メデューサさんは私にとって


「メデューサさん、大丈夫?」


「あ、あぁ……へ、平気だ」


 海の家の一件で、スズメちゃんとクロさんからこっぴどく叱られ、体育座りで落ち込んでいる。パラソルの影に隠れたメデューサさんは、いつもの迫力がまるで感じられない。


 側にいてあげよう。


「む。別にスズメとゴキブリ女の所で遊んできていいのだぞ」


「いいよ、ここにいる。疲れたし」


 ニートの体は、少し動いただけで活動限界なのです。


「そう、か……。なら、止めはせん。好きにしろ」


 そう言うメデューサさんの表情は、なんだか嬉しそうだ。


 二人で大人しく座っていると、波の音がより強く聞こえてくる。騒がしい人の会話や迷子の放送は不思議と耳に入ってこない。


 まるで、二人だけの場所のようにーーー。


「海は好きだ」


 静寂を破った一言は、とても納得出来た。海を見つめるメデューサさんは、普段より柔らかい表情をしていたから。


「どこが好きなの?」


「全部だな」


「全部?」


「そう、全部だ」


 それは冗談ではなくて、本当に底から好きだと言っているように感じた。


 まるで、かつて愛していた人を思い出すように。


「ん? はっはっは! 寂しい顔するでない。確かに海は好きだが、それ以上に今は蛙のことが好きだぞ」


「今は?」


「あぁ、今はな。昔、愛した男がいた。ま、そんな感情は儚くもあっという間に消え去ったがな」


「どうして?」


「…………」


 口が開かない。眉間に皺を寄せ、苦しい表情をしている。


 何かあったのかな。こんな表情をしたメデューサさんは、見ていて自分まで苦しくなっていくようだ。


「……ん? ちょ! ど、どうした蛙!」


「いつもしてるじゃん」


「そ、そうだが……」


 私は立ち上がり、メデューサさんを後ろから抱き締めた。


 理由は特にない。ただ、抱き締めていたかったからだ。


 私の胸がメデューサさんの背中に当たる。暖かい肌が、胸を通して伝わってくる。


「メデューサさん」


「なんだ、蛙」


 こんなことをいうのは可笑しいかもしれない。でも、私は躊躇なく口に出す。恥ずかしくもない、後悔もない。


「願いーーーー叶えて、ね」


 メデューサさんにしか見えない私の願いは、きっといつか、叶えてもらえるはずなんだから。


「ーーーーあぁ、任せておけ」


 波の音が強くなる。私達を後押しするように。


「あー! なにやってるんですか!」


「ちょ! スズメ! み、見るでない!」


 スズメちゃんが戻ってきていたようだ。なんともタイミングが悪い時に見られたようだ。


 別に、私は恥ずかしくないけども。


「ふふーん……やっぱり、ミドリさんが愛してる人って蛙さんで間違いないんじゃ……」


「ばっ! よせスズメ!」


 スズメちゃんの口をメデューサさんは両手で覆って静止させた。いったい何を言おうとしたんだろう、気になる。


「んー! んー!」


「か、蛙! 今のは違っ……いや違くないが……嗚呼もう! って、いだっ!」


 後ろからクロさんがメデューサさんの頭を殴った。たんこぶが大きくプクーッと膨れていく。


「ったく、うちの妹に何してんだ馬鹿」


「な、殴ることないだろう! 悪魔! ゴキブリ!」


「うっさいうっさい! いいから、そろそろ帰るよ! 日も沈んできたし、風も出てきて冷えてきたからな」


 気付くと、空は橙色に染まり、たくさんいた人々は帰り支度を始め出している。


「寒い」


 冷たい風も吹き出し、露出させた肌に当たって夏なのに寒く感じる。クロさんの言う通り、帰った方が良さそうだ。


 メデューサさんとクロさんはパラソルとシートを片付けていく。言い合いをしながらみたいだったけど、なんだかんだ息が合った二人なんだよね。


 私とスズメちゃんは、先に車へ戻り着替えていた。


「あの、蛙さん……」


「なに?」


 着替え終わると、スズメちゃんがモジモジして声をかけてきた。


「えっと……み、ミドリさんのこと、どう……思ってるんですか?」


「…………」


 思う。何を、どう思うってことだろう。


 メデューサさんのことは楽しくも可愛らしい同居人。そして、いつか願いを叶えてくれる人……そう思っている。


「私、は……」


 そう口に出せばいい。簡単なことだ。簡単なことなのに、私の口は別の言葉を言おうとしている。


 口じゃなく、心かもしれないけれども。


「め、でゅーささんの……こと……」


 ミドリさんじゃなく、メデューサさんと言ってしまった。別にスズメちゃんなら構わない。けれど、使い分けていた名前さえも間違って言ってしまったことに、冷や汗が落ちてくる。


「かぁ、さ……」


 視界が揺らぐ。体も力が抜けていく。今にも意識が飛びそうだ。


 その名前を口に出してはいけないのに。忘れてしまっていたいのに。何度も何度も決めたはずなのに。


「蛙……さん?」


 スズメちゃんが視界に入る。スズメちゃんの姿がゆっくりと白い波に消えていき、最後には完全に真っ白な世界になってしまった。


「っ!? か、蛙さんっ!」


 スズメちゃんの声が聞こえる中、私の意識は、どこかへ飛んでいったのだった。

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