第4話 初座学と初実技。
オケアノス学院における薬草学とは、薬用植物に分類される植物の知識を学べる授業だ。
薬用植物の「分類」「生息地」「調合法」「効果」で分類され、「貴重度」や「価値」などもこの薬草学の授業に含まれる。
将来的に調剤師や医者を目指す者の為に、実際に仕事とした際の部分に重点が置かれている。
隣接する畑や学院内にある森で実際に栽培を行ったり、採取を行ったりする授業もあるようで他の授業の生徒が調合中の薬品が教室の一角にまとめられている。
教室の壁には大量の本が並べられ、そのどれもが薬用植物に関係する資料や、薬品の調合法についての資料である。
前回の授業はちょうど一ヶ月前。ネモア達の進級直後で、今日は二度目の授業になる。
初回の授業では先に述べた薬草学の概要と効果についてと、一般的に使われている薬品とその元となる薬用植物を見せてもらったらしい。
薬品の種類を聞くと頭痛や腹痛、解熱といった薬と、あとは傷薬や火傷に効く薬など、漢方薬や塗り薬といった物のようだ。
棚に並べられている器具もすり鉢や秤、薬匙、試験管など化学室といったイメージが強い。
「魔法で回復とかはできないのか?」
小声でネモアに確認すると。
「考えたこともないですし。魔法は万能ではないので、できるとしたら神様か奇跡の扱いではないかと」
と返された。
確かに、何もないところから肉体を再生するなど現実的ではないのかもしれない。魔法がある事自体が俺にとっては奇跡ではあったが。
この世界の魔法はそうなんでもできる訳ではないのだろう。
基本の属性として火、水、風、地があるので、一般的なゲームに近く。回復魔法があってもいいのではないかと夢を見てしまう。
「魔法で治療ができるなら、素晴らしいことだわ」
小声で話していたのに後ろの席に座っていたミリィには聞かれていたみたいだ。ずいっと乗り出すように話に参加してきた。
ファンタジーという概念がゲームや小説に偏る故の単なる疑問だったのだが、ミリィは大変興味を持ったらしい。
「回復となると、ネモアが行っているように神様しかできない奇跡のようなことだと思うわ」
「……治療だとどう違うんだ?」
「魔法を使って、治療の部分を手助けすることは夢物語ではないと思うの」
そう行ってミリィは瞳を輝かせる。
「今は生活に使用できる道具だけが魔道具として主流だけど、医術の面で役立つ魔道具があっても良いはずよ」
「例えば?」
「う、それは、まだわからないけど。そのための知識を学びにきたのよ! 私は!」
そう宣言するミリィに、教室の前から何かが飛んできた。
興奮状態のミリィはそれを避けることができず、額のあたりに命中し、机にカランッと小さな音を立てて転がる。
結構な威力があったのか、声もなく額を抑えてうずくまるミリィに落ち着いた声がかかる。
「知識を学びにきたのであれば、授業は真面目に受けることだ。ファミリア・シルファナーン」
「っ、すみません」
「あと、ケースケ・ク・グリサラーサ」
「はい」
「前回の授業の復習までは良いが、別なおしゃべりに発展するのはいただけないな」
「はい、すみません」
授業が始まっていたのに、いつまでもネモアに質問をしていたのは自分の落ち度なのでしっかりと頭を下げる。
黒板にはすでにいくつかの板書がされていて、明らかに聞き漏らしている。
黒板には乾燥させて粉末にする方法、すりつぶしてペースト状にする方法が書かれている。薬草の調合方法を説明しているようだった。
「まぁ、初回だから多めに見るが。ケースケ、薬草を薬にする方法を一つ答えなさい」
ため息をつきながら黒板をコンコンッとノックする。
先に書かれている二つ以外の方法を答えろということだろう。
咄嗟に頭に浮かんだのは小さい頃に飲んだ、液体の風邪薬だ。
大人になってからは錠剤しか飲まなかったが、あの苦味はいつまでたっても忘れなかった。
「煮る、でしょうか?」
液体の薬が実際のところどのように作られているかわからないが、昆布や鰹節みたいに煮たら成分が溶けでるのではないか。と思ったからだ。
「煮てどうする?」
「煮て薬草から溶け出た汁を使うのかと。料理などではにて出汁をとるので、同じようなことができるのではないかと」
「なかなか面白い考え方だ」
なんとか合格点をもらえてらしい。
黒板に向きなおり、授業を再開した先生に、今度は怒られないようにしっかりとノートを取り始める。
特にお咎めもなかったので、額を痛めたミリィには軽く睨まれたが彼女も授業に集中することに決めたようだ。
その後は大きな問題もなく薬草学の授業が終わり、エレイ先生の数学の授業に入った。
内容は小学校六年生の計算問題と行ったところだろうか。分数という考え方があって、袋詰めされた小麦を分けて売る場合の値段の付け方というような、商売に近い考え方をしている。
売る物によっての標準的な利益額などが説明の中に入ってくるので、数学というよりは商売学と言ったところか。
単に数字の計算をするよりは、こちらの方が将来的に役にたつだろうし、今後何かを買うときの参考になるので面白い。
二限目の数学の授業が終わると、昼休憩になった。
大体が午前中は座学が多く、午後に実習や実技といった時間振りになるようだ。
「ケースケさん、初授業はどうですか? 何か不明なこととかありましたか?」
ネモアとウィズ達と一緒に食堂に着くと、昨日の寮の食堂以上の賑わいだった。
何人かは購買で買って教室や中庭で食べているみたいだが、それでも生徒のほとんどがこの食堂に集まっている。
なんとか六人掛けのテーブルに着くと、ネモアが心配そうに訪ねてくる。
「今のところは困っっているとかはないな。薬草学も数学も面白いし、ネモアが色々と教えてくれるから助かっている」
「そうですか、よかったです」
笑顔で答えると、安心したように息をつくネモア。
そのやり取りを見ていたミリィがわかりやすく喉を鳴らす。
「ケースケ、私に言う事があるんじゃなくて?」
スッと縦長に伸びた瞳孔がこちらをじっと見つめてくる。
不機嫌です、と体全体で表現しているのか、背筋はピンッと伸び目線は上から見下ろすようにしている。
薬草学の授業での事だろう。
次の授業が移動であった事と、ミリィ自身が別の女の子に話しかけられていた事もあり、タイミングを失っていた。
「おでこ、痛かっただろ? 巻き込んでごめんな」
かすかに赤くなっている額を撫でながら謝る。
実際授業中に自分の世界に入ってしまっていたのはミリィなのだから、半分は自業自得ではあるのだろうが。
必死に不機嫌を表す彼女がとても幼く見えて、つい、隣に座っていたミリィの額を撫でてしまっていた。
「そ、そんなに、痛くないわよ!」
首元から赤くなったミリィは、状態を後ろに反らすと撫でていた手を避けた。
子供扱いしたのが悪かったのだろう。
勢いのままミリィの隣に座っていたウィズの右頬に後頭部をぶつける。
「いてっ!」
ちょうど重いパンチを入れられた無防備なウィズは、持っていたスプーンをさらに落とすと頬を押さえて立ち上がり、ミリィは後頭部を押さえて前かがみになった。
「……えっと、ごめん」
とっさに睨みつけてくるウィズに謝りながらも、自分が悪いのか? と、問いかけたくなった。
ミリィがあんなに反応を見せるとは思っていなかったし。慌てて離れようとするほど嫌われているのかもと、結構ショックを受けている。
「わざとじゃないのは、わかったが。午後の剣術、相手してもらうからな」
「俺、初心者ですけど」
「相手してくれるよな、ケースケ」
「……お手柔らかにお願いします」
剣術が剣道と似ている事を祈りながら、鶏肉の塩焼きらしきものを味わった。
俺の祈りは全く通じなかったわけだが。
二十四歳の体力を侮ってはいけない。
仕事はパソコンの前にほぼ一日中座っているし、客先に行くときは社用車か電車だ。週末は仲間と飲み歩いて、下腹が気になり始めたジム通いは半年しか経っていなかった。
「ケースケ、ふざけてる?」
「お、大真面目、だ、よ」
とぎれとぎれに答える俺に、ウィズは苦笑いを浮かべる。
剣道の竹刀なんて子供騙しだ。
何を当たり前のことと思うかもしれないが、本物の剣は鉄でできています。木や竹の棒も振り回すのとは訳が違う。
ウィズに言われるがまま、剣術の授業で手合わせする事になったのだが。
両方に刃のついた長さ五十㎝の剣が持ち上がらなかった。
その時点で呆れていたウィズだったが、三十㎝にしたとしても状況が変わらないため、やりたくなくてわざと持ち上げないのかと疑いをかけられた。
かろうじて両手で持ち上げてはいるものの、腕は震え、足元も覚束ない。
女の子のミリィでさえ、三十㎝の剣を振り回しているのに、情けないとしか言いようがない。
剣術が苦手だと言っていたファンも、苦手というだけで剣をしっかりと振る事ができている。
あまりの状況に、ウィズだけでなく剣術の担当教師も眉を寄せている。
「ケースケ・ク・グリサラーサ。お前はしばらく基礎体力作りだ」
「……はい」
元騎士の隊長であったという教師にそう言われると、素直に頷くしかない。
その基礎体力作りでさえ、何とか言われた内容をやっているという状況なのだから、他の生徒と同じように剣を振るう事ができるのはいつになることだか。
ないとは思いながら、召喚物でよくある身体能力の向上とか、ほんとうに、ほんのちょっとだけ期待してしまったためにちょっと落ち込む。
二十四歳の良い歳したおっさんが、運動万能とか、夢見すぎか。
内心で愚痴りながら、十回の腹筋で汗だくになっています。
ネモアに足首を押さえてもらっているのだけど、その表情は心配そうだ。
「ケースケさん、無理はしないでくださいね」
「……男には、やらねばならない時がある」
とぎれとぎれに言いながら何とか上体を起こす。
ジムではランニングマシーンとかボクシングマシーンとか色々やっていたはずだったが、週に一度という回数か、機械に頼ったからか。どちらにしろ、あまり筋力がついていなかったみたいだ。
「ケースケって、編入試験受かるぐらいに頭がいいのに、体力はないのね」
ウィズと打ち合っていたミリィは、うっすらと額に浮かぶ汗を手ぬぐいで拭きながらこちらに歩いてくる。
俺の代わりに、直接頭をぶつけたミリィが相手をすることになっていた。
「勉強していたから、体力がないのではないですか?」
ファンの言葉にミリィはなるほど、と頷く。
体力的に言うと少ないとはいえジムには通っていたので、それなりに自信はあったのだが。気にしていた下腹も出なくなっていたので、勝手に体力がついたと思っていたのに。
現実はそう、甘くないという事だ。
「結構体格いいから、期待していたんだけどな」
「見掛け倒しで悪かったな……」
「いや、そうじゃないけど」
本気で楽しみにしていたのか、ウィズの残念そうな言葉に言い返すと、慌てて頭を下げられた。
一日でも早く筋力をつけようと、明日から朝の走り込みでもするか。と心に決めたのだが、筋肉痛で起き上がることすらできないと言うのは、別の話だ。
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