第11話
「まったく、心配させやがって!!」
「いててて。ハク、痛いし重い。」
僕は部屋の隅にまで飛ばされ、柱に背中を強打した。もしかしたらこの療養がパーになるんじゃないかと思うくらいの衝撃だ。
「ったくよぉ。お前には言いたいことが山ほどあるぞ!
ええ?何俺一人残して走っていきやがった!あの後大変だったんだぞ!
「で、電話したんだ……」
「しかも、だ!あの後の家の
「いや、ホントにごめん!あの時はその……なんとかしなくちゃって思ってて。」
僕は声を荒げるハクに頭を下げる。
「そんなもんでなんとかなるわけがないだろ!だー、もう!なんで一人で突っ走っちまうのかね、お前は!あれほど山にはやべー神霊がいるって言っただろ!?で、何?ばっちり『鈴鳴り』に出会うだぁ?死にたいのかよ!」
「本当にごめんなさい!」
「本当だ!──本当に、心配させやがって……」
ハクはその白い頭を、僕の額にコツンと当てる。彼の熱い息が、水の中にいても伝わってくる。
「……で、『精』は元に戻ったのか?」
「うん……もう、大丈夫だよ。翡翠が手当てしてくれたおかげで、傷も癒えたんだ。」
「……」
ハクはチラリと部屋の隅で佇む翡翠を見る。
「……おう、久しぶりだな。」
「そうだな、ハク。──40年ぶりになるか?」
「ああ……」
二人の神霊の間に、不思議な沈黙が続いた。お互いに視線を合わせようとしていない。けれど、そこに嫌悪や憎悪のような感情は漂っていなかった。そう、いうなれば、「ただ、気まずい」というものだった。
そしてその沈黙をわざとらしく張り上げた声で破ったのは、ハクだった。
「さーて、帰るぞ、碧。」
「えっ?今??ちょっとまってよ。これから翡翠と話を──」
「なーに寝ぼけたこと言ってんだよ。お前、4日も家を留守にして
「……」
「ジジイと緑鉄はそりゃ当然だが、なんて名前だったか忘れたが、学校の奴らが二人連絡してきたぞ。」
「そう、なんだ……」
僕はハクから視線を逸らす。きっとその二人は、この三年間何かと僕を気にかけてくれていた二人だ。別に悪い人じゃない。ご飯を一緒に食べようと気さくに語りかけてくれる、明るくて優しい人だ。勉強だってできるし、運動だってできる。クラスの中では人気者、というほどでもないけれど、「頼りになる」という枠組みに入る人たちなのは間違いない。僕だって彼らと話すことを苦に思ったことは無いし、普通に会話はするし、一緒に町の祭りに出かけたことだってあるんだ。
ただ……。
「ま、そういうことで、相棒が世話になったな、翡翠。早々にお暇するぜ。」
「……そう、か。」
彼女は僕とハクから顔を逸らし、窓の外の街並みを眺める。僕は彼女のその姿をみて、慌ててハクに詰め寄った。
「いや、ちょっと!まだ着替えてないし、もう少し後でも──」
「ええい、もうちょっと
「ぐはっ!」
ハクの手刀ならぬ尾刀が、僕の腹部に決まる。
「あ、やりすぎた。」
間の抜けたハクの言葉だけが、消えゆく僕の意識にむなしく響く。そう、悲しいかな。その言葉が、僕がこの日、この塔で聞いた最後の声になってしまった。
◇
鳥の鳴き声で、僕は目が覚めた。崖の真上から照り付ける太陽が、僕の顔を照らしている。
「やーと、起きたか。」
「ハク、ここは?」
「水源京の、真上だ。」
僕は周囲を見渡す。
生い茂る瑞々しい草木に、湿った土の匂い。遠くから聞こえる鳥の声と蝉の合唱。そこは、神秘の水で包まれた都ではなく、命溢れる森の中だった。そして、僕は足元に広がっているそれを見て驚いた。
「え、まさか、この水たまりが、水源京──!?」
そこにあったのは、池と呼ぶには小さすぎる水のたまり場。大人が二人いれば余裕で囲えるほどの大きさしかない。しかも、その底は明らかに浅い。拳一つが入るか入らないかくらいの深さしかないんだ。落ち葉が積み重なったら埋もれてしまう、雨上がりの水たまりそのものだった。
「……ああ。そうだ。」
「嘘でしょ!?え、じゃあ、僕が崖から落ちた先がこの水たまりじゃなかったら……」
僕はそびえ立つ崖を見上げる。
その頂は天を仰ぐほど高く、先なんて見えやしない。見ているだけで僕は背筋が寒くなった。
「水源京ってのは、だいたいどこも……まぁ、こんなようなものだ。中には祠が立てられるほど大きいものもあるが、な……」
ハクはどこを見るわけでもなく、ぼうっと周囲をその赤い瞳で眺めていた。僕はハクのその姿に、思い出に浸る郷愁を感じたけれど、何か違うな、とも思った。ハクの生まれが水源京だったとか、そういうことなら話は別かもしれないけれど、彼は普通の卵から産まれた普通の蛇だったようだし、そもそも「思い出に浸る」ようなことを彼はしない。昔、山で暴れまわったことを僕に意気揚々として語ることはあるけれど、それでも彼は「今」を生きている。「今」どうしたいのか、「今」どう生きていきたいのかを常に考え、自由気ままに暮らしている。そんな彼が「郷愁に浸る」ということは、ちょっと考えにくかった。
「さて、じゃあ、家に戻るか。」
「ねえ、まって。」
「うん?なんだよ。」
先に進もうとするハクを、僕は呼び止めた。
「また、会えるよね?翡翠に。」
「……」
僕の問いに彼はしばらく答えなかった。そして僕から向かうべき場所へと視線を移し、ゆっくりと体をくねらせながら言った。
「……まあ、お前がそう望むなら、な。」
◇
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