第3話 一日の終わりと始まり。

「グリサラーサ家が後見人なの?」


 ミリィがこちらを見つめながら、ネモアに問いかける。少し目を細められているだけで、どこか睨みつけられたように感じるのは気のせいなのか。

 ネオアが転移の魔法陣の描き換えによる誤作動の話と、俺が住んでいた場所の話などを説明する。

 ネモアの師匠の変わり者具合は有名らしく、さっそくその魔法陣について問い詰め始めるミリィに、ウィズ達は苦笑いだ。


「災難だったな」

「まぁ、突然で驚いたけど……。学院にも通える事になったし、ネモアが良い人だからそれほど悪いことばかりではないさ」

「ケースケさんは編入試験を通ったのですよね。どこかで勉強されていたんですか?」

「読み書きと計算は教えてもらったかな。逆に常識的なことが抜けているのにこの数日で実感させられている」


 ミリィに色々と言われているネモアを横目に、出来るだけ言葉を選びながらウィズとファンに説明する。

 ウィズとファンからは授業の話を聞いた。


 授業は一日四教科前後で、五十分の座学と百二十分の実技・実習の授業とに別れている。

 実技は主に剣術と魔法の基礎的なことを指導され、実習は日本であった化学実験や魔法陣の作成、鍛治などだ。

 初等学の五年からは選択制が実施され、六年の中頃までに大体の進路を決めるのが一般的となっている。初等学の四年はいわばその準備期間のようなもので、幅広く色々と学べるのがこの学年になる。

 既に経過した一ヶ月の授業内容はオリエンテーションのようなものがあったのと、四日前にやっと四年の内に学ぶ教科を一巡したという。

 幅広く基礎を学ぶため、ほとんどの教科が週に一度か少なければ二週に一度の割合で行われる。


 ミリィに質問責めにされぐったりとしているネモアは、友達と過ごす年相応の少年だった。

 一通り聞きたいことが聞けたのか満足そうな顔のミリィは、ネモアを解放すると今度は俺に質問の矛先を変えた。

 最初の警戒していたときとは打って変わり、転移したときはどんな感じだったのかとか、何をしていたかとか、身を乗り出す勢いで質問が出る。


「家に帰る途中で目の前に光の壁が現れたな」

「災難だったわね」


 その言葉に苦笑いすると、すかさずウィズが。


「もう、俺が言ったよ」


 と呆れた感じで返した。

 特に気にした様子もなく「あら、そう?」と言ったミリィは「編入試験を通ったのよね、誰に教えてもらったの?」の言葉に、今度はファンがウィズと同じ言葉をミリィに返した。

 流石に気まずかったのか、少し頬を赤くして俯いたがすぐに気持ちを切り替えていた。

 まだまだ聞き足りないのか、俺に質問をしようと口を開いたミリィをネモアが止める。


「明日が編入初日なのに、寝坊で近くと何なったら困るでしょう」

「ああ、そうだな。今日は移動で疲れたし、早めに休みたいかな」


 朝は八時半に職員室に行くといいと言われているので、少しぐらい夜更かしをしても十分に起きられるが。

 今日は移動と編入試験、初めての人と何人も話したためか、横になればすぐに眠られそうなぐらいの疲労を感じていた。エルフや獣耳など、わかりやすい特徴の異世界を改めて突きつけられた日でもあり、脳は睡眠を求めていた。


「明日から一緒に勉強するわけだし、よろしくな」


 まだ不満げなミリィにそう言いながら笑顔を向けると、しばらく呆けた慌てて首を縦に振って肯定した。

 親戚の女の子が同じように渋っていた時に笑顔でお願いすると大抵のことを聞いてくれていた。流石に頭を撫でるのはまずかもしれないと自重したが。どうしても五歳以上離れている十代の子供という意識が抜けない。


 しばらく使っていなかった風呂を今から準備するというネモアに、今日は体を洗うだけにすると断って先に入る。

 濡れた髪を拭きながら、自分の寝床となった二段ベッドの下に腰掛ける。

 小さい頃は二段ベッドの上の段に憧れがあったが、今となっては毎日梯子を登るのは面倒に感じた。

 ネモアがしっかり者の片付け好きだったので、下の段を譲ってもらった。


 窓から見える空には地球では見ることのなかったものが浮かんでいる。

 召喚されたその夜に見たロアとムアと呼ばれる二つの満月。

 ロアは白く光り輝き、ムアは黒く浮かび上がる。

 すぐ隣に並んで見えるのに、ムアにはロアの光が反射することなく、ロアにはムアの影に隠れることはない。

 ロアとムアを囲むように輝く星が、日本で見た星空とまったく違ったことから、ここは太陽系ですらないのだろう。


 知らない世界に一人。

 考えないようにすればするほど、いつの間にか日本の家族や友人や会社のことばかり浮かんできている。

 悔しくて、哀しくて、必死で目にたまる水を落とさないように上を向く。

 現実から目を背けるように、寝ると少し落ち着いた。夢なら、覚めて欲しい。

 風呂場のドアが開く音がして、見つめていた窓から目をそらした。


「先に寝ていてよかったのですよ?」

「いや、少し考え事をしていて。明日もあるし、すぐに寝るよ」

「……そうですね、灯りけしますね」


 言ってネモアはランプの火を消して、ベッドの上に登っていく。


「ネモア」

「はい?」

「明日からも、よろしくな」

「……はい!」


 嬉しそうに答える声に「おやすみ」と返しながら目を閉じた。

 窓から差し込むロアの淡い光が差し込んでいたが、ネモアがカーテンを引くと真っ暗になる。

 「おやすみなさい」というネモアの控えめな声を聞きながら、眠りの中に落ちていった。


 窓から差し込む朝日で自然と目が覚める。

 今の時期は大体六時頃に日が昇り、まだ十分と時間があり、二度寝してもよかったが、すっきりと目覚めたため顔を洗うことにした。

 洗面台の蛇口の上には湯沸かし器のようなものが設定されている。

 ネモアの話では火の魔法陣が内部に埋め込まれていて、貯められた水を温めているのだと。

 蛇口は二つ付いていて、お湯と温度調整のための水が出るようになっている。お風呂にも同じようなものが設置されている。


 洗面台の鏡を見ると、目が少し赤くなりむくんでいるのに気付いた。

 水の蛇口を回して目元を冷やすように顔を洗う。そばに置いてあるタオルで拭いて確認すると少しましになっていた。

 ついでに跳ねた髪を水に濡らして整えると、部屋に戻る。


「おはよう、ネモア」

「おはよう……ございます、ケースケさん」


 起きてベッドの上で座っていたネモアに挨拶をすると、まだ眠いのかあくび混じりの挨拶が返ってくる。

 グリサラーサ家にいた時は部屋が別々で、寝起きのネモアも見る機会のなかったため、普段のしっかりしたネモアとの違いは新鮮だった。

 寝癖で鳥の巣のようになっている頭を見て、顔を洗ってくるように進めると、のろのろとベッドの上段から降りて洗面所に向かっていく。


「おはようございます。ケースケさん」


 しばらくしてすっきりとした顔で返ってきたネモアは、いつものきちっと整えられた髪の彼だった。

 改めて挨拶を返すと、学校へ行く準備を始める。


 制服は一番上に羽織るブレザーのようなものだけで、中に着る服や下に履くものの指定はない。

 正式な会などでは正装が暗黙の了解となっているが、普段の授業などでは皆想い想いの格好をしている。

 様々な種族が集まっているため、制服として一式揃えるのが大変なことも一つの理由だ。

 革のカバンにインクとペン、茶色がかった紙の束を入れると、食堂に降りて朝食をとる。

 朝食を食べ終わってもまだ八時前と職員室に向かうには早く、ネモアに簡単な校舎案内をしてもらいながらゆっくりと登校する。

 授業自体は九時開始で、この時間に登校する生徒の姿は少なかった。寮と校舎が近く、結構ぎりぎりに来る人も多いとのこと。


「ここが職員室です。各担当ごとの部屋も準備されているので、ここにいない時はそちらですね。また、案内します」

「ありがとう」

「では、担任を呼びますね。失礼します。エレイ先生は居ますか?」


 ドアを開けて中に呼びかけたネモアの声に、すぐに返事が返ってくる。

 入り口まで来たエレイ先生らしき人は、肩のあたりまで伸びた髪を後ろで結んだ、大人の女性だった。

 多分、年齢は自分と同じぐらいだが、その身長はエレイ先生の方が少し高い。

 改めて自分は子供身長なのだと、内心で深くため息を付いたが、それを表情に出さずに笑顔で会釈をする。


「学院長から話は聞いているわ、君がケースケ君?」

「はい。ケースケ・ク・グリサラーサです。よろしくお願いします」

「うん、礼儀正しくて良いわ。担任になるエレイよ。何か困ったことがあったらすぐに言ってね」


 差し出された手を握り返すと、身長だけでなく手までエレイ先生の方が大きいようだ。

 十五歳で成長期というネモアと身長が並ぶのもそう遠くない未来の話だろう。

 説明があるため、ネモアは先に教室に行き、エレイ先生と職員室の一角に設けられたソファのある場所に案内される。

 授業の準備をしている他の先生達も、優秀な者を種族問わずに集めているため、多岐にわたっていた。


「これが今日使う分の教科書。残りは放課後に取りに来てもらえる?」

「わかりました。ありがとうございます」


 受け取った教科書は4冊で、今日は実技や実習の授業はないとのこと。

 昨日までの授業内容については他の生徒に聞くか、各担当に質問すること。

 エレイ先生は語学と数学の授業と魔法の基礎を教えているとのこと。


「すみません、俺は今まで魔法をあまり見たことがないので。誰にでも使えるものなのですか?」

「あまり浸透していない土地にいたのね。まだ時間はあるし、簡単に説明するわ」


 魔法は魔法陣を使用することで、体内エネルギーと自然エネルギーを混ぜ合わせ、具体化することで発現する。

 混ぜ合わせた状態が魔力で、混ぜ合わせる場所が魔法陣。魔法陣は魔結晶と呼ばれる鉱物から抽出したもので描かれることが多く、より効率的に魔力を循環させることができる。

 体内エネルギーはすべてのものが持っていて、魔法陣には自然エネルギーと混ぜ合わせる手順と発動方法が描かれている。


「魔法陣がないと魔法は使えないのですか?」

「使えない、という訳ではないけど、難しいわね。魔力を自分の中で練り上げないといけないし、発動するための魔法陣を正確に頭の中で構成しないといけない。基本の魔法ですら、国家魔法士の中で使えるのは一握りね」


 火を燃やしたり、水を出したり、簡単に思える魔法ですらゲームのようにはいかないのだ。

 そのために魔法陣が開発され、お湯を沸かすための魔道具が作られているのだという。


「そろそろ、良い時間ね」


 エレイ先生の言葉で教室に向かう。時間は九時少し前で廊下には慌てて登校してくる生徒の姿があった。

 そんな人たちからの視界を軽く感じながら教室の前につくと、エレイ先生に少し待つように言われる。


 ……どの世界も、転入生の自己紹介はあるのか。


「ケースケ君、入って」


 中から聞こえたエレイ先生の声に小さく深呼吸を繰り返すと、ゆっくりとドアを開けて中に入る。

 これからクラスメイトになる何人もの視線が肌に突き刺さるのを感じた。

 少し緊張はするが、好奇心と興味津々だとわかりやすい子供の視線に小さく口元が緩む。

 エレイ先生の隣に並んで、教室内を見渡すと、生徒数は四十人前後で人と他の種族が半数ずつといったところだ。


「編入生のケースケ君よ。ケースケ君、自己紹介」

「ケースケ・ク・グリサラーサです。わからないことも多いので、色々教えてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」


 笑顔を作って軽く頭を下げると、パラパラと小さな拍手が返ってくる。

 中には「よろしく」という声や「グリサラーサ?」とネモアを気にしている者もいるが、概ね友好的な反応と言っていいだろう。


「はいはい、ちょっと聞いてね」


 ざわざわとし始めた教室内に、エレイ先生の手を叩く音と声が響く。すぐに静かになった生徒達に満足そうな顔でエレイ先生は頷く。


「ケースケ君は今まで小さな村で暮らしていたの。だから、少し一般常識の部分を心配しているから、皆助けてあげてね」

「じゃあ、なんで編入試験なんて受かったんですか?」


 勢いよく手をあげた一人の生徒が教室に響く声で質問する。

 本来の編入試験には、一般常識の分野も含まれるため、他の生徒もその疑問に怪しむような視線を向ける。


「それについては、俺が説明します」


 そう言って立ち上がったネモアは、こちらについてから何度目かになる。師匠の描き換えで起きた転移の魔法陣の誤作動のこと、俺が自分の住んでいた場所もよくわからない交流の少ない場所からきたこと、学院長の計らいでネモアと同じクラスになるために編入試験を受けたことをわかりやすく説明していく。

 転移の魔法陣の誤作動の話の部分で、生徒の視線は俺を憐れむものに変わった。「なんでも聞いてくれよ!」「色々と教えるから」という声が上がったので良いのだが。

 その上、ネモアの席の近くの方が良いだろうと、隣に座っていた生徒がわざわざ席を替わることになった。

 その猫耳の生えた生徒にお礼をいうと「困った時はお互い様」と笑顔で返される。


「一時間目は薬草学だから、皆、遅れないようにね」


 そう言ってエレイ先生は自分の授業のために別のクラスへと移動した。

 薬草学は別教室で行われるため、ネモアに指示された必要な物だけを持って、クラスを後にする。

 語学や数学、民族学などの一般教養の部分にあたる授業以外は、ほとんどは教室移動で一日に四教科程度しか授業が組まれていないのはこの移動時間も含まれるからだそうだ。

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