢中いなっていたらいつの間にか夜になっていた。

 部屋が暗くなってきたから、そろそろ帰ろうと言っていたような気もする。

 ネモア達も、見ていたのなら声をかけてくれたら、よかったのに。

 さんざんウィズにからかわれ、ファンにアドバイスをされるのがいたたまれなくなり、早々に部屋に帰ってきた。

 最初はファンもからかっているのだろうと考えたのだが『恋愛必勝法』という本を勧められた時は本気で焦った。

 ウィズが苦笑いをしていたぐらいだから、ファンは本気で応援しようとしていたのだろう。


「ああ、参った。あんなにからかわれるとは」


 否定しても無駄だと思い、最初は適当に受け流していたため、ファンの勘違いは進むし。

 ウィズはわかっていてやっている感じだったが、それでも若い頃は他人の恋愛事情とは面白いものだ。

 友達に彼女ができると、からかいに行く方だった自分も、あの気持ちはわからなくもない。

 ベッドに崩れるように座り、大きく伸びをする。

 いくらぼうっとしていたからと言っても、女性に軽はずみに触れていいものじゃない。

 今回は、ミリィも良い方に動揺してくれたので何もなかったが。ビンタやパンチをお見舞いされても決しておかしいことではない。

 ミリィは女性ながらもウィズと剣術の授業でやり合うほどで、俺のまだまだ細い体では打身ではすまなかったかもしれない。

 そう考えると、結構危険な状況だったのだと、改めた深いため息が出た。


「疲れましたか? お茶どうぞ」

「ありがとう。からかわれるのは仕方ないけど、ファンにはもう一度否定しておかないといけないよな」

「……ミリィのこと、本当に好きではないのですか」


 受け取ったお茶を口に含む直前に、ネモアのいつもより少し低い声が部屋を包む。

 視線をネモアに向けると顔が少し俯いていてその表情を正確に読み取ることができない。

 だが、全身から思い空気を漂わせていて立っている姿は、二人しかいない部屋の中に緊張感を張り巡らせる。

 よく考えると、ウィズやファンはなにかと言ってきていたのに、ネモアは最初の一言以外口を開いていなかった。

 ウィズたちを相手にするのに気持ちが向いていたため、その時のネモアの表情や雰囲気は思い出せない。


 もしかして、ネモアはミリィに好意を抱いているのだろうか。

 確かに彼女は可愛いし、少し優しすぎるネモアに対してどんなときも物怖じしないはっきりとした性格のミリィはとてもお似合いだと思う。

 友達と紹介された中で、女の子はミリィだけだし、俺の軽率な行動に対して怒っているのかもしれない。

 そうだとすると、ファンより先にネモアの誤解をとる必要がある。


「好きじゃない。俺には、向こうに相手がいるからな」


 息を吸い込み出来るだけ真剣さが伝わるように答えた。

 俺の言葉をしばらく考えていたネモアは、何かに気づくとさっと顔色を悪くする。


「あ……っ、すみません。俺……」

「気にしていない。だけど、そういうことだからこの気持ちが消えない限りは他は考えられないよ」

「……すみません」

「そんなに落ち込むなよ。もとを正せば、俺の行動の所為だし。ミリィの瞳を暗いところで見たのが初めてで、ちょっと、幻想的だった」

「そう、ですか……。確かに、ミリィの瞳は竜人の血が濃く反映されていますからね。綺麗ですよね」


 ……竜人?

 うっとりと呟くネモアの言葉に首を傾げる。

 民族学の授業の際に、色々な種族について気になったので調べたことがあった。

 改めて、ファンタジーだったこの世界は狼や虎といった獣人や、空を飛ぶことのできる有翼人、エルフやドワーフなどの亜人など様々な種類の種族があった。

 その中でほとんど資料がなかったのが竜人についてだ。


 もともと種族としての数が少なく、また、独自の価値観と世界観を持っているという竜人は多種族との交流を拒み、めったに多種族に自分たちの住処を教えない。という記述しか書かれていなかった。

 だから、ミリィの瞳を見て猫か何かだと思っていたのだが。

 こちらで竜という言葉の持つ意味がどれほどのものかはわからないが、ミリィには俺の想像するドラゴンの力強く気高いイメージはぴったりだと思った。


 そして、最近見た精霊や魔物の図鑑の中に、ファンタジーでは定番のドラゴンを見ていないことに気がつく。

 実際に会うのは遠慮したいが、男心としてファンタジーというとドラゴンには一度は憧れを抱くものではないだろうか。

 何冊か資料を探してみたが、トカゲやワニみたいなのは見たことがあるが、俺の想像しているドラゴンは見つけられなかった。

 ファンに質問することも考えたが、資料に載っていないのはこの世界に存在しない可能性もあり、質問すること自体が不自然な気がしたのでその時は止めた。

 帰ってからネモアに聞こうと考えていたのだが、今まで忘れていた。


「竜人の竜って、ドラゴンのことか?」


 俺の質問にネモアは少しの間きょとんとした顔でこちらを見ていた。

 急に話し始めたから聞こえなかったのかと思い、改めて言い直そうと俺の口にネモアの手が押し当てられる。

 驚いて目を軽く見開くと、どこか焦った顔のネモアが押さえた手越しに、目と鼻の先にあって思わず体を後ろに引いてしまう。

 逃げる俺を追いかけるように口を塞ぐネモア。


「ケースケさん、その言葉は言ってはダメです」


 その言葉がどの言葉を指しているかわからない。

 しかし、ネモア自身が竜人という言葉を使っていたため、禁句なのはドラゴンか先ほどの質問そのものか。

 しばらく考えた後、一つ頷くとネモアの手が離れていく。


「確認が一つ、さっきの質問が駄目なのか、固有名詞が駄目なのか?」

「質問です。ドラゴンという言葉については、特に問題はないです」


 竜人とドラゴンを結びつけてはいけない。

 そういうことだろう。

 おかしな話だ。竜もドラゴンも同じような意味ではないのか? 誰でも結びつけるものではないかと思う。

 それとも、竜の持つ意味とドラゴンの持つ意味はこちらの世界では大きく違う意味を持つのだろうか。


「竜人ってなんなんだ? 後、ドラゴンってどう言ったもの?」


 結びつけて質問しなければいい、と、別々の質問を投げかけた。

 ただの屁理屈だから怒られるかと思ったが、どうやら本当に関連付けをしてしまうこと自体がまずいみたいで、ネモアは苦笑いをしながらも口を塞ぐことはなかった。

 言いづらいことなのか、何度も唇を指でなぞっては、難しそうな顔で眉間に皺を寄せる。

 好奇心は猫をも殺す。

 頭の中で思い浮かんだ言葉に自然と顔が強張る。

 中々話し始めないネモアの真剣な顔を見ていると、背筋に何かが走るようだ。


「ネモア、聞かない方がいいなら、さっきの質問はなかったことにしてくれ」

「……はい」


 話さないことに決めたネモアに、ほっとしながらも本や資料になっていないことは気になっても他人に聞けないなと今後は気をつけることにする。

 ネモアは俺が異世界人だということを知っているから、ある程度常識はずれな質問や、こちらでの禁句を言っても教えてくれるが。

 他の人に同じようにした場合、最悪罰せられることがあるかもしれない。


「ケースケさんの世界では竜人やドラゴンは存在したのですか?」


 この時になって初めて、ネモアに地球には人族しかいないことを伝えてないことを忘れた。

 獣人や亜人、魔人などは小説やゲームといった空想世界の話で、精霊や魔物などもいない。

 こちらの世界のことを覚えるので一生懸命で、あまり地球の話をしていなかった。俺の話にこちらでは考えられない常識、話すたびにネモアの表情は変わっていく。

 ネモアが真剣に聞いてくれるので、懐かしさもあってついつい色々な話をして夜更かしをしてしまった。

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