第23話


「暑い……」


 僕はギラギラと輝く太陽を見上げる。


ここに森のような静けさは無い。

ここに川のような涼しさは無い。

ここに水源京のような、清らかな空気は無い。


 空気は車の排気ガスとエアコンの排気口から放出される熱気とで、空が目に見えて黄ばんでいる。息をするのも躊躇うような空気だ。暑さに関しては、照り付ける太陽よりも足元のアスファルトの照り返しの方が耐え難い。日陰に入っていないと干からびそうだ。

 ここは山の麓にある町の、さらに隣のだった。山の麓からバスで2時間程度の距離しか離れていないのに、明らかに雰囲気が違う。そびえる建物は摩天楼とでも言うべきだろうか。今もなお建設中のビル群は、無謀にも青空に手を伸ばしているように僕には見えた。街を歩くスーツ姿の人々は疲れているのか常に下を向き、なんの覇気も生気も感じない。それなのに足早に歩いているのは、この暑さのせいなのだろうか。

 こんな淀んだ『精』が集まる場所にわざわざ来たのは、言うまでもなく昨日の「予定プラン」のせいだった。こんな街に来るより水源京に行きたいというのが本心だけれども、それを今日するのはさすがに不可能だったし、してはいけないと感じていた。何故なら、僕は、涼の言った言葉を確かめなくてはならなかったし、僕はまだ罪悪感を覚えていたからだ。

 彼らは僕が「一緒にいて楽しくない」と気づいていながらも友達だと言ってくれた。それはうれしかったけれど、僕は自分を許すことはできなかった。けれど彼らは僕が謝ることを良しとしなかった。だから、せめて彼らの言う「遊び」──僕が発案したことになっているけれど──に付き合おうと、そう思ったのだった。


「あっつ!!クーラーの壊れたバスの方が涼しかったな。」

「早くいこうよ。日焼けしちゃう!」


 バスから降りた涼と紅葉はそれぞれ服をあおいでいる。青いチェックのTシャツに黒の半ズボンを着た涼は、まるで昔からこの街に住んでいるかのようなラフな格好だ。それとは対照的だったのは紅葉だ。薄紅色のワンピースに、白いレースのショールを羽織った姿は、ちょっとだけ背伸びをしたような、大人びた服装だった。彼女は髪を結い上げてポニーテールを作ると、一番に駆けだしていった。


「さ、二人とも!映画館へレッツゴー!」



 二人が案内してくれた映画館は、随分と古びた建物だった。白い塗装が剥げ、ところどころ無機質なコンクリートがむき出しになっている。どこを切り取ってみても、よくあるただの“建物”だった。

 彼等が僕に見せたいと言った映画は、今年春に公開されたアニメーション映画の、特別再上映なるものだった。主人公は白いグライダーに載る少女だそうで、なんでもどこかの国の王女なのだとか。


「碧、お前は、映画は見たことあったっけ?」

「あるよ。テレビでやっていたやつを……」


 僕は別に、映画の中で描かれる世界は嫌いではない。

 確かに興味を引く作品はあるし、面白いと思うものはある。あれらはどれも日常では体感不可能な世界であり、見ているとその世界に引き込まれそうになる。けれどそれは誰か一人のモノじゃなくて、誰のものでもあるモノだ。遊園地の遊具と一緒だ。誰かをに作られたものだ。体験できることが決まっている。

 だから、皆が一様に口をそろえて言うのだ。あれは面白かったと。

 そうではないんだ。つくられたものではなくて、誰かが意図せずして体験した話とか、日常に隠れた小さな発見とか、そういうものが面白いと、僕は感じているんだ。

 皆が皆、同じものを見て同じ言葉を聞いて、それで同じ感想が出てくる。僕はそれを聞くと、そのモノに対して途端に興味が失せた。

 だからこそ、余計に映画館に足を運ぶ必要があるとは、思わなかった。だって、映画館に行ったら語り手が変わるわけじゃないし、映像が改変されている訳でもない。千恵が話してくれた思い出話をハクが語って聴かせるのとは違う。だったら、テレビで見るのと映画館で見るのと変わりはない。


 そう言うと、涼はニヤッと笑って言った。


「おーけー。そういうと思っていたさ。だからこそ、今日は3人で遊びに来ているんだ。」

「どういうこと?」

「まーまー、説明なんて野暮だから、とりあえずは映画を観てみようぜ。」




 映画館の脇にあるカフェに、僕らは座った。そして注文をし終えると、即座に涼が目を輝かせながら訪ねてきた。


「どうだった?」

「うん……」


 複雑、だった。映画館で見る映画とテレビで見る映画の間には、確かにあった。

 視界には作品しか映らない。余計な家具や壁紙なんて存在しない。差し迫る主人公の険しい表情や、悲しみや喜びに満ちた顔がアップになるたび、その感情が僕の全身にのしかかるように伝わってくる。

 そして一番の違いは、音だった。家で見る映画は、家の中や外の音が絶えず入ってくるが、映画館ではそれが無い。聞こえるのは映画の中に映し出される世界の音。その音は会場を包み込み、自分がその世界にいるかのような錯覚を僕に与えた。

 僕はそれらを、確かに面白いとは感じた。確かに作品内容はすごく面白かったし、映画館というステージの上映は作品を引き立たせていた。けれど、感激した、というほどではなかったのだ。だって結局のところ、この映画館というステージですら、これは誰かがつくった作品なのだ。目的は1つ。観客を喜ばし、楽しませるためだ。それは意図せずして何かを得られる場所ではない。

 僕がそうしどろもどろになりながら言うと、涼は自分が背負っていたリュックの中からあるモノを取り出した。


「ふふん。ま、そうなると思っていたので──じゃじゃーん。ほれ。これを読んでみ。」

「?」

 

差し出されたのは、一冊の薄い書物だった。その表紙には淡い青空を背景に、主人公の女の子がグライダーにのって、険しい表情で眼下の世界を見据えている。


「パンフレットだよ。」

「パンフレット?」

「そう。映画のストーリーの概略とか、監督・役者のインタビューなんかが載っていてさ。映画製作の裏話とかを知ることができるんだよ。」

「ふぅん。」

「で、だ。お前は映画館は人を楽しませるために創られたものだって言っただろ。確かにその通りだ。映画も、映画館も、誰かを喜ばせるために楽しませるために創られたものだ。けれどさ、それだけじゃぁないんだよ。」

「それだけじゃない?」

「ああ。作品ってのは、楽しいだけじゃない。『嗜む』ことが、できるものなんだ。」



「どうよ。」

「──」


 僕は言葉が出なかった。いや、それ以前にパンフレットを読むことを止められなかった。そこにあったのは、全く予想だにしない内容だった。『映画製作の裏話』というのを、僕はてっきりどんな点を工夫して表現したとか、こんな作業が大変だったとか、そういうことばかり書いてあるかと思ったんだ。けれど、そうじゃない。その工夫は“何故必要だったのか”。そこに映画を、製作陣営の“思い”がある。監督が語る作品に込めたメッセージや、それを解釈する他の人々の意見も書き込まれており、僕が感じていなかった“想い”や“思い”が、びっしりと書き連ねられていた。

 それは間違いなく、“思いもよらない出会い”だった。


「映画には製作者側が伝えたい思いがある。それがエンターテイメントとして観客を笑わせたいという場合もあるし、戦争映画のように平和や人の心に訴えかけるものもある。そして、制作者はどうやったらそれが伝わるのか、考えて考えて工夫して、そして作品を作っているんだ。けれど、その全部に気付ける人なんてそうそういないし、知ることは難しい。で、じゃあそれをどうやって知れるのかって言うと、この、パンフレットなんだ。」

「じゃぁ、このパンフレットを得るためだけに映画館に?」

「いや。違う。」


涼はオレンジジュースを一口飲み、再び続ける。


「確かにパンフレットは気づくためにはいい材料だよ。けれど、映画館で観ることが“面白い”のは、その気づけなかった工夫を、、という点なんだ。」

「どういうこと?」

「あー、涼は映画オタクだから。もう自分の中で完成された言葉しか出てこないのよねー。それはそれでいいのだけど。」


僕の質問に、紅葉が答える。


「ま、簡単に言ったら、映画を作っている人たちが施した工夫を体感しようと思ったら、ってことよ。だって、工夫が音響やスクリーンのサイズに合わせたものだったら、家で観たって意味ないじゃん。」

「!そうか。そういうものなのか。」

「そうそう。紅葉の言う通りだ。」

「でも──」


僕は1つ疑問に思った。


「それなら、どうして観る前にパンフレットを読ませてくれなかったの?そうしたら、もっといろいろなところに注目して観れたのに。」

「ああ。もちろん、そういう楽しみ方もある。けれど、お前の場合は先に映画を観て、第一印象を得たほうが楽しいだろうなと思ったんだ。」

「なんで?」

「だって、ほら、“意図しない体験”が、出来るだろ?」

「──!」


 僕は目からうろこが落ちたような気がした。涼が言っていることは新鮮で、僕は心臓が高鳴るのを感じる。

 彼は僕に向かって、にこやかに微笑む。


「どんな映画も、そこにあるのは用意された体験だけなんかじゃない。思いもよらない気づきがある。それに気づいたとき、ああ、この作品や作品をつくる“世界”は面白いなって、思えるんだ。けれど、『気付き』は与えられるものじゃないし、上から降ってくるものでもないんだ。なんだ。つまりさ──」

「“面白さ”は、自分で探しに行かなきゃ“楽しくない”のよ!」

「ああっ!また俺の台詞!」

「ごちそうさま~☆」


 僕は開いた口がふさがらなかった。驚きで、言葉を発することが出来なかった。そんなことは、一度も考えたことがなかったから。

 僕は二人の笑顔が眩しかった。けれどそれは目を焼くようなまぶしさじゃない。日の出のように目の前の景色を一変させる、強く温かいものだった。

 そして彼らは僕に再び笑顔を見せた。


「それじゃ、次にいこうぜ!」




「今日一日、どうだった?」


 帰り際、紅葉が僕に聞いてきた。その顔はもう僕が何を言うのか知っている、そういう顔だった。


「うん。面白くて、楽しかったよ。」

「よっしゃ!」


紅葉の隣で、涼がガッツポーズをとっている。


「いや、そんなに喜ばなくても。」

「いやいや、紅葉。これが喜ばずにいられますかって。だって碧を、やーっと心の底から楽しませることが出来たんだからな!」

「ま、たしかに。」


 笑い合う二人を観て、僕は胸が熱くなる。

こんな日が来るとは思わなかった。人間である彼らと話をしていて、おもしろいと思える日が来るとは思わなかった。きっと何も思わず卒業して、それぞれがそれぞれの道を歩むのだろうと、僕はそう思っていた。けれどそうはならなかった。足取りどころか、いつもより心が軽い。彼等と向かい合っていると、それだけで自然と笑みが零れ落ちる。

 僕は──彼らといることを、とても幸福だと、そう感じていた。


「ねぇ。二人とも。」

「ん?何?」


僕は二人の前に立つ。両足でしっかりと地面を捕らえ、彼らに言った。


「ありがとう。」

「──」


 しばらく動かなかった二人だったけれど、ほぼ同時に彼らは吹きだした。


「え、ええっ!?そんなに面白いこと言ったかな?僕。」

「いや、ごめんごめん。ププッ。」

「その、なんか面と向かって言われると恥ずかしいってのと、やっぱり碧は碧なんだって思えて安心したんだ。」

「えー、それどういうことさ。」

「ははっ!素直だってことさ!」


涼は僕の肩に腕を回す。


「な?映画も遊園地も、ゲーセンも面白かっただろ?」

「うん。でももうジェットコースターという乗り物には乗りたくないかなぁ。」

「碧めっちゃビビってたもんね~」


紅葉が口元に手を当ててクスクスと笑う。


「いやぁ、だってあれすっごく怖かったんだもん!というか、なんで二人はアレそんなに平気なの!?」

「あたしは慣れちゃったからかなぁ。確かに最初は怖かったけど、その怖さが面白いって言うか?……いや、もう怖がっている誰かを観ているほうが楽しいわね。」

「それは……また肝が据わっているなぁ。涼は?」

「俺?俺はあの風が気持ちいいんだよ。顔を打ち付けるあの空気がいい。特に一番たっかいところから落ちる時のアレがな!」


 僕は少し驚いた。みんな楽しんでいる理由が違ったからだ。僕は、確かに楽しいと感じた。それは僕に映画というものの面白さを教えた彼らと同じ時間を過ごすのが、新鮮だったからだ。これまで遊園地なんてみんなが楽しむために創られた場所だと思って、面白いとは感じなかった。けれど今日の遊園地は、とても新鮮だった。

 涼は僕が驚いていることに気が付いたのだろう。彼はニッと笑うと言った。


「な、遊園地だって“面白い”だろ?だって、おんなじ乗り物に乗って同じ時間を過ごしているのに、人によって何を感じているかは違うんだ。」

「!」

「ゲームや映画も遊園地も、誰もができて誰もが見れる大衆的な、俗世的なものであるのは確かだ。けど、どんな体験をして何を感じるかは、人によって全く違うんだ。何を感じるかは、誰か一人のモノなんだ。それって、すごいと思わないか?」


 その後彼が言った言葉は、僕にとって生涯忘れることのない、衝撃的な言葉になった。

彼は言った。夏の暑さよりも熱く、強く自信にあふれた声で。


「だってそれは、人間が創る世界ものは、世界中の人のオンリーワンになれるってことだから!」


 僕ははっとした。

 だとすれば、この人間の社会は“面白さ”で溢れている。なのに僕が「人間といても楽しくない、面白くない」とそう感じていたのは、人間世界の“面白さ”を、自分で探そうとしていなかったからだ。僕は、ただ待っているだけで、その面白さに気付こうとしてこなかったんだ。人間の世界を楽しむ大切なポイントに、僕は気付こうとしなかったんだ。



──もうちょっとを見ろっての!



 ハクが水源京に僕を迎えに来たとき言ったあの言葉。周りの人がどれだけ心配しているのか、それに気づけとそう言った言葉だ。

 もしかすると、ハクはずっと気付いていたのかもしれない。僕が人間世界の“面白さ”に目を向けようとしてこなかったことを。涼や紅葉のような、人間の温かさに気付こうとしていなかったことを。僕が自分でも知らないうちに、自分の世界だけに閉じこもっていたということを、彼は気が付いていたのだろう。

 誰かが自分を心配してくれていることを気付こうとすることと、人間の世界のどこが面白いのか、それを自分で気付こうとすることは、どっちも同じだ。

 僕は、もっと周りを観なければならない。だってそこに、必ず“大切なもの”があるんだから。

 僕は、やっと気づくことが出来た。人の世界は、精霊たちのいる世界と同じように、面白い世界なのだと。そう思うと、僕は自然と笑みがこぼれた。



なぁんだ。人間って、こんなにも、楽しかったんだ──



「じゃ、帰ろうぜ。帰るまでが遠足──じゃないな、遊びだ!」


 涼は肩を組んだままウインクする。僕は彼の肩に腕を通し、頷いた。


「そうだね。それに、よく見たらもうこんなに日が傾いてる。」

「結構遊んだわね~。あ!もう終バス過ぎてんじゃん!」


 僕らの家は田舎だ。夕方にはバスなんて終わっている。僕らは乗る予定だったバスを乗り過ごしていた。

 けれど、誰一人それを後悔する者はいなかった。


「あははは。そりゃ仕方ねぇ。歩いて帰るとしますかね!」

「しっかたないなぁ。じゃぁ、次はどこに遊びに行くか決めちゃわない?時間なんたって、たっぷりあるんだもの。」

「お、いいね。碧、次はどこに行きたい?」

「うーん、そうだなぁ。じゃぁ──」


 僕らは夕日に向かって歩いた。

 その長い帰り道はあっという間で、今までのどんな帰路よりも楽しく、幸せだった。




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