第4話 ファースト・インプレッション
「ここまでくれば、もう大丈夫だろ」
市街地から少し離れた、住宅街の外れの遊歩道。
人工池をぐるりと囲むように一周するこのスポットは、犬の散歩やら学生のデートにうってつけで普段は多くの人で賑わうのだが、今は不思議と閑散としている。
バケモノの出現情報で避難勧告でも出ているのかもしれない。
いずれにせよ今の俺達には都合が良い。
手足は適当に人に戻したものの、服が破れていることに変わりはない。
画像も出回っているかもしれないし、今は人目は避けたかった。
「しかし、何だって急にあんなのが出てきたかね。今回は被害を出さずに済んだけど、その辺に何匹も出られたら抑えきれないぞ」
バルバロスはウィンブルムでいえば中の上程度の魔獣である。
討伐には人間なら数十から百人前後、神魔でも数名程度は必要とされる。
一匹二匹なら今の俺達でどうにでも出来るが、それ以上となると無理がある。
「……ごめんなさい」
「リーザが謝ることは何もないでしょ」
先程からリーザはずっとこの調子で、手は離さないもののずっと気落ちしたままだ。
「一旦休もうか、部屋に戻るにもちょっと時間置いたほうが良さそうだし」
目についた木製のベンチに腰を掛けると、リーザもその横にストンと座った。
涙こそ流してはいないものの、その横顔はさっきよりずっと悲しそうに見える。
「ミズハは」
「うん?」
下を向いたまま、目も向けずにリーザが呟く。
手は相変わらず繋がれたままだけど。
「ミズハは、なぜ怒らないんですか」
「怒るって、何に」
ぎりりと、ほんの少しだけ手を握る力が強くなる。
「ミズハはもう全部分かってるんでしょう?なにもかも、私のせいだという事に」
「……違うよ、リーザは悪くない」
「そんな訳がないでしょう!?滲みも、あのバルバロスも、私が
初めて、リーザが声を荒げたのを聞いた。
噛み付くように近づけられた顔も、見たことがないほどにクシャクシャだった。
「私が、いるはずの無い神がここにいるから、ウィンブルムとの境界が曖昧になっているんです!私が、この世界に穴を開けているんですよ!?何で私を責めないんですか!」
「リーザがここにいるのが原因だって言うなら、それこそリーザは悪くないだろ。リーザを地球に引っ張り込んだのは俺なんだから」
「違う、違うんですミズハ。あの事故は貴方のせいじゃない。門が勝手に動いたのでもないんです」
「じゃあ、何が原因だっていうの」
リーザはほんの少しだけ躊躇って、耐え難い秘密を告白するように耳の端を赤くしながら呟いた。
「私が、ミズハの手を離したくなかったんです」
その告白に遠慮するように、少しだけ辺りが静かになった。
虫の声は遠くに響き、樹々の揺れる音も風に流されていった。
「私は魔王なんかどうでも良かった。ウィンブルムで最も細い、忘れられた川の神だった私にとって、神々から土地の支配権を奪う魔王など関係がなかった。もっとやれと思っていたくらいです。私は、ただ寂しかっただけ。たまたま見つけた異界門に手を伸ばしたのも、誰かに私の声を聞いて欲しかったんです」
「それで、手当り次第に引っ張り上げたのが俺だったわけだ」
まあ、なんとなくそんな気はしていたのだ。魔王を倒す勇者として選ばれるには、あまりにも心当たりがなさすぎた。ランダム抽選と言われたほうがまだ腑に落ちる。
「びっくりするよな、それで出てきたのが瀕死のガキなんだから」
「……ふふっ、私もあの時はどうしようかと思いました」
「あっ、今笑った」
「笑ってませんが?」
リーゼの笑い声はかなりのレアだ。嬉しい時楽しい時ってのは普通にあるっぽいんだけど、声を出して笑うのは滅多に無い。
「それから貴方の怪我を治して、貴方と一緒にいるためにでっち上げの理由で始めた魔王退治の旅。ミズハにとっては迷惑な話かもしれませんが、私はそれまで過ごしてきた時間の中で一番楽しかった。魔王を倒したくなんか無い、ずっとこの旅を続けていたいと思っていました。けれど、終わってしまえば短いものでしたね」
「随分と濃い五年間ではあったよ。地球での人生が嘘だったと思えるくらいには」
そう答えると、リーザは嬉しさと寂しさが綯い交ぜになったような顔をした。
「だから、私は分かっていたのに。これで最後だ、もうわがままの時間は終わりで、ミズハを元の世界に返してあげないといけないと分かっていたのに。私は、また一人ぼっちに戻るのが怖くなって、ミズハとの時間をもっと続けたくて。だから私は、わざとミズハの手を握ったまま門を起動させたんです。……それからの地球の日々も本当に楽しくて、一人の時に見た夢が現実になったようでした。でも、今度こそこれで終わりです。もう、これ以上ミズハに迷惑はかけられません」
リーザはすっと立ち上がると、自分の胸元から体内に手を差し入れた。
やがて何かを掴み、それをゆっくりと引き抜いてゆく。
そこには、鞘に収められた一振りの剣が握られていた。
剣、といっても柄と鍔があるからそう見えるだけで、どちらかといえばその作りは獣の角に近い。刃もなく、つるりとした丸みを帯びて、ただ切っ先だけがある。
殺害剣リヴィル。
ウィンブルムにおいて唯一、神も魔も人も別け隔てなく殺す剣。
俺が、ただ一度きりの殺人に用いた剣だ。
「……持ってきてたのか、それ」
「返しそびれていました。どうせ向こうでは厄介者扱いの剣でしたから、誰も困りはしないでしょう」
そういってリーザは剣を鞘から抜き、刀身を手に持ち柄を俺の方に向けてきた。
「この剣でなら私は死ねます。それで全部元通り。ミズハは、この星での時間を生きて下さい」
目を伏せたままリーザが差し出してきた剣を、俺は何も言わずに受け取った。
刀身を手放したリーザが、罪人のように跪く。後ろ髪の合間に覗く白いうなじが、息を呑むほどに美しかった。
俺は、その美しさに惹かれるように剣を構え直し――
「ええと、リーザさん覚悟を決めてくれた所悪いんですけど」
普通に鞘を拾って収め直した。
「俺もう殆どリーザと同じ体になってるから、多分リーザだけ死んでもなんにもならないよ?」
「……。」
「……。」
沈黙。
リーザの白いうなじがだんだん真っ赤に染まり始めた。
「こほん」
リーザは起き上がり、膝を払い、一つ咳払いをしてから無言で迫ってきた。
「そうですかそうですねそういえばそうでしたね、いやはやうっかりしていましたまったくミズハはお利口ですね賢いですね貴方は本当にそういうところなんですよ、良くわかりましただったら一緒に死にましょう大丈夫ずっと一緒ですよ」
「うおおおおお待って待って、今の俺が力負けするのか!?ごめん!ごめんって!いやてっきり気付いてるものとばかり!えっ泣くほど?泣くほど恥ずかしかったの今の!?」
うなじどころか全身真っ赤にしながら強引にリヴィルを奪おうとするリーザと揉み合うこと30分。
最後にはお互い疲れ切って、地べたに倒れ伏していた。
「ミズハは、ミズハはどうして……」
「いやだからごめんて……」
「違います、そうではなくて……」
リーザが、仰向けに寝転がる俺に体を預けてきた。
気づけばすっかり日も落ちて、空には小さく星が見え始めている。
遊歩道の街灯が灯り始め、辺りを弱い橙に染め上げる。
暗くも明るくもない曖昧な光の中。
見下ろすリーザの濡れた髪と瞳だけが、なによりも強く輝いていた。
「どうしてミズハは私の手を離さないんですか……ミズハにそんな理由はないはずなのに……」
俺の胸元にリーザが顔を埋めた。
縋り付いて、許しを請うように。
リーザの髪に手を添えて、ゆっくりと撫ぜる。
さらさらとした感触と、胸にかかる重みが心地よかった。
「それはね、リーザ」
いつかは言おうと思っていた。けれど、「いつかは」なんて思っている内はきっと踏み出すことは出来ないのだろう。だから、今、告げる。
「俺の手を初めて掴んでくれたのが、リーザだったからだよ」
その答えを聞き、驚いたように顔を上げたリーザと目が合って、俺だけがおかしくなって笑ってしまう。
昔から、口先だけは回る子供だった。
放任主義を気取る親から捨て子のように扱われ、一人で居場所を作れるほどの才能もなかった俺がどうにか手にした生存手段だった。
俺は可能な限り、敵を作ることを避けた。
才能がある奴を褒め称え、努力できる奴を励ました。
どちらもないその他大勢には「一致団結」のお題目を唱えて協力させた。
そうやって、全体にとって少しでも良い結果を生み出そうと立ち回った。
上手くやっているつもりだった。
しかし、そんなのは所詮浅知恵の回るガキの勘違いで、ある日突然俺を突き落としたそいつの顔は、ドス黒い怒りに塗れていた。
俺はそいつの顔を見ても、名前も思い出せなかった。
ただ、突き出されたそいつの掌を見て、「そういえば、俺は誰からも手を握られたことがないし、握ろうとしたこともなかったな」と、今更のように思い知ったのだ。
「世界がどうでも良かったのは俺も同じだよ。世界の方も俺がどうでも良かったから。だから、リーザが手を握って死にかけの俺に血を呑ませてくれた時は、本当に嬉しかったんだ。それがどんな理由でも、必死に俺を求めてくれた。俺は、あの瞬間にようやくこの世に生まれることが出来たんだ」
酷い話だ。まるでひよこの刷り込みだ。
流石に歳を取った今なら分かる。
俺達の手を握ってくれる人なんて、探せばこの世にいくらでもいる。
狭い範囲で見限って、勝手に拗ねていただけなんだ。
それでも。
「俺はリーザの手を離さない。これから先になにがあっても、君より大事なものなんて何もないから。最後の瞬間まで、一緒にいるよ」
腕の中で、リーザがぷるりと震えるのを感じる。
俺の胸に手をついて、リーザが馬乗りのように身を起こした。
「ミズハは、ばかです。大馬鹿者です」
「うん」
「あとケチで、やたら理屈っぽくて人にうるさく言う癖に自分は洗濯物畳むの忘れるしカレーからじゃがいも抜くとかあり得ないですあと鏡見る時自分のことカッコいいと思ってますよねそれから最近足が臭くて」
「ちょっと待て」
「本当にどうしようもない人です。――だから、私が一生面倒を見てあげます」
月光が降り注ぐ夜の下。初めてリーザの笑顔を見た。
「うん。ありがとう」
「それはそうと、肝心の問題が解決していません。このまま行く先々で魔獣を撒き散らしながら転々と住居を変えるのですか?私はそれでも構いませんが」
元気になってくれたのは良いが、ちょっとやばい開き直り方をさせてしまった気がする。
「それに関しては一つ考えがある。とりあえず一旦部屋に戻って、風呂入って、ご飯を食べよう。それから」
「それから?」
「ちょっと遠出して、でっかい水風呂に入りに行こう」
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