第12話
「──それで、
クスクスと笑いながら、千恵は楽しそうに小鳥と戯れている。
「もー、本当に、あんなに怒ったじいちゃん初めて見たよ。」
「ふふ。彼は昔からああだからな。人一倍怒りっぽく、尚且つ人の三倍以上人を愛している。家族であるならば尚更よ。
「そうなら、もうちょっと穏やかにしてほしいなぁ。大体、けが人なんだからもっと安静にしておいてほしい。」
僕は千恵の前で肩を竦める。
あの後、僕が家にかえるなり、じいちゃんは思いっきりゲンコツを喰らわせてきた。それも、部屋の一番奥から玄関までまっすぐに走ってきて、だ。自分の方が重症なのに、ゲンコツを喰らわせたあとの抱擁は、もはやタックルに近いほど強かった。まったく、なんで、あんなに元気なんだか。
「はっ!お前にはあれくらいのお灸がちょうどいいぜ。」
「もうハクの尻尾だけで十分だよ。大体、あれ、すっごく痛かったんだよ!気絶したんだもん。」
「ま、まあ、アレは、なんだ……うむ、流石にやりすぎた。悪かったって。」
ハクが気まずそうに視線を逸らすのを見て、僕は頬を膨らませる。
「だいたいさー、あんなに早く帰る必要ないでしょ!せっかく翡翠と友達になれそうだったのに!それに服とかだって水源京に忘れてきちゃったし!」
「いや、それは……」
「というか、そもそも、なんで翡翠がこの山にいるって教えてくれなかったの?」
「ま、まあ、なんだ、いろいろあってよ……」
「いろいろって何さ。」
「それは……」
ハクの煮え切らない態度に、僕はその質問を別の人物へと向ける。
「千恵も、どうして教えてくれなかったの?」
「ああ、水源京の翡翠か。」
千恵は小鳥たちに別れを告げると、僕に淡く優しい瞳を向けた。
「我としてはお前を紹介すること自体はやぶさかではなかったさ。」
「じゃあ、どうして教えてくれなかったの?」
「翡翠が、『誰にも水源京の話をするな』と言ってきたからさ。特に、汝ら『紺家』には、な。」
「──え?なんで?」
僕はびっくりしてハクを振り向き、じっと見つめる。
「……まさか、ハク。」
「な、なんだよ……」
「……お酒飲んで暴れた?」
「ちげーよ!暴れてねーよ!?」
「じゃあ、なんで翡翠が『紺家』に自分のこと知られるのを嫌がってるのさ。」
「いや、俺のせいじゃねえって。『紺家』の問題のあれやこれやをなんでも俺のせいにするなよ!確かに8割くらいは俺が原因だけどよ!」
「じゃあ、原因はなんなの?」
「そりゃあ……」
「はい、そうやってまた黙るー」
「ガキかよ、お前は!」
「だーってハク全然正直に話してくれないんだもん。そんなんじゃ秘蔵のお酒、飲ませてあげないからね!」
「なっ!」
ハクの口がぽっかりと空き、何度か彼は愕然としたように口をパクパクと開けたり閉じたりしていた。
「さ、それが嫌だったら話してもらおうかな!翡翠のことを……!」
「て、てめえ、俺の、俺の酒を人質にするとは──鬼か!?」
「さあ、答えるんだ!ハク!」
僕はハクににじり寄る。
「そ、それは……いや、そんな理由で話せられるわけないだろ!?ってかオレをなんだと思っているんだ!?」
「今ならお隣さん(片道二キロ先)からもらった、究極のキュウリの糠漬けも出そう。」
「くっ……あのばあさんの糠漬けか!?あれはほんとにうま──じゃねえ、だから、俺を何だと思っているのだ!?」
「いや、これなら話してくれるかなって。」
「そんなわけないだろ!?なんでそれで翡翠とジジイの話なんざ──」
「あっ」とハクが口を開けた、その時だった。
「懐かしい話だナ──」
空から、声がした。
それは天から降り注ぐ雨のようにまっすぐに、小雨のように少し高い声だった。
「──
千恵が庭園の裾をチラリと見る。
「また会ったな、千恵、ハク──そして碧。」
「雨音ちゃん!」
さっきまで誰もいなかったその場に、彼女は立っていた。
ひらひらフリルのついたミニスカートに、青いリボンが特徴的なゴシック調の服。鮮やかな刺繍細工の日傘を持った幼子が、その周りにだけ降る小雨の中を、スキップ交じりで駆けてくる。
「ワタシも混ぜてくれないか?土産話もたくさんあるし、たくさん聞きたいゾ。」
「……相変わらず、とんでもなく傾いたヤツだな。ほんとに2000年以上も生きている『神』なのか?」
ハクは目を細め、呆れた声を出す。確かに、雨音は神々しい『神』というより、“ちょっと芝居がかった小学生”のような言動をとる。まぁ、格好については、僕はよくわからないけれど……
「……別に、そんな楽しい話じゃねーよ。」
ハクがそっぽを向くと、雨音はその小さな手でハクの尾を掴む。
「なんだ。ワタシには話せないのカ?では、ワタシから話そウ!次はオマエ、ダ。話さないならブン投げル。」
「むちゃくちゃな……」
ハクは僕の近くにそっと身を寄せる。確かに、彼女はそのまま投げる。そういうことを、平気でやる子だ。僕はそれ自体を変わっているな、とは思っているけれど、そこまで怖いと思ったことはない。けれどハクはそれが怖いらしい。……当たり前か……。
「──で、雨音よ。汝、なんの土産話があるのだ?」
「おおう、そうだそうダ。」
千恵の言葉に雨音はハクの尾から手をはなし、彼女の隣にふわりと腰を下ろす。
「
「おお、お銀か。だがそれはいつもの事ではないのか?」
「そうなのだが、ここからが面白イ。実はな、アヤツ、ついに身を固めることにしたらしいのダ。」
「ほう。それは驚いたな。」
「だろだろ?そして、相手は何と──」
「人間、であろう?」
千恵の強く自信たっぷりの言葉に、雨音は目を見開く。
「何?なぜワタシの言おうとしたことが分かったのダ?もしやオマエ、ついに未来を予知することも可能になったのカ?」
「そのような力を、我は持っておらぬよ、雨音よ。」
千恵は微笑み、枝葉の髪をすく。
「ではなぜダ?」
「簡単なことだ、雨音。あの狐は、人間を心から憎んでいた。つまりな、彼女は
「うーむ。てんで分からヌ。」
口をへの字に曲げる雨音は、面白くなかったのか、急に僕の方を向いた。
「碧。オマエはどう思ウ?人間と神霊、種族の違うモノが婚姻を結ぶ、ということを、オマエはどう思ウ?」
「ええ?いや、そんな急に言われても……」
僕はちらりと千恵を見る。ほのかに漂う甘酸っぱい香り。白い梅の花は、静かにそこに座っている。薄紅色の瞳は微笑むだけで、何も言わなかった。
「……よくは分からないけれど、友達にもなれるんなら、結婚だってできるんじゃ、ない、かな?」
「なるほド。オマエの言葉の方が、ワタシは気に入った。分かり易イ!」
「いや、多分僕と千恵が言っていることは違うと思うよ。」
「ムム?そうカ?いや、確かにそうだナ。千恵はすべてを見ていル。千恵はいつだって賢者であル。『神』ですら、時々理解できぬほどに、ナ。」
千恵は黙ったままだ。ただ静かに瞼を閉じ、意味ありげに微笑んでいるだけだ。
「──それで、次はオマエ達の話の番だゾ。早く聞かせてくレ。」
「……」
雨音の言葉に、誰も答えなかった。
雨音は無音が嫌いなのだと、以前言っていた。それはきっと、彼女が音のする存在だからかもしれない。何も音のしない世界、というのが慣れないのかもしれない。だから彼女は、その無言の庭に早々に終止符を打った。その声はひどく冷たく、そして雨のようにこの庭を濡らした。
「別に話せないことではないだろウ?
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