第22話


 家の重々しい玄関を開けると、予想外の人物が僕を出迎えた。


「あ!やっと帰ってきた!」

「おかえり!って、なに、碧!?全身ずぶぬれじゃん!大丈夫なの!?」

「──え?涼?紅葉?な、なんで二人ともいるの?」


 同じ中学の同級生、紅枝涼と柳田紅葉が、血相を変えて部屋の奥から駆けてきた。


「鉄おじさん!タオル持ってきてください!碧のやつ、ずぶぬれで帰ってきた!」

「わわっ!ちょと碧、めっちゃ体冷えてるよ!?風邪ひいちゃうって!」


二人は僕を見るなりマシンガンのように言葉を発する。そして鉄叔父さんがタオルを持ってくるとそれをひっつかみ、わしゃわしゃと僕の頭を拭き始めた。


「わっ!涼、大丈夫だって。流石にそんな子供じゃない。自分でできるよ。」

「おう。かもしれないが、お前全身ずぶぬれだからな。二人で拭いた方が早いだろ?」

「いや、だいじょう──ハクション!」

「……」


二人の手が止まる。そして──


「やっぱり先にお風呂ね。」

「よしきた。おじさん、薪はどこにあります?俺、風呂炊いてきます!」

「いや、あの……」

「じゃ、碧、靴脱いで洗面台にいこう!大丈夫、その手荷物……お弁当箱?はあたしが持っていくから!」


 僕が言葉を挟む間もなく、怒涛の勢いで彼らは動き、家の奥へと消えていった。

 彼等らしい、といえばそうだった。こういう時もいの一番に動く、いざという時頼りになるいい人たちだ。そして、友達想いの、優しい人たちだ。


 けど、今はそのやさしさが、僕にはつらかった。





「わぁ、綺麗な白蛇!ってかデカッ!?」


 紅葉がハクを見て目を輝かせている。

 鉄叔父さんは二人を晩飯に誘い、彼らは気持ちいのいい二つ返事で誘いに乗った。そこで晩御飯までの間の待機時間を僕の部屋で過ごすことになったのだが……この時間、ハクはいつも僕の部屋で寝ている。僕は彼らを自室に招いてからそのことに気が付き、盛大に冷汗をかいた。ここでハクがペラペラと日本語を話し始めたら、なんと言い訳をすればよいだろうか。いや、それ以前に二人がこのハクという大蛇を見て、パニックにならないか不安だった。

 けれど、そんな不安は全くの杞憂に終わった。


「あたし、爬虫類好きなのよね~ちょっと触ってもいい?」

「ほー、すげぇな。しかも放し飼いなのか?相当大人しいんだな。」

「いや大人しいかと言われると……ああ、いや、別に大丈夫!」


ハクは紅葉に触れられても、何も言わなかった。瞳を閉じ、その長い身体をだらんと伸ばしている。


「暑いのかしら?」

「……いや、疲れているんだと思う。」

「そうなの?だったら、そっとしてあげるのがいいのかしらね。」


 紅葉はそういうと、ハクから離れて卓袱台に向かう。

 彼女が座ったのを見届けてから、僕はかねてからの疑問を二人に投げかけた。


「それにしても、なんでいるの?」

「はぁ?そんなの、お前が呼んだんだろ?鉄おじさんから連絡もらったぜ。街に遊びに行きたいから計画立てようって。」

「え?そんなこと──」


 僕はあっと叫んで、ハクを見る。ハクは何も言わず、瞼をとじたままぷいっとそっぽを向いた。

 この家に住む人物で二人を呼べるのは鉄叔父さんしかいない。けれど、鉄叔父さんが勝手に二人を呼ぶなんてことはしないだろうから、誰かが二人を呼ぶように指示しなくてはならない。じいちゃんはそもそも人をよぶとこをしないから、多分違う。となると、もうハクしか選択肢はない。確かハクは2週間前、水源京から戻ってきたあの日、鉄叔父さんに頼みごとがあると言っていた。きっと、それがコレだったんだ。この2週間ずっとハクは僕と水源京に通っていたから、二人を呼ぶように頼むのであれば、あの時以外にはありえない。


「まぁ、ホントは電話もらった日の後すぐにでもと思ったんだけどさー、うち予定が入っててよ。」

「あたしもー。だからこんなに遅くなっちゃった。」

「ま、なんかお前も『家の手伝い』で忙しかったんだろ?鉄おじさんが日程教えてくれた時はびっくりしたぞ。夜以外ずっと手伝うとか、すげーな。」

「ああ、あはは……」


 僕は作り笑いをしてお茶を濁す。『家の手伝い』って、一体何を手伝っているっていうんだ……


「じゃ、ご飯前に計画を立てよーぜ。」

「そう、だね……」


 涼は持参してきたと言う映画のパンフレットや街の地図を僕に見せた。

その地図はひどく眩しく、僕はそれを直視できなかった。





「えー、そのルートだとジェットコースター乗れなくなーい?」

「いや、でもこの時間の映画を観たら昼飯どーすんだよ。」

「うーん……」


 二人は明日行くと言うその“遊び”のプランを立てるのに夢中だったが、僕はそれどころではなかった。

 翡翠を“失望させた”。それが、僕の心に突き刺さっている。なんとかして僕は挽回したいと、そう思った。けれど、その方法が分からない。すぐにでも水源京に駆けだしたいほどだけれど、それをしてどうするのだと、もう一人の自分が問いかけてくる。

 そして、もう一つ、彼らの話に参加できない理由があった。それはその二人こそが、一緒にいても面白くないと、そう感じていた相手だからだ。しかも、“それ”が原因で翡翠を失望させた。その原因は全て自分に有るのだけれど、それが分かった今、一体どんな顔をして彼らに話をすればいいのか、分からなかった。


「ねぇ、碧。あんたはどうしたい?」


 紅葉が僕に地図とパンフレットを見せて意見を求めてきた。

それが、僕の限界だった。今の僕には、これ以上彼らをごまかす──いや、彼らにをつくことは、出来なかった。


「ねぇ、二人とも……ひとつ、聞いてもいいかな。」

「ん?何だよ、改まって、」


 僕は生唾を飲んだ。


「……僕と、一緒にいて楽しい?」

「──」


 二人はきょとんとして顔を見合わせた。

 それはそうだろう。こんなことを聞いてくるやつ、変な奴だと思われるに決まっている。それとも、やっぱり僕があまり“面白くない”と感じていることを、彼らは分かっているのかもしれない。だとするならば、この沈黙の後に続く言葉なんて、決まっている──

 涼は僕に正面から向かい合う。そして、盛大にため息をついた。


「まったく、何を言い出すかと思えば……」

「……」

「楽しいに決まってるだろ?だって友達だもんよ。」

「──」


僕は顔を上げた。目の前にいる少年は、やれやれと言って苦笑している。


「どう、して?」

「ああん?どうしてって言われても……なぁ?紅葉。」

「うん、そうだねぇ。」


紅葉は鉛筆を顎に当てて少し考えてから、僕に笑顔を向ける。


「理由かぁ。ちょっと漠然としているけど、一緒にいて楽しいし、話は面白いから?かな。」

「ほん、とうに?」

「……」


二人は再び顔を見合わせる。

そして涼は言った。その顔は爽やかで、屈託のない穏やかな表情だった。


「なぁ、碧。お前は、俺達といて楽しいか?」

「──」


 僕は心臓が強く打つのを感じる。

 いつか、そんなことを問われる日が来ると、そう思っていた。けれどそれが今目の前で起きているという事実は、僕にとって大きな負荷だった。たとえそうなると、分かっていたとしても……。

 失望した翡翠の顔が、ちらついている。僕はきっと彼等も同じように──いや、もっとひどく傷つけてしまう。翡翠は僕に期待をしていた。それを僕が裏切ってしまったことで失望した。けれど、彼らはもっと純粋だ。友達だと思っていた人間から、「一緒にいても楽しくない」などと言われて、傷つかない人はいない。僕だって、ハクや千恵から、お前といても楽しくないなどと言われたら、嫌だ。


なのに、僕は──それをんだ。


 最低だ。

何が、翡翠と友達になりたい、だ。今いる友達を大切にできていない奴が、なにを言っているんだ。


「ま、やっぱりなぁ。」


 僕の脳天に、涼の言葉が響く。


「え──」


僕はその声の穏やかさに驚いて顔を上げた。僕は糾弾されると思っていたし、それだけのことをしていたと、そう思っていた。なのに、彼らはそれをしなかった。眉を下げ、ちょっと悲しげな顔をしている涼と紅葉は、それでも優しかった。


「ま、結構前から気づいていたけどな。2年の春?くらいからか?」

「そうだねぇ。碧ったら、嘘下手だし、目の奥を見たらすぐに分かったよ。」


僕は二人を交互に見る。


「え……じゃぁ、なんで……」

「なんで、か。うーん。別にお前、俺たちと一緒にいるのが嫌だってわけじゃないんだろ?それは分かっていたんだ。」

「うん……」

「でも、心の底から楽しんでいるって感じじゃなかったから、それがなんでかよくわかんなくってさ。あたしらで話し合ったの。で、そしたらさ、こいつスゴイこと言ったのよ。」


紅葉は涼を指さし、ぷっと吹き出してこういった。


「“理由は分からないけど、これから自分達といるのが楽しいと、心の底から思わせてしまえば何も問題はないんじゃないか”って。」

「──」


 僕は胸の奥が熱くなった。


「ね、脳筋バカらしい、クサい台詞でしょ。」

「おいおい、やめろ。恥ずかしいわ!」


涼は顔の前に下敷きをかざして顔を隠す。そしてチラリと目をのぞかせていった。


「まー、そういう訳で、この一年間、とにかくお前を楽しませようといろいろやったわけだ。街に出かけたり祭りに行ったり、家に遊びにいったりこさせたり、な。」

「まぁ、どれもうまくいかなかったけれどね~。家庭用ゲーム機なんて持ってないし、あのころはお小遣いもなくてそんなに出歩けなかったし。」

「森とか川とかで遊ぼうとしても、それはお前がよくやってそうだったからさ、もうちょっとお前が体験したことのないようなものを選びたかったんだ。そしたらめっちゃ機会減っちまってよ。しかも今年は受験だし。かー!めんどくせー!」


涼は下敷きを放り出し、後ろに大の字になって寝そべる。

 僕は二人に迫るように言った。


「で、でも!僕はずっと君たちに嘘をついていたんだよ。ずっと、傷つけていたんだ。本当に友達なら、一緒に話をしていて面白くないなんて思わないよ。傷つけたりなんか、しない。僕は──君達を、だまして──」

「ああん?それはちげーよ。」


涼は起き上がって僕に言う。


「だって、俺達がお前を友達だと思っているだけだ。お前は、いつだって素直なままだぜ?嘘なんてついてないし、傷つけたりなんかしていない。」

「え?」


 困惑する僕に、彼は鋭い視線を向ける。


「友達ってさ、何やったら友達になるんだ?」

「それは……」

「嘘をつかないやつか?他人を傷つけない奴か?一緒にいて楽しいと思えるやつか?」


 僕はまたしても答えることが出来なかった。強いていうなら、一緒にいて楽しい人、なのかと思った。けれど、だとしたらやっぱり僕は、彼らを友達だとは思っていなかったのだ。それを自覚すると、言葉が出なくなった。言葉がのどにつかえ、うまく呼吸をすることもままならない。

 涼はそんな僕を見て小さく微笑み、話をつづけた。


「わかんねーだろ?そりゃそうさ。だって友達なんて、明確な定義があるわけじゃない。その定義は自分が思っているだけで相手は違うかもしれないんだもんよ。」

「……」

「もしかしたら、相手の思っている『友達』は『嘘はつかない人』って意味かもしれない。一緒にいて楽しいと思えるやつが『友達』だと思っているヤツがいるかもしれない。『友達』なんてどうしようもなく曖昧で、どうしようもなくバラバラなんだよ。でも、それでいいんだ。」


彼は小さくうなずく。


「どんな思いで『友達』だと思っていてもいい。嘘がつかない奴が友達でも、一緒にいて楽しいと思える奴が友達でも、なんでもいいんだ。大切なのは、ってことだけだ。」

「あたしは碧のこと、友達だと思ってるよ。でも、それはあたしらの思っている勝手な『友達』だもの。あんたの『友達』に合っているかどうかなんて分からないわ。」

「だから、お前がオレ達を『友達』だと思っていなくても、。俺たちが勝手にお前を友達だと言っているだけだ。お前が変に罪悪感を感じる必要はないんだ。まぁ、だから……」


彼は恥ずかしそうに頭を掻く。


「お前を心の底から楽しませてやるって考えるのもから、本当は無理して楽しませる必要はなかったんだ。けどよ──」

「碧の“面白くない”ってのは、だって気づいたから、やるべきだってなったのよ。」

「あー!俺の台詞!」

「はいはい。」


紅葉はクスクスと笑って鉛筆を回す。


「楽しみ方を、知らない?」


 僕は首を傾げた。それが、一体どういう意味なのか、全く見当がつかない。そして、それがもろに顔に出ていたのか、涼は笑って言ったのだった。


「そう!だけど、そんなこと言われても分からないだろ?だから、俺達は今ここにいるんだ。」


彼は地図を広げ、白い歯を出してニッと笑う。

その屈託のない笑顔は、僕の心に直接語り掛けた。


「人間世界で楽しく生きる──そのために、世界、みにいこーぜ。」



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