第30話
「神霊?」
「そうだ。生きながらにして『精』を操る術を持つ者。それが神霊だ。」
千恵はわたしが差し出した茶をすすりながら答えた。
「『神霊』は生きているうちに自然となっているものだ。だがまぁ、汝の場合はそれとは違うな。」
「違う、のですか?」
「ふふふ。そう堅苦しくなる必要はない。」
千恵は数百年以上を生きた“神の目”を、私に向けた。
「汝は、神の精に中てられたのだろう。」
「中てられた?」
「ああ。現象から誕生した神と呼ばれるモノたちは、この世に生きるどの生物よりも“命”に
「……?」
「まぁ、わからなくていい。いずれそう感じる時がくるだろう。」
「では……」
わたしは疑問を口にした。
「神霊とそうなる前とでは、大差はないのか。──よかった。」
「ふん。」
部屋の真ん中で蹲っていた銀狐が、不意に声を上げる。その瞳はあきれたような、あざ笑うかのような濁った眼をしていた。
「そいつはどうじゃろうなぁ。
「……」
「……お銀、それは自分への当てつけか?」
「!!──チッ。」
わたしは彼らのことがよくわからなかった。二人がどんな仲なのか、とかそういうこともそうだが、存在自体をよく理解できなかった。
彼らはまた来ると言った。そしてその宣言通り、何度もこの水源京に足を運んだ。
お銀と呼ばれた銀弧は、雌だった。最初雄だと思っていたことを知られたときには、天が割れるのではないかというほどに怒っていたが、それ以外は普通だった。随分と口は悪かったが、
千恵は賢者だ。わたしに様々なことを教えてくれた。『術』の使い方、神・神霊・妖精・霊のこと。わたしは精を操り、そして『精を感じる術』と『癒す術』を身につけた。千恵曰く、
「汝は染師であったからな。自身の精を他の命や物に
──汝は優しい。
ということだった。
「優しすぎる──か……」
彼女はそう言ったが、そんなことは、ない。
そんなはずは、ないんだ。
わたしは、わかっている。
確かにお菊を助けたかったのは事実だ。だけど──
もう決して実らない想いを捨てるために、「人柱」という口実をつくっただけだ。
ただ、諦めただけなんだ……。
だからだろうか。
千恵が話してくれた己の見聞きした、もしくは自身の摩訶不思議な体験談。その中でも、「音」を頼りに何度も逢瀬を繰り返す二人の恋人の話が、わたしは特に印象に残った。
それは千恵が経験したことの中でも非常に不思議な体験であったそうだ。何度も何度も生まれ変わっては、相手の奏でる「音」に惹かれ、二人は逢うのだそうだ。年の差も身分の違いも何もかも関係なく……
「……ではその二人は、一緒になれたのか……」
「ああ、毎度な。」
「そう、か……」
「不思議な生き物よなぁ、人とは。“何故何度も出会うのか”その理由を知りたいかと問うたら、あの二人はきっぱり断ったのだ。」
「……」
「この世には原因と結果がある。どんな物事にも理由があるのだ。それを一番理解できる生き物だというのに、人はその理由を不要とするのだ。ふふふ。『想い』とは、なんとも奇妙な存在よ。
……汝もそうは思わないか?お銀。」
「フン。……妾には関係のないことだ。」
「そうかな?」
千恵は瞳を閉じて口元を緩ませた。
その淡い微笑みが、わたしの心をくすぐった。口元は紡がれているのに、わたしにその口は何かを語っている。
「……な、なぁ、千恵よ。」
わたしはたまらなくなって千恵に尋ねた。
「なんだ?」
「お、お前は、神霊の中には、住む場所から出られないものもいると言ったな。」
「……ああ。言ったな。」
「わたしは、出られるだろうか?」
「うん?」
「この水源京から、わたしは……出ることが、できるだろうか?」
千恵は小さく微笑み、言った。
「ああ、そうだな。水の精を操る術はもう十分だろう。であるならば、あの池から、きっと外に出られるはずだ。」
「そうか!」
わたしは喜び、同時に胸を締め付ける“不安”を感じたことを、今でも覚えている。
「……おぬしは、会いたい人物がいるのか?」
お銀の低い言葉に、わたしは答えた。
「それは……分からない。」
お銀はゆっくり体を上げ、わたしに尋ねる。
「……今更会いに行って、何とする。そもそも、おぬしの村がどこにあるかなんぞ分からんのじゃぞ。少なくともここ──水源京がある地は、お主のいう村とは別の場所だ。たとえ出て行って探し出せたとして、何をしようというのじゃ。」
「……ああ。そう、だな。もう、きっと会ったところで何も変わらない。今更なにをしたって……彼には会えないし、一緒になることだってできやしない。菊になんと声をかければよいのかも、分からない。
フッ。それにあの後、二人がどうなったかなんて、容易に想像がつく。
何もできないし、なにができるのかも分からない。得体のしれぬ不安もある。けれど──」
「けれど?」
「理由は分からないが……“会いたい”とは、思うのだ。」
「……」
「それに、他の理由も、なくは、ない。」
「他の理由?なんじゃ、それは。」
「──外の世界を、観てみたいんだ。」
わたしは、その時もなお憧れた。
宿舎から見る富士の峰。遠く離れても聞こえる川のせせらぎ。
人でにぎわう江戸の街並み。面白き見世物に不思議なたべもの。
そして、夜に咲く菊の花――
そういったあの人が見た世界を、あの人が体験した人の営みを、わたしは見たかった。自由な世界に、足を踏み入れたかった。
わたしの言葉に、千恵は瞳を閉じて小さく言った。
「そうか。ならば……」
汝が思うように、するとよいだろう。
◇
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