第19話



「で、修行の成果はどの程度なのだ。」

「い、いやぁ。それがなかなかよくわからなくて。」


 嘘をついて水源京にやってきていることを、翡翠は分かっている。けれど、彼女はそれを嘘だと糾弾することもなく、僕のその「ニセの修行」に付き合ってくれた。

 正直なことを言うと、非情に申し訳ない。

 けれど、嘘もずっとついていればいつかまことになるなんて誰かが言っていたように、この1週間でその「ニセの修行」は「本物の修行」に成り代わっていた。

 千恵が僕に教えたのは『精』の「見分け方」と「対話する方法」だった。けれど「ニセの修行」をするにつれて、翡翠は『精』の「見つけ方」を教えてくれるようになった。


「私達神霊や術者は、お前のように『精』を見ることはできず、『精』を感じている。だから『対話』は容易にはできないが、『精』を『見つけること』に関してはそれなりに得意だ。お前がこの水源京に落ちてきたことに私が気が付いたのも、お前がこの水源京の中であちらこちらを徘徊していることに気付いていたのも、その『精を感じる』というすべを知っているからできたことだ。」


彼女はそういうと、『精を感じる術』──『知覚』を教えてくれたのだった。

 その修行内容は単純で、「塔」の最上階から水源京の街中まちなかに隠れたハクを探し出す、というものだった。

 けれど、これが想像以上に難しかった。肌に触れる霧の動きを認知するような芸当で、コツをつかむことができない。霧が出ているなということが分かるように、確かに『精』がそこにあることはなんとなく感じられるのだけど、それが何の『精』かや、どう動いたのかまでは全く分からなかった。そこにいると思っても、それが思った『精』じゃない。


「わかった!ハクはあの橋の隣にある家の中だ!」

「おい。また“視覚”に頼っているぞ。目を閉じておけと何度言わせるつもりだ。」

「う……」


 どうも無意識のうちに『心眼』を使ってしまう。『心眼』を使えば、一発でどこにどんな『精』が存在しているのかすぐに分かる。けれど、それを使っているようでは、翡翠のいう『知覚』はできない。それではだめだと、僕は胸に刻む。

 『心眼』『対話』以外の術を身に着けることに意気込んでいたのは確かだけれど、何より、最初あれだけ僕と関わらないようにしていた翡翠が、僕の修行に付き合ってくれているのだ。何の成果も出ないというのは嫌だった。なんとかして応えたいと、そう思った。


「……まぁ、いい。今日はこれくらいにしておこう。──ハク!」


 翡翠は両腕を掲げ、水中で両手を強く叩く。無音の衝撃波が、水の中を瞬時に駆ける。そして水源京全体に波が行き届いた時、さっき僕が指さした家の中から、ハクが顔を出した。


「どうだった?」

「ごめん。また駄目だった」

「……ま、ゆっくりやればいい。」


 僕らの元に戻ったハクは、それだけ言って僕の体に巻き付いてきた。その太い身体は優しく、けれど強く僕を抱きしめる。


「ハク?」

「いや、何。少し、運動して疲れたってだけだ。」

「そう?」

「ああ……」


 視線を逸らしたハクを見て、僕は彼が何を思っているのかを察する。彼は、心配しているのだろう。千恵が言っていたように、僕が新しい術を身に着けることで神霊になってしまうのではないか、と。

 水源京に差し込む光を見上げ、翡翠が僕に言った。


「今日は終わりだ。もう帰るといい。家に着くころには夕方になっているぞ。」

「そうだね。ああ、でもハクが疲れたって言っているから、もう少し後でもいい?」

「構わないが……夜になる前には帰れ。──『鈴鳴り』が出る。」

「うん。」


 今でもまだ僕と翡翠の間には距離があるけれど、それでも翡翠が僕を心配してくれているというのは感じていた。彼女自身が自覚しているのかどうかはよく分からないけれど、彼女の根は善人で優しい人なのだ。そうでなければ、ここまで僕に付き合ってくれることはないだろうし、今のように気に掛けてくれる発言はしないだろう。

 そして彼女は、僕が神霊になるとかそういうことは知らないだろうから、単純に僕の身を心配してくれているのだ。僕にはそれがうれしかった。翡翠にとって僕は、その身の安全を気に掛けてくれる程度の存在にはなれたのだと、そう思えたからだ。

 僕は傾いてきた日差しに照らされる街並みを、翡翠と並んでみる。


「それにしても、本当に静かできれいな景色だね。」

「……」

「でも、なんでどれも空き家なの?」

「──!」


 翡翠がおびえるような瞳を、僕に向けた。それを見て、僕は慌てた。そうだ。この水源京は『枯れかかっている』そう、雨音あまねは言っていた。きっとその理由はそれに直結する。だから僕は慌てて言葉を選び、弁明した。


「ああ、いや、ええと。そ、そう!別にこの世界がさびれてるとか、そういうことを言いたいんじゃなくて──って、あ、いや、これも失礼な発言になる──ああ、いや、その──ごめん!」

「……構わん。」


翡翠は静かにそういって、瞳を閉じた。

 失敗したと、そう思った。せっかく翡翠と仲良くなり始めたと言うのに、自分でそれを壊しに行ってどうするんだ。

 僕は『心眼』を使って泡の中から街並みを眺める。街の家や土、水や草に含まれている精は淡く、幽かだ。光の絨毯というには弱すぎる。ところどころ行燈を灯したようにぼうっとした明かりが見えている。あれはきっと泳いでいる魚だろう。


「やっぱり、精が少ない……」


ハクにしか聞こえない小さな声で、僕はつぶやく。そしてそのつぶやきを、ハクは拾い上げて囁いた。


「昔はもっと『精』が多かった。街には多くの精霊が集い、暮らしていたんだ。」

「……ねぇ、40年前は、どうだったの?」

「あの頃はまだ住人がいたが……減り始めては、いたな。」

「そっか……」


 僕は眼下の家を見つめる。

 穴の開いた屋根。藻の生い茂る床。苔むした壁……

誰かが暮らしていたはずのその建物は、その気配も感じないほどに静かで冷たい水に包まれている。


「何を話している?」

「え?ああ、いや。なかなか『知覚』を覚えるのは難しいなって。」

「……そう、か。」


 翡翠はしばらく僕とハクを疑うような視線で見ていたが、小さくため息をつくと言った。


「……もう、時間だ。上まではこの“泡”で行け。」




「ねぇ、ハク。」

「なんだ。」


 山を下りながら、僕はハクに尋ねる。


「僕が『知覚』を身に着けること、どう思ってる?」

「どう思ってるって……」


ハクは立ち止まり、僕と視線の高さを合わせる。


「確かに心配ではある。千恵がそれをお前に教えなかったのは意味があるような気もするからだ。だが、『知覚』は術者であればほぼ全員が行える技だ。だから……それを身に着けたくらいでは神霊にはならないと、そう思っている。」

「そっか……」

「ああ。だから……今は安心して修行すればいい。」

「うん。分かった。ありがとう。」

「おう……」

「でも、なかなか難しいね、『知覚』って。」

「そうか?そこまで大したことじゃねぇんだが。なんせ、オレにですらできるんだからな。あの日、水源京に入ってお前のとこまで行けたのも、『知覚』を使っていたからなんだ。」

「へぇ。そうだったんだ。」


 再び歩き出した僕らは、最近過ごした水源京の出来事についていくらか話をした。ハクと魚の『精』を見間違えた話とか、あのお弁当は上手かったとか、翡翠が割と表情豊かなところとか、そういった話をした。

 そうしているうちに、「友達になる」という僕の思いとは別の、本来の目的についてハクが切り出した。


「……なぁ、碧。水源京に通ってもう1週間。手紙の時期も合わせたら2週間以上が経った。どう、だ?何か、つかめたか?」

「……ううん。まだ、分からない。」

「そうか……流石に、そうなるよな。」


 夕暮れの静けさが、僕らの肌を冷たく刺す。僕たちはまだ翡翠をどうやって水源京の消滅から救うのか、それが分からないでいた。


「あ。そうだ。そういえば、最初に翡翠が水源京の入り口に立っていた時、ハク言ってたよね。」

「あん?」

「“外に出れたのか”って。あれ、どういうこと?翡翠って、やっぱりあの水源京からは出られないの?」

「ああ……あれか……」


 神霊には、行動に制限がつく場合がある。それは、神霊になる前がどんな『生き物』であったか、ということに関わってくる。たとえば、千恵はあの広間から移動することができない。それは彼女が植物だからだ。そこに根を下ろした領域から、外に出ることはできないんだ。

 ハクは少し間をおいてから言った。


「翡翠は元々人間だ。だから、本来であれば水源京から自由に出られるはずだ。だが……その、あいつは水源京からんだ。40年前のあの時も。」

「え?どういうこと?」

「それは……いや、これはオレが話をしてはいけないことだ。悪いが相棒、自分で、答えを見つけてくれと、そうオレには言うことしかできない。」


ハクはうつむきながらそういった。

その背中は寂しく、切なかった。


 どうして、みんなそんなにも悲しい顔をするのだろう。

 どうして、みんなやりきれない思いを抱えているのだろう。


僕にはまだ分からなかった。けれど、そんな悲しげな顔を、僕は見ていたいとは思わない。それだけは、はっきりしていた。


「うん。分かった。」


 僕はハクを抱きかかえる。


「うぉっ!?なんだよ、別におれは歩けるぞ。」

「いいから、いいから。」

「……」


ハクは大人しく僕の腕に巻き付いた。僕はそれを確かめると、駆け足で山を下り始めた。ハクを抱いているのに全く動きにくさを感じることは無く、その足取りは軽かった。


「なぁ、碧。お前、翡翠を救えると思うか?」

「──救えるかどうかじゃなくて、僕は。」

「……そう、か。お前らしいな。」


 ハクは腕の中で小さく笑う。


「まぁ、あまり無理はするなよ。」

「うん。大丈夫だよ。それに、さっきのハクの話で少し可能性があるんじゃないかって思えてきた。」

「……ほう、なんだ?教えてくれ。」

「でも僕は術者のことをよく知らないから……笑わないでよ?」

「笑わねぇよ。」

「じゃぁ……翡翠が水源京と一緒に消えてしまうのは、『流水の神』と同化しつつあるからだったでしょ?でもそれは水源京に長くいたから。だったら、水源京の外に出してしまえば、次第に戻るんじゃないのかなぁって、思っているんだ。しかも、翡翠は本当なら外に出られるんでしょ?」

「……なら、あいつをあそこから連れ出して、その後どうするつもりだ。」

「うーん、そうだなぁ。、千恵のもとか、別の水源京に移ってもらうとかかな。だって、水源京って水源があるところにはあるものなんでしょ?」

「……」


目を細めるハクに、僕は言う。


「だって、翡翠言っていたよ。“この世すべての水源には、都が存在する”って。まぁこれは僕の勝手な推測だけれど、あの水源京がだめなら、別の水源京に移動するっていうのは1つアリなんじゃないかな?水源京には元々いろんな精霊が住んでいたんでしょ?だったら、神霊が一人増えたって別にいいんじゃないかな?」

「……それは──」


 その後ハクが言った言葉は、僕の耳には届いていなかった。風を切る音で、聞こえていなかったんだ。


けれど、僕はその言葉をちゃんと聞いておくべきだった。

もう一度、ちゃんとなんて言っていたのか、確認するべきだった。


そうであれば、きっとまだ……あんなことには、ならなかったのに──



 彼は言った。静かに、押し殺すような小さな声で。




「それでは、彼女を助けることはできても、“救う”ことは、出来ないんだ……」





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