第9話 ヘランド。
今週は魔力切れや補習などやることが多すぎて、気がつけば一週間経っていた。
その所為か、ネモアに言われるまでヘランドに洗濯機を見に行くということをすっかりと忘れてしまっていた。
「明日、どうしますか?」
その質問に素で「何が?」と返してしまったぐらいだ。
今週は色々とあり疲れも出ていることだし、来週にしたらどうかという提案だったが、ただ見せてもらうだけだからと押し切った。
すっかり忘れてしまってはいたが、思い出すと気になって仕方がない。
ネモアと話し合い、先週と同じく昼頃に出かけて、外食をしてからヘランドに向かうことになった。
前回のあまり興味のもてなかった高級店に寄る必要もないし、日用品の買い出しを含めても洗濯機をみるには十分な時間が取れる予定だ。
幼い頃の遠足に行く前日のような高揚感に、寝れなかったらどうしようか。
ネモアにそういった俺だったが、横になって数分で夢の住人となった。
ぐっすりと寝た俺は、いつもより早く目が覚めた。
どうやら俺は寝付けないタイプではなく、早く起きてしまうタイプだったみたいだ。
ネモアの様子を確認すると少し疲労が溜まっているように感じる。深い眠りに入っているみたいで、暫くは起きる気配はない。
今週はいつも以上に迷惑をかけたから、別の日にした方がよかったかもしれない。
ベッドから離れようとした時に、枠に足があたり少し大きめの音と振動を与えてしまう。
「ん……」
「あ、わるい。起こしたか?」
「……。おはよ……ございます……」
「おはよう」
寝起きのぼんやりとした顔で掠れて間延びした声の挨拶がくる。
周りの状況を確認してまだまだ時間に余裕があることがわかると、二度寝することに決めたらしい。
布団に潜り込んだネモアを横目に、図書室から借りてきた『テイアの旅行記』を開く。
昨夜は寝るために、本棚に入れたままにしていた。
しばらく朝の鳥の声と寝息をバックに、本の文字に目を滑らせる。
精霊と魔獣について知るために読み始めた俺だったが『テイアの旅行記』にはそれ以外にも様々なことが書かれている。
旅行記なのだから、基本的には旅先の場所のこと。
ただ、内容は濃く、地形であったり気候であったり、生えている植物であったりと、テイアが見て感じた様々なことが書かれている。
中には種族の掟を知らなくてひどい目にあいかけた、とか。テイアの文章は俺にとって感情移入しやすく、すぐにその世界に入り込んでいった。
テイアの世界にどっぷりと浸りきっていた俺は、途中にネモアが起きてきたことにも気づいていなかった。
良い時間だと声をかけてきたネモアに、驚いて変な声を上げてしまった。
「あれ? ファン?」
「おはようございます。結構前にきていたのですけど」
部屋の中にはいないはずのファンがいた。
どうやらネモアはファンのノックの音で起きたようだが、俺はどれだけ集中していたんだと苦笑いをしてしまった。
「悪い、気づいていなかった。おはよう」
「いえ、それで。ネモアには話したのですが、俺も一緒にヘランドに行ってもいいですか?」
「ヘランドに?」
なぜ、ファンがヘランドのことを知っているのだろう?
話したことがなく疑問に思った俺の表情に気づいたネモアが説明してくれた。
ファンが今はまっているのが、魔道具のことらしい。それを聞いて知っていたネモが、ファンにヘランドの話をしたらしい。
相談をするのを忘れていたと謝るネモアに、謝られることでもないので笑顔で了承する。
ファンには度々、こちらの資料探しを手伝ってもらっているし、いずれはお礼でもしないといけないと考えていたので、こんなことがお礼になるのかはわからないが。
それでも、機械寄りの魔道具に興味を持ってくれる人が増えるのは単純に嬉しい。
今回の外食はファンのオススメの店で食べることになった。
食事中も話はヘランドの洗濯機のことが中心で、つい、出てしまった機械という言葉にファンは興味津々だった。
ファンによるとこちらの世界で言う機械とは、水車や風車など、大型で自然の力を利用するもののことらしい。
湯沸かし器や洗濯機は魔法技術者などが世に出てから、魔道具として作られたのが初めてで、それまでは火を起こして湯を沸かし、洗濯板で洗濯をしていたとか。
風車とかがあるのであれば、機械作りの技術が進歩していそうな気がするのだけど。
そこまで考えて、こちらの世界では電気をいまだに見たことがないと気づいた。
代わりになるものが魔力で、動力部が魔法陣なのだろう。
しゃべりながらの食事だったので、思ったよりゆっくりとしていたが、ヘランドについたのは一時を少し過ぎたところだった。
店主も昼食を食べる時間は必要だろうから、ちょうど良い時間かもしれない。
「マルク店長、いますか?」
入り口からは前回と同様で人の気配は見えなかった。
ネモアは俺の横にた立ち、ファンは興味深そうに店内を見回している。
カウンターの奥にあるドアからくぐもった声が聞こえたかと思うと、少ししてから作業着姿のマルクが奥のドアから現れた。
「本当にきたのか?」
「え? きちゃまずかったですか?」
「いや、まずいことはないが。こんな寂れた店に来るとは、変わり者だな」
豪快に笑いながら汚れたエプロンを脱ぎ、手を洗っている。
先ほど出てきた部屋は作業部屋なのだろう。
変わり者じゃないと思うんですけど、と口では否定しながら、視線は奥の部屋に向いてしまっている。どういったところで作業しているのか気になって仕方がない。
ファンが自己紹介を済ませると、早速洗濯機を見せてもらうことにする。
剣術の実習で汚れた服を取り出して渡すと、準備が良いなと笑いながら言われる。
それを洗濯機の左側に入れたマルクは、透明の四角い板を取り出して蓋をするように上に置いた。
板の中心には魔法陣が描かれていて、どうやら初級の風属性の魔法陣のようだ。
「このレバーを先に下げて、こことここに触れて動かすんだ。やってみるか?」
「えっと、触っても大丈夫ですか?」
「ああ、そう簡単には壊れないさ」
笑顔で答えるマルクを見て、俺ははやる気持ちを落ち着けるためにゆっくりと息を吐き、まずはレバーを下げる。
--ガコンッ。
音と共に中の空いていた穴が塞がれる。どうやら、二重になっているみたいで外側の板が下に下がった音のようだ。
側面に空いた穴の隙間から別の魔法陣が見える。全体像は把握できないが、水属性の魔法陣のようだ。
底の部分の穴もしっかりと塞がれている。
次にマルクの指定した、板の風属性の魔法陣と洗濯機の側面、水属性の魔法陣に近い位置に手を触れる。
風が洗濯槽の中に発生し、中に入れた服を回転させた。
側面の水属性の魔法陣から水が流れ、洗濯槽の五分の一程度で止まり、風の力によって渦潮のようにかき混ぜられる。
よく知っている洗濯機の動きだ。
しばらくすると風は収まり、中には水に使った洗濯物があった。
「次はレバーをあげて、上の板だけ触れてもう一回動かして見ろ」
マルクの言葉に早速と行動する。
この洗濯機は想像以上だ。脱水もできるのだから。
溜まっていた水は無数に空いた穴から下へ流れていく。洗濯機の後ろに取り付けられた排水溝から外の溝に流れ出る。
また風が周り、今度は中の服の水分を飛ばしていく。
しばらくして止まると、マルクは板をどけて中の服を取り出し、俺に渡してくる。
日本の洗濯機の脱水機能まで高性能なものではないが、水浸しというほどでもなく、水が滴り落ちることはなかった。
言われる前に右側に入れた俺にマルクは先ほどと同じ板で蓋をした。
「今度は、こっち側と一緒にだ」
そう指差したのは、洗濯みの右側の側面。
中には魔法陣は見えないが、洗濯槽の内部は鉄製の板でできているようだ。
手を触れると左と同じように服が回転する。さきほどと異なるのは、中が暖かいことだろう。
おそらく、右側の側面に書かれているのは火属性の魔法陣。空気を温めて、循環させているのだろう。
同じように止まった風に、マルクが板をどけ、服を取り出す。
湿ってはいるが、何度か乾燥をさせると、しっかりと乾かすことができそうだ。
「これが、魔道具?」
少し濡れている服をもう一度乾燥させても良いかマルクに聞いていた俺は、そのつぶやきに振り返る。
後ろから聞こえた疑問を含んだ声色。眉間に深く皺を寄せたファンが腕を組んで難しい顔で考え込んでいた。
ネモアもファンほどではないが、難しい顔をしている。
俺としては魔法で動く道具、イコール、魔道具という認識のため、ファンが何を悩んでいるのか見当がつかない。
まぁ、心の中では、マルクの作っているものは機械だと思っているが。
専門店にあった魔道具と比べると、確かに大きく異なるが、こういったものが今までなかったのだろうか。
「マルクさん、これは魔道具ですか?」
「魔道具のつもりで俺は作っているけどな」
どうしても納得できないのか、製作者であるマルクに訪ねたファンが、その答えにさらに眉間の皺を深くする。
何か問題でもあるのだろうか。
魔道具についての専門的な授業が始まるのは中等学からで、今の時点で俺に魔道具の詳細な知識はない。
勉強家のファンが魔道具について調べていて、それでもマルクが作っていたものが魔道具かどうかを疑っているといことは。
「こういった魔道具って、ないのか?」
「……僕が探した資料にはなかったです。それに、一つの魔道具の中に複数の魔法陣が使用されているなんて……」
「前に話しましたけど、火属性と水属性の魔法は相性が悪いので、魔法陣を複数使用しようと考える魔法技師自体が少ないんです。なので、魔道具の製作者はより良い魔法陣を開発するのですが」
どこか遠くを見るように呟くファンに代わって、理由をネモアが続ける。
確かに火属性と水属性の相性は悪いが、マルクの作った洗濯機は火属性と水属性自体の魔法陣は別れて設置されているため特に問題ないだろう。
というより、よくある魔法陣の洗濯機では一体何属性の魔法陣を使っているんだ。
そのままの疑問をネモアに問いかけると、水属性の魔法陣だけだと答えられる。
……どうやって回転させるんだよ。
率直な感想だった。
機械の洗濯機を知っていることと、マルクの作った洗濯機が風属性で回転させていることが出た感想だったが。
水属性の魔法陣自体に、回転の要素が入っているらしい。
ただ水を出すだけなら簡単だが、回転となると、難しいのではないだろうか。
「うちではそんな高価な魔法陣なんか買えねぇからな。一般に知られているやつとなると、組み合わせるしか思いつかなかったな」
マルクの言葉にファンとネモアは空いた口が塞がらないといった様子だ。
俺としては魔法陣の改良に力を注いでいる、マルク以外の魔道具の製作者の感情の方が不明ではあったが。
この世界にいる大多数は、魔法陣を改良する派らしい。
魔道具という世間一般での固定概念というものが出来上がっているために、良い魔道具は良い魔法陣という図式ができているようなのだ。
このため、マルクの魔道具はなかなか売れないのだとか。
一般的なな魔法陣を使っている割に値段が高いというのも原因の一つだ。
高いといっても、専門店で売られている最新の洗濯機の魔道具よりは、随分と安い。
その上、乾燥機までついているのだから、かなりお得だとは思うのだが。
「一部の知り合い以外には売れなくてな。毎月、赤字経営だ」
と、豪快に笑うマルクがいた。
「ケースケさんの言っていた、機械という意味がわかった気がします」
帰り道、ファンの言葉にネモアも頷く。
ヘランドでは他にも、熱伝導部分を改良した湯沸かし器に、洗濯機を小型化した食器洗い機など、マルクが開発した様々な魔道具を見せてもらった。
どれも発想が地球に近いもので、改めてマルクと硬く握手を交わすほどに感動した。
今度行くときは工房の様子も見せてくれるとのことで、汚れても大丈夫な格好来るようにと言ってもらって店をあとにした。
ファンは洗濯機が気に入ったらしく、寮の自室に設置するために一台買おうとしていた。
部屋の大きさ的に少し大型のため断念していたが、実家に送るらしい。ネモアも洗濯機と湯沸かし器、食器洗い機を購入し、実家に送っていた。
マルクは満面の笑顔で他の製品も宣伝していたが、時間が遅くなってきたので、次回に持ち越すことになった。
「魔法の力を最大限に利用する魔道具の開発技術。マルクさんはすごいですね」
「なんであんなに良いものが、世に広まらなかったんだろうな」
「ケースケさんに連れて行ってもらえなかったら、俺にはあそこが魔道具を扱っている店には到底見えなかったです」
「そういうものなのか……」
マルク自身が半分趣味のように開発をしているので、あまり宣伝活動とかはしていなかったのも一つの原因でもある。
しかし、今回のことで異なる魔法陣を組み合わせるという考え方をする人がいることがわかった。
マルクも相性とかをわかった上で組み合わせたわけではなく、試行錯誤を繰り返し、洗濯機を開発したと言っていたため、化学が発展していないことが浮き彫りになったわけだが。
そうなると、今教わっている魔法陣の考え方も、少し本来の性質からずれている可能性がある。
寮に戻った俺は、調べていた魔法陣の表を取り出す。
実験で、魔法の効果は魔法陣の大きさや魔力に関係がないことがわかっている。
それは初級の火属性の魔法陣の三角形の部分を空気を意味しているからと考えて、空気の量だけ燃えると仮定したからだ。
では、風属性の魔法陣を大きく描けばどうなるのか。
さっそく自習室に向かおうとした俺はネモアに止められた。
「魔力切れを起こしたばかりじゃないですか」
「頼む、今知りたいんだ。無理はしない、少しでも疲れたらすぐにやめる」
「……俺が止めても、やめてくれますか?」
「誓う。絶対にやめる」
即答した俺に小さくため息をつくと、なんとか自習室に行くことができた。
前回同様、部屋いっぱいに風の魔法陣を描く。
描いた魔法陣自体は一瞬小さく風が舞うぐらいで、上に紙を置くと少し飛ぶ程度だ。
中央に紙を置くと、魔法が発動する量の魔力を込める。
--フワッ。
火属性の魔法陣と同じなら、そういった感じの風が吹くはずだった。
しかし、予想は外れ、魔法陣全体から小さな風が舞い、それが大きな風となる。
風自体にそんなに強さはないが、それが広範囲ともなれば、なかなかの威力だ。
向かい側に立っていたネモアの方へと向けて風が吹いたため、ネモアの足元を直撃する。
「うわっ!」
バランスを崩したネモアだったが、すぐに治った風に体制を立て直す。
「大丈夫か?」
「なんとか……。けど、今のは? 風属性の初級の魔法陣ですよね」
火属性の魔法陣の時にはなかった現象に、ネモアは首を傾げる。
まだ確証はないが、もしかしたら、風属性の魔法陣はそれ自体が風の発生源になっているのかもしれない。
魔力によって異なるか、他の属性の魔法陣ではどうなるのか。
調べなくてはわからないことばかりなのに、一つの道を見つけたようで、気がつけば自然と笑みを浮かべていた。
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