第25話


 僕はこれでもかというほど昨日のことについて翡翠とハクに話をした。

 ハクは何度も聞いていたはずなのに、僕の話に相槌をうち、常に新しい質問を僕に投げかけた。

 そして翡翠はというと、最初こそ他人事のように静かに座っているだけだったが、次第に僕の話に興味を示すようになった。──いや、正確には、彼女は最初から興味はあったんだ。人間の世界、人間の営みに触れたいと思っていた彼女が、興味をもっていないはずがなかった。ただ恥ずかしいのか気まずいのか、それともやはり、のか、最初は興味がない“ふり”をしていたんだ。


「と、言うことで、僕は今度二人と海に行くことになったんだ。」

「おお。海とはまた夏らしいな。」

「うん。今までは人がいっぱいいる海水浴場ってただ疲れるだけだなぁって思ったけど、もしかしたら何かこれまでとは違う発見が出来るかもしれない。ううん、何か見つけて見せる!」

「ほー。つまり、ナンパすると。中坊のお前が?」

「え?難破?どうして遭難しないといけないの?ヤダよ。」

「……いや、まぁ……何でもねーよ……」


ハクは苦笑して部屋の壁を眺める。


「それにしても……」

「ん?何、翡翠?」

「あ。いや……」


 彼女は独り言のように小さく言う。


「……その“えいが”なるものは随分と不思議なものだな。今は絵巻物や書物が『術』を使わずして動く時代なのか。」

「うん。絵を何百枚も連続して見せているんだって。全く同じように見えて、微妙に違う絵を順番に見せることで、その中にいる人たちが動いているように見えるんだ。」

「そうなのか。南総里見八犬伝など、江戸の時代では多くの書が人気であったからな。あれらがもし目の前で動いていたらと思うと……それは、楽しいのだろうな。」


彼女のちょっと残念そうな、無念そうな瞳を見て、僕は言った。


「……観てみたい?映画?」

「──!いや、別によい……」

「なんで?」

「……いや、私は……私は、ここから出ることは、出来ないんだ。」

「……」


 僕は彼女の瞳をのぞき込む。ハクは、彼女は本来なら自由に水源京の外に出入りできると言っていた。彼女が「できない」と言っているのは、彼女自身に何か問題──いや、理由があるのだろう。でも、僕にはまだそれが分からないし、それを追求してしまうことは少しためらわれた。今やっと一昨日からの亀裂を埋め始めたところなのに、新しい問題を自分で掘り起こすのは“早すぎる”。

 だから、ありのままを尋ねることにした。


「……でも、観てみたいんでしょ?」

「それは……」


彼女はうろたえる。僕は、あえて話をとばした。


「じゃあ、一緒に行こうよ。楽しかったよ。」

「……いや、それは……お前に、迷惑がかかろう。私は江戸時代の生まれだぞ?都会どころか、今のこの国のことなどてんで分から……む?いやまて。そうではなく、私の話を聞いていたのか、碧。私は──」

「うーん。確かにいきなり都会はハードルが高いかな。じゃあ、何か他に外の世界で見たいものとかはない?」

「お前、だから私は……」


再度否定しようとする翡翠に、ハクが首を突っ込んだ。


「いいじゃねえか。見たいものを言うくらいよ。別に減るもんじゃないし?」

「ハク。お前な──」

「ちなみに、俺は“東京タワー”ってのが観てみたい。いや、登ってみたい。だって空飛ばずして世界を見渡せる場所なんだろ?オレは雨音のことが気に食わないが、あの空の上に住んでるってところだけはうらやましい。一度でいいから『精』を使わずして世界を眺めてみたいもんだ。」

「へぇ。ハク、そんなこと考えてたんだ。」

「まぁな。一度だけ大鷲の神霊に出会ったことがあってよ。そいつに雲の上まで高々と連れ去られ──じゃない。連れて行ってもらった時があってだな。あの景色が忘れられないのさ。」

「連れ去られたんだ。」

「ちげーよ。連れて行ってもらったんだよ。ちょっと煽ったらまぁ、いい感じに?手の平で踊ってくれたぜ?あぁ。うん。」

「怒らせたんだね……」


 僕はハクが鷲に連れ去れて行くところを想像して笑った。きっとギャーギャーわめきながら大鷲の脚に絡みついていたに違いない。

 僕はチラリと翡翠を見る。翡翠の顔には、悲壮感はなかった。ただ友人と語らっている時のような、穏やかな苦笑いが、そこにはあった。


「……それで、翡翠は何が観てみたいの?」

「え?いや、私は……」


 彼女は僕から視線を逸らし、困ったような顔をした。そして小さくため息をつくと、何もない天井を見上げる。その顔は、再び郷愁にふけっているような、悲しげな表情だった。


「……ああ、そうだな──」




  




「──」


 まただ。また、彼女が言葉を発する前に、彼女の背後に誰かがいた。けれど、その誰かは「てんふら」といった声とは違う。あの時の声は、男性──のような気がした。けれど今度は違う。黒い影は、花開く朝のように爽やかで、太陽のように明るい声をした、「女の子」だった。


「──花火、かな……」

「え?」


 翡翠の言葉に驚いたのは僕ではなく、ハクだった。


「お前、江戸時代の生まれだろう?花火なんていやぁ江戸の顔みたいなもんだろ?見たことなかったのか?」


翡翠はハクを一瞥してか、自分の両手に視線を落とす。


「……ああ。手持ちの花火は……見たことが──。だが、夜空一面を覆う、星々よりも明るく輝く打上花火というものを、私は見たことがないんだ。、見ようとは、していたんだがな……」

「!!」


 ハクの表情が一変する。彼は一度赤い眼を見開き、そしてその視線を強く閉じた。彼は藻の生えた畳の中に潜ろうとしているかのように頭を垂れ、翡翠に言った。


「そう、だったのか。……悪い。」

「……いや、気にすることではない。それに──」


翡翠は水源京の外を眺める。水源京の遥か先、光の届かない暗い影を見つめながら、彼女はつぶやいた。


「……もう、私には、見ることのできないものだからな。」

「まって。」


 僕は立ち上がった。僕は翡翠の前に立ち、彼女の視界をふさぐ。


「そんなこと言わないでよ。」

「……なぜだ。」


翡翠の瞳が、途端に険しくなる。


「だって、僕は見たい。翡翠と、花火を見に行きたい。」

「……なぜ、そうなる……」


視線を落とす彼女に、僕は言った。


「だって、翡翠、一昨日言っていたじゃないか。僕がどんな世界で生き、どんな暮らしをしているのか、それが気になったって。」

「それは、確かに言ったが……」

「だったら、見に行った方がいい。僕がここで話をするより、実際に見たほうが“面白い”よ?」

「……いや、お前の話だけで、十分──」

「ううん。僕の話だけじゃ、十分じゃないよ。

 ほら、さっき言ったでしょ、映画は映画館で観ないとその“面白さ”には気づけない。それと一緒だよ。学校の話しをしても、その面白さはそこでしか気づけない。カレーや天ぷらだって、食べたから翡翠はおいしいって分かったんだ。だったら、花火だって、話を聞いただけじゃ“面白さ”は分からないし、楽しくないよ。」

「……だが、私は──」


 なおも首を縦に振らない彼女に、僕は言った。胸を叩き、涼のように明るく自信をもって。


「じゃあ、待ってて。きっと翡翠に、打上花火を見に行きたいって、言わせて見せるから!」




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