第2話 手を取り合って

 「はあ、まったく。この世界の太陽神は一体何をやっているのですか?いくら日光が生命に必要とはいえ、限度というものがあるでしょう。なんですか?研修期間なんですか?それとも三年目に入ってもまだ新気分が抜けないルーキーですか?」


 「全裸でびっしゃびしゃのまま出てきてウチの太陽ディスんのやめてくださいよ、確かに最近ちょっとアレだけど頑張ってるんですよ。ほらちゃんと拭いて床がダメになっちゃうからあと服も着なさい」

 「イヤです暑いんです別にいいでしょう私の裸なんかもう見慣れてるはずでは」

 「そういう問題じゃねえんだわ」


 俺達がウィンブルムから俺の世界、すなわち天の川銀河太陽系地球の日本に飛ばされて――戻されてきてから三度目の夏。今年は多少マシとはいえ、やはり日本の夏は暑く、異世界の水神であるリーザには特に堪えるようだった。

 なので、夏になる度に普段は無口で冷静沈着でおしとやかなリーザが完全に駄目になる。怪獣ブルンブルン水滴おっぱいになる。

 俺もいい加減慣れているので、予めフローリングの上にタオルケットを二重に敷いてある。その上にざっと体を拭いたリーザがゴローンと寝転がる。

 上にはタオルケットは掛けない。すぐに弾き飛ばすから。


 仰向けに寝転がったリーザのおっぱいがふわふわと揺れる。

 蝉の鳴き声は遠くに、風鈴が澄んだ音を響かせる。

 夏の風物詩である。


 「暑い……暑いってなんなんですかミズハ……」

 「ウィンブルムには無かったもんなあ、暑いって」


 そう、ウィンブルムには暑いという概念がなかった。ついでに寒いも。

 暖かいと涼しいはあったのだが。全てが適切に調整されている世界だったのだ。

 そんな世界の生まれであるリーザにとって「四季」は完全に想像の埒外だったらしく、初めての夏には随分と苦情を言われたものだ。「こんな話は聞いてない」と。

 そんなリーザが何故こちらの世界に俺と一緒に飛ばされてきたのかと言うと、純粋に不慮の事故だった。


 数多の神・魔・人の間を駆けずり回って助力を得る旅を始めてはや五年。

 どうにか俺とリーザは魔王クロウを打ち倒した。五年に渡る冒険が実を結び、これでようやく楽ができる、この世界で左団扇生活が出来るぞリーザ、ヒダリウチワってなんですかミズハなんもせずにダラダラ生きられるってことだよマジですかいえー、と喜んだのもつかの間。

 問題が発覚したのは、魔王討伐に参加した有力者一同が会する祝勝記念パーティでのことだった。


 ミズハ君ぜひウチの娘を嫁に貰って我が部族の跡取りに×7。

 リーザさん君もそろそろ身を固めては丁度我が部族に将来有望な若者が×12。

 まあまあ皆さん落ち着いて、それはそうとこれを期に、大陸中央に全ての部族が暮らす特別記念居住区を作ろうと思うのだがお二人にはぜひそこの行政官を×1。

 毒を盛られたワイングラス×6。

 それらを曖昧に躱したパーティの帰り道に襲撃してきた暗殺者×36。


 要は、ちょっとやりすぎたのである。巻き込んだ部族が多すぎた。

 こりゃいかん、この世界にいては俺もリーザも死んでしまうと思ったので俺は元の世界に帰ることにした。

 俺がいなくなればリーザもそれほど面倒に巻き込まれずに済むだろうと。

 最初に召喚されてきた異界門の前に再び立ち、リーザが返還の儀式を行う。

 名残惜しいが、これで最後だと。

 そう言って最後に握手を交わし、爽やかに別れるはずだった。

 そこで事故が起こった。

 手を離す前に門が起動したのだ。

 あまりにも空気を読まない展開に虚を突かれた俺は咄嗟に手を離すことも出来ず、そのままリーザを地球に引っ張り込んでしまった。


 それから一緒に暮らし始めて、もう三年になる。



「リーザ、日が暮れたら出掛けるからな。依頼、二件入ってるから」

「……二件ですか。昨日の今日で」

「ああ、最近増えてきてるな。これも暑さの影響かねえ」

「そう、ですね。そうかもしれません」

「収入が増えるのは助かるけどな。もう少し余裕ができればエアコン買い直せるぞ」

「ああ、それは助かります。極端なんですよあのエアコン暑いか寒いかしかなくて」

「扇風機でもいいんだけど」

「エアコンがいいです」

「はいはい、はよ服着ろ」

「……今年の夏、ついに日本に上陸した最先端モードファッション」

「どっから何が上陸してきたんだよ怖えよ」 



 午後7時20分。

 遅めの梅雨が明けて、ようやく本式の夏が始まる前のその境目。

 陽はまだ完全に落ちきらず、雲を滲んだ朱色に染め上げている。

 夜でも夕暮でもない曖昧な空の下で、その雑居ビルだけがほんの少し暗かった。

 地方都市というのは主要駅前より幹線道路沿いが栄えるのが常で、このビルもかつてはその一翼を担っていたと思われた。


 「いやはや潮目ってのは一瞬だねえ。そんで全部持ってっちまう」

 「無情、と言うべきではないのでしょうね。誰かが望んだ訳でもないのだから」


 今、この4階建てのビルには何のテナントも入っていない。

 それどころか、周囲にはろくに人通りもありはしなかった。

 2年前、ここから数km離れた先に複数の高速と繋がる巨大ジャンクションが建設されたのだ。

 そこから人も金も、全ての流れが移り変わるのに1年もかからなかった。

 別に事故物件というわけではない。

 このビルの設備になにか問題があったわけでもない。

 ただ、誰からも忘れ去られただけだ。

 そういう所に、奴らは湧く。


 「リーザ、今日の夕飯は何が良い」

 「夏といえばカレーですよミズハ」

 「んー、夜にカレーか。まあ良いだろ、店もここからそう離れてないしな」

 「いえ、ミズハが作ってください。私はそっちのほうが好きです」

 「今からか?だいぶ遅くなるぞ」

 「良いんです。いくらでも、待ちますから」


 かん、こん、かん、こん、かん、こん。

 かん、こん、かん、こん、かん、こん。


 こうやって、夕暮れの中でリーザとする他愛も無い会話がなんとも愛おしく、同時にどうしようもなく嫌だった。

 何故かはわからない。

 ただ、何かを一つ一つ足元に落としているような気がするのだ。


 「ここ、エレベーターとか無いんですね」

 「築年数、かなり経ってるからな。その意味でも丁度いい切っ掛けだったんだろ」


 かん、こん、かん、こん、かん、こん。

 かん、こん、かん、こん、かん、こん。


 リーザはこういう時、必ず俺の後ろをついてくる。

 理由を聞いたことはない。

 いまさら尻を見られるのが嫌だということは無いと思うが。


 「……よし。リーザ、気配は」


 階段を登り切り、屋上に繋がる扉の前で準備を始める。


 「中の下といったところです。さほど危険な対象ではありません」


 扉に手を当てたリーザの報告を聞きながら、背中に担いだ麻袋から木刀を出す。

 ビルの窓から差し込む光に照らされ、刀身は薄く蒼色に輝いている。

 ……そういう趣味とか格好いいからとかではない。そういう仕様なのだ。

 木刀袋を担いでも怪しまれないように、服はスーツではなく遠目から見れば制服に見えない事もないジャケパンを採用している。

 リーザの方は手ぶらなので白のカットソーにジーパンである。

 もう少し良い服を買えば、と何度か言ったのだが、あまり拘りはないらしい。

 まあこれだけ美人なら何着てても一緒だ。


 「……行くぞ」

 「はい」


 目線を交わし、一気に扉を開け雪崩込む。

 誰もいない筈の屋上に、それは居た。

 それは、肉体を持っていなかった。

 まるでのように、輪郭すらもおぼつかないまま体表を赤と黒に炎のように揺らめかせ、誰も訪れない空の下で、ひとりぼっちで燃えていた。

 この滲みは普通の人には見ることが出来ない。そして誰にも知られないまま、寄生した土地に災いを齎す。見えるのは俺とリーザだけだ。


 「三枚羽です、ミズハ」

 「ということは一応飛べるわけか、一気に叩くぞ」


 リーザには自分より、もう少しが明瞭に見えるらしい。

 こいつらは形も大きさも様々だが、必ず奇数の手足と奇数の羽を持つという。 

 その数によって危険度と能力が変わる。


 「いち、にっ!」


 最初の一歩で低く前に飛び出して、繋ぐ二歩目で回転しながら飛び上がる。

 こいつらを叩くには、必ず羽根から落とさなければならない。

 この屋上から飛び立たれると追跡が極めて難しくなり、被害が拡大するからだ。


 「分裂投射!頭、右、尻尾から3つ!」


 リーザが滲みの動きを見て攻撃を判別する。

 「ぶぅぅぅぅぅぅん」と、奇妙な音を立てながら滲みがぶるりと震えると、リーザの言う通りに部分から飛来物が発射された。


 と言っても俺は既に滲みに飛び掛かっているので、出来ることはそう多くない。

 体を空中で捻って二つを躱し、残り一つを木刀で打ち払う。


 「けいっ、りゃああああああ!」


 空中で打ち払った勢いをそのままに、滲みの上部からぼんやりと空に伸び上がる、三本の突起を切断した。ずぶりと、まるで泥に棒を突っ込んだような感触とともに。

 木刀にはリーザの血が塗りつけてある。この一振りだけが、唯一滲みを両断し得る武器なのだ。

 羽根を落とされた滲みが抵抗を止め、その場で断続的に震え出した。

 こいつらを叩くには必ず羽根から落とさなければならない。

 そして、羽根を落とした時点で戦いは終了する。


 ぶうううぅぅぅぅぅぅぅん。

 ぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅん。

 ぶぅーー……ーーんん。


 まるで、それが自分の全てだったとでも言うように、羽根を落とされた滲みは少しずつその震えを小さくさせながら、蹲るようにぶすぶすと萎み、最後には跡形もなく消えていった。


 この滲みがなんなのかは俺にもリーザにもわからない。

 こんなものは、俺の知る地球にもウィンブルムにも存在しなかったからだ。

 最初に遭遇した時はここは地球ではないのかと疑って、自分の実家を確認しに行ったほどだ。実家はちゃんと記憶通りの住所にあった。


 「……終わったか。よし、依頼主に報告して帰ろう」

 「……」


 リーザは、滲みを倒した直後は少し様子がおかしくなる。

 ほんの数秒だけ、滲みのいた場所を見つめ続けるのだ。

 俺はいつも、それを後ろから眺めていることしか出来ない。


 「ミズハ」

 「ん」

 「帰りに、スーパーに寄って行きましょう。カレーの材料を買って帰らなくては」

 「あー、人参と玉葱ならこないだ貰ったのがまだあっただろ、ルーもまだ一回分あったはずで、あとはローリエと肉か。豚と鳥どっちが良い?」

 「牛です。そしてじゃがいもですミズハ」

 「えー、牛はまあともかく、じゃがいもは別に……」

 「ダメです、譲れませんミズハ」

 「へいへい。皮剥きくらいは手伝ってくれよ」

 「任せてください。皮剥きは随分上手くなりました」

 

 がしゃんと、屋上に繋がる扉を締め、再び誰も居なくなった空を後にする。

 俺達がこの「稼業」を始めたのは地球に戻ってきてから割とすぐのことだ。

 なにせ、二人揃って戸籍すら無かったので、最初は随分と苦労した。

 野宿はウィンブルムで慣れていたが。

 そんなふうに世間の暗がりをウロウロしながらなんとか生活していると、を縄張りにしている稼業の人達に目をつけられるわけで。

 だが、それは俺達にとってはむしろ渡りに船だった。

 こちとら、三首ドラゴンとの交渉すら成功させたほどの男。裏稼業の相手などイージーモードだ。一つの体に意見バラバラの頭が三つって大変そうだなと未だに思い出して心配になる。

 その伝手から取り敢えず仮初の戸籍と寝床を手に入れて、代償にその筋からこういう依頼を請け負っている。

 それでどうにか生活が安定したので、最近になって『リーザの布教活動』を始めたのだが。


 「ミズハ、ゆーちゅーばーはもうやらないんですか」

 「いやアレはもういいって、ちょう大変だし言うほど儲からないし、からも釘刺されてるしな」

 「残念です、私は結構楽しかったのですが」

 「そっか、じゃあ暇な時になんとかやってみるか、声と顔変えて。あーでも機材が……」

 

 布教の理由は『リーザをウィンブルムに還すため』。

 ベタな話だが、神様が力を振るうには信仰心が必要らしく、俺一人だけが信者の現状では異界門を開くには足りないらしいのだ。そんでまあ、思いつくことは色々やってみたわけだが、結果として若干有名なストリートパフォーマーになったり、ちょっと稼げるユーチューバーになったりしただけだった。神様ってのはどうもそういうことではないらしい。


 客観的に見ると、俺達は「どんづまり」というべき状態だった。

 一体俺達が、これからどこへ行けるというのだろう。

 けれど、リーザは何故だか毎日が楽しそうだし(表情が基本変わらないので分かりにくいが)俺も今の生活が嫌いではない。

 むしろ、今までの人生の中で一番楽しいと思うくらいだ。

 リーザにはそれを言ったことはないのだが。

 リーザからも聞いたことはない。

 だから、俺達はもう少し今の時間を続けて行くのだろう。

 もう少しだけ、そんな子供のようなわがままを。お互いに。この世界に。



 しかし、俺はこの時、すっかりと都合よく忘れていた。

 潮目は一瞬で変わり、全てを根こそぎ持っていくということを。

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