第18話
「じゃーん。記念すべき10日目の弁当はカレーです!」
「ほー。これはうまそうだな。」
ハクは僕の開けた弁当箱の中身をのぞき込む。乱切りにした夏野菜が10種類、一口よりちょっと大きめにカットした牛肉をたっぷり入れて10時間煮込んだ、特性『紺家カレー』だ。肉は口の中で蕩け、ルーに染みこんだ玉ねぎの甘味と絶妙なハーモニーを奏でている。白米は程よく硬く、このカレーを口に含むことで生まれる新しい味の世界を開く。
「おい、なんだその強烈なにおいのする物体は!」
箸──もといスプーンが止まらない僕らに向かって、翡翠が部屋の隅で顔をしかめて苦言を呈した。その瞳は汚物をみるかのように弁当箱を睨み付けている。
「カレーライスっていうんだよ。知らない?」
「知るか。そんな湖底の泥のような食べ物。……いや、そもそもそれは本当に食い物なのか?川底のドジョウよりも鼻に突く匂いだぞ!?もしや、発祥は拷問道具か何かだったのではないか?」
「いやいや、違うよ。詳しいことは知らないけれど、“カレー”そのものはインドって国のスパイスが効いた料理で……」
「すぱ……すぱ?いんど?……天竺の食い物なのか?」
「て、天竺!?いや、まぁそうといえばそうなるのかもしれないけど……」
天竺の料理と聞くともっと質素で甘そうな食べ物を思い浮かべる。そうなると、今食べている目の前のこの食べ物は、本当に違うところの食べ物なんじゃないかって気がしてきてしまう。
「ま、こまけーことはいいんだよ。旨けりゃな!あーうまい!お前も食ったらどうだ、翡翠。」
ハクは自分専用の弁当箱に頭を突っ込んで顔中カレーまみれになっている。
「……いや、いい。それにたとえそれが食い物だったとしても、お前のその食い方はさすがにないんじゃないのか。この部屋が汚れる。外へ出ろ。」
「安心しろって。汚さねーから──あっくしょん!」
鼻にルーでも詰まったのか、ハクは盛大にくしゃみをして部屋にルーをまき散らした。
「──貴様は、言った傍から!!」
翡翠の両手の平の上に、泡の外から水が集まり、濁流の“玉”を創りだす。
「ま、まてまてまて!ちょっと怒りすぎだろ!?今のは仕方ねーだろ!?」
「何が、仕方がない、だ。貴様はやはり信用ならん。そうやって以前もこの水源京で食べ物をまき散らし、酒を飲み干し、挙句の果てに街を散々に破壊していったではないか!」
「……ハク、水源京で暴れたことはないって言ってなかったっけ?」
「いや、その……あれはその、あれだ。暴れた内に入らないってやつだ。確かに家をひぃ、ふぅ、みぃ……とぉくらい、壊したかもしれないが、全盛期の頃に比べればたいしたことは──」
「……」
「やめろ相棒。そんな冷たい目でオレを見るな!助けてくれ!」
「ちょっと間水に浸かるだけだよ。大丈夫、いってらっしゃい。」
「碧―!」
翡翠の一撃を喰らって、ハクは泡の外、水源京の遥か先にまで吹き飛ばされていった。
◇
「あー、ひどい目に遭ったぜ。」
「……ふん。」
つやつやの肌になって帰ってきたハクは、僕の膝の上にぐったりと顎を載せる。
「ハク、やっぱり箸とか食器の使い方覚えたほうがいいんじゃない?」
「はぁ?オレには手なんてねーよ。そんな人間みたいなことするかっての!……あー、ちょっと疲れたから寝るわ。この後の“修行”もあるしな。」
ハクはそういって瞼を閉じた。彼の息遣いと心臓の鼓動が、僕の脚に伝わってくる。
「……それで、結局翡翠は食べないの?」
「……いや、私はそのようなゲテモノ──」
「おいしいよ?」
「……」
「一口だけでも!」
「……分かった。」
彼女は恐る恐る自分の前に置かれている弁当箱に手を伸ばす。スプーンをぎこちなく握り、その泥の食べ物へと差し込む姿は、小学生が嫌いな食べ物を眺めているそれによく似ていた。
「……実は神霊には毒、なんてことはないだろうな。」
「ないない。」
「そう、か……なら──」
パクリ、とスプーンまで齧りとりそうな勢いで彼女はカレーを口にする。
と──
彼女は目を見開き、弁当箱に視線を落とす。
「どう?」
「か」
「か?」
「辛い!!!」
彼女は顔を真っ赤にして咳き込む。
「あ~ごめん。結構甘くつくったつもりだったんだけど、最初だとやっぱりもう少し甘目の方がよかったかな?」
「お前、よくこんなものが食えるな……」
彼女は涙目になりながら、再びスプーンにカレーを掬う。
「あはは。辛さには慣れてしまえば平気だよ。」
「そういう、ものなのか……」
「それで、味はどう?」
「……」
翡翠は目を細め、小さく答えた。
「……まぁ、悪くは、ない。」
「そっか。よかった。」
再び口にカレーを運ぶ彼女を見て、僕は微笑んだ。
あれから1週間。最初こそ彼女は僕らと同じ部屋にすら来なかったけれど、今では同じ部屋で僕のつくってきたお弁当を食べてくれるようになった。そしてこの一週間、彼女と過ごす時間が増えたことで、僕にとってうれしいことがいくつかあった。
まず、割と普通に会話ができるようになったことが、僕はうれしかった。これまでは大分距離を置かれた話し方を翡翠はしていたけど、最近ではそれが少しずつ薄くなり、さっきのハクとのやり取りのような、ちょっと打ち解けた会話が──?できるようになった。 そして、翡翠についてより知ることができたのは、大きな一歩だと思う。綺麗好きなところとか、結構押しに弱いところとか、あと、けっこう話し始めると止まらないタイプな気がする。そして一度も笑顔を見せたことはないけれど、割と感情が豊かだということが知れたのは、『友達』へと少しずつ近づけているんじゃないかなと、僕は思った。
きっと彼女の心からの笑顔は太陽のようにあたたかく、桔梗の花のように美しいのだろう。
「──?なんだ?」
「ううん。なんでもないよ。ただ、やっと仲良くなれてきたのかなって思って。」
「……」
彼女は僕から視線を逸らし、少しずつカレーを口にした。
◇
「馳走になった。」
翡翠は綺麗に弁当箱の中身を平らげると、丁寧に蓋をして僕に弁当箱を返した。
「はい。お粗末様でした~。
そうだ、明日は何が食べたい?」
「……いや、私は神霊だ。しかも、
「大丈夫だよ。一人分増えても、手間なんて変わらないよ。」
「……」
「それに、ご飯はみんなで食べるからおいしいんだ。だから、翡翠も食べよう。」
「う……む。」
「で、せっかく食べるのだから、何か好みがあればそれを作ってみたいのだけれど、何かない?」
「なら──」
「てんふら」というのがとってもうまくてな。今度、お前にも食べさせてやるからな。
──なんだ、今のは。
僕は目をこすった。今、翡翠の背後に、誰かがいた。黒い影の塊のような存在だったけれど、確かに誰かがそこにいたんだ。でも瞼を開けると、どんなに目を凝らしても翡翠の背後には誰もいなかった。
幻覚だったのだろうか?だがそうだとしたら、今の言葉は、一体何だったのだろうか。
そして翡翠の口から放たれた言葉に、僕は驚きを隠せなかった。
「──“てんふら”、かな……」
「!?!?」
「?どうした、碧。」
「──え?いや、なんでも、ないよ?」
僕は慌てて平然を装う。
「え、ええと、“てんふら”って……天ぷらのこと?」
「……いや、分からぬ。確か、何かの衣をつけた食べ物だと昔聞いたのだが……私は、それを食べたことがない。」
「食べたことがない?けど、それが食べたいの?」
「……いや。いい。忘れてくれ。」
「えー。やだ。」
「お前な……」
「じゃあ、天ぷらだね!この季節だと何の天ぷらがいいかなぁ。やっぱり夏野菜とお魚かな。それで岩塩と醤油を用意して……」
「……」
翡翠は何も言わなかった。ただ、郷愁に浸る様な寂しげな瞳を、塔の外へと向けていた。
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