第26話



昨日、碧はわたしに見せたいものがあると言った。

それが何とは言わなかった。

ただ、「明日は夕方に来る」と言ったから、多分そうなのではないかと思っていた。


「じゃーん、持ってきたよ!」



碧はわたしに持ってきたそれらを見せる。異様なほど彩色の豊かな1尺ほどの棒が、何十本とその透明な袋に入っている。



「翡翠、確か水源京の街中にちっちゃな広場があったよね。あそこに連れて行ってくれない?」



わたし・・・は愚かだ。



彼を望み通りその広場に連れていった後、早々に退散すればよいものを、わたしはそこに踏みとどまった。

そんなことをすれば、どうなるか分かっていたくせに。


思えばずっとそうだ。

あいつが水源京に行きたいと言った時、彼に“来るんじゃない”と、そうは言えなかった。そう言わなければ、どうなるか分かっていたくせに。


あの手紙が投げ込まれた時、手を伸ばさなければよかったと、そう後悔することが分かっているのに、手を伸ばしてしまった。


──あいつが名前を知りたいと言ったとき、名乗らなければ、こんな思いはするはずがなかったのに。


ああ。息苦しい。

なんて、自分勝手なやつなんだ、彼は。


わたしが、どんな思いでいるかも知らないくせに……


……ああ、息苦しい。

、死ぬ間際は静かで安らかなものにしようと思ったのに──



なんでこんなにも、痛いんだ──




 夜の水源京は昼間よりももっと静かになる。この世すべての生き物が眠りについたようで、僕たちの息遣いだけが世界に響く。

 星の明かりはこの街には届かない。松明がなければ鼻をつままれても分からない暗闇だ。この広間から見る水源京は、ひどく冷たくて寒い。吐く息が白くなっているような、そんな気さえしてくるほどに。


「……」


 僕は暗闇の水面に映る、翡翠を見た。

 松明の光に照らされて、その泡の表面は蝋燭のように揺らいでいる。その中心で、見えない星を探すように、彼女は泡の天井を見上げている。


「――じゃあ、やろっか。」


 僕は松明を広間の隅にある桶に入れた。そして持ってきた大きめの花火の袋を少し乱暴に破く。静かな世界に、バリバリと異質な音が響いた。その音に驚いたのか、翡翠は僕とハクに視線を移した。


「はい、翡翠。」


僕はいくつかの花火を選んで彼女に差し出す。けれど彼女は広間の端から動こうとはしなかった。


「……私は……」

「……」


僕は差し出した花火をもとに戻し、小さく微笑んで見せた。


「じゃぁ、先に僕が見せるね!翡翠が昔やった花火と同じかは分からないけれど、もしかしたら翡翠の知らない危険が潜んでいるかもしれないし。」

「いや、そんな危険はないだろ……」


ハクはボソッとつぶやいたが、僕が頬を膨らませているのを見ると、「へいへい」と言って花火から距離を取った。


「こうやって、松明の火を花火につけて……ほら、ついた!」


 僕は数メートル離れた翡翠に花火を見せる。

その光は、最初こそ淡く、静かにくすぶる松明の炎だった。しかしそれは次第に勢いを増し、白く輝く光の束を創りだした。まるで轟々と火を噴くドラゴンのようだ。


「おいおい、いきなり激しいヤツ選んだな。真っ白じゃねーか。」


ハクは僕の花火を見て苦笑する。


「だって暗闇でよくわからなかったんだよ!」

「あはは、なんだそりゃ。おい、オレにも選ばせろ。」

「はいはい。……って、ハク、どうやって花火するの?」

「口で。」

「口で!?」


 ハクは暗闇の中、目を凝らしながら一本の花火に舌を伸ばす。


「こいつだ、こいつ。」


彼は黄色い縞模様が書かれた花火に火をつける。

 そのともしびは、瞬時に火花を散らす花火へと変化した。赤と黄色の鮮やかな、菊の花のように咲き乱れる美しい花火だった。


「はっはっは。これぞ花火!お前の猫じゃらしとはちげーぞ。」

「猫じゃらし!?なんか悔しーなー。次だ、次!」


 僕は別の花火を手に取って火を灯す。

 今度はさっきのような真っ白に光る花火ではなかった。暖炉のような温かい光を放つ、穏やかな花火。その音はとても静かで、川を流れる水のように、僕の手から美しい弧を描いていた。


「ね!綺麗でしょ?翡翠!」

「──」





あれは、稲穂だ。



赤く垂れさがる火の粉は緩やかで、夕日に照らされた稲のようだった。とめどなく流れる火の流星は、地面に当たって消えるように砕け散っていく。明るいのは碧の手元だけで、其れより先はただの暗闇だ。

 けれど黄金色に輝くその光の束は、薄くともこの暗闇の広間を明るく照らしている。


 どんなに弱くとも、わたしの顔に熱を感じさせる。

 どんなに淡くとも、わたしの後ろに影を創りだす。


ああ、わたしがやった花火は、あのようなものだったのだろうか。



──いいや、あそこまで強くはなかったろう。



「あ、終わっちゃった。」



 碧は輝きを失った花火を、残念そうに見ている。

……仕方があるまい。花火とは、そういう物だ。所詮それがどんなに強く輝こうとも、最後には消えてなくなってしまう。うたかたの夢だ。


「はい、翡翠。」


 碧はわたしに“ソレ”を持ってきた。彼の手に握られた青い棒は、わたしに握られることを待っている。


 なぜ、“ソレ”を持ってくる。持ってきても、意味はないのだ。

 わたしが“ソレ”を受け取ったところで──すぐに、消えてしまうんだぞ。



「ん?でも、その一瞬を観ていたいってものでしょ?花火って。」



……。


碧はわたしに花火を握らせて、ハクの下へ駆け出していった。

……なぜ、こうも自分勝手なのだ、碧は。わたしがこれをもっていても、意味がないだろう。わたしは水だ。花火など、持ったところで、湿気らせるだけだ。ともしびなど、灯るはずがないのだ。

 でも──


その稲で、碧は上に下に、円を描く。

その軌跡はまるで空を飛ぶ燕のようだ。

その火の粉は宙を舞い、蛍のようにわたしの前に漂っている。

その音は淡く、薪が燃えるよりも穏やかだ。


 もう少し近くで観たら、印象が変わるのかと思った。

碧のもつ“ソレ”は、わたしが知る“ソレ”とは、だいぶ違うような気がした。

 思えば、最後に花火を見たのは、いつだったのだろうか。

 確かに、花火をした。300年前だったか、それくらいに……

 そうだったに、違いない。どんな花火だったかは覚えていない。



──けれど、間違いない。

近づいてみて、よくわかった。



「はい、じゃあ僕から火を分けてあげよう!」



碧はわたしのもつ花火に、自分の花火を重ねた。

そんなことが出来るモノであったのか、花火というものは。

わたしは知らなかった。


熱い。

こんなにも熱いものだったのだろうか。

顔を照らす炎も、手に伝わる熱も、まるで太陽に触れているようだ。

なのに、太陽よりも手が届く場所に、光はある。


随分と、不思議なものだ。

やっぱり、違う。

わたしの知っている“花火”とは、確かに大分違ったようだ。



こんなにも、“花火”とは、強いものだったのか──





「じゃあ、やっぱり最後は線香花火だね!」


僕は袋の中から最後の花火を取り出そうと思った。けれど──



「あれ?あれれ!?ない!線香花火がない!」


いくら探してもそれが見つからない。全部一緒くたに入っていたはずなのに……


「そういや、お前、蔵からそれ出す時、穴が開いているって言っていなかったか?」

「あ……もしかして、落ちちゃったのかな……」


 僕はがっくりと肩を落とした。

 だって、線香花火だ。あの刻一刻と姿を変える、不思議で暖かで見ていて飽きない線香花火だ。手持ち花火の中で一番綺麗で美しくて面白い、僕が好きな花火だった。最後にそれを翡翠としようと思っていたのに、まさかそれが無いなんて。


「うう……」

「まぁ、そんなにしょげるなよ。もしかしたら蔵の中に落ちているかもしれないだろ?」

「……そう、だといいなぁ。」


 僕ははぁ、とため息をつく。そうだとしても、花火の面白さを翡翠に見せるには線香花火が一番いいと、そう思っていた。それに昔からある花火の一つだったから、彼女が打上花火を見てみたいと、強く願うきっかけになるんじゃないかとも思っていた。でも、仕方がない。ないものは無い。

 それに、確かに線香花火は無かったけれど、翡翠は花火を手に持ってくれた。数本だけだけれど、花火に自分から火をつけた。そこには曇りはなく、嫌だと思っている様子もなかった。その藍色の瞳は、じっと花火を見つめていた。花火に照らされた彼女の顔は、穏やかで、美しかった。


「……ねぇ、翡翠。」


 僕は翡翠に振り返る。


「花火、楽しかっ──」

「エッ?」


 僕とハクは、自分たちの目を疑った。そして固まった。ちょっと理解できない状況がそこにあったからだ。


「……?なんだ?」


 翡翠は僕らが固まっている理由がよくわかっていなかった。それもそうだ。彼女は悪くない。悪いのは僕だ。きっと彼女は、まだ花火が残っている、そう思ったのだろう。自分から花火を手に取ろうとしてくれた、僕にとってとっても嬉しいことだったけれど、状況が最悪だった。説明していなかった、僕が悪い。でも彼女が握るそれは、流石にやめておこうと思った花火だった。

 理由は2つ。

 1つは、古かったから。そもそも全部古い花火だけれど、大きなものは何が起きるか分からなかったから、やめておこうと思ったんだ。

 そして2つ目。それは、ここが泡の中だったから。泡の外は水で満たされている。泡の高さはせいぜい3メートルほどだ。ちっちゃい“打上花火”なんて、打ちあがっても水に突っ込むだけだ。

 で、困ったことに、翡翠はその打ち上げ花火を握っていた・・・・・。しかも、今まさに松明に火をつけた瞬間じゃないか!


「な、なんでそんなもん持とうと思ったんだよ!?」

「?なぜだ?」

「だめだ、翡翠、その花火は捨てて──!」


 導火線の火が、花火の筒へとのびる。


 間に合わない。


そう思うよりも先に、僕は体が動いた。翡翠の持っている花火は、もう“爆弾”だ。そんなものが爆発したら、どうなるかなんて分かっている!


僕は彼女の手から花火を奪い取った。そして彼女を突き放し、つづいてその“爆弾”を泡の外へと放り投げようとした。

外は水だ。水の中に入れてしまえば、火が付くことはない。


だけど、導火線に引火した火の速度に、僕が叶うはずがなかった。


手を離したその瞬間、その筒は軽い炸裂音を響かせながら、その場を真っ白に輝かせた。




「──碧!」



そう、叫んだのは、誰だったのだろう。ハクなのか、それとも──




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